第106話:クィクィの戦闘
クィクィは、クオンを担いで町の外れに飛び去る。それを一瞥しつつしたアルピナは、さて、と息を吐いてルシエルに向き合った。
「クィクィは取り戻させてもらった。残る障害は、君だけだな」
「そうね。さすがに皇龍の力が相手だとどうしようもないわね。シャルが負けるのも納得よ」
やれやれ、とばかりに溜息を零すルシエル。諦観の境地に達し、もはや苛立ちすら浮かんでいなかった。
「さぁどうする、ルシエル? まだ時間はある。好きに足掻いてみるがいい。ワタシが幾らでも相手になろう」
「そうね。こうなったら退こうにも退けないもの。足掻けるだけ足掻いてみようかしら」
ふぅ、と小さく息を吐いたルシエルの瞳に迷いはなかった。残り少ない聖力を振り絞り、聖眼と聖剣を暁闇色に輝かせる。全神の子の中で最大の強敵である悪魔公アルピナにせめてもの一撃を加えて見せようとする気概は、宛ら魔獣被害から無垢の民を護ろうとする英雄の様でもあった。それは、相対するアルピナの魔眼にも確かに映っていた。
「ハハハッ。その態度、宛ら英雄の様だな。ルシエル、長時間の憑依のお陰で精神がヒトの子に引かれたか?」
「そうかも知れないわね。でも、悪くない気分よ」
いくわよ、とルシエルは腰を落とす。それに応える様にアルピナも魔剣を構築する。可憐にも冷酷にも感じる微笑を浮べて、二柱の神の子は再び激しい衝突を始めた。
一方、クィクィはクオンを抱えて町の外れにある比較的綺麗な民家の前に降り立った。近くにヒトの子の気配はなく、魔物も既に去った後だった。
クィクィは、可憐な黄色の髪を風に靡かせつつ民家のドアを開ける。温かい香りが漂い、いまだ生活感が残るその光景は、至って平和な日常の一欠片。しかし、窓の向こうに広がる倒錯的な風景との差異は却って痛ましさを助長させる。
「ここでいいかな?」
不作法ともとられかねない傍若無人な態度で室内に踏み込むクィクィ。尤も、プレラハル王国や周辺国は総じて土足文化であるため至って自然ではあるのだが。しかし、だからこそ余計に傲岸不遜差が際立つ。とはいえ、クィクィもまた悪魔の一柱である。その上、今は非常事態。平和な時代にのみ適応される人間社会の礼儀を遵守しては、それはそれでおかしいだろう。
クィクィは、そのまま部屋を横切って二階への階段を昇る。狭い室内では魔力を利用した飛行は取り回しが悪いため、地道に階段を使用するしかないのだ。軽快な音を立てて二階へ昇り、誰かの寝室と思われる部屋の扉を開ける。
そして、奇麗に整えられたままのベッドの上にクオンを寝かせると金色の魔眼で窓の外を見る。爆風と爆発音が間断なく室内にまで齎され、窓ガラスが小刻みに振動している。塵埃が付着し、灰色の変色したガラスの奥では、黄昏色の空が零落し、聖力と魔力と龍脈が喧嘩している。
「えっと……スクーデリアお姉ちゃんはどこかな?」
求めていた魔力の主は、町全体を軽く一瞥しただけですぐ見つかった。それなりの数の神の子がここレインザードの集結しているが、スクーデリアより大きな力を持った神の子と言うのも数少ない。故に、見つけられないはずがないのだ。
窓を開け、クィクィは飛び出す。風圧で髪が大きく靡き、魔力の衝撃波が瓦礫を吹き飛ばす。
『お待たせ、スクーデリアお姉ちゃん。もうすぐ着くよ』
『あら、早かったわねクィクィ。早速で悪いけど、一つ仕事を頼まれてくれるかしら?』
『うんっ、いいよ!』
明朗快活で可憐な声色を存分に発揮するクィクィの陽気な声が脳裏に響く。周囲を埋め尽くす戦争の風景とはあまりにも剥離したそれは、もはや清々しさすらある。相変わらずね、と微笑を浮かべるスクーデリアは言葉を返した。
『今、私とアルテアでイルシアエルとテルナエルを止めてるのよ。それを代わりに引き受けてくれないかしら?』
『うんっ、わかった!』
一切迷いなく快諾するクィクィ。二柱の座天使を同時に相手したところで決して負けるはずがないという強い自信がハッキリと現れていた。
そこへ、テルナエルと戦っていたアルテアが精神感応を割り込ませる。
『それじゃあ、私は何をすればいいのかしら?』
『そうね……十分いい体験ができたでしょう? 魔力の回復も兼ねて、クオンの護衛をお願いできるかしら? きっと大丈夫だと思うけど、下手に傷を負わせたらアルピナに殺されるわ』
スクーデリアの恐れは、全悪魔が迷うことなく同意すること。同族、或いは友人同士であるにも拘らず、想像もつかないほどの強い死の恐怖が魂を襲撃した。
わかったわ、とアルテアは了承し、そこで精神感応は切断される。そして自然な流れでスクーデリアとアルテアは再集結し、それに合わせてイルシアエルとテルナエルもまた肩を並べる。
「どう、アルテア? 天使相手でも、なかなか死なないものでしょう?」
「辛うじてよ、本当に。何度かスクーデリアにも助けてもらってたみたいだし」
そうね、とスクーデリアは優しく微笑む。しかしすぐに心を切り替えると、氷のような瞳で二柱の天使を睥睨する。
「相変わらずしぶといわね、二柱とも。つい先日まで神界にいたとは思えないわ」
「賞賛に与り光栄ね、スクーデリア侯」
恭しく御礼申し上げるイルシアエル。しかし、その嫌味はスクーデリアに一切通じることなく無情に流される。
暫くの無言が流れた。風の音だけが両者の間を吹き抜け、遠くの方では魔物の雄叫びらしき声が反響していた。瓦礫が崩れ落ち、塵埃となって辺りに舞う。灰色の景色が辺り一面に広がり、ヒトの子の生活感はもはや欠片すら残されていなかった。
その時、上空から弾丸の如き速度で魔力の塊が落下する。着地と同時に衝撃と瓦礫が舞い上がり、アルテアは無意識に顔を覆う。しかしそれ以外の三柱は至って平静な相好のままであり、とりわけスクーデリアに至っては笑顔すら浮かべていた。
スクーデリアは、魔眼を凝らして舞い上がる瓦礫埃の奥を見通す。懐かしい、大切な友人の魔力を改めて間近で認め、喜びに魂を震わせた。
「お待たせ、スクーデリアお姉ちゃん! それに、アルテアも」
「ええ、久し振りねクィクィ」
喜びの感情を発露させてスクーデリアを見つめるクィクィ。しかし、そんな感動の再会もそこそこにクィクィは二柱の天使を見据える。さて、と小さく息を吐き、純粋無垢に羽虫を甚振る童のような屈託のない笑顔を浮かべた。
「ボクがあの二柱を相手すればいいんだよね?」
「ええ、お願いするわ。久しぶりなんだから、存分に暴れなさい」
よろしくね、とスクーデリアは避難所へ向けて飛び去る。それに合わせてアルテアもまたクオンの魔力を頼りに飛び去り、その場にはクィクィの他イルシアエルとテルナエルだけが残った。
「ルシエル様の支配を抜け出したんだね、クィクィ」
「まぁね。そんなことより、たった二柱だけでボクとやるつもり? 復活したばかりなのにさ」
小バカにする様な瞳で睥睨するクィクィ。純粋無垢な童のような外観からは想像もつかない様な、加虐的な雰囲気が魂の内奥から溢出する。イルシアエルもテルナエルも、久し振りに感じるクィクィの魔力に冷汗を流しながらも、負けじと聖力を迸出させて対抗する。
「ナめないでよッ!」
苛立ちを爆発させたように突撃するイルシアエルとテルナエル。なまじ同世代な相手であるだけに、イルシアエルもテルナエルも無意識のうちに普段より短気になってしまっていた。それ故か、或いはそうでなくても結果は同じだったかもしれないが、クィクィはなんてことないような素振りで二柱の聖剣を受け止めると、そのまま容易に二柱を投げ飛ばす。ぶつかった家々が音を立てて倒壊し、瓦礫が塵となって舞い上がる。
次回、第107話は1/12 21時頃公開予定です




