第104話:交代
『順調とまでは言いきれないが、まぁ滞りなく進んでいるといって差し支えないだろう。あまり時間が残されていない事実が焦燥感となって山積する気持ちも分からないではない。しかし、精神的余裕の欠落は身を亡ぼす最大の要因だ』
『それくらい分かってるさ。だが、いつまでこうしているつもりだ? ルシエルは兎も角、クィクィを助けた方が地上としても良い戦力確保になると思うが……』
ふむ、とアルピナは改めて魔眼でクィクィの魂を見通す。彼女の魂に張り巡らされたルシエルの精神支配は非常に複雑。ある程度彼女の心身を消耗させない事にはその痕跡すら容易に掴ませてはもらえないのだ。
時間はかかったが、これだけ消耗させればクオンでも容易に掴めるだろう。
『そうだな。では、役割を交代するとしよう。ワタシがルシエルを抑えておく。その間に、君はクィクィの魂からルシエルの精神支配を引き剥がせ』
『漸くか。お前にしては随分と時間がかかったな』
『戦ってみればわかるが、クィクィはかなり手ごわい。純粋な力比べならワタシを上回るほどにな。それと、一つだけ忠告しておこう。決してクィクィの魂を傷つけるな。方法はシャルエルをスクーデリアから引き剥がした時と変わらない。しかし、シャルエルと異なりルシエルの精神支配は非常に複雑だ。適当に遺剣を突き立ててはクィクィの魂諸共神界送りだ』
これまでにない威圧感を、精神感応越しですら感じさせるアルピナの凄み。決して失敗してはならないことが嫌というほど理解できる。味方でありながらどんな敵よりも恐ろしい圧力に、クオンは唾を飲み込む。
『わかってるよ。お前こそ、油断しすぎてルシエルに負けるなよ』
『誰に対して言っている。ワタシが負けるわけがないだろう』
まだ約束を果たせてないからな。そうだろう、ジルニア?
さて、とクオンとアルピナは背中合わせになって魔力と龍脈を絡ませ合う、ジルニアの残留意志とアルピナの想いが交差し、クオンの与り知らない場所で無言の激励が交わされる。
人間はもとより、あらゆるヒトの子では到底経験することができない幾星霜に渡る時の積み重ね。それは、あらゆる障壁を前にしても決して解けることがない強固な紐帯として在り続ける。
そして、その思いを受け継ぐように遺剣を握るクオンもまた、久遠に渡る覚悟を無碍にしないために心を震わせる。何より彼自身の目的である養父の敵討ちの為にも、ここで足踏みをしている暇はなかった。
そこへ、クィクィとルシエルがやってくる。それぞれ聖力を魂から湧出させ、眼前の悪魔と人間を討伐してやろうと殺気を放っている。
そんな彼女たちの突撃に合わせる様にアルピナとクオンは互いの位置を入れ替える。これまでの戦いと異なりルシエルをアルピナが、クィクィをクオンが相手取った形態を創る。
「あれ、交代するの?」
「ワタシも君と戦いたくなったからな。悪いが、少々遊びに付き合ってもらおう」
冷酷な、しかし可憐さを忘れない笑顔を浮かべるアルピナ。それに対しルシエルは、決して不満ではなかったがわざとらしく残念そうな態度をとる。クオンと戦えない事に対する当てつけの様でもあり挑発の様でもあるそれは、天使と悪魔の確執を暗に示すようなものだった。
そんな二柱のやり取りに対してクオンとクィクィの邂逅は非常に静かなものだった。ルシエルの精神支配の影響が未だ抜け切れていないクィクィの相好に感情の色が浮かぶことはなく、ただ命令のままに戦いを熟す機械人形のようだった。
そんなクィクィに対して、クオンは龍脈を剣先から放出して迎撃する。決定打にならないことは承知の上で放った、挨拶代わりとなる一撃。
不可視の衝撃を魔眼で補足したクィクィは、自然体の回避行動をとる。それは、相性上龍に対して有利に立ちまわれる悪魔としての本能ではなく不利にならざるを得ない天使としての危機感だった。
やっぱり、龍の力には過剰に反応せざるを得ないのか。何より、この力はただの龍ではなく皇龍の力。残滓程度の聖力では受けきれるはずもないか。
だったら、とクオンは遺剣から放つ龍脈の量を上昇させる。度重なる戦いのお陰で手足のように扱えるようになった遺剣だからこそできる芸当だった。
「——フッ」
その瞬間、微かにだがクィクィが笑った様な気がした。見間違いの様でもあり、そうでないようにも感じられる刹那の様な時間だった。
笑った?
どういうことだ、とクオンはクィクィの態度を訝しがる。何故感情が発露されたのかではなく、あらゆる感情の中でも笑うという感情だったのか。そして自ずと、一つの理由に思い至る。
クィクィの感情……龍脈に対する喜び……ああ、そういうことか。
龍の力は天使に対する特効となり得る。つまり、自身の魂に巣くう天使の拘束を除去できる手段を確保できたことに対する喜びだったのだ。
それがわかれば、クオンがすべきことは一つ。あらゆる手段を用いて龍脈を当てること。クィクィの僅かな理性によるサポートが得られるのであれば、クィクィの魂に誤爆するリスクも多少は減らせる。
希望の道幅が広くなり、クオンは無意識に笑みを零す。それでも、決して油断してはならない事を肝に銘じつつ、眼前の悪魔に剣を向ける。金色の魔眼が煌びやかに輝き、魂から魔力が迸出する。
「さて、始めようかクィクィ!」
〈魔鳳嵐〉
〈天龍破斬〉
聖力と魔力の混合物と魔力と龍脈の混合物が迸出し、激しい衝撃波を生じさせながら激突する。魔剣と遺剣がぶつかり合うことで、甲高い金属音と灼熱の火花が放散する。日輪を思わせる巨大な光球が、衝突の度に広がり、辺り一面の空気を破壊する。
「なかなかやるな」
クオンは無意識に呟く。シャルエルやルシエルと大差ない、或いは凌駕しているのではと思わざるを得ない力。龍脈による優位性がないためにそう感じるだけかもしれないが、結果として苦戦している事には変わりない。例えクィクィの魂が部分的に協力してくれていても、このままでは何時まで経っても平行線をたどることは容易に想像できる。
クオンは舌打ちを零しつつも、いまだ明確に繋がらない道筋を探して藻掻き続ける。長い戦闘により魔力も龍脈もかなり消耗し、体力や気力を考慮してもこれ以上の長期戦は避けたかった。
何より、天頂から零れ落ちる龍脈の時間制限もある。地界と龍脈を隔てる膜の融解は着実に進行し、1時間程度残されていたはずの猶予も、今となっては30分も残されていなかった。
「ジル……ニ…………」
微かに漏れる声。他でもない、クィクィの声だった。遺剣に残留するジルニアに救いを求めるそのか細い声は、確かにクオンの耳に届いた。
「この声……そうかクィクィの……」
少しずつではあるが、クィクィの魂に巣くうルシエルの残滓も消耗している。龍脈を絶えず放出し続けてきた成果が、現れていることを確認できた瞬間だった。
それは、久遠の心に微かな希望を見せてくれた。その希望はクオンの活力となり、気力となり、援助となった。あと少しでクィクィを助けられることを確信したクオンは、最後の追い込みとばかりに攻撃の手を強める。苛烈に過激に攻めたて、可能な限りクィクィとその魂に巣くうルシエルの残差を追い詰めていく。
そろそろいけるか?
クオンは、魔眼に魔力を集約させてクィクィの魂を見通す。一欠片の魂すら逃すことなく、複雑に絡まり合ったクィクィの魂とルシエルの残差を仕分けしていく。
しかし、その複雑さはクオンの理解の範疇を大幅に超越したもので、彼の魔眼でもってしてもその細部を完全には見通すことはできない。
――ッ。
クオンの肉体はヒトの子でしかない。そのため、許容量を超えた魔力は彼の身体を強化するどころか過剰免疫のように破壊する。しかし、瞳を充血させながらもクオンはその視線を決して離さなかった。
次回、第105話は1/10 21時公開予定です




