第100話:救助者
「アエラさん、補給を済ませたら、次は何処へ向かいましょう?」
「そうね……。東の方へ行ってみない? 一番戦いが激しい場所だけど、その分魔物も多いでしょうし、そもそも何と何が戦ってるのかも気になるわ」
東はつい先ほどセナから行くなと言われた方向。マズい、とアルバートは条件反射的にそれを拒否する。
「いえ、東は止めておきましょう。確かに戦いが激しい分、それ相応に敵も多いのは確実です。ですが、あれだけの戦いを生じさせるほどの敵です。俺達が行っても、徒に犠牲を増やしてしまうだけかと」
「……わかったわ。それじゃあそうね……南の方に行ってみましょう」
ふぅ、とアルバートはアエラの決定に安堵の息を零す。なんとかなった、と心中で呟きつつ、アルバート自身もまた他の兵士達に混ざって補給を行う。しかし、スクーデリアとの契約で譲渡された魔力が体力と気力を回復させてくれているおかげで、実のところ補給は全くもって必要ない。それでも、全く補給しないのは却って訝しがられるだけなので形ばかりの補給はしておく。なかでも食料に関しては、影に潜むルルシエが好んで食べているようなので好都合でもあった。
「そんなに旨いか? どうみても味気ない戦闘食糧だと思うが……」
「うん。美味しいよ。まあ、私がただ単に人間社会の食事が初めてだからだと思うけどね」
小声で躱す会話は、至って普通の雑談。それが人間と悪魔との会話だと誰が気付けるだろうか。それほどまでに、ヒトの子と神の子との間にある差と言うのは大きくないのかもしれない。そう勘違いさせてくれるには十分なものだった。
しかし、それが正しく勘違いであることをアルバートは努々忘れてはいない。ヒトの子の生と死を掌の上で縦にする悪魔の前に、人間程度の力では追い縋る事すら許されない事を、彼は身を持って体験しているのだ。たとえ魂は売り払ったとしても、その価値観までは亡失するわけにはいかないのだ。
その後15分ほどかけて補給を終えるアエラ隊の面々とアルバート。灰色の廃墟の中で齎される束の間の色彩豊かな温かみ。遠くで鳴る戦場の音と倒錯的な光景は、この戦争の背景を知る側の人間であるアルバートや、原因そのものとも言える悪魔であるルルシエからしてみれば非常に滑稽なもの。
しかし、場の空気を乱すことは兵士達との不和の原因であり、これから行われる予定である一芝居に影響を及ぼしかねない。それはアルバートが人間達の中心に立っているからこそ成り立つものであり、そのためにはここで人間達と不和をきたすわけにはいかないのだ。
何より、アルバートは悪魔の中でもかなりの影響力を持つスクーデリアに魂を売り払っている。仮に悪魔にとって不利益となる様な事をした場合に生じるであろう代償の清算は、人間であるアルバートには予測することができない。実際の所は、スクーデリアにしろアルピナにしろそのような些末事で人間を断罪するほど狭量な性格をしているわけではない。しかし、彼女達の本質を知らなければこうした恐怖もまた仕方ないだろう。
そもそも、アルピナもスクーデリアもアルバートに対しては一定の信頼を置いている。ルシエルの支配下にあったとはいえクィクィと暫くの期間、行動を共にしていたのだ。クィクィを誰よりも大切にしている二柱だからこそ、彼女が仲良くしていた彼も同様に扱うべきだろうとする彼女達なりの判断なのだ。
そんな悪魔達の想いとは裏腹に、無駄な心配に胃を痛めつつアルバートは再びの戦闘に備えた支度を始める。彼の影ではルルシエがそんな心情を読みとって可愛らしく微笑み、愛おしく思うと共に協力の想いをより深くする。
さて行くか、とアエラの横に並び立ったアルバートは、魔物の侵攻やアルピナ達の戦闘によって壊滅した町の南部を睥睨するのだった。
そんな人間達の快進撃を見守る様に、セナとエフェメラは町の外れに並び立つ。間断なく轟く爆発音と光球が生む風に髪を靡かせる人間と悪魔の組合せは、ペルソナ越しに交わした握手を基に肩を並べる。
「キィスさん達は大丈夫でしょうか、先程から戦いの音が聞こえなくなりましたけど……?」
「そうですね。私はそのキィス殿と面識がないので確証は出来ませんが、魔物の声が聞こえませんので恐らくは大丈夫かと」
セナは魔眼でアルバート達の動向を完全に把握している。そのため、それが予測ではなく真実だと知ってはいるのだが、しかし人間のフリをしている以上、それを明らかにすることはできない。
しかし、とセナはアルバートとルルシエの動向を見て心中で笑う。
ルルシエは随分アルバートと打ち解けたな。新生悪魔は往々にしてヒトの子を軽視する傾向があるが、どうやら彼女に関しては完全に杞憂だったようだな。……それにしても、次は南か。まあ、あそこなら特に危険なものもないし、ルルシエもいれば大丈夫だろう。
天頂ではアルピナ達が傍若無人な戦闘を繰り広げ、町の東ではスクーデリアが無翼の天使達を相手に遊びに興じている。格下の悪魔達が生真面目に働いている傍で随分と自由気ままに振舞っているな、と不満を言いたくなるが、それも全て仕事を完璧にこなすまでの時間稼ぎであることを知っているためにグッと堪える。
そんなことを考えていた時、エフェメラがセナを呼ぶ。
「セナさん。キィスさん達が救助した民間人の皆さんが到着されましたよ」
エフェメラ達の仕事は、戦闘部隊の補給に加えて民間人の保護と治療も兼ねている。その為、戦いの合間を縫って救出されたり自力で避難してきたレインザードの住民たちがこうしてやってくるのだ。
「はい、今行きます」
無力ながらにも健気に足掻くヒトの子達に柔らかな感情を向けるセナは、エフェメラの呼びかけに爽やかに応じる。
彼が駆け付けると、そこには老若男女問わず多くの人々が群れをなして集まっていた。傷がある者ない者は様々だが、アエラ隊に救助された人々は総じて軽い治療まで施されている。
エフェメラとセナは、エフェメラの部隊とともに彼らに駆け寄る。限りある治療道具を駆使し、必要最低限しかできないもののできる限りの治療を施してゆく。重症者から優先的に軽症者に至るまで、微かな傷すら場合によっては死に至りかねない事を危惧して的確に処置していく。
セナは決してヒトの子の医学に対する知識を持っているわけではなかったが、そこはやはり神の子。ヒトの子の構造についてはこの世界に生きるあらゆる医療従事者より熟知している。その上、彼の治療処置は歴戦の老医者に負けず劣らず的確でありその道の専門家ですら舌を巻くほどの技量を見せる。
それと同時に、セナは魔眼を凝らして一人一人の魂を見透かす。これまでこの避難所に来た全てのヒトの子の魂に巣くうルシエルの精神支配は除去してきた。イレギュラーな天使と悪魔の抗争で露呈したルシエルによる精神支配の痕跡を、彼ら彼女の魂を傷つけることなく全て適切に除去を行った。当然、こうして新たにやってきた避難民たちも同様に処理しようとした。
しかし、彼ら彼女らの中には幾つか、その魂を適切に処された者も混ざっている事に気が付いた。
これはッ……! なるほど、ルルシエの奴……無理はするなと言っておいたんだがな。しかし、新生悪魔でありながらこれだけの処置ができるとは……。あいつ、実はそれなりの才能を秘めてるか?
生まれたばかりの悪魔に大きな期待を抱きながら、セナは治療を継続する。当の本人であるルルシエは、そんな期待に気付くことなくアルバートとの親睦を深めているのだが、そんなことはセナの与り知らないことだった。
次回、第101話は1/6 21:00公開予定です




