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親切な女

この前見たネットの掲示板に返信が書かれていた。



fumina237さん

2022/7/29 19:58


towako1085 さん、投稿をしていただき、ありがとうございました。

同じような苦しみを抱えている人が私の他にもいるなんて想像もしていませんでした。世の中には私のことをわかってくれる人がいる、それだけでほんの少し希望が見えた気がしました。それなのに、私の絶望はさらに大きくなりました。おかしな話だと思われるでしょうね。私自身もおかしな話だと思います。なぜなら、私の絶望はもうこれ以上大きくなることはないと信じていたからです。それなのにあなたのことを羨ましいと思う気持ちが抑えきれなくなり、絶望も大きくなってしまったのです。

あなたには希望があります。そこが私との決定的な違いです。だって、戻るべき肉体がまだちゃんとあるじゃないですか? それに、企業の執行役員をされてタワーマンションに住んでいる勝ち組の方ですよね? きっと狙われたのです。私は平凡な人間です。誰かに嫉妬されるようなものは何一つ持っていません。狙われる理由なんてないんです。それでも、心当たりがあるとしたら、社会の一員である以上、社会のヒエラルキーと無縁でいられる人はいないということでしょう。できるだけそういうものを避けてきたつもりでいましたが、それでも私のことを羨ましいと思う人間がいたということです。その女のせいで私は絶望に叩き落されました

入れ替わる方法があるなら、私にもぜひ教えてください。私一人が苦しみを背負わなければいけない理由なんてありません。私も誰かと入れ替わりたいです。それができたら、入れ替わった相手の人はtowako1085 さんと同じ苦しみを経験するでしょう。でも、戻るべき身体があって、入れ替わる方法があれば、その人だってまた元の身体に戻れます。私はこれから先、ずっと誰かと入れ替わりながら生きていくことになりますが、希望だけは持てるはずです。私を絶望から救い出してください。

私の体験をお伝えします。

私の働いている会社に派遣社員の女性がいました。同僚の社員の女性たちは、本人がいないところで彼女のことを「親切な女」と呼んでいました。雑用に追われている人を見ると、彼女は笑顔で代わりに引き受けてくれていたのです。ただ、同僚の女性たちは「彼女は人を見ている」と批判していました。誰にでも親切にするわけではなく、役職者など彼女の処遇に影響力を持ちそうな人には媚を売り、そうでない人には当り障りのない範囲で接する、彼女たちはそう評価したのです。そして、ああいう人は信用できないわよね? と私にも同意を求めます。よく見ているなあ、と思いながら、私はそういう輪には入らないと決めていました。上司が部下を評価するのは仕事だから仕方がありませんが、リアルな世界でもネットでも頼まれもしないのに他人を評価する人こそ信用できないと私は思います。彼女は正社員との立場の違いを肌で感じているから、自分をアピールしようと一生懸命だっただけ。彼女を悪く言う正社員の同僚たちは安全な場所で彼女を傷つける発言をしている。しょせんこの程度の人たちなのだから、深くかかわらずに波風が立たないようにやり過ごせばいいと、私は立ちまわっていました。自分が甘かったことは悔やんでも悔やみきれません。同僚の女性たちの観察眼は正しかったのです。派遣社員の女はうわべだけの親切な女で、性根は信用できない女だったのです。

この「親切な女」が私と入れ替わったのです。

towako1085 さんと入れ替わった女は「私と替わるといいわ」という呪文を使ったそうですね。私と入れ替わった女の呪文は「私、代わります」でした。実は、私は入れ替わりの瞬間を思い出せないのです。おそらく、何かのタイミングで彼女は私とふたりきりになり、私の抱えていたちょっとした仕事をこの呪文を唱えながら引き受けてくれたのでしょう。同僚の女性たちは彼女がいない場所で、ふざけてこの言葉をよく口にしていました。それくらい印象が強いのですから、これが呪文だったのだとtowako1085 さんの投稿を読んだいまは確信しています。彼女は来る日も来る日もオフィスでこの呪文を唱え続けていたのです。しかもただ口にするだけではなく、実践もしていました。一度や二度口にしたくらいでは何の効果もありません。でも、何百回、あるいは何千回も唱えているうちにもしかしたら入れ替わりが起こるのかもしれません。しかも私の場合は、入れ替わったという意識も違和感もないままスムーズに入れ替わりました。towako1085 さんと入れ替わった女よりも、私と入れ替わった女の方が技術が上なのかもしれません。

私は私だったことを忘れてしばらく生活を続けていました。その間にもとの私は退職をしてしまいました。思い出せばとても悲しいことですが、私は毎日見ていた本当の私の顔をもうオフィスで見ることがなくなったのに、寂しさや喪失感を感じることさえありませんでした。

それから2か月ほど後のことです。もとの私が突然目の前に現れました。そして、私に声をかけたのです。それまで私は入れ替わったことを思い出すことは一度もありませんでした。声をかけられた瞬間は、偶然懐かしい人に会った程度の軽いポジティブな驚きしかありませんでした。実はそのとき、違和感があったのです。目の前の私は上から下まで自分では買ったことのないハイブランドの服を身につけていました。それがとても華やかで美しかったのです。その恰好と今の自分の格好を比べて、気恥ずかしささえ感じました。少なくとも入れ替わった後の私が知っている、入れ替わる前の私とは、別人の印象がありました。そして、私は私に言ったのです。「代わりましょうか? やめた方がいいと思いますよ」

この言葉を聞いた途端、いまの私の姿をしている「親切な女」と呼ばれていた女が、私と入れ替わったことを思い出したのです。私の身体は硬直しました。声を出すことも体を動かすこともできません。ただ頭だけが高速でフル回転し、起きたことを瞬時に理解させたのです。

目の前の私は、私に向かって微笑みました。その微笑みはtowako1085 さんの表現と一緒で、自分にこんな表情ができるのかと驚くほど邪悪なものでした。

そして私は、この私の目の前で命を絶ちました。親切な女は私に私の死体を見せたのです。

私がいつ、どこで、どうやって亡くなったのか、ここには書きません。検索すれば私の死亡記事が見つかります。ニュースになるくらいショッキングな最期でした。私は特定されたくありません。騒ぎを起こしたくもありません。私の話を信じてくれる人がいても、帰れる身体はありません。

両親に会って打ち明けたいと思ったこともあります。でも、理解してくれずに私のことを狂った女だと思うか、あるいは理解したばかりに両親の方が狂ってしまうかもしれません。どちらにしても想像するだけで悲しすぎます。あの女は自殺願望に取りつかれていたのでしょうか。よりによって自殺するために入れ替わるクレージーな女に、私の身体は奪われました。

いまでは月に一度くらいのペースで、自分の身に降りかかったことを突然思い出します。きっかけは特にはありません。突然意識が戻ったような感覚に襲われ、一瞬のうちに状況を把握するのです。そして一晩寝て起きるとすべてを忘れて、何事もなかったかのようにいまの日常に戻ります。ずっと寝ないで起きていようと思ったこともありますが、私と入れ替わった女の身体は、コーヒーを何倍飲もうが夜になると部屋のどこでも熟睡してしまいます。最近は、何も思い出さない方がましだと思うこともあります。元の私には戻れず、この借り物の身体でずっと生きていかなければいけない、そう思うと絶望しかありませんが、その意識や自覚がなければなんとなく楽しいことを見つけて生きているようです。それが幸せだとは思いたくはありません。今までの思い出や生活のすべてを忘れてしまうのが幸せなはずがありません。でも忘れることで苦しさや悲しさや寂しさも消えてしまう。いまこの文章を書きながら、少しだけそのことを受け入れ始めている気がします。towako1085さんには元の身体に戻れる可能性がありますが、私にはありません。それでもtowako1085さんのおかげで少しだけ勇気がもらえました。「私だけ」なんてことは起こりえない、そうですね、私もそう思います。私と同じ目に遭っている人は他にもいるのでしょうね。

あと数時間もすれば私は睡魔に襲われて眠ってしまうでしょう。明日の朝になれば、入れ替わったことも忘れてしまう。このタイミングでこのサイトを見つけられたのは幸運でした。今日見つけていなかったら次の可能性は早くても1か月後、もしかしたら永遠にたどり着かなかったかもしれません。もともとの私はいつも眠れませんでした。睡眠薬を飲んでベッドに横になると「今夜も眠れなかったらどうしよう?」という不安に襲われて、そのまま何時間も眼が冴えてしまいました。ベッドに入ったらすぐに眠れる人が羨ましい、一晩でいいからそんな人と入れ替わりたい…、そう願ったことは確かにあります。起こるはずのないことを願ったら現実に起きてしまった、私にとっては悲劇でも、他人事だったらきっと喜劇なのでしょうね。私は悲劇の主人公にもなれません。

どうか入れ替わる方法を私にも教えてください。

よろしくお願いいたします。


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