二十二、
今週の金曜日。最終回を出します!
此処まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。座敷童ちゃんと狐くんとお別れするの寂しいな…。でも、それ以上に住職さんが、切なすぎて、書きながら発狂してました。もう、最終回とか書きながら泣いてまうんやないだろうか。
それだけ、キャラクターに対して思い入れが強かった作品なので、本当に終わってしまうのが寂しいです。スピンオフとか書きたいなと、思ったり思わなかったり。
取り合えず、最終回に向けて全力で書きたいと思います。皆さん、最後まで是非お付き合いください!
二十二、
「体調はどう?住職さん…。」
「まあまあ、と言ったところかな。すまないね、来るのは大変だっただろう?」
「言うて、大変だったのは自動ドアぐらいだな。まあ、人間の後ろからついていったら入れたが。」
どうやら、自動ドアはアヤカシ対応ではなかったらしい。当然、扉が開くものだと思って真っ直ぐに突っ込んだ私は、ヒリヒリする鼻の頭を思わず手で押さえた。
「途中で花も摘んできたんだ。そこら辺の河原でも、まだ奇麗な花が咲いているんだな。」
狐がそう言って、野花を花瓶にさす。雪が積もった川辺では大した花も咲いていなかったが、幸い冬に焦がれた花々がちらちらと顔をのぞかせていたため、摘んできたのだ。山から下りる際に、私は蕗の薹を摘んできたが、狐に土産には適さないから持ち帰れと言われてしまったのだった。
「…。」
沈黙が落ちる。曇天の空が病院の白いベッドに優しい太陽を溢す。狐が座るように促したため腰を掛けたパイプ椅子は座り心地が悪いのに、傍に住職さんが居ると思うだけで笑みがこぼれてしまう。点滴が繋がれた手を握れば、彼は私の頭を撫でようとしたけれど、それすらも辛そうにしている顔を見て、狐が黙ったままの口を開けた。
「帰って…これるのか?」
首を振る住職さんを見て、彼が今にも泣きだしそうな顔をした。
「寿命だよ。」
端的に言ってしまえばね。そう告げた住職さんの、私の手を握る力が強くなる。狐はいよいよ顔をそむけてしまって、私はどうしたらいいものかと住職さんの顔を見つめた。
「すまないが…。コセン、水を買って来てくれないか?自動販売機で買ってくればいいから。お金は此処にあるよ。」
「…。」
サイドテーブルから財布を手に取った彼は、すっと入ってきた看護師さんをよけて外へと出ていった。
「昨日も泣いていました。私もだけれど。」
少し間をおいて、私が喋り出す。
「そうだろうな。…迷惑をかけてしまった。」
「そんなことないわ。あなたが旅立ってしまうのは悲しいけれど、それ以上にもらったものがあるもの。それに、年齢的にも自然なことですから。」
そうは言っても、気持ちの整理がつくわけではない。特に、あの化け狐にとってはそうだろう。水を買いに行ったまま戻ってこない彼のことを想いつつ、風が入り込む窓辺の肖像画を見つめた。
「何百年も人の死を経験しましたが、慣れることはない…ですね。」
住職さんの隣に寝転がる。もっと長い事と彼と共にいたら、今と関係性は変わっていたんだろうか?少し離れた距離だった。けれど、互いの小さな幸せを望む存在から、共生する存在に。三人で、何年もあのお寺で暮らせたのかもしれない。
「最初は一時しのぎなんて考えていたのに、もう離れられないかもしれません。」
「それでいいんだよ。」
病室に込められた水槽の中の雪。冷えないように手を握ることが、懐古の念だとするならば、最愛と呼べる今の時間を尊ぶことが私にできることなのだろう。
「最初から難しい言葉など必要なかったと?」
「そういうことだ。」
安心と共に降りてくる静けさ。独りで泣いているであろう狐を待つために、二人は花瓶に咲いた野花をぼんやりと眺めたのだった。
「あ、買ってきたよ。」
水を携えた狐が、耳も尻尾も垂れ下がった状態で戻ってきた。
「ずいぶん遅かったわね。」
ゆうに一時間は経過してしまった時計を眺めながら苦笑する。住職さんも苦笑していたけれど、少し申し訳なそうにしている表情も見て取れた。
「遅くなってしまうから、今日はもう帰りなさい。それに、明日からは大雪が降るらしい。ちゃんと暖かくして寝るんだよ。それと…。」
住職さんは握っていた私の手を放して、悲しげに微笑んだ。
「恐らく、私はもう春の前には死後の旅へと出ていることだろう。」
「お釈迦様にお会いできるかもしれませんよ。」
あなたは徳が高い人だから。私がそう言えば、それはどうだろうかと住職さんは微笑む。私たちにとっては、お釈迦様以上の人だけれど。きっと、八十年の人生にはいろいろなことがあったのだろう。私の六百年の人生だって、数えてはいけないことの方が多いのだから。
「それはどうかな。ともかくその時には、お寺に電話してもらえるように病院側へ頼んでおくよ。」
「わかった。」
頷いて、狐の手を取る。
「お大事になさってください。」
「無理すんなよ…。」
二人して手を振らない代わりに精いっぱい微笑む住職さんに、頭を下げる。そして、病室から出た私たちが、住職さんと言葉を交わしたのはこれが最後になったのだった。
「あ、すいません。」
「どうせ見えてないから、気にすんなよ。」
「そうは言ってもよ。」
着物の上の羽織を体に巻き付けるようにして、寒さをしのぐ。その様子に気づいたのか、狐が首にかけていたマフラーを巻いてくれた。
人込みを歩いているせいか、時折人にぶつかってしまう。そのたびに私には、後ろ姿に向かって謝っていたが誰一人として私たちに気づく者はいなかった。
「うわっ!」
よろめいた狐が私にぶつかってくる。どうやら、急いでいた女の人がぶつかってしまったらしい。何とか狐を支えようとしたが、上手くいかずにそのまま潰された。
「うっ…。」
「すまん!ケガはないか?」
帰宅ラッシュの時間にぶつかったのも良くなかったのだろう。痣だらけになる前にと、ひとまず大通りを離れて裏道に逃れた。
「なんか、袖が汚れてない?」
「さっきの女性の飲み物かな…。目立つな、これは。」
「青い生地に、真っ赤な染みだものね。」
私も、泥がついてしまった箇所を払い落とす。最短距離でつく大通りを歩くことは諦め、人の少ない裏道を歩くことを提案すると、狐はため息をつきながら頷いたのだった。
「向こうからしたら全く見えてないからな。仕方ないと分かってはいるんだが…。」
「どうにかならないかって?世の中が、急な改変でも起こさない限り無理ね。」
橙の灯りだけが山道へ続く道を照らす。時折、雪をかぶったお地蔵さんを見かけると、二人で頭を払ってやりながら歩を進めた。
「ようやく落ち着いたって感じだな。」
「ええ。」
病院も大通りも、人が多くて考えがまとまらない。騒然とした雰囲気から逃れたためか、突然軽くなる体の重さを私は実感した。
「一年も山に籠っていたんだ。しんどくて当然か…。」
「しかも、大切な人が明日をも知れぬ身になってしまったんだもの。ストレスがかかっても仕方ないわね。」
風が吹いて、着物の袖でやり過ごす。こんな道を一年前に、私は通っていた。さらに何年か前には濡れた狐が佇んでいたのだろう。何となく狐の手に自分の手を滑り込ませながら、そんなことを考えていた。
「お前ほどはうまく受け止めきれないんだ。」
狐がぽつりとつぶやいた。
「確かに二百年も生きていれば、友達の死を経験することもあったけどな。でも、あの人は俺に絵を教えてくれた人だ。」
狐が屈んで、私の頬に顔を寄せた。
「分かるだろう?そういう繋がりがある人の死は、受け入れがたいんだよ。」
そうだったのかと、一人納得する。牡丹が細雪を拒み、更迭した炎にカラスノエンドウを投げ入れた静寂。優しいスピカ星をオリオンと言って、笑う子供が愛しいように、私は私の目線まで屈んだ最愛の狐を抱きしめた。
「私にとって、その対象はあなたよ。」
「そりゃ、俺だってそうだけど…。」
「それが分かってるなら、安心よ。」
琥珀の瞳が思案するように、私を見つめる。やがて、ああと声を漏らすと、くすくすと笑いながら立ち上がった。
「そうゆうこと。」
「分かったなら、早く帰りましょう。」
袖を引けば、愉快そうに狐が私を抱き上げる。むしろ狐の方が疲れていると思うのだが…。しかし、私は野暮なことは言わずに、冬の星座が見えるはずの空の向こうを、彼に抱えられたまま見つめたのだった。