二十一、
二十一、
「ただいま。」
疲れたような声に、うつらうつらしていた私は顔をあげた。
「あ、えっと、住職さんは…?」
寝ぼけているせいか、上手く言葉が出てこない。仲立ちのシーガラスに、催淫したメガロポリスを築くような曖昧とした幻覚。
「この時間帯まで起きてるのは、さすがにきついだろ…。連れてってやるから。ほら。」
差し出された手を掴むと、彼は私を抱き上げた。
「もう夜中の二時だぞ?眠れないのは分かるけど、自分の体を壊すようなことはしないでくれ…。」
心なしか弱って見える狐の言動に、私はすっと上を見上げた。布団のある部屋まで辿り着いた彼が、ぼんやりとした表情で尻尾を揺らす。おろすように私が目で訴えかけると、気だるそうに窓の向こうで降り綴る雪に己を投じるようだった彼が、視線を下に下げた。
「下ろして。」
「…。」
畳の床に狐が座り込む。私は手の中に抱きしめられたまま、体重を畳の上に移した。
「よくないのね。」
項垂れて震える狐の耳。そっと頬に触れて、褐色の無花果を添える最愛の表現をすれば、吐き出したい想いをこらえるように彼が口を開いた。
「…よくない。もう、今月中には。」
抱きしめられたままだった体で彼を抱きしめれば、震えは少し収まる。けれど、私にできるのはそれだけだ。欠片が散って、私たちの周りに星のコサージュを作る。涙よりも冷たい陶器の枝が、部屋中に氷の花を照らし出すようだ。炎のように燃え上がり、藍色の王国を消し去る舞姫。有限を虚空と呼び、最善を裂く二人の手を重ねたとき、私からも彼からも哀しみの情緒が溢れ出したのを感じた。
「君は、たった一年だ。」
「そうね…。」
何かから守るように私を尻尾で包み込む。優しく私の頬を拭い去る彼の方が、寂しさに触れて零れだす想い出を持っていることには、気づいていた。
「けれど今までに、こんな長い一年があったかな?住職さんと出会った日々も、きっと俺にとって幸せを与えられた日々だった。けれど、この一年にかなう日々は俺の中に一日だってありはしなかったんだよ。」
「…。」
「君はどうだ…?」
重ねただけだった手を、握り返す。私は微笑んで狐を見上げた。
「言わなくたって、わかるでしょ?そういう関係性を築いてきたはずよ。私はあなたから離れない。まだ、何百年もの命が残っているんだから。だから、あなたが悲しんでいる今も私は傍にいるわ。」
「そっか。」
安心したのだろうか。ほっとしたように姿を揺らがせた彼が、大気と共に形を変え、一匹の金色を持つ狐となった。
「あなたを抱きしめることができるなんて思ってもみなかったわ。」
小さくなった体を抱き上げて、適当に布団を引きずってくる。温かい毛布にくるまった私は、既に寝息を立て始めた彼を胸に抱きしめながら、耳元に向かって小さくつぶやいた。
「明日、よく話を聞くからね。お見舞いにも行きたいわ。最後の時は、遠くからでもいいから見守っていたいの。あなたも住職さんも私にとって大事な人なんだから…。」
微かな頷きに私は目を閉じる。心に炎を抱く感覚。たった一人より遥かに安らぐ彼の体温が、私を眠りに誘うのだろう。それでも、不安が囁く生魄の夢は簡単には私を逃してはくれそうにもなかったのだった。
青色のクジラが、水槽の山椒魚に会釈をする。そんな海風が揺蕩う中に、寂しさが募るときは心を閉じ込めておいてます。星屑の糸車に最愛の人を重ねて、夜空の蠍座には少しの毒を分けてもらって。そうやって、一人一人が沈んで行けば、繋がるものがあるんじゃないかなというお話です。