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篝人(かがりびと)  作者: Mei.(神楽鳴)
17/23

十七、

十七、


「200年前。狐としての人生を終えた俺は、化け狐に生まれ変わった。あの当時は、まあそこそこ楽しかったな。江戸っ子を騙しては、小銭を手に入れて美味しいものを食べる。そこそこの金額貯まれば適当に旅をして、飽きれば江戸の町に帰って悪さをして。人間の友達もいたからな。そいつらとも、よく賭け事をしては遊んでいたよ。なかなか、充実した毎日だった。」

いたずらっ子のような狐の笑みに思わず苦笑が漏れる。生まれた当時の彼は、どうやら化け狐として幸せな毎日を送っていたらしい。着流しを着た彼が楽しそうに人間とふざけ合い、江戸の町を散策し、たまに悪さをしている姿を想像すれば何だか自然と胸が暖かくなった。

低体温症になりかけの気遣いが嬉しくて、機械的な親しみさえ愛せてしまうほどの記憶。私は、そっと狐のしっぽに手を添えて、ふわふわの毛並みを撫でた。

「江戸幕府はあっという間になくなったが、その後は鹿鳴館だなんだと、なかなか楽しそうな場所ができたからな。西洋の文化を取り入れた日本を満喫していた。昔のように気軽に人と仲良くするのは大変だったが、田舎に行けばいくらでも化ける狐を見たことがある人間はいたし、都会に遊びに行って人恋しくなると田舎に帰って旧友と昔みたいに悪さをしたもんだ。彼らは、数年して亡くなってしまったけれど、今度はその息子達と遊び倒してたからな。全然、寂しくなんてなかった。」

狐の瞳孔が、すっと細くなる。いつの間にか私の近くで握りしめられている手をつつけば、人差し指だけを彼は軽く握り返した。

「やがて、俺はおかしいことに気づき始めた。最後の友人達は、どんどん高齢になっていった。やがて、家族が引き取っていき、気づけば誰も居なくなってたんだ。田舎は荒れ果て、東京へ行ってみたが高速道路や夜の明かりがうるさすぎて、とてもいられたもんじゃない。焦って色んな人に声を掛けたが、そもそも誰も俺の姿なんて見えていなかった。アヤカシだからな。食べる物も必要ないし、寝る場所もなくていい。けれど、誰とも喋れない。認知すらされないのが、悲しくて仕方なかったんだ。」

私は、じっと覗き込んできた瞳に答えるよう、頷いた。

「人を騙すのも、悪さをして怒られるのも大好きだった。人と楽しいことをして、笑って、友情を育むことも。けれど、アヤカシは人の心のゆとりが生み出した、所詮はまやかしだ。娯楽は、楽しむ時間があるから楽しめる。俺達が、生きていくには世界の速度が早くなりすぎたことを感じたよ。」

自嘲する彼の口元を指先ですくえば、狐の頭がこつんと私の肩にぶつかる。人を化かす狐は、誰よりも人のことが好きだったのだろう。私は額を私の肩にすり付ける狐の腕を優しく握った。

「住職さんに会ったのは、俺がとうとう諦めて稲荷神社で雨宿りしてた時だな。これから、どうしようか迷ってたんだ。一度生まれたアヤカシは、簡単には消えない。生きた者に宿るタイプの物の怪ならば、その生き物の絶命と共に死を迎えるんだけどな。」

「見たことがあるわ。森が一つ消えた時、言霊が消え、ダイダラボッチすら朝日に溶けて無くなった。何千年と生きていた獣達も死に絶えて、果てには土地に還るはずの地衣類や木々も枯れてしまった...。」

「ああ。」

夜溜まりの光が、瞼の裏でチラついた。肩に擦り付けられままの狐に、金平糖のイグルーが降り注ぐ。目を逸らすと、布団から少し出ていた私の足に気づいた彼が、風邪を引くとでも言わんばかりに、布団の中へ押し戻した。

「まあ、ともかく神社で捨てられた犬みたいになっていた俺を、見かねた住職さんが拾ってくれたんだよ。俺としても、見える人間なんて今の世の中じゃ、そうそういない。居候しても構わないって言うから、ここに住み着いたんだ。」

尻尾がパタパタと揺れている。きっと、住職さんとの出会いが彼にとって、大きい出来事だったんだろう。化け狐が嬉しい時に尻尾を揺らすものなのかは知らないが、私からようやく体を離した彼の表情を見て、私はくすりと笑った。


「俺は話したぞ。お前の番だ。」

先程まで私に引っ付いていたのが嘘のように、彼は横に寝転がり肘をついた体勢へと戻る。畳についた肘は痛くないのだろうか?少し場所をずれて、布団の上に肘をつくよう促すと、彼は素直に従った。

「私は大した話はないけれど...。」

「別に構わない。お前がしたい話を聞かせてくれよ。」

そう言われて、私はなんとか頷く。彼のように、自らの原点へ回帰して喋り出すのがいいのだろうか。23時を過ぎて、重くなり始めた瞼を開き、私は話し始めたのだった。

「600年前。室町の時代にいつの間にか私は座敷童子として、とある将軍の座敷に居座っていたの。居るだけで人を幸福にすることが出来たし、それに応じて綺麗な着物を貰い、甘い菓子を捧げられたわ。世間的には、あなたが生まれたような時代に、私の噂がたち始めたようだけれど。」

狐は、思い出すように一瞬眉間にシワを寄せたが、すぐにああと呟いた。

「間引かれた子供が座敷に住み着くらしいと、読本に書いてあったな。俺の正体を知ってるやつが、よく面白がって聞いてきたよ。」

「他は知らないけど、私は将軍の願掛けによって生まれたアヤカシだった。ただし、私を忘れ去ったり、神ではなく道具として扱うようになると、私は幕府を離れた。そして、次の政権が誕生すると、新しい将軍の座敷で暮らしたの。

でも、徳川の最後だけは私の力でも防ぎきれなかった。徳川家は座敷童子への信仰が強かったから、200年近く彼らの側で生きていたんだけどね。奥方たちに可愛がって貰えたし、子供達も私と遊んでくれた。将軍も時折やって来ては、甘いお菓子をくれたものよ。でも結局、私の幸運が効くよりも世間の流れが早すぎて、江戸幕府は崩落してしまった。」

私は唇を噛むと、そっと目を瞑った。

「その後、追放された彼らについて行くこともできたけれど、彼らを守れなかったことが辛くて、逃げてしまった。適当な家を転々としていたら、いつの間にか明治も大正も過ぎていて、徳川の子孫の元へ帰ろうかとも思ったけれど、ちょうど戦争の最中だったから、探すことは出来なかった。」

「俺は、その時田舎にいて芋ばっか食べてたな。疎開してきた人の面倒を見たりしていた。」

どこの地域にいたのかは知らないが、死なないはずのアヤカシさえ蒸発してしまったという爆弾が落ちた場所にはいなかったのだろう。

「私は、田舎まで逃げれなかったから東京に居たけど、空襲で焼け野原になって、一時的に住んでいた家も燃えてしまった。家がなければ、座敷童子は人を幸福にはできない。座敷で大事に大事にされて、ようやく幸運が訪れるの。でも、戦後の日本にそこまで出来る余裕がある人なんていなかった。それで混み合った列車に必死で乗って、空襲を受けなかった遠方の田舎へ逃れようと思ったの。」

私は、目を伏せた。

「人を幸福にできない座敷童子なんて、居ても仕方ない。兎に角、誰かに必要とされたくて無我夢中だった。でも、人々の喧騒についていけなくて...。なるべく人がいない駅で降りて蹲っていたら、男の人が発車しようとしていた列車から降りて、私に水を飲ませてくれたの。」

突然、狐が尻尾を苛立ったように、畳にパシパシとした。ふわふわの尻尾なので、大した音は出ないが若干うろたえているようにも見える。私は戸惑って彼の表情を伺ったが、あまり変化は見られなかった。

「向日葵が咲き誇る夏の日だったわ。とうに列車は通り過ぎてしまって、彼と入道雲をただ眺めていた。やがて、彼は一駅先に自分の家があって、そこには奥さんが一人住んでいる。一緒に暮らさないか、と持ち掛けてきたの。どうせ、行く当てもないでしょう?私は彼についていった。」

 狐がふうっと息を吐いた。ぼんやりとした灯りは、私の瞳にどんな海を見出しているのだろうか。考えても仕方がないので、やめておいた。

「洋風のお屋敷は初めて住んだけれど、奥さんも彼も、私を本当の子供のように愛してくれたわ。着物なんてなかったから、ワンピースを着せてもらって、甘いクッキーをもらった。近くに湖があったから、週末のたびにボートに乗って遊んだの。二人は子供が出来なくて困っていたようだけれど、激動の時代の中で切り取られたように穏やかだった環境で、私の幸運の力が働いた。二人は何人もの子供を授かって、幸せな人生を送ったわ。そして、屋敷は子供たちに引き継がれて、私もまた彼らに引き継がれていった。

 けれど、優しすぎる日々を過ごして、もうそれが当たり前になってしまった頃。家が売却されてしまった。資産が立ち行かなくなったのか、管理できる人がいなくなったのか…。わからなかったけれど、私はまた住む場所を失ってしまった。」

 私は、ほんの少し呼吸を止めた。

「でも、もうその頃には私を見ることができる人はいなくなっていた。電車を乗り継いで、日本中を探したわ。そして、秋色に消えそうだった私が見つけたのは、一人で死にゆく小説家の家だった。最初は、私のことを幽霊かなにかと勘違いしていたようだったけれど、やがて座敷童子と知って、特売のお餅やカップラーメンの残りなんかをくれるようになった。

血を吐きながら小説を書いていて、仕上がれば私に読ませてくれて、大会に送るけど不採用で。この時代に、小説なんてもういらないんだとぼやいていたわ。煙草よりパイプが好きで、本が積み上げられた部屋で紅葉を窓から招き入れながら、彼はいつも小説を書いていた。」

 狐が、ふと余韻を感じたのか私を抱きしめてくる。私も無理に逆らうことなく、腕に顔をうずめた。

「でも、結局は何の病気かもしらないけれど、死んでしまったわ。最後は、私を残して何処かでひっそりと。でも、私を大事にしてくれる人は彼が最後だった。あなたと同じよ。私を見つけられなくなってしまった現代に、私は対応できなかった。それで、ふらふらとさ迷って、ある日あなたに出会ったのよ。」

 話が終わり、私はようやく深呼吸をした。疲れていた。けれど、不思議とお互いの過去を聞いたことによる充足感に包まれていた。

 過去に引き戻されていた体の感覚が、淡々と降る無花果の香りにつられて元に戻る。ヒエロニムスにも解明できない、涼しげな枕もとで私を抱き上げた狐をじっと見つめた。燈台を壊疽する紅が一葉ひらひらと舞えば、狐に抱きしめられる私の姿があった。ここで彼と出合わなければ、私はどうしていただろうか。とりとめもない思考を彼が遮り、月は煌々と影を照らした。

「もう、眠いんだろう?付き合わせて悪かった。」

「ううん。」

 抱かれたまま、ゆるりと首を振る。

「付き合わせたのは私も同罪よ。それでも、向日葵がエチレンに沈み込めないように、朝顔が祇園に咲くこともないの。包装されたエゴグラムが、今の季節にそぐわないのと同じよ。」

「その通りかもな。」

 彼は私を抱き上げたまま自分の布団に戻ると、私を抱えるように横たわった。しかし、いくら私が十歳の体格であるとは言え、一人用の布団だ。若干の狭さを感じて、私は狐の腕をつついた。

「狭い。」

「おい、今日ぐらいはよくないか?」

 私が文句を言えば、狐はむっとした顔で言う。

「別に、寝ないとは言ってないけど?」

「なら文句言うな。」

 呆れ顔の狐の腕と尻尾に抱きしめられ、私は微睡が訪れ始めているのを感じた。少し寒くなってきた季節に人肌を感じるというのは、こんなに大事なことだったんだろうか。狐は、私の体が冷えないように、しっかりと布団をかけると、私の頭上でぽそりと呟いた。

「おやすみ。」

 狐の声に反応できたかは分からない。ただ、その日の夢で私は狐と共に向日葵を摘み、彼が描いた向日葵に優しい言葉を綴ったのだった。



狐くんと座敷童子ちゃんの過去がようやく出てきたな。

次の章は秋から一転して、冬へと変わります。

もう二人が出会ってから一年経つんですね。一年で二人の関係性はどこまで変わったのかな?


実は、そろそろ次の話のプロットも練り始めてるんですが、…タイタニックとかどうですかね?絵本作家の少女とか出したいなと思ってるんですが。三時のおやつを、甲板で食べる絵本作家と青年の姿が徐々に浮かび上がってきている、今日この頃です。

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