窮鼠猫を嚙む、されど何も変わらない
俺は子ネズミのような男だった。闇夜に紛れ町の隙間を行き来し、そして家に侵入し金品を盗む。それで生計を立てていた。すっかりこの町にも慣れ、盗みの練度もどんどん上がっていった時、俺は一つのへまをやらかした。たまたま侵入した家の娘に見つかってしまった。お互いしばらく見つめ合ったのち俺は逃げの算段を実行するために駆けだしたが
「待ちなさい」
その娘は俺よりも二回りは年が下のくせに分不相応の圧で俺の行く手を阻んだ。
「あなたはなんでこんなことをしているの」
俺は答えなかった。代わりに女に背を向け走り出したが、次の瞬間おれの体は床に寝転んでいた。一瞬何が起こったのか全く分からなかったが、どうやら思いきり投げ技を喰らったらしい。
「答えなさい、さもなくばこのまま警察に突き出します」
これで先ほどの異常なまでの圧力の正体がわかった。やつはどうやら格闘技の心得があるらしい。女は行き一つ乱さず俺に問いかける。仕方ないので俺は彼女の質問に適当に答えてやることにした
「こうでもしなきゃ生きていけねぇんだよ」
「そんなこと、今のこの国であり得るの」
「ああ、お前のような温室育ちにはわからないだろうがな」
国全体が貧乏というわけではない日本に置いて俺のように犯罪で生計を立てている人間はかなり異質なはずだ。それに加えてどこかの組織に所属していないとなると余計にそうだろう。
「それであなたはこの家から何を盗もうというの」
「金だよ金。今日生きていくだけの金さえあればいいんだよ」
「それで、また明日も誰かの家に忍び込むのね」
「そうだよ、悪いかよ」
「そうね悪いことよ。でもならせめてこの私を盗んでくれたらまだ救いようもあるのにね」
どうやら彼女には人質になりたいという謎の欲があるのかもしれないと誰もが連想するような発言だが、こんな小娘一人を抱えて逃げ回るのはさすがに足が付きすぎる。ゆえに彼女には人質としての価値は何もない。
「まあいいわ、お金なら腐るほどあるもの。だから好きなだけ持っていきなさい。先に行っておくけど金庫には紙切れしか入ってないわよ、通帳もキャッシュカードもここにはないわ。だからお母さんのへそくりくらいしかないけど、それでも十分な額になるはずよ」
「へへへそれは親切にありがとよ」
「別に私は部屋に戻るから盗るだけ盗ったら勝手に出ていきなさい。それに今私は大切な時間の途中なの」
女がゆっくりと階段を上っていく姿を俺はただ見送っていた。一応鍵開け用のナイフを持ってはいるが今の俺の実力では彼女相手にまともな武器として通用しないだろう。それに見逃してくれるというならお言葉に甘えるまでだ。俺は家の隅々を物色しあの女の母親のものであろうへそくりを手に取り丁寧に数える。大した額ではないと思っていたが、これだけあれば三日は贅沢三昧ができると内心ほくそえんで、それをポケットをしまい顔を上げる。
するとそこには先ほど見た女とは違う。また別の女がこちらを驚愕の眼差しで見ていた。そいつは真っ先に玄関の方へと走っていった。それを見て俺の中の泥棒の本能は真っ先にやつのもとへと駆け寄った。
声を出せないように口を塞ぎ動きを封じる。しかし抵抗が激しく全くおとなしくならない。そして俺の腕はいつの間にか女の首を絞めていた。女の口から泡が吹き出し、そして抵抗力がなくなった。俺は慌てて離れるが、女は完全に息をしていなかった。
これ以上ここにいられない俺は一目散逃げ出そうとした。しかし後ろから階段を全速力で駆け下りる音がした。
「美穂、どうして。あなた、この子をやったのはあなたなの」
「それはそいつが暴れるから」
「だからって殺す必要があったの。美穂は私の大切な恋人だったのに。二人でこんな世界から逃げ出そうって誓ったのに。それをあなたのようなクズが」
その言葉を聞いて俺は全てを悟った。そして自分の人生を垣間見た。いろんなことから逃げそして落ちるところまで落ち泥棒になった。そしてただ生きるために人間としての価値観や感情をすべて捨ててしまった。でもそうするしかなかった。俺はそんな環境に産み落とされた。文字通り下水道の中のような嫌な臭いがする場所で、そして人でなくなった俺はクズのネズミとして、今目の前に人間に殺されるのだ。窮鼠猫を嚙むとは言うが、結局そうしたところで運命は何も変えられない。猫の怒りを買い成す術なく蹂躙される。
「猫ちゃん」
「美穂」
「私、生きてる」
「うん。待っててすぐに救急車を呼ぶから」
きっとその救急車に俺が乗ることはないだろう。たとえ生きていたとしても正当防衛が成立し俺は刑務所送り、まったくこの世界はネズミには生きずらすぎる。




