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紫釉皇子 二


 紫釉皇子。

 皇帝徐欣の三人目の息子。歳はこの時十四だった。

 母は燕淑妃。母の出自は魏国の公主で、国間の和平のために嫁いできた女性である。

 魏国の支持も厚い燕淑妃の嫡子ということもあり、紫釉は次代の皇帝として即位させたいという声も多かった。だが既に後継として名が挙がっていたのは徐欣の長男にして第一皇子の巽壽(そんじゅ)がいた。

 齢二五の巽壽は自らの地位を奪いかねない三男紫釉を目の敵にしていたため、時には命を狙われたこともあった。

 当時冠礼を終え、成人したばかりだった紫釉は巽壽から距離を離すため、吏部の薦めにより魏国に隣接していた安州の州牧を勤めるよう任じられた。

 十四歳でありながら聡明だった彼は兄の殺意を察し王城に訪れることはなかった。

 彼自身、皇帝の地位には関心もなく母である燕淑妃からも自国より魏国に信頼を置いていた。


 それでも巽壽は警戒し、時折刺客を送り込まれているとの噂もあった。


 その噂が事実であることを玲秋は知っている。

 今より数か月の後、紫釉は玲秋の目の前で刺客に命を狙われた。

 玲秋が庇い、首に傷を負ったあの時。

 紫釉に向けられた矢を代わりに受けた時に生じたものだった。


(どうして紫釉皇子がここに?)


 驚いたのも束の間、玲秋は道の端に移動し頭を下げた。

 暫くそうしていると馬から人が下りる気配があった。そして、地に伏せていた視線に男性の靴が見えた。


「紫釉第三皇子に拝謁申し上げます」


 失礼に当たらないよう、玲秋はしきたりに倣い言葉を捧げたが。


「顔を上げよ」


 返ってきたのは紫釉の透き通るような声だった。

 声変わりを終えたばかりで声色は僅かに高いが、男性の声であることは間違いない。

 玲秋は言葉に従い顔を上げた。

 目の前には紫釉が立っていた。

 

 礼装のため誂えた黒を基調とした袍服(ほうぶく)がよく似合っている。華やかさに欠けるが整った顔立ちが最も華やいでおり、着飾ったところで紫釉の顔立ちに敵わないだろう。

 紫釉の名に相応しく紫色に輝く瞳の色は深く宝石のような美しさだった。

 これほど間近に紫釉と顔を合わせたことがあっただろうか。

 玲秋はもう一度頭を下げた。


「上げよと言ったが?」

「畏れ多いことでございます」

「構わない。どうか顔を上げてくれ」


 玲秋は驚いた。

 紫釉がお願いしているようにしか聞こえなかったからだ。

 何故そこまでして玲秋の顔を見たいと願うのか、全く分からない。

 ただ、言われるまま玲秋はゆっくりと顔を上げた。

 もう一度見た紫釉の顔は一度目に見た時よりも心穏やかな表情であった。

 それだけではない。別の感情をも秘めた様子に玲秋は戸惑った。

 玲秋には何故か、紫釉が泣きそうに見えた。

 十四の若き皇子は表情を滅多に崩さず大人も顔負けするほどの賢さを誇ると謳われていた。その彼が泣きそうなど、玲秋は思い違いだと自身を心の内で叱咤した。


「玲秋殿」


 玲秋はあまり呼び慣れない呼称にすぐさま返事が出来なかった。

 従来、人は苗字のあとに位をつけて人を呼ぶ。だが、紫釉は玲秋を字で読んだ。親しい者しか呼ばない呼び名を当然のような口調で呼んだのだ。

 驚いた様子の玲秋を見て、はたと紫釉が目を伏せた。


「失礼した。徐……倢伃」

「いえ。玲秋で構いません。倢伃など私には過ぎた位にございます」


 改めて玲秋は手を前に揃え礼をもって紫釉に伝えれば、彼は緩やかながらも口角を上げて微笑んだ。

 随分と大人めいた表情をするように感じた。


「では、玲秋と呼ばせてもらう。貴女はここで何をしていたのだ? 輿にも乗らず独り歩きは危険だ」

「私の希望で輿を降り歩いておりました。お心遣い感謝致します」


 正直に伝えて使用人の男達に責がいくことがないよう濁して答える。一人で歩くことを望んだのは玲秋だ。間違ったことは言っていない。


「……皇帝の妃を一人で歩かせるわけにもいかない」


 そう告げると紫釉は軽やかに馬から降りた。

 そしてその手を玲秋に差し出した。


「乗れ」

「…………え?」


 玲秋には何が起きたのか分からなかった。

 ただ、玲秋より僅かに背丈が高い紫釉の頬が僅かながらに赤らんで見えたのは。


 南天より眩しいほどに輝く、太陽のせいなのかもしれない。



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