再会 四
現れた紹賢妃の姿に春麗は息が止まるかと思った。
同時に苛立ちを覚える。
この場で訪れるなど、自身を嘲笑いに来たのだと明白だったからだ。
「何の用ですの……? 私を笑いにでも来たのかしら?」
「……お元気そうですね」
まるで躱すように語られる言葉に春麗は不快さを感じる。
彼女から花の香を焚いた匂いがするのも嫌だった。それは私のモノだったのに。
今の自身は汚れ悪臭が纏わりつく。本来であれば立場は逆だったのだ。
全てが滞りなく終えていれば、今頃目の前の女は命を喪い春麗が最も高い位に立っているはずなのに。
「…………醜い顔」
僅かに眉を寄せ、手に持つ扇子で口元を覆う。汚らわしい物を見るような紹賢妃の態度に怒りが募る。
「貴女に会いに来たのは報告をしに来たのよ。おめでとう、冷宮を出られるわよ」
「…………!」
紹賢妃の言葉に春麗は驚いた。
皇帝の家臣でも自身の一族の誰でもなく、何故紹賢妃がそれを告げるのか。
訝しそうに彼女を見ていれば言葉を続ける。
「驚いているようね。けれど真実よ。貴女を愛する皇帝が願い出たの。貴女を解放せよと」
「…………?」
春麗には彼女の言葉がにわか信じられなかった。
皇帝である徐欣の姿を思い出す。彼が率先して行動して春麗を助けるよう指示を出すなどあり得ないことを知っていた。
何故という顔を見せていたのだろうか。
紹賢妃の視線は冷たく春麗を見つめていた。
「貴女を愛する皇帝の願いを我々紹一族は受け入れた。本来ならば極刑にするべき貴女を解放する。それがどれほどの代償を必要とするのか、聡明な貴女なら察することも容易いのでは?」
「皇帝の…………退位?」
思わずとばかりに言葉にして。
そうして、その言葉の意味に恐怖した。
「まさか本当に……?」
「徐欣様は自らの地位を捨て、この地を追放されたとしても貴女と添い遂げたいそうよ? 良かったわね」
「なんですって!」
それでは何の意味もない。
春麗が愛するのは皇帝の地位であり権力だ。全てを失った高齢の男など不要。
自身の命を救うために皇帝の権威を捨てなければならないなんて。しかし、それ以外に術はなかったのか。考えを巡らせるも答えが出ない。春麗はずっと冷宮に閉じ込められていた。その間に政権がどう変わっているのかなど分からない。
ただ分かることは、春麗を助ける者の訪れを待てども誰も来なかった。
唯一現れた者が紹賢妃一人。
そして彼女の口から発せられる言葉に偽りなどないと分かる。
春麗は負けたのだ。
後宮で昇りつめた地位は瓦礫の如く崩れ落ち、足元さえ覚束ない。
唯一の救い手が利用する道具としか思っていなかった皇帝で、その皇帝が何一つ利用価値もなくなった存在であり、春麗は喜ぶこともできない。
けれど命はある。
命だけは助かる。
この汚らしい狭く寒い部屋から抜け出せるのなら、春麗は跪いてでも赦しを乞うだろう。
春麗が黙りこむ姿を見て、紹賢妃は一瞥すると部屋を出た。部屋の外で待機していたらしい兵に声を掛けるとその場を去った。
少しして男達が春麗を冷宮から出す。拘束されたまま黒い布で覆われた馬車に乗せられた。罪人の扱いには変わらないことに不快さはあるが、それでも久し振りに出た外の空気は春麗の心を和ませた。
馬車はひたすらに道を進む。途中で休憩は挟むものの兵に見張られた状態は変わらない。
どれほど進んだのだろうか。
窓の外を布で覆われた春麗には分からない。
しかし突如馬車は停まり、外に出るよう命じられる。
手の拘束は外されず不自由な状態のまま降りてみれば、すぐに春麗の名を呼ぶ男の声がした。
見上げてみれば皇帝徐欣が居た。
「おお……春麗!」
「皇帝……陛下……?」
すぐには信じられなかった。
痩せ細り、みすぼらしい恰好をしていた男を到底皇帝と思えなかったのだ。
病的にまで頬は痩せ落ち、肌の色は土色にも近い。だが、その眼は異常なまでに春麗を求めていた。
「春麗、春麗……逢いたかったぞ!」
勢いよく抱き締められる男から嗅ぎ覚えのある香りがする。
だが、その香るにはあまりにも匂いが強い。
(どうして……?)
春麗にも馴染みのある芥子の香。
皇帝と伽を共にする際に香として焚き、飲食にも与えることで春麗に依存させた。
最近では紹賢妃に与えることで堕胎させようと思っていたその芥子の香りが、いつも以上に皇帝から香ったのだ。
そして何よりこの病的なまでの細さ。
冷宮に春麗が捕らえられて幾日か経っているとはいえ、まるで数年会っていなかったような皇帝の変わり方は異常だと明らかだった。
驚いて周囲の兵を見るが、その表情は固く冷たい。まるで全てを見透かしたような態度だった。
(ああ…………そういうこと)
彼等は、否、劉偉と紹賢妃は春麗と同じ策に出たのだ。
皇帝を精神的に追い込み、自ら位を退かせ、そして望みとばかりに春麗にあてがった。春麗を見つめる徐欣の目を見ればわかる。これは明らかに正常な人間ではなかった。春麗ではなく、春麗が与える何かを待っている。
けれど春麗は何一つ持ってなどいない。身一つでここに送り込まれたのだ。
馬車が、走る。
兵がその場を去っていく。
「待ちなさい……待ちなさいよ!」
春麗は叫ぶが誰一人としてその場に留まる者はいない。
既に退位したとはいえ、皇帝がこの場にいるというのに、寂れた小さな建物には使用人の姿すら見つけられない。
春麗は救いの手を求めて辺りを見回した。
けれど誰も居ない。居るのは、徐欣だけなのだ。
「なぁ春麗……共に褥に参ろう……いつもの香を焚いて、なぁ」
「ああ……」
体が震えた。
拘束を解くための錠はおそらく徐欣が持っているのだろう。
繋がれたまま春麗は引きずられるようにして建物の中に連れていかれる。
この先何が待つのかなど、何一つ分からない。
ただ分かることは。
春麗は策に敗れた。
それだけだった。




