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過去 四

 高州へ向かう日取りが決まった。

 珠玉は亡き母の故郷に不安はありながらも、寂しい生活を終えることには喜びを感じているらしく、早く行きたいねと玲秋に話す。

 珠玉の言葉に複雑ながらも笑みを浮かべる玲秋の心は重かった。

 高州へ向かう日はつまり、紫釉との永遠の別れを意味しているのだ。

 相手は汪国の皇帝。自身は珠玉に仕える官女に変わるだろう。

 元々立場が違いすぎる紫釉に対し、寂しいなんて思う自分の考えが間違っている。

 それでも慕う思いは簡単に払拭できるはずもなく、玲秋は出発の日が近づくにつれ表情を暗くしていった。

 

 その頃、玲秋の愛する珠玉の歳は七歳を目前としていた。

 寂れた場所ではあるが高州に向かうことが決定してから教師を付けられ、教養を得ることも出来た彼女は実に聡明だった。

 そして、珠玉もまた愛する玲秋の憂う表情を見逃さないはずもなかった。

 玲秋は珠玉の前ではいつだって優しい。

 けれど、時折物寂しそうに入口を見つめている。

 誰かの訪れを、ずっとずっと待っている。


 この地に訪れる者なんて限られている。

 父を殺した劉偉将軍か、兄である紫釉だった。

 どちらを待ち望んでいるかと問われれば即答して兄と答える。

 珠玉の目にも分かるぐらい、二人は仲が良かった。

 

 けれど珠玉はまだ七つで、誰よりも寂しい暮らしをしてきた。皇帝の娘でありながら父からの寵愛は何一つなく、自我を覚える頃には辺鄙な地に送られていた。

 それでも生まれた時から慕う玲秋がいれば何も怖くなかった。

 玲秋は珠玉にとっての母。限りない愛情を注いでくれる大切な人。

 その玲秋が、珠玉の知らない表情で入口を見つめている。

 それが、とても寂しかった。

 



 教師が訪れる日、何とはなしに珠玉は教師に尋ねた。


「玲秋に何かを贈りたいのだけれど、何がいいかしら」


 教師の女性は笑顔を浮かべながら「素晴らしいお考えです」と褒めてくれた。この女性はいつも褒めてくれるので珠玉も大好きだった。


「でしたら菓子などいかがでしょう? 私でよろしければ都で人気の饅頭をお持ち致しますよ。そちらに文を添えて贈られるのはどうです?」

「素敵ね。そうするわ」


 無邪気に珠玉は笑う。

 文を贈ろう。いつも言葉で伝えるばかりで、文字にして伝えるなんて考えたこともなかった。

 貴重な紙を使いゆっくりと筆を進める。


『だいすきな玲秋。ずっといっしょにいてね』


 まだ六つの幼い少女によるひたむきな文だ。

 別の日、訪れた教師は可愛らしい布包に入った饅頭を持ってきてくれた。

 それとは別に紙包された同じ饅頭を一つ貰ったがとても美味しかった。

 玲秋は甘い物が好き。

 きっとこの饅頭も喜んでくれる。


 その日、教師との勉強を終えた後、珠玉は包を持ってすぐに玲秋の元へ向かった。

 荷造りの準備をしていた玲秋は、珠玉から贈られた饅頭と文を見て大層驚いた。

 遠慮がちに文を手にし、中を読む。

 読み終えると眦に涙が浮かんでいた。


「公主……ありがとうございます」


 そうして優しく抱き締めてくれた。

 珠玉はこの温もりが大好きだ。

 

「お饅頭も美味しかったのよ。食べてみて!」

「ふふ……ありがとうございます」


 包を開けて、玲秋は饅頭を頬張る。


「美味しいです」

「でしょう!」

「公主も召し上がりますか?」


 贈り物だというのに玲秋は優しいことを言ってくれる。

 どうしようかと悩んでいる間に一つ食べ終えた玲秋は包に入っていた二つ目の饅頭を珠玉に差し出した。

 嬉しさのあまりに珠玉は手に取り頬張る。やはり美味しい。

 

「もう一ついかがです?」

「いいの?」


 食い意地が張ってるようで恥ずかしいが、珠玉は喜色した声をあげて玲秋を見上げる。

 玲秋は最後の一つである饅頭を手に取り、それを珠玉へと渡そうとしたが饅頭はそのまま手から零れ落ち、床に落ちていった。


「玲秋、落ちちゃった……」


 転げ落ちた饅頭を見つめていた珠玉が玲秋に視線を向ければ。

 玲秋の口元から血が滴っていた。

 鮮やかな赤色。

 青ざめた顔は怖いほど白い。

 

「れい……」


 慕う彼女の名を呼ぼうとした珠玉もまた、喉が焼けるように熱くなり、こみ上げてくる何かに思わず口元を抑えた。

 口から溢れてくる何かはひどく鉄臭かった。

 自分では何も感じないのに、手がみるみると赤く染まることから、珠玉は自分が血を吐いているのだと分かった。

 隣で立っていた玲秋が崩れ落ち、その場で倒れた。

 口元は真っ赤に染まり、瞳は閉じていた。

 珠玉は駆け寄りたかった。

 だって、大好きな玲秋が倒れたのだ。

「大丈夫?」と声をかけ、誰か人を呼んで、助けを呼びたかった。

 けれど、言葉を発することが出来ない。

 苦しみで息すらもできない。

 一瞬にして視界がぐらついた。

 でも、それでも。

 珠玉は必死で手を伸ばして玲秋にしがみ付いた。


「れいしゅ……」


 大切な玲秋。

 大好きなおかあさん。

  

 無意識だと分かっていても、珠玉は玲秋に寄り添いその場に倒れた。

 もう意識などない。

 それでも傍に玲秋が居てくれる。


 送られた文が風に吹かれ、寂しく空に舞う。


『だいすきな玲秋。ずっといっしょにいてね』


 その願いは、叶ったのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] うわ〜後宮こわ〜い…
[一言] 実権が未来永劫得られない皇族と先帝の忘れられた妃をわざわざ毒で暗殺するとか最早ドロドロですね。後宮の権謀術数はよくある話ですが、実権を取り戻す見込みがなく殺さなくてもいいと判断された皇族関係…
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