祥月命日 二
凰龍城の正門からずらりと兜輿が並ぶ。
輿を担ぐ男達は無言で歩を進めていく。
特に華やかに造られた兜輿には皇帝徐欣と、彼が寵愛する妃、趙昭儀が乗っていた。
亡き妻の祥月命日に気に入った妃と二人きりの輿に乗って向かう。
従来であれば不敬に当たるのだが、皇帝の行いに口を挟む者は誰一人としていなかった。
周賢妃の忘れ形見である珠玉公主は皇帝の後に続く兜輿にいた。慣れない乗り物と人に世話をされ、随分と愚図った。
今は輿の中で眠っているらしく玲秋は顔を見ることが出来なかった。
式典に先陣で向かうは皇帝と公主。続いて四夫人である貴妃、徳妃、淑妃、賢妃。
少し離れて進むは九嬪の妃達であった。位は昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛。
正確には趙昭儀は皇帝の輿にいるため、八名が後に続いている。
四夫人と九嬪以外の妃は参加を義務付けられてはいないため、全員が向かうわけではなかった。
しかし徐欣と顔を合わせる機会が全くない妃達はこぞって参列し、長蛇の列となって墓所へ向かっている。
玲秋は出立前に四夫人への挨拶を交わした後、最後尾の輿に乗った。運ぶ数も少ない上に体力の低い男によって運ばれているため、足取りは他の輿よりも遅く大きく揺れた。
それでも徒歩で向かうより遥かに良い。これより一年も経たずとして、玲秋は輿にすら乗れない立場となっていたのだ。
(あと二年)
房事碌に記されていた日付を確認した。
今は、捕らえられた日から丁度二年前と分かった。
玲秋は何の因果なのか二年前に戻されたのだ。
玲秋はこのあり得ない事実を、自身の使命と思い受け入れていた。
一度命を落とした身なれば、生きていられる僥倖に感謝するしかない。それも、敬愛する珠玉が生きていることがより玲秋を感動させた。
周賢妃の墓所に到着した頃には、既に皇帝による賢妃への供養は終わっていた。
玲秋は輿から降り、その場で膝をつき恩人である周賢妃に頭を下げた。
(必ずや、珠玉公主の無事を周賢妃に誓いましょう)
祥月命日の式典など名目上の理由でしかなく、皇帝徐欣は供養も簡単に済ませると寵姫と共に鷹狩りへと赴いていたため、既に姿はなかった。
周賢妃の墓所は山間の近くにあるため、その場から少し進めば鷹狩場があったのだ。
ぞろぞろと皆が輿に乗り鷹狩場に向かう中、玲秋は周賢妃が眠る玄室の前に向かった。
周賢妃は四夫人の一人として階級も高く、一時は徐欣から愛情を最も受けていた女性だった。
珠玉公主を身籠り、もし男児が生まれていたのであれば更に位を上げる話もあった。
しかし生まれた子が女児であったことと、産後体調を崩し褥を交わす機会が減ったことから徐欣は見向きもしなくなったのだ。
徐欣には数多くの妃がいる。それこそ百を超える妃達が後宮で暮らしていた。しかし妃の数と比較し子は多くなかった。子は男が三人、女は五人であった。
玲秋が覚えている限り、この先二年の間に生まれた赤子もいたが、男児はこの先も増えることはなかった。
過去の記憶を振り返っていた玲秋は立ち上がり、もう一度頭を下げる。
徐欣の官女が並べた白菊と果物が置いてあるが、いずれこの墓は誰も足を運ぶことをなくすのだ。
今より一年後、訪れたのは玲秋と珠玉だけだったことを思い出した。
「れいしょ!」
幼い声が聞こえると玲秋は振り向いた。
と同時に涙腺が壊れたように涙を落した。
そこには珠玉がいた。
まだ二つの、言葉も単語しか話せない小さな女の子。
おぼつかない足取りでありながら、それでも紅葉のように小さな手は真っすぐ玲秋に向けられていた。
「公主……!」
玲秋は幼い珠玉を抱き締めた。
珠玉を連れてきた官女は首を傾げているが構わなかった。
抱き締めてた体躯は、あの時よりも小さくなってしまったことが寂しかった。
けれど生きている。
珠玉は生きているのだ。
その事がどれほどに嬉しく、玲秋の感情を大きく揺さぶったことだろうか。
「れいしょ、いたぁい」
「申し訳ございません」
謝りながらも、それでも玲秋は手を緩めることが出来なかった。
このまま手を緩めてしまったら、手を放してしまったら別れてしまうような、そんな恐怖が未だ玲秋の中にはあったのだ。
玲秋はまだ覚えている。
自身の腕の中で抱き寄せながら眠るように息を引き取った珠玉の温もりを。
だからこそしっかりと感じたい。
今、愛する公主が生きているのだということを。
ひとしきり抱き締めた後、自身の服の袖で目を擦ってから珠玉の顔を見た。
二つとなったばかりの幼い公主は玲秋の涙を気にもせず嬉しそうに笑っていた。
一年前に母を亡くした珠玉にとって、玲秋は母代わりのような存在だった。今朝はいつもと違う官女に囲まれて心細かったのだろう。目元は泣いていたらしく涙の伝った跡があった。
(前と同じ。以前の祥月命日でも、公主は泣いていらした)
一度目の祥月命日でも公主はこうして甘えてきた。何も変わってなどいない。
変わったのは玲秋ただ一人なのだ。
いつもと同じように珠玉を抱き上げる。その体重はやはり以前よりも軽かった。
それでも確かに生きて抱き上げられる喜びを、再会できた喜びを。
ひたすらに噛み締めるのであった。