改編 五
愁蘭は三代に渡り紹家に仕える一族の娘だった。
生まれた頃から紹家に仕えることを当然とする家の中、年が近い充栄とは意気投合もして誰よりも彼女に近い存在として常に控えていた。
しかし内心は複雑な思いを抱えていた。
(こうして私は生涯を充栄様のお傍で仕えて終わるの……?)
充栄は後宮入りした。
当然のように愁蘭も後宮に入り官女として勤めることになった。
本当に良いのかと、入る前に充栄に聞かれたが、それに否と答えることなど愁蘭には出来なかった。
一族のため、自身のため。己の全ては充栄のためにある。
後宮の暮らしは嫌なものではなかった。醜い女達の争いには辟易するが、それでも自身の主君である充栄は誰よりも後宮で地位を持ち強い発言力を持っていたため、愁蘭もそれほど困ることはなかった。
ただ、何かがずっと物足りなかった。
男性は滅多に訪れることもなく、時折顔を見せる皇帝と顔を合わせる程度で男性と出会う機会はない。
機会があるとすれば、皇帝の目に適い、自身も妃としてくれるのではないか。
そんな期待を抱いていたのはいつからだろうか。
主のお下がりである化粧や衣装を時折装着してみたりした。だが、まるで眼中に入ることはなかった。
恥を捨てて充栄に相談してみたこともあったが。
「そのような想いは捨てなさい」
それだけ伝えられた。
それから愁蘭は言われた通り考え方を改めたのだと伝え、いつもと変わらない日常を過ごしてきた。
何も考えるな。一族のために仕えるのは名誉なこと。
それに何の不満があるというの?
後宮では美味しい食事も与えられる。寒くひもじい思いをすることもない。美しい物に囲まれた世界。
けど、それでも。
「愁蘭」という人間はただの官女として後宮の中で死んでいく。
そう、考えると恐ろしかった。
二度と外に出られない世界の中に取り込まれ消えていく未来が怖かった。
愁蘭の焦燥をいち早く気付いたのは主である充栄ではなく趙昭儀だった。
いつものように勤めのために内務府に荷物を取りに行く時だった。
「そこにいらっしゃるのは……愁蘭じゃないかしら?」
自身の名を呼ばれたことに驚いた。
呼ばれた先に立っていたのは優雅で美しく、皇帝からも寵愛高き趙昭儀自身だった。
彼女は美しく、常に花のかんばせで微笑んでいる。無邪気にも妖艶ともいえる愛らしい笑顔を浮かべながら愁蘭に近付いてきた。
ゆっくりとした、しなやかな足取り。
まるで蜘蛛の糸に捕らわれた蝶を貪るような捕食の目。けれども蜘蛛とは思えない優雅な足取りが近づき。
そして、愁蘭は喰われたのだ。
紹家に仕える家臣としての誇りを。
幼少の頃から付き従っていた充栄との絆を。
残されたものは、愁蘭という一人の欲深い女だけであった。
愁蘭は倒れた玲秋を引きずりながら移動させる。
建物にいた人の数は覚えている。寒いから充栄の傍で暖を取っていてほしいと伝えてある。
その間に愁蘭は建物の周りに油を掛けていた。なるべく匂いが立たないよう調合された油を趙昭儀からは預かっている。
閂を全て閉めてもらった。扉の箇所には鍵を取り付け、その鍵を玲秋の服の裾に隠しておいた。
愁蘭は趙昭儀の指示の元に動いていた。
風が強くなるこの日に、火をつけろ。
玲秋を犯人に仕立て上げろ。
そうして全てを失った賢妃の官女である愁蘭を哀れに思った趙昭儀が便宜を図り都に帰そうと提言する。良い縁談もある。金に困るような生活はさせない。
甘言は愁蘭に果てしなく甘美であり、欲深い女と化した愁蘭は誘いに乗じた。
冷静な判断ではないと、当の本人は気付かない。
皇帝に一度は目に掛けられた玲秋を羨み妬む思いもあったため、彼女を犯人に仕立て上げることに何ひとつ抵抗はなかった。
玲秋を屋敷の中央に捨て置いた後、愁蘭は付近にあった蝋燭を手にし部屋の隅に撒いた油に火を付けた。
たちまち炎が部屋中に広がり燃え始める。
賢妃達の部屋は建物の中央奥にあり、逃げ出すには扉をいくつか出なければならない。それにも全て鍵をかけた。幸いなことに外に出ようとする者はおらず未だ気付かれない。
蝋燭を投げ捨て、愁蘭は己の手荷物を確かめる。鍵を持っていては犯人と知れてしまうため、玲秋の懐に忍ばせた。運が悪ければ目覚めて扉から逃げ出すかもしれないが、この炎の広がりなら大丈夫だろうと自身に言い聞かせる。
火が回る前に急いで開いている扉から出て行った。ここの鍵だけは反対からも施錠出来るため、出てすぐに施錠する。
パチパチと燃え上がる炎は周囲を赤く染め上げる。
まるで愁蘭の心を表すように仄暗い熱く、火の粉が飛び交っていく。
扉の先にいる君主に対して慕う想いを抱きながらも、己の欲と天秤にかけて殺めることに対して罪悪感はあった。
それでも、それでも己の願いを叶えたかった。
ここは後宮。
皇帝のためだけに愛を捧げる女の住まう異質な世界。
時には優劣のために人を陥れることすら当然とする後宮の中では人の死に罪悪を抱くことはないと、愁蘭を唆した美女は囁いた。
自身が火の粉に巻き込まれないよう扉を出て走った愁蘭は、緊張から頬がひきつるようにして笑っていた。
だが、飛び出した先で目が合った相手に対し、その表情は瞬く間に恐怖に変わった。
「この女を捕えよ」
冷淡なまでに静かな声が、確かにそう告げた。
ここは男子禁制の聖域。
皇帝しか足を踏み入れることが許されない場所に。
確かに、第三皇子紫釉が立っていたのだった。




