改編 四
「蓮花。昨日渡した香はどこにある?」
「あ……うん。それが、あの後使ってみたらうまく焚けなかったの」
香を余夏に渡した翌日に明琳から聞かれた玲秋は顔を強張らせながら答えた。
玲秋の反応まで気付かなかった明琳は残念そうな顔をしながら「それなら仕方ないね。太后様のお香使ってみたかったな~」とぼやく。
その表情に偽りはないと思う。
けれど真実は分からない。玲秋に渡してきた明琳もまた暗殺の協力者である可能性も否めないと余夏には言われた。用心するように強く言われている。
生花を建物に飾りながら玲秋はぼんやりと考える。
(これで……回避されたの?)
可能性としては低いけれど、それでも一つは回避できた。
油断してはならないし、何より目の当たりにした殺意は恐ろしかった。日常手にする物が人の命を奪う代物に変わるのだ。
そうなると日頃確認している物だけでは足りないのではと、日常の確認作業も念入りになってしまった。
他の官女達が賢妃と絶え間なく話を続けている間も玲秋は黙々と確認をする。
その様子を、時折紹賢妃が見つめている視線には、勿論気付くことは出来なかった。
「蓮花」
夕刻となった頃、紹劉偉がやってきた。
相変わらず恰好は侍医としての衣装、そして深く顔を隠すように被り物をつけている。
呼ばれた玲秋は少しばかり足早に劉偉の元に向かい頭を下げる。
その様子を見守る眼差しは優しかった。
「皇子の使いから事情は聞いた。見つけ出してくれたこと、礼を言う」
「滅相もございません」
「だが、阻止したことにより其方にも危険が及ぶやもしれない。充分に注意をしてもらいたい」
「はい」
劉偉にまで注意を受けると思わなかった玲秋は頬が微かに緩んだ。ここまで心配してくれる人がいるのだ。
「…………皇子も心配していらっしゃる」
紫釉の存在を言われれば玲秋の頬が瞬く間に朱色へと変貌する。名前を聞くだけでこの反応。直接見えた時にはどのような顔となるものか。
劉偉はそんな想像をした途端、胸にざわめきが生じていた。だが、その思いを払拭して言葉を続ける。
「運んだ官女についてはこちらで調べておく。必要ならば拘束を考えている」
「…………はい」
「とにかく、危険な目に遭いかけたらすぐに知らせてほしい」
「かしこまりました」
本来なら。
本来ならば、このような危険な行動を止めさせ、安全な場所で過ごしてもらいたい。
しかし劉偉の姉は今汪国の未来を大きく揺るがすほどの重要な存在でもある。
昨今まで大きく勢力を伸ばしていた趙昭儀の存在も姉の懐妊により縮小傾向にあるが、それでも尚皇帝は彼女に依存をしている状態。
後宮の内部に立ち入れたとしても、特別に劉偉がこうして数分顔を合わせることが精々だ。
(かの方はどれほど苦い思いをされているのだろう)
いつ出会ったのか、どのようにして想いを交わしたのかも分からない若き皇子のことを思う。
後宮など足を運んだことすらないような紫釉が、何故忘れ去られた妃の事を想い、慈しむのか。
劉偉には分からなかった。
玲秋や劉偉の懸念を余所に、時は何事もなく進んで行った。
気が付けば賢妃は臨月となり、いつお腹の子が出てきてもおかしくない頃となる。
(過去に亡くなられた日を越えられた……)
玲秋の知る賢妃は半月以上前に倒れ、そのまま御子を早くに出産し亡くなられたと聞いている。
少なくとも生まれて問題ない日までたどり着いたことは玲秋にとって大きかった。
もしかしたら無事に生まれるのではないか。
そんな楽観した想いを抱いては慌てて首を横に振る。まだ気を緩めてはいけない。何が起こるのか分からないのだから。
「蓮花。今日は風が強いらしいから窓の閂をお願いしてもいいかしら?」
「分かったわ」
明琳に頼まれ、玲秋は屋敷の中を駆け巡る。
広い屋敷には窓がいくつもある。毎日必ず窓を開けて風通しを良くしているため、一つ一つ閉めるのであれば多少時間が掛かる。
今日は官女の数が少ない気がする。
そう思って明琳に尋ねてみれば、どうやら数名に風邪の症状が出ているらしく、賢妃に移してはならないということで休ませているらしい。代理に呼ぶには危険な時期であることもあり、周囲に護衛の兵を置くだけにし、中で勤めている官女の数は側近と呼ばれるような者達だけだった。
その中に明琳もいた。
彼女をこと細かに調べ上げた結果、彼女は何も知らないことが分かった。
太后の使いに命じられ香を受け取っただけらしい。
その事実に玲秋はホッとした。
もし仮に彼女が共犯だとすれば、恐らく厳しい詰問を受けることになる。玲秋が過去に聞いた悲痛な彼女の悲鳴を思い出す。あのような声はもう聞きたくない。
閂を掛け終えたところで部屋の暖かさを確認する。時期は秋が近づいている。
玲秋が過去から戻って一年が経とうとしている。
(もう一年……)
あの、悲惨なまでに苦しい記憶。
愛しい珠玉を亡くす哀しみから一年を得ても、未だに心に残る最期の時。
今度こそは救いたい。
その想いを胸に秘めていたからか、玲秋は気が付かなかった。
足音を殺し背後に忍び寄る人の影を。
そして突如として与えられた頭部の痛みに、驚く間もなくその場に倒れこんだ。
後頭部を強く殴打された玲秋は意識を失った。
指示通りの箇所に衝撃を与えてみたら、本当に意識を失った。
思った通りに事が進んだことに安堵する愁蘭が玲秋を見下ろす。
「ごめんね玲秋」
申し訳なさそうな顔を見せる官女の表情は、言葉と異なり微笑んでいた。
これで良い。
彼女に姿は見られていない。
意識がないかを再度確認した上で、愁蘭は部屋を出る。
まだ指示は全て終わっていない。
全てはこれからなのだから。




