改編 三
誤字報告、感想ありがとうございます!
玲秋が気を張り詰めながら過ごす間に季節は過去、賢妃が亡くなった頃に近付いた。
官女蓮花として屋敷の中に不審なものがないか確認し終えた玲秋は、何度となく繰り返した過去の記憶を確かめる。
当時病み上がりということで表立って出歩く機会も少ない玲秋は当時のことをよく覚えていない。
時折様子を見にきてくれた賢妃が、早産により御子と共に身罷られたとの報を聞くだけであった。
具体的に何があったのか、後宮内の事であるが故に紫釉も何も分からないと言っていた。
だからこそ警戒して過ごしてきたものの、未だに何も分からない。
焦る思いばかりが募る。
今は穏やかに玲秋と顔を会わせる劉偉が、いつまた鬼神のように玲秋と珠玉を殺すのか分からない。
その恐怖に体が震える。
(…………そういえば)
ふと、冷宮で過ごしていた数日間を思い出す。
あの頃ほとんどの妃や官女が冷宮に送り込まれた。
清秦軒で紹賢妃に仕えていた明琳と愁蘭も同様だった。
彼女達が捕らえられたことが当時の玲秋は不思議でならなかった。彼女達は紹将軍の姉に長く仕えていた官女達だったからだ。
(元々は紹家の使用人だったのに、彼女達も同じように捕らえられて……それから)
それから、どうなった?
「蓮花」
声を掛けられたことに驚き玲秋は慌てて顔を上げてみれば。
そこには明琳が立っていた。
髪をきっちりと結わえ、可愛らしい花飾りをつけた彼女が首を傾げながら玲秋の側に近付いてきた。
「何をしていたの?」
「や……屋敷に飾る花を考えていたの。小主の調子もよろしいので花の香りで落ち着いて頂きたくて」
「そう。素敵な考えだわ」
明琳がニコリと笑う。
彼女の声は涼やかでよく通る声質なので、遠くからでも彼女の声だとよく分かる。
「花の香りも良いのだけれど、これを良かったら使ってくれない?」
「これは?」
明琳が取り出した小さな小包を受け取る。麻布で覆われた中身はお香の形をしていると分かる。
「隣国から取り寄せた香なの。母体の気持ちを楽にしてくださる効果があるそうよ」
「どうやって手に入れたの?」
「太后様からとお聞きしているわ。離宮で静養なさっていらっしゃるけれど、小主のご懐妊祝いにせめて安らかに過ごしてほしいと仰って贈って下さったみたいなの」
懐から取り出した文を渡され確認してみれば、確かに皇帝の母である太后の名が記された贈り物であることが分かる。
「……分かったわ」
「ありがとう! 私、別の用事があったからすぐに出来なくて。終わったら太后様の使いに報告するから教えて頂戴」
「うん」
可愛らしい笑顔を向けた後、明琳は駆け足で屋敷の中に戻る。
残されたのは玲秋と小さな香が入った包みと、小さな文。
(太后様……)
皇帝徐欣の母ではあるものの、病床の身でずっと離宮で暮らしている御方。特に政権に口を挟むことはなく、ひっそりと過ごされていると聞いていた。
玲秋は明琳から渡された文を眺める。警戒している玲秋の目にも怪しさは感じられない。
太后の証である印がしっかりと刻まれていたからだ。
(…………でも、本当に?)
滅多に贈り物を寄越さない病床の太后から贈られた香。本人を示す印を押された文。
それでも玲秋の胸はひどくざわついた。
遠くから明琳の笑い声が聞こえてくる。屋敷の中で誰かと話しているようだ。
彼女の声はよく響く。
高く、明るい声。彼女が笑えば屋敷の中が明るくなったような気さえする。
そして同時に。
彼女がおぞましい悲鳴を上げるほど、その悲痛さを胸に刻ませる。
(そうだ……)
過去の冷宮で、玲秋は彼女の悲痛な叫び声を聞いている。
拷問に掛けられ、泣き叫ぶ声が玲秋の閉じ込められていた部屋の中まで聞こえていた。玲秋はその恐ろしい声が少しでも珠玉に聞こえないよう、彼女の耳を強く塞いでいた。
だからこそ玲秋はしっかりと聞いていた
明琳の悲痛なまでの叫び声を。
(どうして彼女はあれほどの拷問を受けていたのかしら)
賢妃を救えなかった家臣としての罰だとすれば、紹賢妃が亡くなった折に行われていてもおかしくない。けれど彼女が賢妃亡き後も別の妃に仕えていたことを知っている。
掌に乗せていた香を持つ手が重い。
玲秋は賑やかな建物に背を向け、足早にその場を去った。
「しょ……蓮花?」
官女の姿で現れた玲秋の姿に祥媛が驚く。少しばかり息を切らして戻ってきた玲秋の姿を見て彼女は慌てて部屋の窓や扉を閉めた。
祥媛とは時折だが蓮花として顔を合わせることもある。そうした時は顔見知り程度の挨拶しか交わさないよう徹底していた。
誰も近くに居ないことを確認した後、祥媛が玲秋に近付いた。
「どうなさったのです?」
「どうしても気になったものがあって……」
祥媛には事情を概ね説明してあるため、その言葉に表情を固くした。
玲秋は握り締めていた香と懐に隠していた文を取り出し祥媛に渡す。
香を手に取り、祥媛は訝し気に眺める。少し鼻先に近づけて匂いを嗅ぐ。それから文を開き中身を確認する。
「太后様からの賜り物としか思えませんが……」
「香におかしなところはない?」
「私の知る限りでは……ああ、でも。余夏なら分かるかもしれません」
すぐさま祥媛は玲秋をその場に待たせ急いで余夏を呼びに向かう。彼女が暮らす珠玉の屋敷とは距離があるため少しばかり時間が掛かる。
幾ばくか落ち着きなく待っていれば、祥媛が余夏を連れて戻ってきた。
余夏は事情を既に聞いていたらしく、玲秋に軽く礼をするとすぐに香を手にし、匂いを嗅ぎ。
表情を固くした。
「こちらが太后様からの贈り物だったと仰いました?」
「ええ。賢妃の官女から、太后様の使いから賜ったと言われたの」
「それが事実であれば恐ろしい……この香には芥子の果汁が混ざっております。鎮痛や睡眠に効果をもたらしますが、長期的に過剰摂取すればいずれ死に至るでしょう」




