懐妊 一
春が近づく頃、寒椿の花から香る匂いと梅に留まる鶯の鳴き声。
春の来訪を木々や花々が伝える頃。
紹賢妃の元に宦官が訪れる。
「紹賢妃に拝謁致します。本日の夜伽におきまして皇帝陛下が賢妃の牌を選ばれました。ご準備をお願い致します」
「分かりました」
宦官が去った後、屋敷の中が賑わいだ。
「急いで支度致しましょう! ああ、新しく頼んだ簪を香をお持ちします」
「椿油も持って参ります!」
屋敷内の官女達が慌ただしく支度をする中、珠玉の子守を終えた玲秋が蓮花としてやってきた。未だ支度は全く終わらず玲秋が賢妃に会った時、彼女は爪の色を朱色に染めている時だった。
「蓮花。来たのね」
「はい。陛下よりお選びになられましたことお喜び申し上げます」
「ふふ。最近は牌選びをせず趙昭儀を呼んでいたから、家臣から苦言があったのかもしれないわね」
牌を選ぶのは皇帝の好みによるものだが、そこに政治的目的が無いわけでもなかった。
身内の妃になるべく子を授かってもらえるよう家臣による薦めを聞くこともある。
しかし昨今の皇帝は趙昭儀を熱愛しているため滅多に他の妃嬪が選ばれることがなかった。
その事に苦言があったとしても不思議ではない。
慌ただしく準備をしていれば、早々に夜半の刻となり宦官が紹賢妃を呼びに来る。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「いってらっしゃいませ」
いつもより美しく着飾った紹が輿に乗り屋敷を離れていく。
遅くまで手伝っていた玲秋も頭を下げ、賢妃を見送る。
姿が見えなくなっても官女達の興奮は冷めていなかった。
「ああ! 緊張するわ」
「ええ、ええ! 趙昭儀の官女らに見返してやれるもの。さぞ悔しいでしょうね」
どうやら官女の間でも諍いが絶えないらしい。
特に趙の官女達は寵愛を受けている主人の盾もあり、官女の間で随分と大きい態度をしていることは、過去も今も玲秋は知っている。皇帝より贈られる品も多いため、玲秋以上に良い待遇を受けていた。
「小主がお子を授かって下されば何よりだわ」
「私達も祈願しに行く?」
娘達が願いを叶えるために行う祈願は可愛らしいものが多く、祈りを込めた御守りを作ったり願いを込めて模った切り絵を飾ったりなどがある。
玲秋は彼女達の様子に微笑みながらも、一抹の不安を抱えていた。
間違いなく紹賢妃は懐妊する。
けれど過去では生まれることなく賢妃と共に命を失う。
当時の時期を考えるに、この時期に懐妊したことは間違いない。
(今日の日が切っ掛けだったのかもしれない)
そうであれば、時間が無い。
玲秋の胸に焦りが生じた。
「近頃其方の屋敷に美しい官女がいると聞いた」
皇帝の寝室となる広い寝台に横たわる紹充栄に、皇帝徐欣が語りかける。
既に褥を終えた皇帝は寝衣に着替えていたが、充栄は未だ寝台の中で寝転がっていた。官女達により整えられた簪は既に外れており、長い髪がゆったりと彼女の胸元に掛かっている。
「ええ。蓮花と申します」
「どこの出だ?」
「弟が遠征先の農村で見かけた女です。大層美しく器量が良いので献上してきたのです」
「ほう」
勿論、嘘だ。
予め劉偉と背景を捏造しておいた。勿論、必要な書類も偽造しており、蓮花という女性は名もない農村で商業をしている豪族の娘、教養はあったが両親が賊に襲われたため劉偉が官女見習いとして充栄に預けたということになっている。
「見習い期間を終えましたので側仕えとしました。歳は十八で橙色の瞳が特徴的ですわ」
「ふむ……」
興味を持った。
充栄は静かに唇を上げると起き上がり、寝衣を軽く羽織ながら徐欣の元に近付き肩にもたれ掛かった。
「もし……わたくしのお屋敷で酒宴して下されば、きっと陛下もお会いすることができますわ」
「そうか……分かった」
充栄の言葉にすんなりと皇帝が答える。
ますます充栄の唇は上がる。そしてそのまま夫である皇帝の頬に口づけを贈る。
たとえ趙昭儀という寵愛する妃がいようと、好色な皇帝は妃を迎え入れることを止めない。一度限りで飽きる女もいれば、それなりに低いながらも地位を与えることもある気まぐれな夫である。
だからこそ、蓮花の噂を聞けば興味を引くと思っていた。
そして、その興味から甘言を用いれば承諾するということも。
さて、どう動くかしら。
充栄の頭によぎる駒がいくつかある。
一つは玲秋。皇帝の寵愛を得た時、彼女がどう動くのか。それは充栄の望む形で動くのか。
一つは趙昭儀。寵愛を得ている彼女が、皇帝が充栄の家臣に興味を持ったことにより多少の動揺になるのかを確かめたい。
そして最後の一つは紫釉皇子だ。
彼が玲秋にどのような感情を頂いているのか確かめたい。
充栄の思惑は形となり。
半月の後、紹賢妃の元で皇帝が酒宴を行う報せが後宮内に知れ渡ったのだった。




