第二話「キミの知らない朝陽が昇る」開始
俺の喉先に向けられた槍先が震えているのは、彼女の肉体と心、どちらの震えによるものなのか。
「私があなたを殺します」
そう彼女が宣言してからどれくらいの時間が経ったのか。
周囲に散らばっていた怪獣の青いゼリー状の肉体は無音で溶け始め、その体積を半分にまで減らしていた。魔物の残骸は夜が明ける前に消滅しそうだ。
だがその魔物が行った破壊の残骸は、たとえ夜が明けようとも消えることはないだろう。俺の罪として白日の下にさらされてしまうだろう。
槍の穂先が震えているのは腕力の問題ではないようだ。彼女の呼吸は荒く、何度もこちらから目をそらし、下を向き、なにかをつぶやいた後で、またこちらを見ては睨みつける。
「殺す覚悟」というものがまだ彼女の中に明確に形成されていないのは明らかだった。
俺はそんな彼女の覚悟の完成を待っていた。
こちらの覚悟はすでに出来ていたのだ。
二度にわたる怪獣としての破壊活動の罪ではなく、彼女を騙して喜ばせて、裏切ったこと。彼女の心を傷つけた罪。
それは万死に値すると思った。
中年が少女を騙し悲しませた。
「そりゃ死なないと駄目だな」
やってしまった自分の非道が許せなかった。
「あー、もう!なんで!なんで!」
ついに穂先を下げた彼女は、悔しがって地団駄を踏んだ。
キッとこちらを睨みつけた時、彼女の目からこぼれていた一粒の涙が光った。
夏の日は早い。もう太陽の光が空にグラデーションとなって現れて始めていた。
「後日、改めて伺います」
そう言い残したあとで、彼女はロケットの打ち上げよりも早く、空に飛んで消えた。
「あ、ハイ」
俺は彼女に置いてきぼりにされた。
「後日って、いつ?」
いいさ、どうせスケジュールはガラ空きなんだから。
周囲を見渡す、昇り始めた朝日が、あたりの惨状を照らし出した。
再びの破壊現場。競馬関係者には本当に申し訳ない。
俺はその場を放置して自宅に帰り始めた。
朝日が昇りだし日常が始まってしまう。とても治せるような状況ではなかった。
自宅のアパート前まで戻ってきた。太陽は顔を出して入るがまだ早朝という時間帯だ。一瞬、またあの子に会えるかもと期待したが、今は世界中の、どの女の子にも合わせる顔がなかった。
もちろん、誰もいなかった。
アパートに入ろうとした時、一瞬、誰かの視線を感じた。振り向くとあの子の住む家の三階の窓に目が行った。
誰もいない。だが明かりは点いており、閉まったレースのカーテンの向こうに人影を見滝がした。少し残念に思いながら、そのまま部屋に帰った。
帰宅した俺は何もする気力がなかった。
夢で再び怪物になってから半日が経った。やったことと言えば巨大な建造物を半壊した事と、少女を泣かせたこと。そして限りなく死に近づいたこと。
あまりにも色々な事があった。心が消耗していた俺は、敷いたままだった布団に潜り込んだ。
この夢が覚めればいい、と思いながら。
目が覚めた。半覚醒なまま目覚し時計を見ると四時過ぎだった。
どっちの?朝の、夕の?
それぐらい時間感覚が乱れていた。カーテンを締め切っているため薄暗がりの部屋。カーテンの隙間から入ってくる光の強さから夕方であるらしい。雨が降っているようだ。
ネットを見る気も、テレビを見る気もなかった。自分が行った破壊の結果を見たくなかった。その時点でようやく、今日が日曜だと気がついた。布団から起きるあがる気力はなかった。
玄関のドアを叩く音が聞こえた。
うちにはドアフォンがないため、ノックするしかない。家に来客が来ることなどまったくなく、ネット通販をした記憶もないため、訪問販売か何かだと思って無視することにした。そんなことで布団から出る気はない。
玄関のドアが音を立てて開いた。鍵は閉めていたはずだった。
俺のアパートは2Kの部屋割りだが二つの部屋が縦に繋がっている。部屋の間の襖が開き、突風が室内に飛び込んできた。床に散らばっていた衣服や本が渦を作り、明かりの点いていない薄暗い室内に竜巻が起こる。俺はそれを床に寝っ転がった状態で、布団を抱きしめたまま見上げていた。その騒乱状態の我が部屋の中に輝く人物が、空中を浮かびながら入ってきた。
俺の薄暗い住居が、青い光が渦巻く深海になった。
彼女が、宣言どおりに俺の元にやってきたのだ。
「後日って言ったじゃん」
早朝の別れからまだ半日も立っていない。
突入してきた部屋の様子をゆっくりと見回した彼女は、俺の不在を疑ったが、自分の足元の布団で、今だ寝た状態の俺にようやく気づいて目を合わせた。
光の中で浮かび上がる半裸の女性。彼女の衣服から伸びる布が四方にたなびき、部屋全体を占領している。彼女の股下に位置する俺からは、彼女の足と下着のような薄布一枚の下半身は見えたが、彼女自身の胸の大きさに阻まれ、彼女の顔は目から上しか見えなかった。
部屋の空間のまさしく中央に浮かぶ彼女。その足元に敷かれている薄い布団に挟まれ、床に張り付いたカビのような状態の俺。
「何だこの状態」
そう思ったが、客人がいるので口にはしなかった。
彼女が手を振るうと、光が集まりあの槍が出現した。長大な槍は出現しただけでフスマに穴を開けた。クルクルと構える動きによって、仕事用テーブルを切り、棚を破壊し、壁に切り傷を作った後で、寝ている俺の顔の前で切っ先が止まった。
「修繕費…」
そう思ったが客人の手前、無言であった。
「あの…」
寝たままの状態でなにか言おうと思ったが、顔に突きつけられた巨大な刃物の圧迫感は強く、息を吸えばそのまま喉奥に突き刺さりそうだった。どうにか一言だけ喋った。
「どうも」
家主としての挨拶もろくに出来なかった。
少女は刃をピクリとも動かさず
「あなたを殺しに来ました」
早朝の時の彼女と違い、その目は真剣だった。しかし、目の周りは赤く腫れて、この半日未満の間に起こった彼女の葛藤の重さが見て取れた。
「わかった」
俺は起き上がろうという意志を消して、また布団に体を預けた。これからなるであろう死体に近づくために。
「どうして…」
彼女が構えた切っ先が揺れる。
「どうして、何も聞かないんですか?」
彼女が悲しげに聞いてきた。
「聞いたら、なにかあるの?」
「生き延びる可能性が、あるかもしれないじゃないですか。ないんですか、そういう願望が?」
彼女は覚悟を決めて、俺の部屋に来た。だがその覚悟も完全ではない、まだ揺れている。
大人である俺がちゃんと協力しないといけないようだ。
「俺が死ぬことは構わないけれど」
「けれど?」
「キミを人殺しにはしたくない。そういう願望はある」
彼女の目が大きく見開いた後に潤んだ様に見えた。彼女は槍を引き、俺は呼吸がしやすくなった。
「ソダリー、説明してあげて」
彼女がそういうと、彼女の髪の中から、プラスチックの消しゴムで出来たようなフナムシが現れた。
「はじめまして、私は彼女のトーテム、まあサポーター兼教育者といったところだ」
玩具の虫のような姿で人間の言葉を話す。今朝、聞いた声だ。
「君は肝が座っている、泣くことも叫ぶこともないようなので話がしやすそうだから、手短に説明しよう」
虫なのに言葉はなめらかだ。
「君はアビスの門だ。単純に言えば異世界との結節点。アビス界とこの世界をつなぐ、文字通りの門となっている」
彼女の目と虫の目が俺を見下ろしている。
「門を通って、魔物がこの世界に現れる。そのことに関しては説明はいらないだろう」
「俺自身が体験で実証済みだ」
「話がはやくて結構。つまり君の存在はこの世界において極めて危険である」
少女が槍の切っ先を再び俺の鼻先に近づけて、
「だから、殺さなくちゃいけない」
「そうだ殺さなければいけない。理由は君がモンスターになるからではない、門そのものだからだ」
「暴れたことよりも、門であることの方が問題なのか?」
「魔物はこの世界に門を設置するための工作兵にすぎない。邪魔者を排除して、門を設置して、開く。開いたらおしまいだ。二つの世界は繋がり、大量の魔物がこの世界を襲うだろう」
「そうならないためにを…君が世界を守っていると」
俺は彼女に向かって訪ねたが、彼女は答えず、ソダリーが答えた。
「そうだ、彼女は今現在の契約者、魔法少女として私に協力してもらっている。私はこの世界を守るための防衛機構の一端。何百年にもわたり、アビスからの侵略を防いできた」
「そして今回も?」
「そうだ、アビスの門の保有者をいちはやく発見できたのは幸運だった。門の保有者は消滅させなければいけない。君には申し訳ないが、世界を守るためだ。恨むなら彼女ではなく私を恨んでくれ」
「そうする。じゃあ、話は終わりだな」
「そうだ」
ソダリーと俺、二人が彼女を、処刑人の使命を負った魔法少女の顔を見た。
彼女に言われて、このソダリーという生き物から話を聞いてみたが、俺が生き延びる道はやはりなかったようだ。
「なんでそんなにアッサリ受け入れるんですか…」
彼女の声は泣きそうだった。
彼女にはわからないだろう。罪の重さを一度でも自覚してしまうと、もう普通には生活できないということを。
彼女が力を込めるだけで、槍の先端に光が集まり始める。光はわずかに熱を持ち始め、俺はアゴ先でそれを感じた。光量はどんどんと強くなり、俺は眩しさに目を細める。
光の向こうに隠れてもう彼女の顔は見えない。死ぬ前に彼女の顔をちゃんと見たかった。彼女の体ももっと見ておきたかった。真下から見上げる体のオウトツを。下から見上げたと彼女の胸この世のなかでも至上の光景の一つであった。
「それだけが、心残り…」
などとやましいことを思いながら、光の向こうの光景に思いを馳せていた時、俺は自分の心の中の一欠片に気がついた。
「あ、心残り…」
「え、心残りあるんですか?」
俺の一言を聞き逃さず彼女はすぐに槍先の光を消して顔を近づけてきた。
心残りだった彼女の胸が下を向きながら急激に接近してきたのを俺は見逃さなかったが、凶器をもった女性に対してそういう視線を送り続けるのは難しかった
「心残りあるんですよね?言ってください」
彼女の声に明らかに喜びの音がある。彼女の覚悟もまだ、足元がおぼつかないようだ。
「いや、ここでこのまま死ぬと、大家に申し訳ないかなって…」
「ああ、そうですか…そうですよね」
俺がまだ、死ぬ前提を崩していないのが彼女には残念だったようだ。
「それと…」
「それと?」
「すまないがもう少し時間をくれないか、さすがに昨日の今日だ。俺も大人だからな。勝手にいなくなったら不義理なことが多い」
彼女は彼女のペットのフナムシと顔を合わせて相談した。
「逃げないよ。約束する」
俺は寝たままの姿勢でそういった。布団に寝っ転がったままの中年男性。その説得力はおそらく皆無だったろう。
「わかりました、今から四十八時間…」
彼女はそう言って俺の部屋の壁掛け時計を見たが、真っ二つになった状態で壁に半分だけ掛かっていた。
「…二日後の朝まで猶予を与えますから」
彼女は自分の持ってる槍を後ろに隠した。
「ですから、お互いに…もう一度覚悟を決めましょう」
そう言って彼女は、空中を浮遊した状態で部屋から出て玄関から外に消えた。一度として俺の部屋に足をつけなかった。
輝く少女が退出して玄関の閉まる音が聞こえた。俺の部屋は再び薄暗い元の部屋になった。
いや、半壊した、薄暗い部屋になっていた。
う~~ん、と伸びをした後、再び布団に潜った。しばらく出たくなかった。
昨日から、色々ありすぎる。
昨日から、死が近すぎる。
俺は疲れていた。