第一話の4
屋根の上からから舞い降りてきた少女は、夢で見たとおりの神々しさと半裸さだった。
今、見ている方が夢で見た時よりも鮮明で彼女の身体がはっきりと、見えてしまう。目のやり場に困る姿をしているにも関わらず、彼女は堂々としていた。
ピースが揃った。
破壊された競馬場、それを治す不思議な能力を発現した俺。そして天使のような姿をした少女。
これらのピースが揃った結果、残されていた最後のピースの形がはっきりと浮かび上がった。
俺がこの破壊をもたらした魔物だ、というピースだ。
「最後に残ったものがどれだけ奇妙であっても、それが真実…」
俺はジリジリと後退していく。彼女の持っている破壊の力を知っているからだ。彼女はたやすく魔物の腕を吹き飛ばし、殺傷したのだ。その力は魔物であった時の俺を上回っていた。
俺の前に降り立った彼女は、なにかを言いたそうで言わない、モジモジとした態度で俺を見ている。今すぐにも俺を消し去るという感じではなかった。だが彼女が持つ背丈よりも長い槍はあの巨体を消滅させた恐るべき武器である。モジモジとした身体の揺れによって、大きく何の支えもない彼女の胸が揺れていたとしても、心が休まる状況ではなかった。
彼女が言葉を発した。夢の中では聞こえなかった彼女の声を初めて聞いた。
「あの、これを直したのはあなたでしょうか?」
「え、ハイ。そうです」
俺の返事は、工事現場の作業員のような平凡さだった。そんな返事でも彼女の顔には喜びの表情が浮かび上がった。マスクに下半分が覆われて表情の全てはわからなかったが、喜びでその瞳と身体の輝きが増したようだ。
「すごい!じゃあ、私と同じ側ってことですね」
「ええ、モチロン」
あまりにも鮮やかな嘘の付き方。言ってしまった自分でも驚くほどだ。もし悪事を測るメーターがあったら、建物破壊よりも今の嘘の方がメーターは上がっていたはずだ。
「あの、これ全部直せますか?」
少女はお願い事のように聞いてきた。
「任せください」
俺は水道工事のCMタレントのような安請け合いをした。コチラとしても命がかかっている状況だ。ブラフを通すためになら、いくらでも嘘をレイズするつもりだった。
「よかったー。私も気になって見に来たんです。あ、これ壊しちゃったの私なんです。もちろんアビスマルを退治するためだったんですけど…私も初めてで無我夢中で…まさかこんなに壊しちゃうことになるなんて思わなかった…」
彼女は、俺と彼女の初めての殺し合い、初めての共同作業の結果としての破壊の跡を悲しそうに眺めた。俺は言ってしまった手前、適当に拾った小さな破片同士をくっつけようとする、下手な芝居をしていた。
「でも、ほんとに良かった。被害を直してくれる仲間が、こんなに近所……同じ市内にいたなんて。すっごく嬉しいです!」
「いや~まったくそのとおりでさァ。私にお任せください。ささ、お嬢さん、夜も遅いですから、ここはアッシにまかせて帰ってください」
どんどん俺の芝居は下手になっていった。
「そんな!私にも手伝わせてください。ほらこれとかも」
少女は片手で大きな鉄骨を軽々と持ち上げた。その鉄骨を落とすだけで、俺を殺せるだろう。
「いやいや、お気遣いなく。こういう仕事は専門職に任せるのがベストです。ささ、そんなものはお下げになって、夜道は危のうございます、気をつけてお帰りになってください」
とにかく帰すのに必死だった。彼女の身体に触れはしなかったが、背中を押すようにして彼女を現場から押し出そうとした。目の前に少女の細いが豊かな身体が見えたが、それを凝視する精神的余裕はなかった。
「そ、そうですか?後始末だけ押し付けるようで心苦しいのですが」
「適材適所でございます。ここはわたくしの仕事場ですから!」
「それじゃあ…お願いします!」
振り返った少女の顔が、俺の目の前にあった。長いまつげと輝く瞳が、純粋な喜びを表していて、俺の胸にチクリとなにかが刺さった。
飛び立った少女が闇夜に消えたのを確認した後、俺は猛烈に修復作業を再開した。
とにかくここからいち早く去らねばならない。
とにかくここをいち早く修復しなければならない。
そのためには、この能力の由来など考えずにいきなり百%の力を発揮しなければいけなかった。
いくつもの破片が宙に舞い、接続される。それらが次々と発射され屋根を再生していく。潰れた座席たちも、芽が出るように再生していく。とにかく必死だった。この夢の現実から抜け出すためには、この場を治して、帰宅して、再び布団に潜り込むしかないからだ。
全てが治った時には、陽の光が東の空から差し込まれ始めていた。
建物の形は、完全に戻っていた。建物の強度もおそらく戻っているだろう。機能は?様々な電気回線や機械部品は正常に戻ったのか?それは知らない。後で本職が検査してくれるだろう。
俺は早朝の競馬場を抜け出して、人気のまったくない道を走った。
携帯を見ると時刻は朝の六時少し前。世間が起き出す前に仕事を終わらせていた。
現場から逃げ去るように逃亡した俺は、息を切らせて自宅そばまで戻った。
これで自分の罪は消えた。あの夢は終わったのだ。布団に潜り込めば、そこで日常に帰れる。
そんな安心感を感じていた時
「おはようございます!」
突然挨拶されて驚いた。自宅のアパートの直前のことだった。
「あ、ああ、おはよう」
昨日出会った女子校生が、部活だろうか、こんな早朝に制服姿で彼女の自宅前、つまり俺のアパートのすぐ隣に立って挨拶してきた。
犯行現場から逃げてきた犯人気分であった俺としては、突然の挨拶に驚いたが、近所に住んでいる美少女からの挨拶チャンスを無下にはできなかった。
「早いですね」
「おじさんも朝、早いんですね」
彼女は、なにがうれしいのかニッコニコな顔で話している。中年男性と出会って嬉しいことなど何もないはずだから、きっと毎日が楽しいのだろう。
「まあ、仕事の関係でね…ちょっと忙しくて」
俺は今日一日でつきなれてしまった嘘をまた言ってしまった。
突然少女は、俺の汚れた両手を、その白く透き通った両手で握って顔の前に持ち上げて、さらに強く握ったあとで
「お疲れさまでした!」
と思いっきりの笑顔で言ってくれた。
「は、はあぁ…?」
女の子に両手を握りしめられたのはいついらいだろうか。俺は自分の過去の記憶を探ったが、いくら探しても見つからない。出てくるのは、コンビニのバイトの女の子ばかり。検索スピードは光速を超え、はるか恐竜時代にまで遡ったが、そこにも女子との記憶は存在しなかった。
完全に呆けてしまった俺を置いて、彼女は自宅に戻っていった。玄関から可愛く手を振った後で家に入った。
俺は壊れたロボットがその最後の力を振りしぼったかのように手を振った後で、壊れたまま自分の部屋へと帰っていった。
部屋を出た時の罪悪感は軽減されたが、
謎の修復能力
謎の夢の少女
謎の証拠隠滅作業
謎の機嫌の超いい女子校生と、
多くの謎に脳がオーバーフローを起こし他状態で、敷いたままの布団に倒れ込んだ。
なにはともあれゴールできたのだ。
手は洗わなかった。明日も、きっと洗わないだろう。