第一話 「キミは魔法少女に狙われている」 開始
俺は夢の中で魔物になっていた。
本来なら巨大であるはずの建物が俺の胸あたりの高さのミニチュアになってる。これは俺が住んでいる街にある競馬場の建物だろうか?競馬はやらないが、その建物の事は俺も知っていた。
夢である、と思ったのは深夜だったからだ。明かりのない競馬場には客の一人もいなかった。その暗闇に包まれた競馬場にぽつんと巨大な魔物が立っている。
それが夢でなかろうはずがない。
広大なはずのレース場が俺には手狭な公園に見えた。
俺は目の前にある観客席の張り出した屋根を壊そうと手を振っていた。
その手もでかい、しかし遅い。この遅さも身体が巨大な証拠だ。ゆっくりと振った腕が長大な張り出し屋根の板を粉々に砕くが、鉄骨が思いのほか硬かった。たわんで腕の勢いを受け止めた。
でかい体をした割に破壊力がない。少しイラッとした。夢ならもっと豪快に破壊してもいいはずだ。だがその鉄骨も設計強度を遥かに超える圧力にさらされ、プラスチックの建物のようにバキバキと折れた。屋根の塊が落下し野外スタンド席を押しつぶした。巨大な破壊の力をふるった俺が思ったことは、
「悪いことしちゃったな」
という夢の中でのおぼろげな罪悪感であった。
身体が重い。ブヨブヨとしたゼリーの中に浮いているようだ。脳の遥か下にある手足とつながっている神経も細くて長い。命令しても反応までに時間がかかる。それでも、心のなかに次の弾丸が装填される。それが脳の銃身から手足に向かって発射された。
「破壊願望」という弾丸だ。
人間サイズの小さい脳から発射された命令弾がブヨブヨとした巨大な手足を再び動かす。
トラックよりも巨大な腕で、屋根をもう少し欠けさせようと振り下ろした時、空から撃ち降ろされた光によって俺の片腕が吹き飛んだ。
腕が吹き飛ばされた痛みの信号が、巨体の貧弱な神経ラインに乗って脳である俺のところに返ってきた。それは電撃のような爆発的な痛みではなく、身長以上の津波に押し流されるような、長く続く痛みと混乱だった。
痛みの信号に散々転がされた後、ようやく俺は眼を光線の発射方向に向けることが出来た。
空だ、自分の身長よりも上、建物の遥か上空に、少女が浮かんでいた。
闇夜に浮かび上がるその姿は神々しかった。まとう衣装の布地は少なく、ほとんど全裸と言っていい状態で、とても公共の場にいることが許されないような破廉恥な姿である。その布もまた薄く、全てが透けて見えそうだが、
それでも神々しかった。
腰まで届きそうな長い黒髪が風になびいて輝く。白い肌も豊かすぎる胸も丸出しの下腹部も自ら発光しているかのように夜空に輝いていた。その顔は戦闘用と思われるマスクに覆われていたが、こちらを睨みつける乙女の両目の形と艶から、その口元の美しさは容易に想像できた。
「ああ、ここが夢の終わりか」
俺はその美しい天使か天女かの登場によって、夢の一幕の終わりを悟った。
俺の巨体はその輝きに吸い寄せられる蛾のように、天の彼女に向かって進み、届かぬ腕を不細工に伸ばし、分不相応な攻撃を開始しようとした。
彼女がその手に持った槍を空に掲げると、光のエネルギーがその穂先に集まった。その光による確かな死を求めるかのように、俺はさらに彼女に吸い寄せられる。
少女が槍をこちらに向け、叫ぶ。
その瞬間、視界全てに光が…
目が覚めた時、これが俺の特車な性癖か、何かしらの願望の発露でないことを祈った。
「なんつー夢見てんだ」
そのまま布団で寝返りをうった。
俺は魔物でもなければ、巨体でもない。ここは夢ではなく現実の自分の部屋。冴えない中年男が住む、たった一人の居城、たった一人の寝床だ。
「別に俺、競馬場を壊す恨みもないし…」
そもそも競馬に関心がない。なぜあんな破壊活動を行ったのか。
夢なんてものは、起きた瞬間から記憶の崩壊が始まるはずなのだが、今見た夢は細部までまだディティールを保っていた。それは建物の破壊の様子から、彼女の細く長く白い足のラインまでくっきりと覚えていた。
「・・・・」
俺は静かに布団に潜り、二度寝してあの半裸の少女との夢の再会を期待したのだが、外がやけにうるさかった。
窓の外から聞こえてくるのは、遠くを走るパトカーや消防車のサイレン音、そして多数のヘリコプターの羽音。
うるさくて眠れそうにない。
目覚まし時計を見るとすでに十時過ぎ。フリーランスとしてものんきに二度寝していい時間ではなかった。再会を諦めて起き出し、強い日光を浴びて脳を目覚めさせようとカーテンを開けた。
窓の外、かなり離れた場所、あれは競馬場のあたりだろうか?
そこから黒煙が空にたなびき、多数のサイレンがそちらの方向から遠く鳴り響き、その上空をマスコミのヘリが多数飛んでいた。
慌ててテレビをつけると、わが街の競馬場の建物が「何者かによって」破壊されたというニュースが流れていた。
俺には、身に覚えがあった。
いや、その夢に覚えがあった。