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人間をやめよう(1)


シガーさんが帰った後、俺は浴槽にたっぷりと湯を張って、そこに体を沈めた。

今の気分は癒されたい、桃の香りの乳白色な入浴剤に癒してもらおう。

ただじっと体を温め、自分にまとわりついた様々な嫌なことが洗い流されてしまうに願った。


(何でこんなことに……嘘じゃないのか……)


同じことを何度も何度も自問している。

こうしていると、いつもの日常にしか感じられないのに……。

おもむろに腹の肉をつまむ。

俺は結構筋肉質だと思うが、それでも随分とお腹が成長してしまった。

学生の頃は、鍛えていた方がモテると思っていて、一時は100kg以上のベンチプレスも上げていたことだってある。

全然モテなかったけれど……。

あの頃なら、こんなサバイバルじみた状況に陥っても逞しく戦えたのかもしれない。

今は、体も、なにより心も、状況に立ち向かっていくなんてとても無理だと思ってしまう。

30代も過ぎて、仕事が忙しくて、モテることなんて考えなくなって……、それから何故かモテだしたんだよな……。

お金があって、がっついてなくて、経験もあって、落ち着いている、そんな『おじさん』という生き物がモテると解った頃には、体力も気力も衰え始めていた。

そして次第に、女の強い欲望や下心に気持ちが悪くなってしまった。逆にモテることが煩わしくなった。

自分が、女を気持ちよくする道具にされている気がしてしまったから……。


俺は丁寧に頭を剃って、とてもゆっくりと体を洗った。


目が覚めたのは、日付が変わったばかりの0時13分。

なんだかとても悲しい夢をみていた気がする。

大切な何かを失って泣いているような、そんな夢。


20代も終わるころ、友達が自殺した。

それまで、祖父祖母や同級生が死んだことはあったけど、それほど悲しんだ覚えはなかった。そんなものだと思っていた。

なのに、高校時代からずっと友達だった奴が死んだとき、身を切られるような辛さに、大分長く苦しんだ。

記憶の中に、自分が生きていた過去の中に、彼はたくさんいて、その過去が俺を形作り、存在させていた。

まるで、自分の一部が一緒に死んでしまったようで、『あいつがいることで、俺はできていたんだ』と強く感じた。

その時のような気持ち、失った悲しみが胸に満たされている。


乾いた体を潤したくて、冷蔵庫までのろのろと歩き、お茶を取り出すと息が苦しくなるまで喉を鳴らし続けた。

すぐに葉巻に火をつけて煙を吸い込む。

いつものように楽しめなくて、ただ救いを求めるような気持ちで葉巻を吸った。


だんだんと意識がはっきりしてきて、悲しみが、まるでなかったかのように溶けていった。

しばらくして、俺は玄関に向かう。


(戻ってないだろうか……)


一縷の望みを持って、玄関のドアを開けると――そこには男がいた。

暗闇に半分体を隠しながら、膝を抱えて体育座りをしながら……。


「え!? えっと……シガーさん? なにやってんの?」


思わず素で話してしまったよ。

素敵紳士が体育座りしてる……。


そこから、俺達はまたお話会を始めることとなった。


結論から言えば、シガーさんは当面うちで一緒に暮らすことになった。

別におかしな関係になったわけでは決してないっ。

シガーさんは帰った時からずっと玄関前にいたらしく、めちゃめちゃびっくりしたけど、よくよく事情を聞いてみれば彼に帰るような場所はなく、食べるものも何もないということだった。


なんか気づかなかったことを申し訳なく思いながら、俺はシガーさんに部屋とベッドを提供した。

リビングとそこに隣接する寝室は俺が使っているので、もう一つの7畳間にお泊り頂こう。

ベッドは、友達が遊びに来た時用の、電気式エアベッドを使ってもらう。

2万円くらいで通販で買ったやつだけれど、普段は小さくして押し入れに仕舞っておけるから重宝する。


ちなみに俺のベッドは、当然自分の自作だ。

俺は185cmとそこそこ身長が高い。

だから普通の市販品マットレス長さ200cmでは、足がよく布団にかぶらなくて寒かったりする。

幅も、シングルやセミダブルくらいでは腕が落ちたりして痛いんだ。

だから、7畳間いっぱいを使って、幅210cm、ながさ230cmのベッドを作りあげた。

そこに幅100cmのシングルマットレスと、幅120cmのセミダブルマットレスを横にして設置している。

つまり、マットレスが長さ220cm横幅200cmになるということだ。

ちょっと台が広いのは、そこにマットレスがずれないようスペーサーをつけているから。

枕元にも薄い棚を作っていて、そこに時計とテッシュを置いている。

シーツとか洗うのは面倒なんだけれど、広々ベッドは俺の安らぎの場所だ。


寝室は、ほとんどベッドで埋まっているのだけれど、余ったスペースにはちょうどいい自作の机とデスクトップが置いてある。

机も、自分に合わせて高さ80cmで作ってあって、会社のデスクなんかよりずっと使いやすくなっている。


シガーさんの使う部屋には、DIY用の作業台とか色々な工具とか余った建材とかが押し込まれて、倉庫みたいになっているので申し訳ないのだけれど、そこは我慢してもらうしかない。

素敵紳士には似合わないので、いずれ片付けられたらと思ってはいるのだけれど……。


電気、ガス、水道といったライフラインが無事なのはありがたいけれど、この先心配なのが食料と葉巻だった。

地球に戻れないと言われたけれど、じゃあ死のう、とか短絡的にものを考えられないし、勇気もない。

それに、シガーさんという頼もしい友人ができそうだし、ダンジョンの中や、円柱と言われた世界も知りたいと思ってしまった。

シガーさんとの会話の中で、今後の食料の話になったとき、彼はこう言った。


「私の食料に関しましては、味を楽しむ程度の少量でも問題ありません。私の体内には、リサイクル機関――簡単に言えば『宇宙』ですね、それがあります。全てを純粋なエーテルに戻し循環させることができますので、とても効率が良くなっております。マスターの食料に関しましては、ダンジョン中心に流れているエーテルから創り出すことができるかと思われます。また、私と同様にマスターの体を改変いたしますと、排泄物を出さずに効率よくエネルギーを循環させることができるかと思います」


シガーさんは素敵紳士だ。素敵紳士なのだが、時々変なことを言う。

つまり、変なおじさんだ。

とても良い人なのだけれど、一気に難しくて理解できないことが押し寄せてくるから、俺はとりあえず葉巻を吸う。

そうするとシガーさんも葉巻を吸って、俺達はしばし沈黙のおじさん達になる。

色んなことを消化するには、時間が必要なのだ。



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