1日目(5)
彼にシガーカッターとガスライターを渡して、テーブルに灰皿を置く。
彼は慣れた手つきで葉巻をカットすると、ゆっくりとその先を炙ってを炭化させた。
俺も自分の葉巻を準備していく。
そして、ようやく葉巻を口に加えた俺達は、二人で紫煙をくゆらせる。
(彼は愛煙家なのかな……慣れているなぁ……)
彼はとても美味そうに煙を味わっている。
とっておきを出して本当に良かった。
(こんな状況に陥っても、おじさん二人が黙って葉巻を吸ってるとか……困ったもんだ。おじさんて、なんかシュールな生き物なんだよなぁ……)
俺が少し苦笑すると、彼は申し訳なさそうに言った。
「いや、すみません。夢中になってしまいました。しかしこれはなるほど、確かに素晴らしいですね。マスターが好む煙を吸うという行為が、どんなものかと興味があったのです。苦みや辛み、スパイシーな風味の中に芳醇な甘みと香りが混じり、鼻腔を擽る。嗜むのも当然かと理解いたしました」
「楽しんで頂けているようで嬉しいですが……その……マスターとは?」
「もちろんあなたのことです。私はあなたの願望をもとに創られましたので、敬愛を込めた意味でマスターとお呼びしました。しかしながらこのダンジョンにおいては、所有者となれる知性体はあなたしかおりませんので、そういった意味でもここの管理者――マスターという呼び名は相応しいかと思われます」
彼にはふざけてる雰囲気は一切感じられなかった。
ちょっと気になったことを質問しただけなのに、とても頭の痛くなる何かを説明されてしまった。
俺は彼の主……なの? ここはダンジョン……そして俺、ダンジョンマスター就任……。
お母さん、ごめんなさい。今週末実家に帰ると言っていたけれど帰れないかもしれません……。ごめんなさい……。
最近歳をとって、少し不自由する母を思い出して悲しくなった。
若い頃は、『親の面倒なんて絶対見たくないっ、自分達で準備しておきなよ』なんて言っていたけれど、最近は親とともに自分も弱っていくような感覚がする。
感謝や罪悪感や複雑な感情が混じり合って、どんどん、どんどん心に降り積もっていって、親のことを放って置けない気持ちが強くなる……。
人間は必ず、人生に一度産まれて一度死ぬ。
ずっと生きていたら死ねないから、『死ぬという経験』ができないから、死に向かって生きるのかもしれない。
生きてる人はみんな死んだことがない。もしかしたらあるかもしれないけど覚えていない。
だからみんな、産まれた時から毎日死に向かって歩いていく。
悲しい……。
だからせめて、母親が人生を終えるまで、俺はトラブルなく傍で生きていてあげたい、そう、この頃思うようになったんだ。
老いるってさ……、嫌だよね……。
辛い思いをするために生まれるなら、最初から生まれなければいいのに……。
死ななければいけないなら……人間なんて最初からいなければいいのに……。
困った。俺はどうやら疲れているらしい。
彼の話は全然理解が追い付かないけれど、玄関を開けた時からなんとなく、パラレルワールド的な不思議が起こっている気はしていた。
以前、上司が飲み会で話していたんだ。
ホテルのエレベーターを降りたら、真っ暗な階層で表示も何もなく、怖くなってすぐ1階に戻ってスタッフを連れて再びエレベーターに乗って探したけれど、もうその暗闇階層は見つけることができなかった――みたいな話。
あの話を聞いてから、エレベーターに乗る度に異世界な階層が来るんじゃないかと、身構えるようになったんだ。
「あの……ここはダンジョンなんですか?」
「はい」
「あー……その……どこら辺にあるダンジョンなんですか?」
「この場所を特定する基準がありません。簡単に申し上げるならば、無限に続く円柱が立ち並ぶ世界の、とある隙間だということです」
「……そんなことってあるんですか……?」
「あるんです」
俺は葉巻の煙を鼻腔に通して、その香りを味わう。あー……葉巻美味しい。
ドライシガーは太いから、長く楽しめるし味が濃くてまろやかで……良いなぁ……。
「……」
「……」
カラランッと、彼が紅茶を飲むに合わせて氷が小気味良い音を立てる。
言葉を失くした俺に、彼は優しく丁寧に語り掛けてくれる。
「本来、世界とは円柱の中に存在します。このグラスの内側のようなものですね」
そう言って、彼はグラスを翳して見せる。
「円柱は無数に存在し、その内側の世界も様々ですが、円柱同士は綺麗に並びあっています」
彼はコースターを避けてグラスを置くと、それをゆっくりと前後左右に移動して見せる。
「これを上から眺めますと、4つの円柱が囲む間には星形の隙間ができている訳ですが、このダンジョンは、そこに存在しているというわけです」
「……とすると……、元々円柱の中にあった宇宙から、何かの原因でこの部屋は……外側に弾き出されたということですか?」
「いえ、それは違います。マスターのいた宇宙というものは、解りやすく例えますと『ごみ袋』です。それも自動焼却機能付きごみ袋ですね。このごみ袋――宇宙も無数に存在するわけですが、マスターの廃棄されていたごみ袋に何らかの意図が介入したようです。本来ならば、時間とともにマスターもその存在は分解され、純粋なエーテルになって、また世界の隙間に循環されるはずでした。しかしながら、マスターはアストラルボディをそのままにここに至っております」
ごみ袋かぁ……俺の生きてた宇宙……ごみ袋なんだって……。
俺なりに一生懸命生きてきたんだけども……。
でも宇宙というごみ袋から出ちゃったんだよね……? 何かの間違いで捨てたられたから取り出されたのかな?
あ……! 生ごみとプラスチックごみの分別を間違えちゃった的なあれかなぁ……。
悲しい……、俺……ごみみたいな人間だもんね……。
「ごみ袋と円柱は違うものなんですか?」
「はい」
「……えっと……それで大丈夫な感じなんでしょうか?」
もう何を聞いたらいいかもわかりません。
大丈夫って、いったい何が大丈夫なのか……。
「見つかれば再び廃棄処分の対象になる確率は高いと思われます。しかし再び廃棄されたからといって、まず地球に戻ることは叶わないでしょう。ごみ袋は無数にありますし、ひとつのごみ袋の中でさえ、こびり付いて存在をわずかに続けさせる地球のような場所を見つけるのは容易ではありません。ここでこれからどのようにしていくのか、それを考えるのが建設的かと思われます」
ほんの数話にもかかわらず、ここまで読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。
ブックマーク、評価してくださった方々、本当にありがとうございます。
もう少し書いていこうと思えました。ありがとうございます。
何百話、何百万文字と連載されている作家さんを本当に尊敬いたします。
たったここまでで、主人公は疲れて、作者も疲れて。
ゆっくりとではありますが書いていこうと思います。今後ともお付き合いいただければ幸いでございます。