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最終話 新世界樹




「…………んぅ」



 雲海か、処女雪の上か。


 目眩のするような白い世界で、目を覚ました。



「ここは……? 私は一体……」



 桃色の髪が、はらりと肩から落ちる。


 毛先のくすぐったさに驚き、身体を見下ろせば、白い双丘と、桜色の頂点。ふるりと揺れるその胸を咄嗟に腕で隠して、辺りを見渡した。



「な、何で裸なのかしら。というか、ここはどこなの?」

「──処女だけの世界」



 突然、背後から声。


 肩を跳ねさせて振り向いた女。


 恐る恐る、言葉を紡いだ。



「あなたは、誰?」

「僕はシェル──いや、この名前を使う必要も、もうないのか」



 少し寂しそうに笑った紫紺の美青年は、座り込んだ女を横切って歩く。



「僕は『あすく』。よろしくね、サキュバスちゃん」

「は、はぁ」



 『あすく』は純白の世界を進む。何となく、サキュバスはその背中を追いかけた。


 やがて、『あすく』が足を止めた。チラリと視線で促され、サキュバスはその足下を見やる。



「こ、これは……芽?」



 そこにあったのは、小さな芽。今にも風に飛ばされそうな、弱々しい命の始まり。


 しかしなぜか、それを何よりも愛おしく感じた。



「これは、新しい世界樹。この新世界を作り出した張本人でもあるんだけど……」

「な、何の話をしているの?」

「これから少しずつ、この世界は色を取り戻し、風に吹かれ、土を踏んで、波に溺れる。今はまだ真っ白で、生き物もサキュバスちゃんしかいないけど」

「ご、ごめんなさい。よくわからなくて……」

「とりあえず、君はこの芽を育てて欲しい」



 『あすく』はしゃがみ込み、可笑しそうに芽を眺めている。


 サキュバスも膝を突いた……まるで吸い込まれるように。



「まぁ僕が頼まなくても、君はこれを育てることになってる。そういう風に作られてるからね」

「なぜか、とても愛着を感じます」

「ピカロは、処女だけの世界を作り、そして全員が自分に惚れるというハーレムを“願った”。例に漏れず君も、勝手にピカロを好きになる」

「ピカロ……?」

「まぁ、チュートリアルはここまで。後は君たちの世界だ──君たちだけの物語。僕はもう、関与できない」



 『あすく』はそう言うと、おもむろに立ち上がる。


 軽く手を振って、来た道を戻っていく。



「じゃあ、とりあえずその芽におしっこでもかけといて。そしたら元気に育つでしょ」

「え、あの、ちょっと!」

「ピカロをよろしくね。僕の大切な友達だから」



 気がつけば、『あすく』の姿はなく、サキュバスの記憶からも消えていた。


 目の前には、若い芽が1つ。


 サキュバスはそれを愛おしそうに両手で包み込み、優しく口づけをした。




────✳︎────✳︎────




 数年後。場所は、世界樹の丘。


 緑に満ちた世界の風が、サキュバスの背中を押す。


 見下ろす街並みからは、いつもの喧騒。活気ある女性たちの楽しげな声が溢れていた。


 風が吹き、水が流れ、炎が燃えるこの世界には、女性しかいない。そのことを誰も不思議にも思わない、平和な世界。


 しかし誰もが、この世界には神がいるのだと──慕うべき殿方が1人だけいるのだと、魂に刻まれていた。


 ──数奇な運命か、必然か。


 1日1回行われる、世界樹への水やり──というか世界樹への放尿の、今日の当番は、桃色の髪をしたサキュバスだった。


 この世界の始まりである、最初の処女。


 草木生い茂る丘の上、世界を見下ろす巨大な世界樹の根本に立ち、サキュバスは下着を脱いだ。



「さて、世界樹様に聖水をあげなきゃ」



 川のせせらぎや、小鳥のさえずり。


 朗らかな陽気を浴びて、世界樹はしゃがみ込むサキュバスを見下ろす。


 暖かい聖水を、全身で吸い込んで、そして。



「──え?」



 ほんの一瞬。閉じた目蓋を開けるとそこには、1人の男が座っていた。


 丘の上にあった世界樹は姿を消し、世界樹があったはずの場所に座る男。


 サキュバスはすぐに察した──この男こそ、この世界が待ちわびた神であると。


 聖水を頭から被り、びしょ濡れの金髪チビデブは、頬を伝う聖水をペロリと舐めとって笑った。



「ふふ、確かに第一話にて、尿で滝修行がしたいとは言ったけど……こんなにも早くその願いが叶うとは」

「あ、あの……!」

「やぁ、久しぶり。ようやく会えたね、サキュバス」



 ゆっくり立ち上がる男。


 その男が全裸なことにさえ、サキュバスは気がつかない──ただ本能の奥底に刻まれた忠誠心が、眼前の神を輝かしく見せる。



「……もう、出会う女性たちに、いちいち“君は処女か?” と訊かなくていいんだよな。だってここは、処女しかいない世界なのだから」



 ──彼が作り出したのは、処女のハーレム。


 サキュバスも、メイドのアンシーも、イデア・フィルマーも、テテ・ロールアインも、ミューラ・クラシュも、シルベル・アンミッチも、ノアライエ・アルドレイドも、ノチノチ・ウラギルも。


 全て、処女として存在する世界。


 かつての世界にいた女性たちを、記憶を消去してからこの世界に作り出し、そして自分だけを愛するようプログラムしたのだ。


 記憶がないのなら、それは処女である。


 処女とは、肉体ではなく精神で語るべきだ。


 例えば寝ている間に犯されて、目が覚めてもそれに気がつかなかった女性を、非処女扱いするのはあまりに残酷。


 一部の童貞が非処女を嫌うのは、過去の男と比べられるのが嫌だからだ。過去の性体験と比較されるのが、苦痛だからだ。


 つまり記憶さえなければ、女は処女である。


 目の前のサキュバスでさえ──




「さて、ようやく目を覚ましたところで早速だが、サキュバスよ」

「は、はい!」

「──セックス、しようか」



 強制的に自分を好きになる女だらけのこの世界で、ハーレムの王となることは確定しているのだけれど。


 やはり初めては、この女だと決めていた。


 この女に会うために、この女とセックスするために、世界を一つ作ったのだから。



「喜んで」



 サキュバスは歓喜の笑みを浮かべる。


 よくわからないが、この時のために自分は生まれたのだと、脳が理解していた。


 全裸の男と向い合い、サキュバスも服を脱ぐ。



「あの、1つだけ訊いてもよろしいですか?」

「なんだ?」



 一矢纏わぬ姿となった2人。


 陽光を浴びて、涼やかな風に撫でられる穏やかな丘の上。


 サキュバスは、男の手を握る。



「お名前を、教えてください。愛を込めて、呼ばせてください」



 潤んだ瞳。朱色の頬。風に震える長い睫毛まつげが、桃色の瞳を切り取って隠す。


 極上の上目遣いに唾を飲んだ男は、サキュバスの腰に手を回した。



「私の名は、ピカ──」



 ──いや、待てよ。


 男は言いかけて口を閉ざす。焦らされて身体をくねらせるサキュバスの肌を撫でながら、思考を巡らせた。


 この世界に男は1人しかいない。


 誰とも比べられず、誰にも劣らない。


 つまり、“男性”の象徴であり、“男性”という概念そのものなのだ。彼以外に、この世界で男性的要素を持つものは存在しないのだ。


 ならば、それならば。


 “男性”と呼ばれてもいいのではないか? 唯一の性差を強調するために、わざわざ個人名をつけることなく、男であることを誇ればいいのでは?


 そう、この世界は真のハーレム。


 1人の男と、無数の女。


 ならば呼ばせよう──男性の“象徴”として。


 “ここ”から始まり、“ここ”で終わる。


 物語のキーワードは、いつだって同じだった。


 男はサキュバスから手を離し、一歩下がる。丘の上で、胸を張る。


 この世界中の女に届くように、大きな声で、誇りを持って、愛を込めて。



「私の名は──」



 感謝を込めて。










「ちんぽ」










 これにて完結です。ありがとうございました。


 あなたの日常に溢れる笑顔を少しでも増やせたのなら、幸いです。


 本当に、ありがとうございました。


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