第八十一話 故郷凱旋
激変した街並み。
栄華を極めた王都の煌めきは、思い出の中に沈むのみ。取り返しのつかない現状に肩を落とす。
「空から見下ろした時に、様子がおかしいとは思ったけど……」
「お、おいシェルム」
「どうした」
「王都には……もう誰もいないんだよな?」
寂しげな背中を、シェルムが叩く。現状がどれだけ絶望的でも、解決策を見出すには前を向くしかないのだ。
ふらり、と危うく倒れかけたピカロが、シェルムの腕を掴む。
「急ぐぞ」
「な、何を?」
「今から、一人暮らしをしていた女の家を全部回って、便座をベロベロ舐める!」
「無理だ! よせ!」
「女が使ってた箸を、尿道に突き刺してくる!」
「死ぬぞ!」
「ちょっとあんたたち! ふざけてる場合じゃないわよ!」
ノッチの焦りを孕んだ声音に、2人は振り向く。
3人の視線の先、建物の瓦礫の影で、何かが動いた。
「まだ……誰かいるわ」
「みたいだな。敵か?」
「さぁね。僕らの味方か……この大惨事の犯人か」
遠くから3人を眺めていた人影は、恐る恐る近づいてきて、ついに物陰から身体を出した。
そして全速力で駆けてくる。
「おーい! ピカロ・ミストハルト! 血飛沫崎首斬丸!」
「お、お前は──」
満面の笑みで駆けてきた男は、何の迷いもなく──ノッチに飛びかかった。
ボロボロのズボン……その股間部分が膨らんでいる。
「──剣道極!」
「女だぁ!」
「きゃあ!」
可憐に悲鳴を上げたノッチの右ストレートを喰らい、地に伏す男──剣道極は、嬉しそうに3人を見上げる。
「お、お前ら生きていたのか!」
「剣道極……これは一体どういう状況だ?」
「そんなことより、この絶世の美女は誰だ!? 俺の嫁か?」
「私の嫁だ!」
「嘘つきは首を締めて殺す!」
「やってみろモブキャラ!」
「おい遊ぶな2人とも」
「止めてくれるな! 血飛沫崎首斬丸!」
「シェルム・リューグナーです殺すぞ」
「馬鹿男3人黙れ!」
ノッチに拳骨を貰い、仲良く正座する男3人。
大きなため息の後、ノッチが剣道極に視線を移した。
「とりあえず、この国の現状を報告しなさい」
「ど、どこから説明したものか……」
命からがら生き延びた、とでも言わんばかりのボロボロの姿。
何があってこうなったのかを、上手く説明するために頭を悩ませる剣道極に、ノッチが助け舟を出す。
「じゃあ、あたし様たちが質問するから、それにだけ答える形でいいわ」
「わ、わかった!」
「まず、王都にいた国民はどうなったの?」
「王国民は、逃げた……北のネーヴェ王国に」
「逃げた……何から?」
「真魔王軍だ」
ピカロたちは思わず顔を見合わせる。
真魔王軍といえば、魔王デスファリアの政策に馴染めなかった戦闘狂の集まりで、人間界に攻め込んできた少数精鋭の軍隊。
彼らとの5日間に及ぶ戦争の末に、人類4大国は勝利し、ピカロとシェルムは魔界送りの刑に処された。
ピカロとシェルムが魔界送りにされたのは、およそ1週間前。つまり1週間前には既に戦争は終わっていて、真魔王軍は撤退したはずだ。
「……真魔王軍は、リーダーである真魔王ディーが、ジンラ大帝国のガイ王子によって討伐されたから、全軍撤退したはずでしょう?」
「俺もその情報を信じてた! 実際つい一昨日までは戦勝ムードに世界は酔いしれていて、平和な日常に戻りかけていたんだ」
「じゃあ、真魔王ディーを失った真魔王軍が、再び攻めてきたってこと?」
「いや……真魔王ディーは、死んでいない」
──死んでいない。
聖剣アルドレイドを手にした伝説の勇者、ガイジングス・リアレ・ジンラード第一王子の活躍により、真魔王ディーは死んだのだと、世界は信じていた。
無論、真魔王の死を目撃したわけではないが、実際に真魔王軍は撤退したのだ。
伝説の勇者たちに対する希望と、真魔王軍撤退の事実が、真魔王ディーの死を真実にしたはずだった。
しかし生きているとなれば、それは人類と真魔王軍との戦いを根本から覆すことになる。
「ちょっと、それについては後回しにするわ。順番に、一つずつ質問するわね。王都がボロボロなのも、真魔王軍がここまで攻めてきたからという認識でいいかしら?」
「それも……正確には違うんだけど」
「じゃあ正確に教えてちょうだい」
「実際に、王都を壊して、国民を沢山殺したのは、ジンラ大帝国の帝国民だった」
「……魔族じゃないのね」
「魔族もいたさ。じゃなきゃ建物を壊すなんて人間には無理だ……帝国民は、魔族と共にアルド王国に侵攻してきた」
「帝国民がそんな暴挙に及んだ理由は?」
「わからない。ただ……正気を失っているように見えた。それこそ、まるで魔族みたいだったよ。言葉も通じなければ、反撃されても痛いとすら言わない。腕が千切れても構わずに襲ってきたんだ」
どうやら、姿は帝国民でも、中身は善良な人間ではなかったらしい。
暴徒と化した、と言っても、痛みすら感じないのは常軌を逸している──十中八九、魔法により操られていると考えるべきだ。
そうでもなければ、魔族との戦争中に、人間が人間を殺そうとはしない。
「なるほど。王都の現状については理解したわ。じゃあ、真魔王ディーについて聞かせて。なぜ、生きているとわかったの?」
「帝国民を従えた真魔王軍が、アルド王国を蹂躙して行って、生き延びるために国民たちはネーヴェ王国へと逃げたけど……俺は逃げなかった。まぁ逃げ遅れただけなんだが、とにかく王都の瓦礫の中に隠れて外の様子を見てたんだ」
「そしたら、真魔王ディーが現れた?」
「いや……そうじゃない。大勢の魔族たちに真魔王様と呼ばれていたのは──人間だった」
「人間?」
「ガイ王子、だった」
赤髪の悪童。ジンラ大帝国が産んだ自尊心の化け物は、伝説の勇者として人類の希望と見られていた。
それが、魔族だった?
そんなはずがないと、ピカロが反論に入る。
「聖剣アルドレイドは、魔族では触れることさえできないんだ。これは私が実証済み。そういう意味では、ガイ王子は人間だぞ」
「でも、本当にガイ王子が、魔族たちにもてはやされてて……真魔王ディーとも呼ばれていた」
「……身体を乗っ取られているのだと、考えるのが自然かしら」
「そんな魔法があるのか?」
「……あたし様は聞いたことないけど」
ちらりと、シェルムを見やる。
歩くイケメン知恵袋ことシェルムなら、何か知っていてもおかしくなさそうだ。そしてその期待に応えるように、シェルムは口を開く。
「精神を乗っ取る魔法というより……そもそも、“そういう種族”なのかも」
「“そういう種族”?」
「多分、他人に寄生して生きるタイプの魔族……そんな種族がいるって、本で読んだことがある」
「他人に寄生!? 虫みたいだな」
「だからこそ、真魔王ディーは、下級魔族のくせに強かったのかもしれない。強い肉体さえ手に入れればいいんだから」
「じゃあ、ガイ王子が倒したのは、その時のディーの肉体、器でしかなくて……」
「次はガイ王子の身体が寄生されたんだろうね」
精神はともかく、肉体は人間のものだ。
となれば、聖剣アルドレイドも問題なく振るうことができる。さらにはガイ王子のポテンシャル──並外れた身体能力と、神に選ばれし膨大な魔力量も、自由に使える。
寄生して生きる魔族……成り上がりにはぴったりの属性だ。
「で、あんたが隠れて覗いてたその真魔王たちは、今どこにいるの?」
「ネーヴェ王国へと逃げた人間を追いかけて行ったよ」
「……アルド王国の人々は、奇跡的にほとんどが逃げ切れた、という予測は楽観的かしら?」
「つい数時間前までは、王都は死体だらけ。魔族たちが死体をおやつ代わりに食べてたから、今は死体がないけど、俺が見ただけで数百人は死んでた」
「……そう」
見渡せば、乾いた血の池の数々。
それはこの場で行われた激戦の証であり、何よりも、それだけ人間の血が流れたことの証明。
急に大挙して押し寄せた真魔王軍と、乱心の帝国民──すぐに対応して逃走できる国民など、むしろ限られるはずだ。
「チラッと見たけど、聖剣アルドレイドを振り回すガイ王子──真魔王ディーは化け物だった。あの王国立騎士団団長ヴァーン・ブロッサムでさえ、防戦一方だったし」
「ヴァーンとか、スノウ学園長とか、カノン元帥とかは、生きてるのか?」
「あぁ。ピカロ・ミストハルト、お前の同級生……黄金世代だっけ? そいつらも一緒になって、国民たちの避難を助けてたよ」
「そうか……じゃあ知り合いはまだ生きてるかもな」
「まさか、向かうつもりなのか? ネーヴェ王国に」
「当たり前だ」
ピカロは立ち上がる。拳で胸を叩いて笑った。
「魔界も天界も制した──次は、人間界を私の手に収める」
「大きく出たな、ピカロ」
「シェルム、もちろんついて来るよな?」
「愚問だぜ」
実際には、慰安婦として真魔王軍にいるはずのサキュバスたちを追いかけたいだけなのだが。
いずれにせよ、そのついでに真魔王ディーを倒すのも悪くはない。ピカロの気分次第だ。
「じゃあもう行くけど、剣道極、お前はどうする?」
「俺はしばらくは1人で隠れつつ生きるさ。万が一、真魔王ディーを倒せたなら、もう一度アルド王国をやり直せると信じて」
「ん、じゃあ待ってろ。すぐに終わらせる──この大戦争を」
地を割る跳躍。
魔王の力も、神王の力も、『ミストハルトの戦士』の力も、ようやく身体に馴染んできた。
時は満ちたのだ──世界最強が、誰なのか証明する時が。
────✳︎────✳︎────
「本当に、この身体は素晴らしい」
赤髪の悪魔が笑う。
幼さを宿した悪人面──ガイ王子が聖剣を振るった。
「避けろ! ウサ王子!」
「言われなくても」
叫んだのはレイ王子──テイラス共和国の伝説の勇者、レイリアス・ゼン・レジェロイヒ。
身を翻して聖剣の猛威を回避するのは、ウサ王子──ネーヴェ王国のウサルバルド・シャンテ・ネヴェリオンだ。
「……ふッ!」
「小賢しいぞ、小娘」
ガイ王子……の身体を乗っ取った真魔王ディーの背後に、ぬるりと現れた影。
黒髪の美少女が、鋼の刀身を薙ぐ──しかし振り返りもしない真魔王ディーの剣に弾き返された。
地を蹴り距離を取るのは、ノア王子──アルド王国の伝説の勇者、ノアライエ・アルドレイド。
「伝説の勇者……所詮は名ばかりの英雄だと侮っていたが、このガイ王子とやらの身体は素晴らしい。こんな魔力に満ちた身体は、久々だ」
「僕はガイ王子が嫌いだったけど……魔族はもっと嫌いだ!」
翡翠の美少年が駆ける。
レイ王子が神速の剣撃を繰り出す。四方から襲うそれらを真魔王ディーはことごとく弾く。篠突く斬撃は止まらない。
側面から迫るウサ王子が、眠たげな眼を光らせる。冷気渦巻く氷の大槍を突き出した。
即座に飛び退った真魔王ディー。氷の大槍は地面に突き刺さり──次の瞬間、地を這う氷の波が、真魔王ディーを膝下まで凍らせる。
一瞬、動きが止まる。
背後にはノア王子。正面にレイ王子。研ぎ澄まされた殺意の板挟みに、真魔王ディーは口角を上げた。
「ぬるい」
バキッという、嫌な音。
伝説の勇者たち3人の目の前で、真魔王ディーの身体──つまりガイ王子の身体が、上半身の半ばから不自然に曲がった。
まるで無理やりへし折られたかのように、ガイ王子の上半身がくの字に曲がって、レイ王子の剣を避ける。
裂けた身体から血を吹き出しつつ、無茶な体勢から剣を突き出す真魔王ディー。
その剣先が、ノア王子の喉元に触れ──
「『断絶』!」
後方で魔力反応。
1ミリの隙間でさえ、彼の前では不可侵の空間──ノア王子の首筋と、迫る剣先との僅かな隙間に、白銀の大盾が現れた。
甲高い金属音。盾は、割れない。
「ありがとう、“西洋の守護神”」
「いえいえ」
軽く会釈をしたのは、レイナード・ガルシュバイツ──世界最高の防御魔法術師であり、テイラス共和国のレイ王子の護衛でもある、好青年。
こと防御に限って言うならば、この男の右に出る者は、魔界にも天界にも存在しないだろう。
「やはりあの盾の男が邪魔だな……“ここ”からも出られない」
メキメキ、と音を立ててガイ王子の身体を真っ直ぐに戻す真魔王ディー。
忌々しそうに見上げる先には、青空──ではなく、白銀の天井。
真魔王ディーと、レイ王子、ノア王子、ウサ王子、レイナードの5人は今、重なり合う大盾のドームの中にいた。
「物理結界魔法『盾の監獄』──この空間だけは、誰も侵せない」
内側からも、外側からも。無数の盾で構築されたドームを破ることは不可能。
完全に隔絶された空間──その中で、人類最高峰が、真魔王ディーと相対していた。
直後、ドームの天井に、何かが激突したような、大きな金属音が鳴り響く。
地面に薄いヒビが入るほどの衝撃。しかし、鉄壁のドームは何人も侵入を許さない。
「外にいる大量の上級魔族も、お前を助けには来れない。観念しろ、真魔王ディー」
「観念? 先ほどから圧倒されているのはお前たちだろう。こんな場所に閉じ込めたところで、皆殺しにすれば外には出られる」
──ガンガンッ!
会話の雰囲気も無視した打撃音が、天井を揺らす。
先ほどの衝撃が打ち付けられた場所だ。何者かが、ドームの上にいるらしい。
そしてその直後、けたたましい金属音を奏で、ドームの頂点が粉々に割れた。
「私のちんぽより硬いなコレ!」
5人が見上げる先──差し込む日を後光に、穴から覗き込むのは、金髪チビデブこと、ピカロ・ミストハルト。
真魔王ディーですら破れなかった鉄壁のドームを、素手で殴り割ったようだ。
「俺の『盾の監獄』がぁッ!?」
「ピカロお兄ちゃん!」
「ザンドル──いや、ピカロ・ミストハルト!」
「……誰?」
レイナード、ノア王子、レイ王子、ウサ王子が各々の反応を見せる。
真魔王ディーだけは、ピカロの発するただならぬ雰囲気に警戒を強めていた。
「ミストハルト……? そうか、前魔王オルファリアを殺した、あのニクス・ミストハルトの子供か?」
「おっす。お前が真魔王ディーか? 本当にガイ王子の身体なんだな」
言いながら、ピカロはドームの内側へと落ちてくる。
すぐさまレイナードは、天井に空いた穴を追加の盾で塞ぐ。少なくともピカロ以外は、出入りできなくなったはずだ。
パンパンと服に着いた砂を叩くピカロ──誰もが、その異様なオーラに息を呑んだ。
「あれ、ピカロお兄ちゃん……もしかしてだけど、また強くなった?」
「お、ノア王子久しぶり。強くなってるよ私は。最強ですとも」
「……さてピカロお兄ちゃん。もっとたくさんお話したいんだけど──」
「わかってる。ガイ王子に取り憑いた真魔王ディーを倒せばいいんだろ?」
「うん」
「ちなみに、今からでもガイ王子は救える?」
「いや、もう肉体は完全に死んでる、あまりにも無茶な使われ方をしたからね」
「じゃあ、ガイ王子ごとぶっ飛ばしていいのね」
「それができれば苦労しないんだけど」
「まぁ私ならできる」
ノア王子の黒髪を触りつつ、ピカロが振り返る。
視線の先には、睨み返してくる赤髪の悪魔──この場で誰よりも強かったからこそ、ピカロの異常さが誰よりも分かってしまう。
戦闘態勢に入る真魔王ディーに、ピカロは最も重要なことを尋ねた。
「おいディー! サキュバスたちはどこにいる?」
緊張の面持ちだったディーすらも、眉を潜める場違いな質問。
誰もが首を傾げる中、ディーは吐き捨てるように言った。
「サキュバスなら──全員死んだよ」




