第七十四話 義父矜恃
魔界最強の遊び人──『魔皇帝』アーバルデン・シンス・ザルガケイデン。
先々代魔王……つまりアーバルデンの父親が崩御した時点では、王位継承権1位、かつ実力も魔界の頂点という条件が整っていたのにも関わらず、妹のオルファリアに魔王の座を譲り、オルファリアの死後は息子のデスファリアに引き継がせた、という話は魔界でも有名だ。
アーバルデン自身、魔王になるのは面倒くさそうな上に退屈そうだから、と言っていた。
それなのに。
「……え、魔王、だったの?」
実質的には魔王みたいな存在だったアーバルデンが、かつて魔王だったとしても、そこまで驚きはしない。
とはいえ、それが本当なら、デスファリアは元魔王と前魔王の息子ということになる。ハイブリッド極まりない。
「私の父が死んだ時、王冠が勝手に飛んできて私の頭にすっぽり。その瞬間、私は『魔王の魂』に触れ、魔界の歴史を知り、そして魔王となりました」
「じゃ、じゃあアーバルデンは、天界に行くためのゲートの作り方を知ってるってことか?」
『魔王の魂』と呼ばれる歴代魔王の記憶。その中に、異界間移動魔法の秘密が隠されているとアーバルデンは言っていた。
だから、デスファリアと戦って魔王になることをピカロに提案したのだ。
しかし過去にアーバルデンが、その記憶に触れていたのなら──天界への行き方を知っているのなら、それを直接教えてくれればよかっただろうに。
「これが不思議なんですけど、魔王でなくなると、その途端に『魔王の魂』に関する情報を忘却してしまうんですよね。ですから、全く覚えてません」
「期待させやがって」
「ですが、思い出せないというだけであって、私の記憶の奥底には、『魔王の魂』で見た光景が──歴代魔王の記憶が、刻まれています。それを、外側からピカロ君が覗けば、実質的に『魔王の魂』に触れたのと同じでしょう?」
「アーバルデンの記憶を、覗く?」
「はい。今や肉体を失くし、自我だけが──言わば魂だけが現世に残っている私ですが……こうして会話ができていることから、記憶も残っていることが分かります」
「その記憶を、私が覗き見する……ど、どうやって?」
「もう、私の頭からガブっと食べちゃってください」
「嫌だよ気持ち悪い!」
「最後まで優しくないですね……」
「私がお前に優しくするわけないだろ」
ピカロの母親であるオルファリアをレイプしたのも、オルファリアが死ぬ原因を作ったのも、生前のニクスを散々苦しめたのも、アーバルデンだ。
最近は色々とお世話になってはいるが、ピカロにとっての良い人とは言えない。
恨んでいるわけではないが、積極的に親しくなる気もない。少なくとも、家族にとって悪人ならピカロにとっても悪人だ。
「……私はね、ピカロ君。ずっと迷っていたんです」
煙のように、フワフワと浮かぶアーバルデンは、今にも消えてしまいそうな半透明の身体を揺らす。
「オルファリアのことは、世界で最も愛していましたから、その子供であるピカロ君もまた、愛おしかったのです。しかし父親が、どこの馬の骨とも知らぬ天界人だったことは、どうしても受け入れ難かった……ですから同時に、ピカロ君を酷く嫌う気持ちもありました」
自分の所有物だと思っていた妹が、見知らぬ男に手を出され、子供を産んだ。
支配欲の強いアーバルデンにとっては、これ以上ない屈辱だった。
「私とオルファリアの子であるデスファリアのように、純粋に愛を注げる対象ではありませんでした……それでも、どんなに大嫌いでも、どんなに恨んでいても」
仰向けのピカロを、優しい面持ちで見下ろす。義理ではあるが、父親らしい暖かな視線。
「ピカロ君を初めて見た時の感情は──間違いなく、愛情でした」
なんだかんだでピカロに優しくするのも、余計なほどに世話を焼くのも、結局は──。
「……最後の最後に、良い父親を演じたかったのか? アーバルデン」
「息子に看取られる時くらい、格好つけさせてくださいよ」
「まぁ、いいけどね。それに……こんなこと言うべきじゃないんだろうけどさ」
思わず感傷的になりつつあるピカロが、諦めたように目を閉じて微笑む。
「親のこととか抜きにしたら、個人的には……アーバルデンのことは嫌いじゃなかったよ」
「嬉しいことを言ってくれますね」
「もちろん、私の父さんと母さんにとっては、一生恨んでも足りないくらいの極悪人かもしれないけどさ。正直、会ったこともない母さんのために、私はそこまで怒れないし、父さんを悲しませたことに腹を立てるほど、親思いでもないんだ」
「それはまた……ぶっちゃけましたね」
「サキュバスとセックスするためだけに、魔界まで来るようなキチガイだからさ……過去に何があったとか、誰が辛い思いをしたとか、知ったこっちゃねぇのよ」
なんとなく、アーバルデンは嫌っておいた方が良さそうだと察し、距離を取っていたピカロ。
努めて冷たく対応していたつもりだし、敬語も使わず、呼び捨てなのもわざとだ。
しかし、アーバルデンの死の間際、誰もいない2人だけの空間で、自分を偽る必要もない。
「こんなこと言っちゃいけないんだろうけど──ありがとう、アーバルデン」
無能貴族として魔界に来れたのは、アーバルデンの協力があったからだ。
ニクスやオルファリアの過去について知ったのも、アーバルデンが現れたことがきっかけだった。
思い返せば、初対面の時から、アーバルデンはずっとピカロに優しかった。
「大嫌いなニクスの子供なのに、優しくしてくれて、ありがとう」
こんな状況でもなければ、照れくさくて言えたもんじゃないが、最期くらい、感謝してもいいはずだ。
オルファリアの恨みも、ニクスの憎しみも、少なくともピカロ本人には関係ないのだから。
思いがけない言葉に、アーバルデンは、少し固まったあと、嬉しそうに笑った。
「何だか、本当に親子になった気分です」
「いやぁ悪いけど、デスファリアとは死ぬほど意見が合わなかったし、やっぱり別の家系だぜ私たち」
「ふふ、そうですね。だからこそ、良かったのかもしれません──では、そろそろ私も消えちゃいますし、食べてください」
「雰囲気を壊すな……ってかもう、アーバルデンの方から、私の身体に入ってこいよ。疲れて動けないんだ」
「ええー、まぁいいですけど。じゃあ、お別れです、ピカロ君。魔王に選ばれたのはヘルナイズでしたけど、この世界が選ぶのは、ピカロ君だと信じています」
「当たり前だ、馬鹿義父」
思い残すこともなく、満足げな表情のアーバルデンは、重なるようにピカロに吸い込まれ、溶けていく。
魔界最強でありながら、力に溺れず、権力に見向きもせず、ただ日々の楽しみだけを求めて生きた遊び人は、何百年もの“遊び”を終えて、ようやく眠りにつくのだった。
淡い魔力粒子が、ピカロの中で霧散する。駆け巡る暖かさの先に、記憶の扉。
代々、魔界を支配してきた、死の王たちの、記憶の累積──『魔王の魂』。
思考の手を伸ばし、指先で、触れる。
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「あ、いたいた。おーいピカロ!」
数分後、シェルムとノッチが瓦礫の山をかき分けて現れた。
魔王の戦闘に巻き込まれないよう、ひたすら逃げ回っていた2人が、ピカロを探してくれていたらしい。
相変わらず起き上がれないピカロの元まで来て、シェルムも座り込む。
「はぁ、疲れた。冗談抜きで、100体くらいの魔族と戦ったわ……魔王の護衛多すぎ」
「私の嫁であるノッチをよく守ってくれた! ハイタッチしよう!」
イェーイ、と手を合わせる2人。立ったままのノッチはピカロの足を踏みつけて語気を強めた。
「あたし様もちゃんと戦ったわよ」
「え、いや人間が上級魔族に勝てるわけないじゃん」
「シェルム・リューグナーだって人間じゃない!」
「こいつは別。いやさ、ノッチが生き延びてくれただけで嬉しいよ」
「ピカロはちょっと勘違いしてるみたいだけど、ノッチは普通に強いぞ」
一応、共に戦っていたシェルムがフォローする。
少なくとも、上級魔族顔負けの大魔法で敵を蹴散らしていた姿を思い返せば、ノッチが只者ではないことは明白だ。
「そもそも、あの少数精鋭の王国立騎士団に所属できてたんだから」
「え、枕営業でしょどうせ」
「違うわよ。実力で成り上がったの」
「ヴァーンのちんぽをヴァーギナで咥えたんでしょ」
「何を言ってるのコイツ」
成り行きで行動を共にしている3人だが、15年以上も一緒にいるピカロとシェルムと違って、ノッチと過ごした時間はまだ短い。
ナナーク島のディアレクティケ遺跡の最奥での初対面から、次にまともに会話をしたのは10年経った『アーバルデンの悪夢』の後。
そこでも、“無能貴族計画”に誘っただけで、それから5年間は顔を合わせていない。
ノッチを天界へ連れていくことを条件に、計画に協力してもらっていた手前、無事天界に着くまでは行動を共にする予定ではあったが──
「しかしそういえば、私たちってノッチのことをほとんど知らないよな」
「あたし様が天界人ってことは話したわよね?」
「言ってたような、言ってなかったような」
「っていうか、あんな遺跡の最下層で眠ってた女の子が、ただの人間なわけがないでしょう」
ノッチは胸を張って誇らしげに言う。
「あたし様は、天界のお姫様なのよ!」
「パンツ見えた! 射精しますね! びゅるるる」
「死ねっ!」
寝転ぶピカロと、立っているノッチ。必然の射精。
スカートを押さえながらノッチは後退り、瓦礫の山に腰掛けた。
「……まぁ本当のことを言うと、かつての王家の末裔。つまり、今の天界に存在する王家のお姫様ではないわ」
「天界にも、王様がいるんだな」
「神王と呼ばれる一族が、天界に国を作り、支配していたの。その神王国の時代は……数百年前に終わっちゃったんだけどね」
「じゃあノッチは、神王族の姫君……凄いじゃん!」
「神王国は、革命によって滅びたわ。神王族も野蛮な天界人どもに殺された」
「……どんまい」
「その時の生き残りが、天界の隅っこで細々と暮らし、神王族の血を絶やさぬよう耐え忍んだ結果、このあたし様が生まれたの」
天界を支配していた、旧王国──神王国の王女として生まれるはずだった。
「あたし様は──神王族は、天界を支配するために生まれてきたはずなのに。今の天界を牛耳っているのは、ただ暴力に秀でていただけの野蛮人」
「もう、神王国じゃないんだろ? 今は何ていう名前の国なんだ?」
「それが……まだ神王国なのよ。しかも野蛮人どもはあろうことか、自分たちを神王族であると嘯いている」
「えぇ……」
「神王族に代々伝わる、魔法のアイテムがあって、それさえ手に入れてしまえば、確かに神王族と同じような力が手に入る。でも、そんなの間違ってるわ。本当に王の血筋であるあたし様ならばまだしも、そんなどこで生まれたかも分からない野良犬野郎に、神王族の力は相応しくない!」
「神王族に伝わる魔法のアイテム……! かっこいいな」
「とりあえずそれを奪い返して、現在、神王族を名乗っている嘘つき共も皆殺しにして、神王国を取り戻すのがあたし様の目的」
そのために、天界最強の一族『ミストハルトの戦士』の助けを求めて、ノッチは人間界に降りてきたのだった。
しかし当の『ミストハルトの戦士』であるニクスは、オルファリアの死をきっかけに、天界に帰ることを諦めていたし、その息子であるピカロは何も知らない子豚。
それゆえに全て諦め、1人で天界へ帰ろうとしていたのだった。
「正直な話、もう神王国を取り返すっていうのは諦めてて、ただ天界に帰れればいいと思ってたけど……ここまで一緒にきたんだし、もちろん手伝ってくれるわよね?」
「何を?」
「だから、今の偽りの神王国を壊して、あたし様を女王として即位させることを、手伝うわよねって言ってるの」
「……いやそれは流石に」
「は?」
「私の目的は、あくまでもサキュバスとのセックス。すぐに人間界に向かわなければならないのに、そんな国取りなんてやってられないよ」
「あれ、ごめんピカロ、ノッチ。完全に忘れてたんだけど、そもそもピカロって天界への行き方はわかったの?」
ふと思い出したシェルムが割り込む。
ピカロを見つけ出した流れで、3人で話し込んでいたが、そもそもピカロが新たな魔王になれたのか、天界へのゲートの作り方を知ることができたのかが定かではない。
仮に天界に行けないのなら、ノッチの国取り計画も夢物語である。
「ふふふ、それがな、魔王にはなれなかった」
「まじか……」
「王位継承権1位はヘルナイズだったからな。仕方ない」
「何よ、じゃああんた天界へは行けないわけ!?」
「しかーし! 魔王にはなれなかったけど、天界への行き方は知ることができた!」
「さすがだぜピカロ! ハイタッチ!」
イェーイ。
「アーバルデンが死の間際に、歴代魔王の記憶を見せてくれたんだ」
「え、アーバルデン死んだの?」
「死んだっぽい」
「軽いわねあんたたち。仲間じゃなかったの?」
「いや仲間って感じでもなかったよ。まぁ最終的には感謝してる」
「何はどうあれ、天界に行けるなら結果オーライだな」
「まさか、3代目魔王が、激務に耐えかねて家出するために作り出した魔法だったとは意外でしたよぉ」
得意げに語るピカロ。
結局、アーバルデンの努力の甲斐もあって『魔王の魂』との接触に成功したらしい。
何もかも至れり尽くせりだ。
「そんなわけで、いつでも天界に行けます! 今は魔力切れだから無理だけどね!」
「……まぁ、それならいいわ」
「ん、いやノッチ。君を連れていくとはまだ言ってないよ」
「は? そういう約束で、あんたたちの計画に協力したのよ!?」
「魔界に行くために協力はしたけど、天界へ連れていくのはまた別だ」
「殺されたいの?」
「私を殺したら天界へは行けないぞ」
一気に険悪なムードが漂う。
シェルムは、ピカロの考えていることが手にとるようにわかるので黙っているが、ノッチは焦りと怒りを隠せない。
「ここまできて、あたし様を裏切ろうってわけ?」
「いやさ、見返りが欲しいってだけ。運行料をよこせって話」
「……本当にクズなのね、あんた」
「まぁ、私がノッチに何を望んでいるのかは、わかるよね?」
「……わからないわよ」
「あれですよ、何でしたっけ。セックス……って言うんでしたっけ?」
「あたし様に聞くな」
「いやよく知りませんけどね。セックスって何だろうって感じですけど。まぁ試しに、やってもいいかなぁと思ってまして」
「……サキュバスと、やりたかったんじゃないの?」
「まんこなら誰でもええじゃろ。馬鹿にしとんのか」
「こわい!」
絶望の眼差しを寄越すノッチに、シェルムは肩を竦めて答えた。
「ピカロに対して、何かを頼むってことは、つまりそういうことだ。それを覚悟してなかったというのなら、そりゃノッチが悪いよ」
「ふ、普通、女の子を助けるのに対価を要求する時点でおかしいわよ!」
「助けてもらうのに股を開かぬ女の方がおかしい! 潔くケツの穴をベロベロさせなさい! ほらノッチ! パンツ脱いで私の顔に座れ! 手始めにしょんべんで溺れたい!」
今からヘルナイズを探して、どうにか頼み込めば、ノッチも天界へと連れて行ってくれるかもしれないが、まだヘルナイズが魔界にいるとは限らない。
それに、探すといっても見当もつかないのだ。人探しをするには魔界の広さは途方もないし、その結果会えませんでしたでは目も当てられないだろう。
つまるところ、この最低最悪のピカロに頼らざるを得ないのだ。そんな状況を作り出してしまったノッチにも責任はある。
盗っ人に物を貸して、返ってくると信じていたようなものだ。
「……天界へと連れていく、見返りがあればいいのよね?」
「だから早くうんこ1本喰わせろってんだアバズレ!」
荒ぶる性犯罪者を見下ろし、ノッチは覚悟を決めたように立ち上がった。
スカートの下を覗かれないよう近づき、震える手をぎゅっと握る。
「──してあげる」
「ん?」
か細い声を絞り出す。怒りで我を失わぬよう、努めて頭を冷やしながら、口を開いた。
「あんたと──結婚してあげるから。連れて行きなさい、天界に!」




