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第七十二話 真逆思想




 派手に広い廊下を走り抜けると、一際目立つ大扉が姿を現した。


 無論、魔王城最奥、魔王の


 現魔王デスファリア・シンス・ザルガケイデンの仕事部屋と化してはいるものの、かつては歴代魔王たちの栄華を誇り強調した豪華絢爛の空間だ。


 前魔王オルファリアの長男という意味では、ピカロの部屋だったかもしれない場所。


 その部屋の扉を、駆けてきた勢いそのままに蹴り開けた。



「……今は仕事中だ、邪魔をするなら殺される覚悟でしろ」



 冷淡な声音。


 突然のピカロの登場は、しかし魔王の虚を突くことができず、まるで子供のような扱いであしらわれてしまった。


 ──見上げるほどの高い天井には、質素な魔導照明のみ。広々とした床にも、カーペット1つ敷かれていない。


 簡素、突き詰めた必要最低限。


 仕事一筋で生きてきた現魔王の人柄が知れる大空間──その最奥に、当の本人がいた。



「よぉ、お前がデスファリアか……なんて言うか、まさしく魔王って感じだな」

「話しかけるな、仕事中だ」



 机に向かい、書類の山を漁るように手を動かすのは、現魔王デスファリア。


 ピカロの感じた通り、その姿は“強そうな魔族”そのもの。


 人間の何倍も大きな体躯。それを覆う黒々とした硬質の肌。鎧のように刺々しい輪郭。そして天を突き伸び上がる一対のツノ。


 極めつけは、その恐ろしい頭の上に乗った仰々しい王冠。あからさまな魔王感の演出だ。



「お前の父親……アーバルデンの許可は得てる」

「あんな遊び人に唆されて、素直にこんなところに来てしまうような頭の悪い者と話す暇などない」

「いいや、お前は私に対応せざるを得ない──なぜならば私は、お前を殺して魔王になるからだ!」



 デスファリアは、その言葉を機に、視線を書類からピカロに移す。


 真紅の双眸の凍てつくような恐ろしさに身も竦む思いだが、しかし努めて快活に笑う。



「魔界は、私のものだ」

「……ではまず、お前の政策を話せ、ピカロ・ミストハルト」

「お、私の名前を知ってるんだな」

「父上が勝手に魔王城に人間を住まわせているとの報告は受けていた。その中の1人が我の兄であることもな」

「じゃあそのお兄ちゃんに、魔王の座を譲ってくれよ」

「だからまず、お前が魔王になった後に実行するつもりの政策について話せと言っている」

「それが、今のお前のやり方よりも良かったなら──魔界をより良くできる魔王だと思えるなら、譲ってもいいってことか?」

「そうだ」



 デスファリアはどこまで行っても結果主義的な男だ。


 自分が評価されたいとか、魔王に相応しい者は誰かとか、そういったことは気にしない。


 あくまでも(悪魔ではなく魔族だが)、魔界の行く末を案じているのみ。魔界を、より良い社会に作り替えることができるのなら、それは自分ではなくてもいいと思っているのだ。


 ここに来てピカロは、戦わずして魔王となる道を提示された。あとは弟を納得させるだけ。


 バンッと、デスファリアの仕事机に両手を付けて、鼻息荒く言い放った。



「女魔族に対する、性的奉仕の義務付け! 魔王による強姦の合法化! イケメンの処刑! 魔王による直飲み尿検査の定期実施! 朝起こす時にはちんぽ舐めておはようお兄ちゃ──」

「もういい。話にならない」



 取り付く島もない冷徹な対応。しかし当然といえば当然。


 なんならピカロも、初めから話し合いで決着を付けるつもりなどなかった。無論、列挙した政策は全てピカロが本当にやりたいことではあるが。


 デスファリアは呆れたように溜息を1つ。そして眦をつり上げて言い切った。



「性欲は──悪だ」



 立ち上がるデスファリア。愚かな金髪チビデブを見下ろし、悪を斬る。



「エロは──性的衝動は社会にとっての毒だ。


 いや、毒であれば、使い方次第で薬にもなり得るが、しかしエロは何一つ利する点を持たない。


 社会において、エロに対し発散されるエネルギーは凄まじく膨大。それは性的衝動を、まさしく性的な行為で発散する場合でもあれば、性的なコンテンツを生み出すために汗を流すことでもある。


 エロは人を支配する。そのせいで人は、本来やるべきことを、目指すべき道を間違えるのだ。


 エロに使う時間を、全て他のことに回せたならば、それは社会をより活発に、かつ健全にすることになるはず。


 性交渉のためだけに、無為に時間と金を費やす若者は減り、局所的にしか盛り上がらない性的コンテンツがなくなれば、より芸術の分野にて活躍する人材は増える。より多くの幅広い人々を幸せにするコンテンツが代わりに作られる。


 誰一人として、エロに傾倒し、エロに必死になることの愚かさを、真の意味で理解できていない。


 趣味嗜好の1つだと、息抜きやリフレッシュの一形態として、エロを用いているのだと言い訳をする者もいる。


 しかしどうだ、何か大切な物事をより良く進めるためだけに、効率的に、最低限の利用で、エロに頼っているかといえば、そうじゃないだろう。


 結局、エロにばかり力を注ぎ、時間を注ぎ、情熱を注いでいる。


 人生の核となる主たる道の、その寄り道として、ちょっとしたついでとしてエロを嗜むのならば、それはメインの道をより活気づけるための薬にもなるだろう。


 しかし結局は沈む……エロの誘惑に負ける。


 そんなものに目もくれず努力を続けた者たちが、比類なき勝利を、成功を、栄光を掴み取っているのだと知りながら、周囲はしかしエロに逆らえない。


 中毒になっているんだ。


 本能に刻み込まれたエロに抗えない。その情けなさに気付かず、非効率的でどうしようも無い日々を送る。


 社会を動かす者たちは皆、何か1つのことに注力すべきだ。足が止まり、倒れるその日まで、一途に走り続けるべきだ。


 そうすれば社会は最も効率的に回る。


 そんな王道を邪魔するものは、確かにエロだけではない。


 ギャンブル、恋愛、金、はたまた気の迷い。なんだっていい、人は何かに必ず惑わされる。


 しかしエロだけなのだ、唯一、すべての者の道を邪魔するのは。エロだけは平等に、全員に与えられた麻薬。


 三代欲求の一角に性欲という悪が居座った結果がこれだ。


 そんなエロなどというものに、裏で支配された社会……それが生み出したうみこそが、お前のようなクズ人間だ、ピカロ・ミストハルト。


 性欲に従うことでしか生き甲斐を感じることのできない無能。


 何か大切なことを考えている最中でさえ、目の前にエロがあれば飛びついてしまう。


 自制心も自律も程遠い未熟。尊厳も体裁も持ち得ない貧弱。


 そんな、お前のようなクズが、この世にはゴロゴロ存在する。エロというものがある限り、そのような膿は増え続けるのだ。


 だから我はエロを滅する。


 魔界におけるエロの象徴であるサキュバスどもは全て魔界から追い出した。


 いずれ、男と女の居住区を完全に分離し、男には定期的に精子の提出を義務付け、それを使って性行為に頼らないで子供を増やす。


 男と女が接触するから、そこにエロが生まれる。我はそれを許さない。


 魔界はもっと良い世界になる。エロという呪縛から解き放たれ、老害の存在しない若い社会。


 人々は、エロに邪魔されることなく、それぞれの役目を果たすためだけに全力で生きるのだ。


 それほどまでに清潔で、理想的な世界を、お前は作ることができるか?


 できない。お前には絶対に。


 一度、エロに堕ちた者は救われない。


 もっと簡単に言おうか……お前は“みっともない”のだ。


 そんなお前に、魔王の座は渡さない──我だけが、魔界を救うことのできる真の魔王なのだから」




────✳︎────✳︎────




「なるほどね、君の意見はよく分かったよケツバイブマニア……おっと間違えた、デスファリア。


 エロは悪で、私たちはみっともない。


 ふふふ、ふふふふ。そうだね、そう言っていれば、確かにお前たちはみっともなくは見えないだろう。


 誰か他人を見つけ出して、みっともないとラベルを貼り、もっともらしい言い分で責め立てれば、お前たちはマトモに見える。


 しかし違うな、本質を見誤っているぞ。


 あえて言おうか──お前らはカッコ悪い!


 エロに対して過剰な嫌悪反応を演出し、エロに触れない言い訳だけを並べ立てる……極悪人だぜ。


 例えば夜風に揺れる一輪の花のように──儚くも美しい“おっぱい”が目の前にあるとする。


 それを見て、私たちエロの戦士は、無言でそのおっぱいを揉み、吸い付き、貪り、ちんぽを……とまぁ、やるべきことをやるだろう。


 対してお前たちはどうだ?


 まずはそのおっぱいに対して、下品だとか、体裁を気にしろだとか、恥ずかしくないのかみたいな、文句を並べ立てる。


 そしておっぱいには触れず、触れない理由を──言い訳をひたすらに並べ立てるんだ。


 こんなものに触れても意味がない。みっともない。恥ずかしいことだ、とな。


 あるいは無言で立ち去ったとしても、後から“なぜ揉まなかったか”を聞かれれば、得意げな顔で語るんだろう、言い訳を。


 一見正しそうな理論を積み立てて、武装して、自分をエロから守ってるんだ。


 ……なぁ、一体どっちの方がみっともないんだ?


 さらに例えるならば、合唱コンクール。


 そこには、大きく口を開け、胸を張り、必死になって歌う真面目な生徒と、歌に自信がないから、ふざけてヘラヘラして、まじめに歌わず、その理由ばかりを語る生徒がいる。


 合唱コンクールでどんなに頑張っても成績には反映されないし、人前で大口開けて歌うなんてもってのほかだ、と。


 素直に立ち向かう者を、誠実に努力する者を馬鹿にして、見下して、そこから一歩引いた自分たちは違うんだと。一線引いた自分たちの方が上なのだと、そう言いたいから。


 斜に構えて、大人になった気でいるんだ。


 それは例えば文化祭でも、運動会でも、部活でもいい。


 素直なやつを、お前らは嘲笑うことで、自分たちの醜さを正当化するんだ。


 素直になれない、必死になれない自分の不甲斐なさを棚に上げて、素直で誠実な者たちへの羨望をどうにか押し殺して。


 そうしなきゃ、恥ずかしくて前も向けない。


 ここでいう合唱コンクールが、文化祭が、運動会が、部活が──エロだ!


 お前たちはエロに対して素直になれないだけ。


 それを分かっていながら、心の底では認められないから、素直に向き合うことの方が間違っているのだと、恥ずかしいことなのだと決め付けて、悦に入っている!


 なぁ、一体、これのどっちがみっともないんだ?


 ただ純粋に、エロに真摯に向き合い、素直に感謝して享受する私たちと。


 言い訳ばかりを捜して捲し立てるお前たちの、どっちが。


 エロは悪じゃあない。毒でもない。


 エロは──エロだよ。


 救いでも、幸福でさえないんだ。


 私たちは、ただ概念として存在するエロの、可視化された一部を見て、その全体を想像するだけ。触れた気になって、一喜一憂しているだけ。


 エロは私たちがどうにかしていい存在じゃない。


 エロを禁じたり、遠ざけたりして、逃れられるものじゃないんだ。


 そこから目を逸らしたら、そこに目を瞑ったら、もう道は開かれない。


 揉んでみろよ、おっぱい。


 確かに恥ずかしいさ。誰かに見られていたり、そのことを知られたりすれば、そりゃ赤面は避けられないだろう。


 だが、そんな些細なことは気にならなくなるはずだ。


 おっぱいはそれだけの魅力を、全てを無に帰す圧倒的な力を持っている。


 ちんぽっつーのは、どうしたって勃っちまうんだ。エロを遠ざけても、エロから逃げても。


 ならよ、素直におっぱい揉んで、ちんぽおっ勃てて──笑おうぜ。


 みんなでさ、笑おうぜ……」




────✳︎────✳︎────




 決定的な決裂。


 酷く無慈悲なすれ違い。決して交わることのない2つの道。


 同じ母親から生まれた兄と弟は、しかし血縁など問題にならないほどの亀裂を、溝を、軋轢を、目の当たりにしている。


 デスファリアが魔王で、ピカロが天界を目指す人間。


 たとえそんな状況でなくても、たとえ身分や立場が違っても、2人は戦う運命にあったのだ。


 相容れない思想は、いつだって戦争を生む。


 お互いに自分が正しいと信じて疑わない以上、最後には力が、暴力がモノを言う。



「非常に残念だ。魔王の血を引くお前が、そこまでのクズに成り下がっていたとは」

「こっちこそガッカリだぜデスファリア……お前がサキュバスを迫害するような阿呆だったなんて」

「お前には真実が見えていない」

「お前は真実を見ようとしていない」



 ならば、もう──



「「ぶつかり合うしかない」」



 机をどけたデスファリアが、魔王たる魔力を開放する。


 目で見てわかる魔力量。あの『魔皇帝』アーバルデンが、魔力不足に陥るほどに毎日魔力供給を受けているデスファリアは、既に魔界最強格。


 いつの時代も、最も恐ろしい王は、魔王だ。


 対するピカロは、行き道で盗んできた剣を構える。


 『魔王化』の魔法は、使えない──アーバルデンによって魔王化を強制されたあの日も、ノアライエ・アルドレイド第一王子と戦ったあの日も、ピカロは魔王化している間、自我を失った。


 シェルムがいないこの状況で、魔王化するのはリスクが大きすぎる。


 魔王化したまま、仮にデスファリアを倒せたとして、もしその場で『魔王の魂』と呼ばれる歴代魔王の記憶がピカロに流れ込んできたら?


 失った自我の隙間を埋めるように、空っぽの器の中に、『魔王の魂』が入り込んでしまったら。


 もう、ピカロ・ミストハルトは帰ってこれないかもしれない。


 何が起こるかわからない以上、慎重かつ冷静に対処するには、人間のままである必要があるのだ。


 しかしとはいえ、絵面だけを見れば。


 恐ろしい魔王と対峙する、剣を構えた勇者。


 なるほど魔王討伐とは、こうあるべきだ。


 ある種の正攻法。真っ当な手段。


 ニクスから受け継いだ剣技でもって、大英雄の息子が、魔王を討つ。



「かかってこい、愚かな兄よ」

「今日私は、本当の意味で英雄になるんだ」



 運命に導かれし兄弟喧嘩が、始まった。




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