第七十話 和製太鼓
「ひぎぃぃぃあ……ん? 『魔王の右腕』! ……お、腕が生えた」
魔法圧力に千切り壊された右腕に、試しに『魔王化』の魔法を適用させてみたら、まさかの新たな腕が生成されるという大発見。
激痛と魔力消費というデメリットはあるものの、実質的な治癒魔法の会得とみても過言ではないだろう。
当のピカロもご満悦な表情である。
「ふははは。もはや全ての攻撃は私に通じない」
「魔法で削っても無意味か……なら、“内側”から壊す」
地を割る第一歩。
意識の隙間を縫うような肉薄。反応が送れたピカロの胸元に、『殺戮王子』ヘルナイズの掌が触れる。
不可視の衝撃波。焼けるような激痛が全身を襲い、直後、後方に吹き飛ばされた。
夥しい量の吐血。充血した両眼。不規則な呼吸。
最上級魔族を舐めてかかると、痛い目に遭うらしい。
「つ、つっよ……何だこいつ」
「ヘルナイズ様かっこいいーッ!」
「静かにしてろ、イデア」
「てめぇイデアさんを軽くあしらってんじゃねぇぞ!」
モテる奴が心底嫌いなピカロである。
ヘルナイズの活躍に目を輝かせたイデアの姿と、それに対するヘルナイズのクールな対応を見て、スイッチが入った。
『魔王化』の魔法で体内を治療しながらの跳躍。血液を撒き散らしながら、猛獣のように突っ込んだ。
「エロ・グラビティ!」
「!?」
局所的に、ヘルナイズの立つ場所だけ重力が増す。
もはや並の上級魔族と比べても遜色がないほどの魔力量を誇るピカロの重力制御魔法は、魔界のトップレベルにも通用する。
すぐさま対抗魔法で打ち消されるも、数秒動きを止められれば十分。
「ディープ・キス!」
「や、やめろ!」
子供のように全身で組みつき、唇を押し付ける。人ならざる首の前後運動に、ヘルナイズも動揺を見せるが、しかしすぐに反撃に出ようとして──
「ヘルナイズ様に何するんだブタ野郎!」
2人の背後、怒り狂ったイデアが漆黒の光線魔法をピカロに向かって撃ち込んだ。
ピカロは、待ってましたとばかりにヘルナイズを引っ張り、位置を替わる。
死の破壊光線がヘルナイズの背中を貫いた。
「す、すみません! わたしはなんて事を……」
「イデアを悲しませたな……ピカロ・ミストハルト!」
「なんでお前が怒ってんだよヘルナイズ!」
脇腹に穴が空いているにもかかわらず、勢いが止まらないヘルナイズは、ピカロを引っ剥がし、その醜い顔面を鷲掴む。
声すらあげる暇もなく、後頭部を地面に叩きつけられたピカロ。
置き去りの破砕音を散らすように、割れた地面が舞い踊る。
「いてぇえ、死ぬぅっ」
「死ねと言ってるんだ……!」
押さえ付けたまま、ヘルナイズの掌に魔力が集中。甲高い音を立てて光り始めた。
「い、嫌な予感がする」
「爆ぜろ」
発光──爆砕。
薄紫の森、その一帯が焼け落ちる大規模爆発が、ピカロの顔面を中心に広がった。
耳を突く静寂に、勝利を確信するヘルナイズ。
しかし燻る黒煙の底。今や焼き豚野郎と化したピカロが、顔を掴むヘルナイズの掌をベロベロに舐めた。
「うおっ!?」
「しょっぺぇしょっぺぇ! てめぇの手はしょっぺぇな!」
爆発の直前に魔王化し、どうにか衝撃に耐え切ったらしいピカロが、ニカっと笑ってみせた。
ついでとばかりに屁をこいたので、ヘルナイズはたまらず退避する。
血の混じった唾を吐き捨てながら立ち上がるピカロ。
「……何がお前にはそこまでさせるんだ、ピカロ・ミストハルト」
「私は、お前から──仮面の男から、イデアさんを救い出したら、イデアさんとセックスができると、“本気で信じている”」
焼け落ちた服。肌もボロボロで、辛うじて股間だけは隠しているものの、その肥満体型も相まって酷く見窄らしい姿で、ピカロは言い放つ。
イデアを指差しながら。
「私はイデアさんとセックスをしに魔界まで来た!」
別にそんなことはないのだが、今のピカロの気分だとそれが正解なのだろう。
とはいえこんなことを真面目に考えているのはピカロだけで、退屈そうに傍観するシェルムとノッチはもちろん、当のイデアも嫌悪感しか感じなかった。
「そこで──とても大切なことを聞こう、イデア・フィルマー」
偉そうに話し出すピカロが、クネクネ歩きながらイデアに接近する。
いつでも殺せる準備を整えるイデアとヘルナイズとは対照的に、ピカロは無防備かつとても格好悪いポーズを決めて見せた。
「君は──処女か?」
ドドン! どこから取り出したか不明の和太鼓を、シェルムが叩く。
「私は、処女しか愛せない」
ドドン!
「イデア・フィルマー……もしも君が処女ならば……」
トン、トントントントントントトトトト……
「そのくっせぇケツの穴ぁ、ベェロベロ舐めちゃるよん!」
ドドン!
「死ね」
「フられたー!」
「今のが告白だったのか」
シェルムのツッコミも聞こえないほど落ち込んだピカロ。頭を抱えて蹲るその醜い豚を、本気で軽蔑を込めた目で見下ろすイデアが、ヘルナイズの腕に抱きついて言い放った。
「わ、わたしは……ヘルナイズ様と結婚するから!」
「何だとてめぇ! ヘルナイズこの野郎! ぶっ殺すぞ!」
「いや私にそのつもりはないが……」
「も、も、もしかして……お前ら2人、セックスとかしてないだろうな?」
鬼の形相で睨み付けるピカロ。
ヘルナイズとイデアは顔を見合わせ──
「してるわけがないだろう」
「ちょっとだけなら……」
「え? ど、どういうことだイデア」
「あ、あのごめんなさい! その、ヘルナイズ様が寝てる間に、ヘルナイズ様に手を勝手に使って、あの、1人で慰めたりとか……」
「……」
「朝ヘルナイズ様を起こす前に、その、朝ですから、たまに“大きく”なってるのを見て、その、それを口で──」
「も、もういい。イデア、その、あんまりこういう事は言いたくないが、決して私はそんなことをするつもりでお前を──」
「黙れ腐れちんぽ野郎」
ピンク色のムードが漂い出した2人の間に、ピカロのドス黒い声音が入り込む。
おそらくこの瞬間だけは世界最強であろう怒りのピカロが、2人まとめて粉々にしようとした刹那、背後からのシェルムの声に、動きを止めた。
「あれ、さっきピカロ、ヘルナイズの手、舐めてなかったっけ」
ピカロはゆっくりと振り返る。
シェルムはわざとらしく首を傾げた。
「イデアさんは、ヘルナイズの手を使ってオナニーしてて……んでそのことをヘルナイズは知らなくて……んでその手をピカロが舐めた……これってもしかして」
「んんん間接クンニィィィッッ!!!」
ドドン、ドンドン、ドドン、ドンドン!
踊り散らかすピカロと、和太鼓に魂を打ち付けるシェルム。お祭り騒ぎの2人を冷めた目で見るノッチ。
こんな3人組が来訪してきたという時点で、今日のヘルナイズは運が悪い。
「おいヘルナイズ。お前のその手で、私のちんぽをしごいてくれ。そしたらそりゃもう間接セックスよ」
「いや、意味がわからない。それに、私は寝起きの一杯のお茶をいれる前に、ちゃんと手を洗ってるぞ」
「わたしも、“今朝は”ヘルナイズ様の手を勝手に使ってないです!」
「……え、じゃあ、ヘルナイズの掌がしょっぱかったのは?」
「手汗だろう、私の」
滝のように嘔吐するピカロ。
先ほどの戦闘で形成されたクレーターを吐瀉物で埋め、げっそりした様子でその水溜まりに足を入れた。
ゲロ温泉、入浴。
「もうこんなにクレイジーなことをしても、何も感じなくなった。決めたぞ、魔界を粉々に壊してやる。私はこんな世界を認めない。やめようと思ってた魔王討伐もやってやる。全てを無に還すぞ」
「……今、何と言った?」
「ちんぽ」
「いや違う……魔王討伐、と言ったか?」
「ちーんぽ」
「おい、シェルム・リューグナー。まさか、“お前たちも”……」
まともに会話ができないピカロを無視し、シェルムに視線を移すヘルナイズ。対するシェルムは、和太鼓に腰掛け、不敵に笑う。
「あぁ。僕らは魔王を殺し、天界に行く」
ヘルナイズは思わずイデアと顔を見合わせる。
何か言おうとして、口を噤んだ。そして少し黙考し、やがて顔を上げた。
「ピカロ・ミストハルト、シェルム・リューグナー。魔王を倒すつもりなら──私たちと組んでみないか?」
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数分後。
薄紫の森の奥、ヘルナイズが住む洋館の一階。
ヘルナイズの話を聞いてみようということで、戦闘は中止された。
ノッチ、ピカロ、シェルムがふてぶてしく椅子に座り、対面にはヘルナイズとイデア。
「──で、サキュバスと会うためには、再び人間界に帰らなきゃいけないんだよ。だから、一回天界に行って、それで人間界へ……」
ピカロは、なぜ魔王討伐などという発想に至ったのかを説明した。
サキュバスに会いに魔界へ来たら、サキュバスとは入れ違いになってしまったこと。魔界から人間界へと帰るには天界を経由するしかないこと。
天界へのゲートを開けるのは、魔王のみらしいので、現魔王を殺して新たにピカロが魔王となる──そうすれば、自由に天界へ行けるはずだ。
「そもそも、天界へのゲートの開き方を知っているのか?」
茶をすするヘルナイズの質問に、ピカロは首を傾げた。
「え、魔王になったら勝手にできるんじゃないの?」
「……あながち間違っていないんだが、どうやら『魔王の魂』と呼ばれる歴代魔王の“記憶”に触れると、異界間移動魔法を習得できるらしい」
「記憶……」
「その記憶をどうやって手に入れるのかは不明だがな。ただ現魔王デスファリアを殺せば、答えは見えてくるはずだ」
「ヘルナイズ、本題に入ろう。そのデスファリア討伐において、“手を組む”って話だったよな」
イデアの件もあり、もはや魔界なんて1人で消滅させてやろうと思っていたピカロだが、しかし魔王と戦うにあたって助っ人がいるのなら、それに越した事はない。
ヘルナイズか信用できるかはともかく、話だけは聞いておくべきだと考えた。
「実は、私とイデアも、魔王を殺し天界を目指すつもりだったんだ」
「何のために天界へ?」
「……まぁ、大体の予想はついているんだろう?」
「天使とセックスしたいのか」
「違う。……おいシェルム・リューグナー、お前まさか、魔界まで来て、まだちゃんと説明していないのか?」
「僕の優先順位は、あくまでもピカロの『願い』を叶えることを最上に置いている。僕のやっていることは、ついでと言うか、保険と言うか」
「……では、天界には、“人間界に降りるためだけ”に行くというのか?」
「僕は君たちほど熱心じゃないんだ」
「ちょ、ちょごめんシェルム。ずっと気になってたんだけど、お前とヘルナイズって知り合いなの?」
魔法学園在籍時に、初めてヘルナイズ──仮面の男と対峙した際にも、シェルムはヘルナイズと謎の会話を交わし、その結果ヘルナイズは魔界へと帰って行った。
2人の中で共有されている何らかの情報が、ピカロには欠けているため、会話の内容が理解できない。
無論、わからないならわからないでも良いし、シェルムが説明してこないということは、説明するまでもない事情なのかもしれないが。
しかしピカロとしては、相棒であるシェルムが、知らないやつと、よくわからない話で盛り上がっているのは、あまり気分の良いことではない。
若干のジェラシーを孕んだピカロの問いに、シェルムは肩を竦めて答えた。
「いや、こいつと会うのは2回目だよ。ピカロ、お前と同じだ」
「……せめて何について話しているかくらいは教えてくれよ」
「うーん。まぁいずれ分かることではあるんだけどね。それに今全てを説明しても、直接ピカロと関わってくるのはずっと先の話だろうし」
「お前とヘルナイズの共通点だけでも説明しろ!」
「僕とヘルナイズは、同じ組織に所属しているんだ──『パノプティコン』と呼ばれる、世界の裏側の組織」
『パノプティコン』──ヘルナイズと初めて対峙したあの日にも、その単語は登場していた。
「まぁ組織といっても、何人が所属しているかも、誰が所属しているかも不明。そもそも『パノプティコン』という名前すら知っている人は一握りなんだけど……」
「じゃあ、シェルムとヘルナイズは、仲間ってことか?」
「それはない」
吐き捨てるように言ったのは、ヘルナイズ。シェルムの味方側だと思われるのは不愉快らしい。
「私たち『パノプティコン』は、かつては全員で協力して、規則を守って、1つの目的を達成するための組織だった。しかし現在は、組織構成員が互いの素性を知らない上に、それぞれが異なる目的を持っている。同じ組織にいると言っても、敵だ」
「それぞれの目的……ヘルナイズ、お前は何のためにその『パノプティコン』とやらに所属してるんだ?」
「部外者のお前に言うわけがないだろう」
「ケチだなぁ。シェルムは?」
「僕の目的は、まぁ……ピカロ次第だよ」
「……私、次第?」
イマイチ話が読めない。
ピカロはその組織のことなど存在も知らなかったし、もちろん所属もしていない。そんなピカロに左右されるような目的とは一体何なのか。
「『パノプティコン』という組織は、“とある魔法”の存在を信じている馬鹿野郎の集まり。要するに、その“特別な魔法”を使いたいっていうのが、全員の共通の目的なんだよ」
「でも、それぞれの目的が違うって言ってたじゃん」
「その魔法を使って“何をするか”が、それぞれ異なるんだ」
とある魔法の存在を信じる者たちが、それぞれその魔法を使ってなんらかの願いを叶えるため、かつては協力し、現在は競い合っている。
それが、『パノプティコン』。
「んで、その魔法を使うための条件を達成するために、ヘルナイズは天界を目指してる……んだよね?」
「あぁ。シェルム・リューグナー、お前も同じだと思っていたんだけどな」
「僕はそこまで“あの魔法”を信じているわけじゃないから。ピカロで“試してみよう”とは思ってるけど、それも最終的にピカロが望むのならって話」
「ならば、邪魔だけはしてくれるなよ」
「ピカロ次第だね、それも」
「お前らまたよくわかんない会話してるぞ。……てか、その凄い魔法を使うための条件って何だ?」
「『世界最強の生命体』であること、かな」
軽い口調だが、ふざけているようには見えない。シェルムは曖昧な物言いが好きだし、ここでいくら追求しても明瞭な答えは返ってこないだろう。
ただ、ピカロにも少しだけ見えてきた。
世界最強の生命体とやらになれば、使える“特別な魔法”。そんな御伽噺や都市伝説的な魔法の存在を信じ、その魔法を利用してそれぞれの願いを叶えようとしている『パノプティコン』の構成員たち。
その中に、シェルムとヘルナイズがいる、ということらしい。
「まぁよくわかんねぇし、必要になった時に、また説明してくれよ」
「うん」
「……いやぁしかし『パノプティコン』ねぇ。おいノッチ、知ってたか?」
自分だけが無知だとなんだか恥ずかしいので、事情を知らなさそうなノッチに話を振る。
するとノッチは、何か言いかけて、口を閉じ、ティーカップに口をつけた。
「……知らなかったわ」
「そ、そうだよな」
いや絶対何か知ってるだろと思いつつピカロは目を逸らす。
取り繕うように話題を戻した。
「じゃあその『世界最強』とやらを目指してるから、ヘルナイズは魔王を殺そうとしてるんだな?」
「いやそういうわけではない……ただ、天界へ行く必要があるから、その方法として魔王を殺すだけだ」
「……あぁ、そっか。魔王を倒したから最強を名乗るって話だと、そもそも協力して倒そうという提案と矛盾するもんな。強さを誇示するなら、1人で倒さないと意味ないだろうし」
「魔王を殺すことは、あの魔法の発動条件とは関係ない。だから手を組んで、確実に魔王を殺そうと言っているんだ」
ピカロもヘルナイズも、天界に行きたいという目標は同じだ。その先に、ピカロにはサキュバスとの再会という願いが、ヘルナイズには彼なりの目標がある。
そのために犠牲になってもらうというのは、少し可哀想な話だが、魔王というのはいつだって命を狙われるもの。
と、そこまで考えて、ピカロは1つの疑問に辿り着く。
「ん……? あれ、天界へのゲートを開くには、“魔王になる”必要があるんだよな?」
「あぁ。だから現魔王を殺す」
「でも魔王という地位を継げるのって、魔王族だけ……つまり魔王の血が流れてないとダメってことだろ? 私は前魔王の長男だからその条件は満たしているけど、ヘルナイズ、お前は魔王族じゃなくね?」
魔王を殺した者が、誰でも魔王になれるわけではない。魔王が崩御すれば、王位継承権を持つ魔王族の誰かが、次の魔王に選ばれるはずだ。
当然の疑問に、ヘルナイズもまた当然のように答えた。
「私の名はヘルナイズ・シンス・ザルガケイデン。歴とした魔王族の1人だ」




