第六十八話 童貞小説
「お、おいピカロ……お前、何してるんだ……?」
ガタガタ震えるシェルムが、恐る恐るピカロに問うと、ピカロは冷めた視線を寄越した。
「何って──“セックス”だけど」
ベッドの上には、汗だくのピカロと、背を向けて寝る裸の女──
ぐにゃりと歪む視界。頭を振って思考を整理するシェルム。
ゆっくりとベッドに近づき、真実を確認しようとすると。
「うおっ……“イカ臭い”……!」
「おうよ。ハイチューみてぇなのが“射精た”からな。特濃よ、特濃」
「そ、そんなバカな」
動揺で揺らいで見える地面に、それでも力強く足を踏み出し、ベッドの向こう側へ回る。
肌寒そうに掛け布団にしがみ付く裸の女。よく見ると、肌は鱗のようになっていて、長い髪の間から刺々しいツノも生えていた。
──魔族の女だ。
「お、おい女……」
女の肩を掴んで起こす。汗ばんだ肌の感触に、抑えきれない不快感。顔に出さないよう努めて、眠たげな眼に問いかける。
「今まで、ここで、何をしていた!?」
「“セックス”だよ、シェルム」
「お前は黙ってろォッ!」
「わ、わたしは……」
ちょっとだけ可愛い魔族の女は、布団を引っ張り上げて胸を隠しながら、頬を赤らめて言葉を紡ぐ。
「わたしは今、ピカロ様とセッ──」
「『時よ、巻き戻れ!』」
この作品における何か大切なものを失いかけたと察したシェルムが、時を巻き戻す。
全てなかったことにする。そして過去のピカロをより良い方向に導いて、未来を変える!
4時間前に遡ろう! 確か、アーバルデンと話していて……。
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「……サキュバスが、人間界に、行っちゃった……?」
茫然自失を絵に描いたような表情で、開いた口が塞がらないピカロ。
対峙する『魔皇帝』アーバルデンは、困ったような口ぶりで説明を始めた。
「先ほど言いましたが、デスファリアの政策は、魔界をもっと良い社会に作り上げるためのものです。その結果、社会に貢献できない老人やニートを悪だとして処刑し、若い労働力や、価値ある老人を優遇しました」
「誰かの役に立てるなら、魔界では生きていけるんだろ? だったら、サキュバスなんて生まれつきの労働力……死ぬまで世の男性を幸せにする存在じゃねぇか!」
「デスファリアの考え方は違います。彼曰く、サキュバス、インキュバスなどの類は、労働者の体力を過剰に奪う害虫……」
「そ、そんなバカな。お互い合意の上でやることやってんだぞ」
「合意せざるを得ない、本能的な性欲をこそ、デスファリアは忌避しているのですよ。そんなものがあるから、色恋沙汰などにうつつを抜かしているから、社会は滞るのだと」
「恋愛もセックスもせず、ただ必死に働けと……?」
「そんなものは心を惑わせるだけだ、ということですね」
「おいおいおい……デスファリアだかケツバイブマニアだか何だか知らねぇけどよ」
「ケツバイブマニア?」
「その細え首をよぉ、掻っ捌いてぇ、ぶち殺してよぉ、やろうかっつー話しだぜぇ?」
「そんな口調でしたっけ」
性欲を煽る存在は、社会にとって毒であると考えたデスファリアは、サキュバスが魔界にいることを拒んだ。
真魔王軍と共に人間界へと逃げたということは、デスファリアによって殺されたわけではないということ──つまりまだサキュバスたちは生きている。
とはいえ、会いに行こうと思うと、その道のりは遠く……。
「今から人間界に帰る方法はないのか!?」
「もう、『魔界から人間界へ』のゲートは全て封鎖されてしまいましたからね。正規ルートで向かうなら、天界を経由しないと」
「て、天界!?」
「魔界から天界へ、そして天界から人間界へ。それなら安全に人間界に行けますね」
「じゃ、じゃあ早く天界へ連れてってくれ!」
「魔界から直接天界へ行けるのは、魔王だけですよ」
「……魔王、だけ」
「正確には、天界への移動魔法を使えるのが魔王だけ、ですね。一度魔王がゲートを作り出せば、それは誰でも通れます」
「じゃあ今すぐデスファリアにお願いして天界への扉を開けて貰わなきゃ!」
「まぁそんなことしてる場合じゃないからって断られるのが関の山でしょうね」
「ふざけるな!」
かつて、前魔王オルファリアは、天界に住むニクスと頻繁に逢引していた。
それがまさか魔王のみが使える魔法によるデートだったとは。
「──むしろ私としては都合が良いです。ピカロ君、やっぱりデスファリアと戦って下さいよ。勝って君が魔王になれば、天界になんて行き放題です」
「結局そうなるのかよ……」
「長男の威厳ってやつを見せつけましょうよ」
「逃げ道がなくなってきた」
魔王と戦うだなんて、今更になってそんなリスクを犯したくないピカロだったが、サキュバスと再会するには魔王になる他ない。
八方塞がりではないかと、頭を抱えていると、ふと思いついた。
いや、思い出した。ピカロはガバッと顔を上げて声を張る。
「おいアーバルデン! そう言えばお前、魔界と人間界を自由に行き来できたよな!?」
「あ、気づいちゃいましたか」
「魔族だけが通れるゲートを作れるんだよな!?」
「まぁ、はい。そうですね」
「今すぐ私を連れて行かんかい!」
「ダブル主人公パーンチ!」
「ペプシ!」
横入りしてきたのは、自称2人目の主人公シェルム・リューグナー。黄金の右ストレートがピカロの頬を撃ち抜いた。
椅子から転げ落ちるピカロ。怒り心頭のシェルム涙目で見上げる。
「な、何するんだ」
「馬鹿野郎! そんな方法で人間界に行って、サキュバスとセックスして、読者が納得すると思ってんのか!」
「読者の納得だぁ? 知るかそんなもん!」
「“納得は全てにおいて優先するぜ”」
「ジャイロ・ツェペリ!?」
「これまで共に冒険してきた僕も捨てて、何やら事情がありそうなノッチも捨てて、1人だけ人間界に戻ってサキュバスとセックスだと!? 舐めてんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ! 舐められてぇんだよ!」
「何を!?」
「ちんぽ!」
「馬鹿野郎!」
こめかみをグーで殴られ泡を吹くピカロ。
童貞を捨てるチャンスは今までも何度もあった。ジンラ大帝国の風俗店へ行った時なんてまさにそうだし、アルド王国軍総指揮官という壮大な肩書きを利用すれば無料で女を抱けた可能性さえある。
しかしそれでも童貞を貫いてきたのは、あの日出会ったサキュバスで卒業したいから。
ただそれだけの為だったはずだ。
「お前がサキュバスとセックスすると言うことは、この物語が完結するということだ!」
「ハッピーエンドじゃねぇか!」
「まだ解決してないことが沢山あるだろ! ノッチのことや、イデアさんのこととか!」
「んなもんほっとけ」
「謎を解いて、美しい形でセックスに辿り着くべきだ。謎を解かなければセックスできない!」
「じゃあシャーロック・ホームズは謎解きまくりのヤリまくりってか? 『気持ちいいぞワトソン君』ってか?」
「最低限、物語としての体裁を保てと言ってるんだ!」
「いやだいやだー! セックスしたいよぉー!」
床に転がりジタバタするピカロ。駄々をこねてセックスができるなら誰だってそうするが、世界はそんなに甘くはない──とも、言い切れなかった。
「それなら」
不意に、アーバルデンが口を挟む。
義理とは言え、息子のみっともない姿が見るに耐えなかったのだろう。
「魔王の兄、という立場を利用すれば、いくらでも相手をしてくれる女性はいますよ?」
そう、ピカロは前魔王の長男であり、現魔王の義兄。つまり王族なのだ──魔王族なのだ。
いつの時代も、権力者のもとには女が集まった。そこで何が行われていたかなんて、言うまでもない。
女は金と肩書きとちんぽに群がる!
「まぁとりあえずこんな部屋にいても何も進展しませんし、魔王城へ行きましょう」
──というかこの部屋が、魔王城の一室なんですけどね。
そう言いながら立ち上がり、扉を開けるアーバルデン。飲まず食わずで体力に限界が来ていた3人は、アーバルデンについて行くことにした。
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それから3人は魔王城を案内された。
豪華な食事も頂いたし、空き部屋も貸してもらった。ちなみにノッチは女性なので別の部屋だ。
そしてピカロはアーバルデンの提案通り、自分が魔王の兄であることを女たちに知らせに行こうと、部屋を出る──のを、シェルムが止めた。
運命が、未来が変わる。
「ふぅ。ここで部屋を出させてたら、冒頭のセックスルートに入ってしまっていたのか。何とか阻止したぜ」
「う、頭が……! おいシェルム。私は今、何かとてつもなく大切なものを取り逃がした気がするんだが」
「いいや、この世界線のお前は何も失っていない」
「なんか、魔族の女とセックスしてたような気がするんだけど」
「お前が無料でセックスできるわけないだろ。想像できるか? セックスまでの道程を」
有料での性交渉は簡単だ。店員の指示に従うだけでいいのだから。
ただし、素人の女と、無料でセックスする方法──そんなものが存在するのだろうか?
「ま、まず女と出会うだろ? 学校とか、バイト先とか、仕事先とか、合コンとかで」
「うん」
「そ、それで、メールのやり取りを続けるだろ?」
「LINE交換してな。たまに電話とかしたりして」
「んで、まぁ遊びに行ったり買い物行ったり、2人きりで出かける」
「デートだな」
「ある程度お互いを知ってから、好きですって告白して、付き合う」
「次は恋人としてのデートだ」
「デートを数回続けたら、手を繋いだり、キスしたり……」
「まぁ、どのタイミングかは人によるけど、これくらいなら誰でもできそうだ」
「それで、それで──」
それで?
「え、ここからいきなりセックスに繋げるのか!?」
「ほら、やっぱり想像できてないじゃん。セックスまでの道のりを」
「いやいやいや、ちょっと待て。あまりに急すぎないか? この流れで、セックスって単語が出てくるの意味わからないんだが」
「普通に、一般的な流れだぞ」
「いや接着面が荒すぎるというか、断面がデコボコやんけ」
LINEに返信してほしい。2人で出かけてほしい。告白の返事が欲しい。手を繋いでほしい。キスをしてほしい。
この次が、『ケツの穴おっ広げながら、ちんぽを挿れさせてほしい』って、極端すぎないか?
急ハンドルというか、大切な階段を何段も飛び越えている気がする。
いやもちろん、その間に、抱きしめ合うとか、ディープなキスとか、色々と挟むのかもしれないけど、どんなに段階を重ねても、最終的に『裸になってちんぽを受け入れてくれ』って要求はあまりにも無謀ではないか?
それまでの要求とは明らかにレベルが違う。失うものが多すぎる。
風俗嬢ならまだわかる。仕事でやってるし、金を貰ってるから、尊厳とか捨てることができるのだろう。
しかし一般の素人の女が、ケツの穴広げてガニ股でエッサホイサする理由って何だ? ──好きだから?
いや流石に発想が飛躍し過ぎてないか?
好きだからちんぽしゃぶる……いやおかしいだろ。何でだよ。
もちろん、奉仕として、愛情表現の一形態として、セックスが存在しているということは理解できる。
愛情表現の仕方は人それぞれだ。手紙を書いたり、毎日愛していると伝えたり、ただ静かに抱きしめたり。
そんな様々な愛情表現の、行き着く先として、ちんぽをしゃぶったり、社会人としての尊厳もクソもないポーズてアヘアヘ言ったりすることもあるだろう。
しかしそんなのはあくまでも“極端な一例”じゃないのか?
なぜ往々にしてカップルたちの愛情表現は、そんなメーターが振り切った行為に帰結するのだろう。
一部のやばいカップルが、行き過ぎた愛情表現として、全裸で性器を擦り付け合うのならばまだしも、普通の、一般的なカップルまでもがそんなことするのおかしくないか?
それまでに、セックスまでに、それらに近い性的な行為を日常的にしているのなら、自然な流れでセックスに辿り着くけれど、手を繋いだりキスしたりという行為から、いきなり裸でワッショイって……。
おめぇら頭おかしいんじゃねぇのか。
「途中から作者の意見みたいになってるけど、私もそう思うぞ! どんな会話をして、どんな日々を過ごせば、その先にセックスという飛躍した愛情表現があるんだ?」
「さぁな。何となく、みんな普通にしてるんだろ」
「……なんか曖昧だな。シェルム、お前のキャラ設定って、童貞ではないよな?」
「もちろん。ヤリまくりイケメンよ」
「それにしては、お前セックスについての知識が乏しくないか?」
ピカロの、核心をつく一言に、シェルムの目つきが変わる。
刺すような視線を向けて、腕を組んだ。
「小説や漫画、アニメを創作するときによく言われる言葉がある──『作者より頭の良いキャラは作れない』」
「そ、そんな、まさか!?」
「そう。僕はヤリチンイケメンのシェルム・リューグナーというキャラクターだが、それを作り出した作者が童貞なせいで、僕もその巻き添えを食らっているのさ」
「作者が、セックスを知らないから……シェルムを一人前のヤリチンにしてやれないのか」
「非常に残念だ」
“どうやってセックスまで辿り着くのか”なんて話題を書けば、これを読んでる読者の内、セックスをしたことのある男たちが、「俺はこんな流れだったなぁ」とか「あの子とヤった時のこと思い出すと懐かしいなぁ」みたいに、自分の経験を振り返る可能性がある。
はっきり言おう──死ね!
「まぁ何だっていいけどさ、事実として作者はセックスを知らないわけだから、今、お前が人間界に帰ってサキュバスと再会しても、そこからセックスまで繋げることは不可能なんだよ」
「作者はセックス導入までの書き方を知らないからな……」
「だからさ、せめてストーリーをちゃんと進めて、伏線とか回収して、全部終わってから、また考えようぜ、ピカロ」
「そ、そんなぁ」
「この第六十八話は、『今すぐにでもセックスできうる環境にいるピカロが、それでも物語を全うしてからセックスに挑む』という、とても大切なことを読者に知らせる、重要な回なんだ」
「……というわけで皆さん、私は当分、セックスできなさそうです」
「この『無能貴族(仮)』の最終回が、『サキュバスとのセックス』で終われば、それはつまり完結までに作者が童貞を卒業したということ。逆に『セックスせずに完結』した場合は、ついに最後まで作者はセックスについて書けない童貞のままってことだな」
「読者の皆さんは、作者が一人前の立派な男になれるのかどうか、という未来まで想像して読んでいただきたい」
「そして、童貞の中に渦巻く、行き場のない性欲は、こんな長編ストーリーを書けるくらい凄いエネルギーだと、改めて認識してほしい」
──童貞小説、アクセル全開。ぶんぶん。




