第六十五話 原点回帰
「……被害状況は、まずまずだな」
「ピカロさんの指示通り、上級魔族を優先的に叩いた結果、魔獣に本陣近くまで入り込まれはしましたが、結果的には損害を減らせたかと思います」
「私とシェルムが勝手に飛び出していった間も、シルベル少佐が正しく軍を導いてくれたからだ」
「あ、ありがとうございます。ただやはり問題なのは王都ですよね、『魔皇帝』アーバルデンが再び襲撃してきたと報告が来た時は心臓が止まるかと……」
「私たちも、前線を押し上げて戦っていたせいで王都には帰れなかったし、何より真魔王軍と戦うので精一杯だったからな」
「王都に帰還したら、既にアーバルデンに占領されてました、なんてことはないですよね?」
「ヴァーン・ブロッサム、カノン・リオネイラ、スノウ・アネイビス……アルド王国最強の3人がいるんだ、大丈夫だろう」
真魔王軍の猛攻は、アルド王国軍に多大な被害をもたらしたものの、それ以上の各々の奮戦のお陰で持ち堪えることができた。
前日に圧勝し過ぎたせいで、警戒した真魔王軍は、かなりの戦力をアルド王国軍にぶつけてきていたことを思えば、むしろ戦果としては褒められて然るべきでもある。
そういう意味では、何一つ『無能貴族』ではない──ピカロはちゃんと有能だった。
──早朝から始まった大戦が、アルド王国軍の戦勝ムードに傾きかけてきた、夕暮れ時。戦場に変化が訪れる。
「し、真魔王軍が、退いていきます!」
「魔獣まで撤退してるな……」
「総指揮官!」
魔法で飛行してきた王国軍人が、息を切らせながら本陣に着地した。
ピカロから渡された水を飲み干し、一息ついてから嬉々として顔を上げる。
「ジンラ大帝国のガイジングス・リアレ・ジンラード王子が──真魔王ディーを倒したそうです!」
「まじか!?」
「す、すごい!」
「ジンラ大帝国からの使者がアルド王国にも来ていて……とりあえず士気向上のためにも各地に知らせるよう命じられました」
「士気向上もいいけど……真魔王軍は撤退したからな。まぁ何にせよ結果オーライだ!」
「真魔王ディーが死んだから、撤退したんですね! やったぁ、王都に帰れます!」
「いや、一時撤退に過ぎないかもしれない。少なくともあと1日は前線に待機して警戒すべきだ。私たちが王都に帰る背中を襲われちゃあ堪らん」
「し、しかし王都はアーバルデンの襲撃を……!」
「そこに、真魔王軍を引き連れて帰って行っても状況は悪化するだけだ。戦争はまだ終わってない」
ガイ王子の功績は全世界を駆け巡り、それは人類側に勝利の陶酔を与え、真魔王軍には撤退を余儀なくさせた。
その日、各国の真魔王軍が再び攻めてくることはなく、そして次の日も平和に過ぎ去った──戦争が終わったのだ。
結果だけを見れば、軍の被害が最も大きかったのはジンラ大帝国。なんと帝国軍人の半分以上を失ったらしく、帝都を守り切れるかが危ぶまれた折に、ガイ王子な真魔王討伐の偉業を成し遂げ、何とか持ち返したらしい。
ネーヴェ王国とテイラス共和国は、順当に真魔王軍の攻勢を耐え、最低限の被害で国を守りきった。
そしてアルド王国軍は、ほとんど被害を出さずに真魔王軍を追い返した形となった──前日に続き、アルド王国軍だけが圧勝の様相を呈したのである。
真魔王軍の規模の小ささをアーバルデンから聞いていたおかげで、戦争が短期決戦であると知っていたピカロが、長期化する可能性を捨て去って全力で戦わせた結果だ。戦力の温存などを考慮せず、ひたすらに戦い続けた。
そういう意味では、真魔王ディーの死がなくとも、真魔王軍を追い返すことには成功していただろう。
しかし一方で、軍ではなくそれぞれの国そのものの被害を見てみると──アルド王国だけが甚大な被害を被っていた。
なぜならアーバルデンはアルド王国のみを狙ったからだ。他国の王都は魔獣1匹寄せ付けていなかった。
しかしアルド王国の王都は戦場と化してしまった……ゆえに、軍では圧勝だが、国としては唯一敗北を味わったと言ってもいい。
無論、猛者揃いの王都をアーバルデン1人で落とすことは叶わなかったが、ピカロの予想通り、相当な被害の爪痕を残してくれたようだ。
そのせいで──ようやく戦争も終わり、何なら英雄気分で王都へ帰還した王国軍は、王国全土からの“戦犯扱い”に困惑した。
王都からの報告以上に、町は崩壊し、多くの死傷者がでていた──軍人のほとんどが前線で戦っていたせいで、市民を守りきれなかったのだ。
他国はほとんど無傷なのに、アルド王国だけが……その事実もまた、王国民のプライドを大いに傷つけ、何より国王陛下の怒りを買ってしまった。
──そうして王都帰還後、ピカロとシェルムはすぐに手錠を掛けられ、国王城へと連行された。
「待ってください! 我々王国軍は、できる限りのことをしました! ピカロ総指揮官もシェルム補佐官も、間違った選択などしていません!」
国王陛下の準備が整うまで、地下牢に留置されたピカロとシェルム。彼らを助け出すため、シルベル少佐は国王城に直談判しに来ていた。
しかし、その必死の形相に対して、役人の対応は冷たい。
「……アルド王国軍少佐シルベル・アンミッチ。指揮官補佐として派遣されていたようだが、実際には“ほとんど何もしていない”のだろう? 事情聴取によれば、君は軍略会議にすら出席していなかったそうだが」
「な……!? わ、私も今回の作戦にはちゃんと関わっています! あの2人が本陣を離れていた間に私が1人で軍を動かしたこともありました!」
「そりゃあ、君は“仕事してません”とは言えないから、そういう風に取り繕うだろうけどね、安心してくれ、今回に限ってはその“仕事をしなかったこと”が評価されているんだ」
「わ、私も2人と同罪です!」
「証拠がないからねぇ」
ピカロは、シルベル少佐まで責任を問われないよう、彼女は全くもって役立たずで、今回の作戦失敗には関わっていないのだと供述した。
シェルムも口裏を合わせたことで、シルベル少佐が何を主張しようと、彼女は“何もしなかった”ことになる。
指揮官補佐として派遣されたのに仕事をしなかった、という類の低評価は免れないが、しかしピカロたちのようにアルド王国の恥さらしという扱いは受けずに済んだ。
2人が自分を守ってくれたことを察したシルベル少佐は、その後も各所に赴き2人の解放を叫んだが、ついには認められなかった。
──王都帰還から数時間後、2人のいる地下牢に、王国立騎士団団長ヴァーン・ブロッサムが訪れた。
「……ピカロ君」
「お、久しぶりだなヴァーン。聞いたぞ、アーバルデンを返り討ちにしてやったんだってな」
「……君は悪くない。運が悪かっただけなんだ。でも、もう国王陛下の意思は決まってしまった」
「何だよ、しみったれた空気だしやがって」
「君たち2人は、“魔界送り”の刑に処されるだろう」
ヴァーンは沈痛な面持ちでそう言った。
「この戦争の責任者は、君たち2人ということになってしまった。俺を含め、色んな大人の失敗と、運の悪さが重なった結果だとわかっているのに……それでも、誰かに責任を押し付けないと、事態は収まらない」
「いいよ別に」
「君たちのにアルド王国の命運を背負わせ、頼りきった挙句、この国は君たちを戦争犯罪人として殺すつもりなんだ……!」
「総指揮官ってのはそういうもんだろ。私もこうなる覚悟をして戦った」
「ピカロ君に殺されたはずのアーバルデンが、アルド王国のみを襲撃した……このことを王都は、“ピカロ君への復讐に王都が巻き込まれた”などと解釈している」
「間違った解釈じゃないよ」
「他国が戦勝に歓喜する中、アルド王国だけが下を向いている現状──それも仕方がないと知りながら、国王陛下はプライドが傷付いたために君たちを見せしめにするつもりなんだ」
なぜ王都を守ってくれなかったんだ。なぜ王国軍はほぼ無傷で、武器を持たない市民が沢山死んだんだ。なぜ死んだはずのアーバルデンが現れたんだ。
王都に渦巻く様々な疑問は、すべてピカロに繋がっていた。それもたまたまであり、ヴァーンの言う通り仕方のないことではある。そんなことは誰もがわかっている。
しかし、唯一、敗戦みたいな結果に落ち着いてしまった悔しさや恥ずかしさ、多くの市民が殺された怒りや悲しみを、誰かにぶつけないと、気が済まないのだ。
誰かが生贄にならないと、アルド王国に満ちる黒い感情は行き場がない。
そしてピカロは、生贄としての条件が揃い過ぎていた──無論、全て計画通り。
「……今から君たちを救うには、アルド王国全てを敵に回すしかない。しかし、王国立騎士団にはその力がない……!」
「ヴァーンが責任を感じることはない。これは全て私たちの行動の結果だ」
「あまりにも、無責任だ! たった2人に全てを任せ、結果が悪ければその2人のせいにするなんて……!」
「なぁ、ヴァーン」
このままだと、王国最強の剣士が、2人を救い出してしまう可能性さえあるので、ピカロは1つの賭けに出た。
「私の母親について、知っているか?」
「……ピカロ君の、母親?」
突然の問いに困惑するヴァーン。
彼の正義感が頂点に達する前に、手を打つしかない。
「魔族なんだよ。私の母親は」
「魔族……」
「父さんが誰と子供を作ったのか、誰も知らなかったのは、妻が魔族であることを隠すためだったんだ。実際、私もつい最近まで知らなかった」
「そ、そんな……。では、聖剣の儀の時、ピカロ君が聖剣アルドレイドに触れることすらできなかったのは……!」
「そう。私が半分魔族だからだ」
思い当たる節があったため、ヴァーンはあっさりと真実を受け入れることができたようだ。
「……君に魔族の血が流れているとして、それがどうしたって言うんだ」
「“魔界送り”は、私にとって悪い話じゃないってことだよ。魔界に行きたいだなんて考えたことなかったけどさ……いざこの立場になってみると、魔界に行くのも悪くないのかなって」
「それでいいのか……? 確かに君にとって“魔界送り”は最悪のケースではないのかもしれないが、しかし人間界での幸せな日々を無理やり奪われるのだぞ!?」
「だから、それについては納得してるんだって。作戦失敗の時は殺される覚悟で総指揮官をやってたんだ。後悔はしてない」
「では……俺はどうすれば」
腐りきった王国のあり方に嫌気がさし、不当な扱いを受けるピカロたちを助ける可能性さえあったヴァーンの心が揺れる。
まさかピカロが魔界送りに、ある種の希望を見出しているだなんて。
「私は魔界に行くよ。母親について色々と知りたいし。だからヴァーン、私たちを助けなくてもいい──むしろ、国王陛下に同調するフリをしてくれないか?」
「積極的に、君たちを“魔界送り”にするよう、振る舞えと?」
「演技力が問われるぜ、ヴァーン」
「……本当に、いいんだな」
「ああ。最後の頼みだ」
ヴァーンは静かに頷いた。ピカロ本人が魔界送りを望む以上、ヴァーンのエゴで助け出すことはできない。
まさかヴァーンも、2人がこの魔界送りを目的に行動していたとは思わないので、不審がられることはないだろう。
魔界送りにされるために、王国を犠牲にしたことまでは流石に打ち明けられないので、最後に嘘をつく形になってしまったが、これも仕方ない。
こうして邪魔するものは何もなく、2人の魔界送りが決定したのだ。
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ノッチことノチノチ・ウラギルは、5年間王国立騎士団で活躍し、その中で信頼を勝ち取ってきた。
そしてアーバルデンが攻めてきた大戦最終日、ノッチは副団長アンサイア・リーゲルトを含む騎士団の団員をことごとく暗殺した──その全てをアーバルデンの仕業に見せかけて。
ノッチは自分自身に傷を付け、アーバルデンに立ち向かった王国立騎士団の“生き残り”を演じた。駆けつけたヴァーンは、転がる団員たちの死体と、ノッチの証言で“アーバルデンが仲間を殺した”のだと信じた。
その結果、誉高き王国立騎士団は、団長のヴァーンとノッチだけになった──ノッチの計画通りである。
ピカロとシェルムを王の間に連行し、魔界送りの刑を執行するまでの間、国王陛下の護衛や2人の監視などを行うのは王国立騎士団の役目だ。
つまり、魔界送りの刑を行う“その場”に、立ち会うことになる。
あとは隙を見て、ピカロ、シェルムと共に魔界への扉を潜るだけだ──これでノッチも魔界に行くことができる。
5年前、この一連の作戦をピカロから提案され、それに乗ったノッチは、見事王国立騎士団での信頼を勝ち取った上に、処刑執行の場に“確実に立ち会う”ために、他の団員の暗殺をも成し遂げた。
完璧に計画を遂行した自信が顔に出ないよう努めて、ノッチはヴァーンと共にピカロとシェルムを連行する。
2人の手に掛けられた手錠は、魔法の発動を封じる作用を持つもので、魔法での逃走は不可能。力尽くで暴力に訴えても、ヴァーンの前では無力だ。
そんなわけで、ヴァーンとノッチに連れられ、ピカロとシェルムは、運命の場所──王の間に足を踏み入れる。
「来たか……そこに跪かせろ」
厳かな声音。国王陛下の冷たい視線に晒されながら、2人は大空間の中央に膝をつく。
ヴァーンは国王陛下の横に立ち、ノッチは国王城に仕える他の警備隊に並んだ。これでピカロとシェルムはもう、逃げられない。
──静寂。様々な想いが混ざり合う重たい空気を、浅く吸い込む。
国威を貶められた怒り。王国の正義への猜疑心。2人の英雄への同情。
俯いた2人を見つめる様々な視線。誰もが、この2人に訪れる悲惨な結末を予想し、口を閉ざしていた。
不機嫌な様子を隠しもしない国王陛下が、全てを終わらせようと、口を開く──直前。
俯いていたピカロが、顔を上げ、そして言い放った。
──始まりの言葉を。
「ちんぽ」