第六十四話 敵討成敗
アルド王国第一王子──ノアライエ・アルドレイド。
ネーヴェ王国のウサ王子、ジンラ大帝国のガイ王子、テイラス共和国のレイ王子に続く、4人目の『伝説の勇者』。
国王陛下の1人息子ではあるが、実質的にはニクスが育ての親である。物心つくころから最強の男に鍛え上げられた生粋の剣士。
「初めましてだね、ノア王子。まさか女の子だったなんて知らなかったよ」
「ピカロお兄ちゃんとは会うの避けてたから」
「……どうして?」
「オレより弱いからだよ」
夜空の滝を思わせる長い黒髪。妖艶な仕草で見上げてくるその双眸は、まるで虫でも見ているかのような──
「ひ、酷いなぁノア王子。てっきり、王子様なのに実は女の子だったことを隠そうとしてるのかと思ってたよ。聖剣の儀にも不参加だったし」
「オレは女に生まれてよかったと思ってるから、それを隠してたわけじゃない。ただ単に興味が無かったんだ、聖剣にも、他国の勇者にも、ピカロお兄ちゃんにも」
2人の会話の内容は理解できないが、後方にいたイデアは少しずつ冷静になってきていた。
ピカロを殺しに人間界へやって来て、謎の黒髪美少女に殺されかけて、ピカロに助けられた──殺そうとしていた相手に命を救われているのだから、何とも情けない話である。
……しかし、今まさにチャンスなのではなかろうか?
イデアに背を向け、謎の美少女と話し込むピカロ。無防備なその背中が、手の届く距離にある。
唾を飲み込んだイデアは、ピカロの背中に向けて手をかざして──
「こらこら、助けてもらったんだから不意打ちはダメでしょ」
その細い手首を、紫紺の美青年に掴まれた。
「……シェルム・リューグナー……!」
「どうせ“アイツ”の差し金で来たんだろうけど、今日のところはもう帰ってくれない? ここはイデアさんレベルの魔族がいていい場所じゃない」
「わ、わたしは自分の意思で来た……」
「どっちでもいいけど、あんなちっちゃい女の子にすら勝てないんだから、ピカロを殺すのも無理無理……それに、早く帰らないと“巻き込まれる”よ」
ピカロがわざわざこの場所に来たのは、イデアを助けるためである。ではなぜ助けるのかと言えば、それは顔見知りの女を助ければセックスさせて貰えるかもしれないからだ。
つまりそこまで深い意味はない。かつて好きだったイデアの姿を見て、何となく会いたくなってしまっただけかもしれない。
ただ、イデアと再会したくて急いで来たのではなく、イデアを“助けに来た”のは確かだ。
魔導ドローンの映像を見て、イデアがリード・リフィルゲルを圧倒するほどの魔族であることはわかった──見た目は人間なので、魔族だとは言い切れないが、少なくともアルド王国軍に敵対していることはわかる。
そして直後、画面の端に映った謎の人物──画面越しに伝わる異常なまでの魔力に、ピカロは一瞬でその人物が『伝説の勇者』だと確信した。
解像度の問題で、それがどの国の誰なのかは分からなかったが、しかし魔族の味方ということはないだろうから、敵対するイデアさんに危機が迫っていたのも確かだ。
イデアさんがリードを圧倒するほど強くても、伝説の勇者は別格。直接、伝説の勇者と会ったことのあるピカロだからこそ、彼らの恐ろしさを知っている。
だからピカロは、イデアを助けるために急いで本陣を飛び出したのだった。
一応、戦場におけるイレギュラーを放置できなかった、という総指揮官らしい見方もできるが、非合理的で感情的な行動だったことに変わりはない。
「ピカロお兄ちゃんは、どうしてその魔族の味方をするの?」
「いやいやノア王子。この子はどこからどう見ても、ただの可愛い女性でしょう」
「ただの女性が黒いビーム出さないでしょ」
「いやまぁ私みたいなおじさんは白いビームをちんぽから発射できますし」
「……?」
「と、とにかく真魔王軍かどうかわからないのに殺しちゃだめ! はい解散!」
明らかにアルド王国に敵対していたイデアを助ける合理的理由……など存在しないため、ノア王子を正攻法で説得することは不可能だろう。
もはや勢いで乗り切る他ない。
「──そういえば」
すっかり解散ムード……でもないが、少なくともピカロは解散ムードを醸し出していたところに、ノア王子が何となく呟いた一言──
「ニクス・ミストハルトを殺したのは、このオレだよ」
ピカロが立ち止まったのは、父親の死について急に言及されたからだ──決して、もともとノア王子を疑っていたとか、ニクスは他殺だったと確信していたとか、そういうわけではなかった。
ただ、妙にストンと胸に落ちたのだ。
ノア王子が、ニクスを殺した──。
「オレのお父さんを含めて、この国の人間は、王国最強の戦士といえば口を揃えてニクスだって言ってた。それが気に食わないから殺したんだ。それでオレの方が強いって認めざるをえなくなる」
突然、ニクスが心臓病で死んだと発表されてから、アルド王国民は酷く悲しんだ。迫る大戦における心の支えの一つだったからだ。
だから心臓病という死因については、魔王の呪いだとか色々と噂話は流れたものの、誰かに殺されたとは誰も思っていなかった。
ピカロもまた、まさかあのニクスが誰かに引けを取るとは思っていなかった──しかし、唯一の家族であるピカロにも、死んだニクスの顔を見せてくれない王国には違和感を覚えていた。
アーバルデンはそのことについて、“国ぐるみで隠さなければならない不都合な真実”があるのだと言っていたが、ピカロは心の底で、実はニクスはまだ生きているのではないかと考えてもいた。
──しかし、ノア王子がニクスを手にかけていたのだとすれば。最悪なことに、辻褄が合ってしまう。
ニクスの側にいるノア王子なら、2人きりになるタイミングなどいくらでもあっただろうし、犯人がノア王子なら、国王が権力を濫用してまで真実を隠したこともうなずける。
そして何より、ニクスを殺せるとしたら、『伝説の勇者』くらいしか──
「オレはいつも退屈だったんだ。ニクスはオレよりも弱いと知っていたし……オレが成長するには、オレより強い敵がいなきゃいけないのに」
「……お前が、父さんを、殺したのか」
「だからそうだって言ってるでしょ。でも勝手に怒らないでよ? これはニクス本人の意思なんだ」
ふつふつと沸きかけていた怒りは、その言葉に遮られた。
ノア王子によるニクス殺害が、ニクス本人の意思?
「『魔皇帝』アーバルデンが王都に攻めて来たあの日、オレはアーバルデン本体と戦いたくて王都を走り回ったんだけど、結局本体とは会えなかった。オレがアーバルデンよりも上だと証明したかったのに。そしたら、アーバルデン本体を倒した人がいるって聞いて……調べたらピカロお兄ちゃんだったんだ」
「……だから、どうした」
「つまりアーバルデンを殺したピカロお兄ちゃんをオレが殺せば、オレはアーバルデンよりも上ってことでしょ。だからピカロお兄ちゃんを殺してくるって言ったらニクスが凄い怒り出してさ……それだけは許さないとか何とか……」
ニクスの実の息子はピカロだけである。ピカロを幸せにすると、妻であるオルファリア・シンス・ザルガケイデンと約束した。
自分の強さを周りに示したいがためだけに、ピカロが殺されるなど到底許容できなかったのだ。
「その時、オレはまだニクスより弱いみたいなこと口走りやがったからさ……思わず殺しちゃったんだ。反省はしてるよ、後悔はしてないけど。いずれ殺すつもりではあったし」
「……なるほど、な」
「ニクスが負け惜しみで、“ピカロはお前よりも強い”とか嘘ついてたけど、弱いニクスの息子って時点でピカロお兄ちゃんも弱いでしょ」
なんとなく、表情を見ればわかるのだが、ノア王子は別段悪気があるわけでも、ピカロを煽っているわけでもなさそうだった。
ただ純粋に、自分が正しいと思っている。ニクスの死は、ニクスの実力不足のせいであると。
ピカロは、イデアを助けに来たという短期的な目的も、アルド王国軍を敗北に導くという長期的な目標も、何もかも忘れて、ただ焼け焦げるような怒りだけを感じていた。
暗く燃える闘争心が、ピカロの背を押す。
「そういえば、アルドレイド家は代々、尊敬すべき人物の名前を、ミドルネームにしているんだけど……」
明らかな殺意を持って近づいてくるピカロを意にも介さず、ノア王子は楽しそうに話す。
「オレの本名は、ノアライエ・ニクス・アルドレイドだったんだ──でも、ニクスなんて尊敬してないから、その名は捨てた」
「──死ね、クソ餓鬼」
荒野の土を蹴り砕く。爆速で剣を抜いたピカロが、金色の軌跡を残して空を切る。
躊躇などない。ただ目の前の少女を殺すだけだ。
「……ニクスと同じ剣だ」
鼓膜を刺すような金属音。ピカロの一撃を、ノア王子は剣で振り払う。
刹那を駆ける連撃も、あと一歩、ノア王子には届かない。
父から受け継いだ“ニクス流剣術”──父の力で持って、仇を討つ!
「ニクスは、ピカロお兄ちゃんのことを、オレとは比べものにもならない男だと言ってた。どんなに努力したって、オレじゃピカロお兄ちゃんには勝てないって……」
「口を閉ざせ……!」
「でもやっぱりあれは死際の負け惜しみ……実際に戦ってみてわかったよ。ピカロお兄ちゃん──お前はオレよりずっと弱い!」
ノア王子が獣のように笑う。その細い腕からは想像できない力でピカロの剣を弾く。豪速、それでいて正確。最適な軌道のみをなぞる美しい剣線。
体格差をものともしない勢いに、ピカロも思わず後退を強いられる。反撃の糸口さえも掴めない。
防戦一方どころではない。神に選ばれし『伝説の勇者』という存在の脅威を知る。あまりに不平等。あまりに遠い彼我の距離。
火花散る剣撃。荒野に響く衝突音。およそ最高峰の戦いは、ある種順当に、そして残酷に決着がつく。
「……弱い」
ついに、ピカロの剣はノア王子のそれに追いつけず、致命的な隙を晒した。
即座に後方に跳躍するも間に合わず、ノア王子の振るった鋼は、ピカロの胸を斜めに裂く。一瞬、刀身の冷たさを内臓で感じ、直後に激痛と灼熱。
溢れる血液とぶら下がる臓物──血に濡れる地面に、ピカロは膝をついた。
「ピカロ・ミストハルトが、殺される……」
ただ呆然と一部始終を見ていたイデアが、思わず呟いた。
シェルムの言う通り、今のイデアではピカロには敵わなかったのかもしれない……そう思わせるほど目の前で行われた壮絶な衝突は異次元のそれだった。
だからこそこうも呆気なく、どうしようもなく単純に、ピカロは殺されるのだと悟る。
「ピカロは死なないよ。あんなの放っておいて、イデアさんは帰ろう」
そういうとシェルムは、当たり前のように次元の扉を作り出す。宙に浮く薄紫の穴は、イデアも見覚えのある“最上級魔族の魔法”。
魔族しか通れない次元の扉──そこにイデアの身体を押し込んだ。
「まだ君の出番じゃない。魔界編になったらまた会おう」
「あなたは……あなた達は一体……!」
ゲートに吸い込まれてイデアは消えた。シェルムはゲートを消し、チラリとピカロを見やる。
血生臭い静かな荒野の上には、ノア王子とピカロ、そしてシェルム──3人しかいなかった。
「……シェルム、イデアさんは帰ったか?」
「ああ」
「魔導ドローンに監視されてないよな」
「もちろん」
「じゃあ……“やる”」
「……そうか」
ピカロはおもむろに立ち上がる。ボトボトと落ちる内臓が、音を立てて潰れた。
血濡れた金髪を掻きむしり、深く息を吸って──
「力を貸してくれ、母さん」
つまらなさそうに眺めていたノア王子が、顔色を変えてその場を離れた。本能的に危機を感じたのだ──『伝説の勇者』が。
魔力粒子が収束していく。ピカロの身体には収まりきらない膨大な魔力が、ピカロの傷を治し、そして身体の形を変えていく。
ボコボコと骨格が変わり、肥大していき、やがてピカロは元の3倍ほどの巨体へと変貌した。
黒々とした肌に、強固な外骨格。禍々しい2本のツノが、荒れた空を突き刺すように、金髪の隙間から伸びている。
もはやピカロの面影はない。誰がどう見ても、恐ろしい魔族の姿。
「……これは、どういうことだ?」
「例えば現魔王のデスファリア・シンス・ザルガケイデンは、前魔王オルファリアの息子だからという理由で、当然に魔王となったんだけど……それなら、オルファリアの長男であるピカロだって、魔王の資格を持っているはずでしょ?」
「何を言っている……? こ、こいつは、ピカロお兄ちゃんは、魔王だとでも言いたいのか?」
「いやぁまさか──ピカロはそんな小さなスケールの男じゃない」
刹那、ピカロが丸太のような腕を突き出し、拳を握りしめた。
反応する間もなく、かつてなく強力な重力魔法がノア王子を襲う──指一本動かせない超重力。ノア王子はその美しい顔を地面に押しつけられたまま、眼球だけでピカロを見上げる。
「な、何が──」
「死ね」
轟音。地面に張り付けられたノア王子に、ピカロは容赦なく拳を振り下ろした。
地面ごと砕き割る衝撃。ノア王子の全身の骨が悲鳴を上げて破砕する。
目を剥き吐血するノア王子を、ピカロはそのまま押し潰そうとして──
「はいはいピカロ、終わり終わり。殺しちゃあまずいよ」
ピカロの動きが止まる──否、無理やり止められた。
もはやピカロ・ミストハルトとしての意識が薄れた状態である今のピカロは、何を言われようとノア王子を殺すつもりである。
シェルムはピカロの動きを魔法で止めつつ、死にかけのノア王子を回復魔法で治療してあげた。
意識を取り戻したノア王子が、今にも殺そうとしているピカロを見上げて笑う。
「まさか……こんな化け物がいたなんて」
「ノア王子、ピカロが人間じゃないってことは、秘密にしておいてくれないかな?」
「……人間界を支配しようとでもしてるの?」
「いや、僕らは魔界に行きたくてさ、色々と下準備とかして頑張ってきたんだ。だから邪魔しないで欲しいなぁって」
「だったら、今すぐオレを殺せばいいだろう?」
「わざわざモブキャラを殺すのもなぁ、読者に嫌われかねない」
笑いながらシェルムは、ピカロの顔を鷲掴みにし──強制的に魔力を吸収した。
悲鳴を上げながら萎んでいくピカロ。戦場にいてもなお、間の抜けた雰囲気に、ノア王子は自分が相手にもされていないことを知る。
この2人の壮大な道のりにとって、ノア王子は大きめの石ころでしかないのだ。
「……オレより強い敵がいるってことは、オレにとっては幸福なことだ。今はまだ勝てないけど、ピカロお兄ちゃんを超えた時、オレは真の勇者になれる」
「まぁ何だっていいけど、とりあえずピカロと僕のことについては黙っててね」
「真実を言いふらしたって、オレは強くなれない」
「じゃ、そういうことでよろしく」
人生初の敗北を噛み締めるノア王子を置いて、ピカロを背負ったシェルムは本陣へと帰っていった。
──突然のイデア・フィルマーの乱入、ノアライエ・ニクス・アルドレイドとの衝突……ピカロとシェルムにとっては想定外の事態が続いた。
とはいえその裏で、概ね2人の計画通りに大戦は進み、『魔皇帝』アーバルデンが王都で暴れているとの情報も届いた──いよいよ大詰めだ。
あまりに長かった『無能貴族』への道のりも、ようやく終わりが見えてきた。
あとは、裁かれるだけだ──。




