第六十一話 前傾姿勢
「……南東部、上級魔族の討伐と、魔獣の掃討が完了したようです」
アルド王国の空を飛び回る魔導ドローンが映し出す、戦場の映像──戦闘の始まりを告げる最初の衝突は、テテ・ロールアインの破壊力を示す結果となった。
画面に映る焼け野原を見て、シルベル・アンミッチ少佐が一応言葉にして報告する。ピカロも顔を引きつらせながら頷く。
「こ、こりゃ強いなぁ」
「圧倒的ですね、『魔女隊』」
「ノア王子がいなくなってどうなるかと思ったけど、『魔女隊』がいれば安心だな」
「魔導ドローンを一機、王都にも飛ばしてまで探しましたけど、見つかりませんでしたからね」
ノア王子──アルド王国第一王子ノアライエ・アルドレイド。アルド王国が誇る『伝説の勇者』候補の1人である。
無論、そんな化け物がいるのならば、他国同様、伝説の勇者の力に頼りたいところなのだが、残念なことに現在ノア王子は行方不明であった。
というか基本的にノア王子は神出鬼没で、常に1人でフラフラしているため滅多に会えない。
何よりも大問題なのが、ピカロはまだ一度もノア王子と会ったことがない、ということである。
アルド王国軍総指揮官と、アルド王国最高戦力──この2人の連携が取れていないことは、大幅な戦力の喪失だ。
しかし誰に聞いても、貴重な魔導ドローンを戦場ではなく街中に飛ばしても、ノア王子は見つからなかった。
アルド王国の国宝である『聖剣アルドレイド』の所有権を放棄したり、聖剣の儀に参加すらしなかったり、大戦開始までの軍事会議にも一度も顔を出さなかったレイ王子……父親である国王陛下が、彼を総指揮官として認めなかった理由は、そこにもある。
要するに、問題児扱いされているのだ、国王陛下からも。
だから、一応の面子を保つために、総指揮官候補者4人の中にノア王子の名前をいれたけれども、最初からノア王子を総指揮官に任命するつもりはなかったのだ。
人の上に立てるような人間ではない……とはいえ、伝説の勇者候補であることに変わりはないし、大英雄ニクス・ミストハルトが師匠──というか親代わりとなって育てた剣の申し子であるのだから、戦争における重要なピースではある。
しかし戦場にすら現れてくれない。国王陛下に、御宅の息子さんはアホですねなどと文句を言えたらいいのだが、ピカロにそこまでの勇気はない。
結局、ピカロがノア王子ではなく『魔女隊』を“切り札”だと考えているのも、もはや伝説の勇者には期待していないからなのだ。
「……あ! 北に魔族が……3体もいます!」
「なんか、じっとしてるな。様子を見てるのか」
「な、何の様子を見ているのでしょうか」
「そりゃまぁ、最初に突っ込んでいった奴らが1分足らずで粉々にされたら、とりあえず覗き見しに来るよな」
真魔王軍としても、予想外のカウンターだったらしい──まさか大量の魔獣を引き連れた仲間の魔族がアルド王国の領土に一歩踏み込むことすら叶わず消し飛ばされるとは。
出鼻を挫かれたため、すぐにまた攻め込むモチベーションが削がれたのだろう。
そんな不幸な魔族たちに、さらなる不幸が舞い降りる。
「よし、シェルム。あの3体ぶっ殺してこい」
「行ってきまーす」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? ピカロさん、敵の強さがわからない以上、単独での戦闘は……」
「あー、シェルムなら大丈夫だよ」
俯瞰魔法に表示された3つの魔力反応のもとへと、シェルムが飛んでいく。その背中を不安そうに眺めるシルベル少佐の肩に手を置き、ピカロは耳元で囁く。
「やっと、2人きりになれたね」
「ぎゃー! 早く帰って来てシェルムさーん!」
──シェルム・リューグナーは影が薄い。
魔法学園新入生トーナメントでの準優勝や、歴代最年少で王国軍大将になったこと、ザンドルド・ディズゴルドの討伐、『魔皇帝』アーバルデンの討伐、史上最速でのSS級冒険者への昇格など、その功績は輝かしいものなのだが、それら全てピカロとセットで語られるため、シェルムだけにスポットライトが当たる機会は少ない。
魔法学園の同級生たちは、シェルムの“異常性”を多少は理解しているが、少なくともアルド王国の国民にとってのシェルムは、ピカロのオマケである。
無論、紫紺の美青年として女性人気は高いけれど、それは顔面の評判が良いだけであって、シェルム自身の評判は芳しくない。
大英雄の息子ピカロ・ミストハルト──次世代の大英雄と呼ばれた彼の影に隠れて活躍するシェルムが目立つことはなかったのだ。
そのせいで、シェルムを本当に信頼しているのはピカロただ1人。シルベル少佐が、3体の魔族に対してシェルムたった1人で対応することの危険性を口にしたのは、そもそもシェルムのことをよく知らないからである。
ピカロはもはや魔導ドローンの映像さえ確認しない──シェルムに敗北はないと確信しているからだ。
そんなわけでセクハラに精を出すピカロを本陣に置いて、シェルムはアルド王国北部の空を駆ける。
「いやぁ、一応ダブル主人公というか、僕も超絶重要キャラなのに、最近は出番が少なかったからな」
隕石でも落ちたかと錯覚するほどの轟音と衝撃。爆速で着地したシェルムが、砂煙の中から姿を現す。
突然の出来事に硬直する魔族たち──しかしすぐに敵襲だと察し、戦闘態勢に入る。
「魔法学園編までは、僕が偽名を名乗ってボケたりしてピカロがツッコミだったのに、いつの間にか僕が常識人キャラみたいになっちゃってるのが気に食わないんだよなぁ」
「おい止まれ人間! 一歩でも動いたら殺す!」
「……」
とりあえず立ち止まるシェルム。3体の魔族はシェルムを囲うように立ちはだかり、いつでも殺せる構えをとってから問うた。
「先ほど突撃していった真魔王軍の部隊はどこに行った?」
「雷魔法で木っ端微塵になりました」
「そんなわけがないだろう!」
「じゃあ、転移魔法でどこかに飛ばしたとでも思ってるんですか? あれだけの大群を?」
「何をされたのかは分かっていない。だから人間、どんな小細工を使ったのかを正直に話せば、お前の命だけは助けてやるぞ」
真魔王軍としても、壊滅させられた部隊の謎を解明しないことには、迂闊に攻め込めない。
真魔王ディーへの土産として、情報を持ち帰るつもりらしい。
「だから、全員殺したって言ってるじゃないですか」
「……なるほど、あくまでも秘密を話す気はないようだな」
「秘密も何も真実を述べてますけどね」
「そのちっぽけなプライドと共に死ね、人間」
シェルムの白い肌に爪を突き立てた魔族──その禍々しい顔面を、シェルムが掴む。
「久しぶりの活躍シーンだ。よーし、お父さん頑張っちゃうぞー」
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「まじで作者許さねぇ」
「おかえり、シェルム」
「シェルムさん、無事でしたか! よかった!」
覆い被さるピカロをどけようと必死になるシルベル少佐。どうやらピカロのせいでシェルムの戦いぶりを映像では確認していないようだ。
シェルムが危機一髪、逃げ帰って来たのだと勘違いしている。
ガンギマリレイパーことピカロのこめかみをグーで殴るシェルム。床に転がり泡を吹くピカロを横目に、シルベル少佐が俯瞰魔法を確認した。
「え!? 3つの魔力反応が消えてます! 帰って行ったのでしょうか」
「僕が倒したんだよ」
「え、え!?」
魔導ドローンの撮影した映像を見てみると、そこには地面にポッカリと穴が空いた荒野が映し出されていた。
底すら見えない深い大穴。人の為せる現象だとはとても思えないそれを二度見するシルベル少佐。
ガクガク震えながら立ち上がるピカロが、誇らしげに言った。
「だから言っただろう……シェルムなら大丈夫だと」
「こ、これをシェルムさん1人で……?」
「すごいカッコいい大魔法の戦闘シーンを作者が丸々カットしやがった!」
「いやもう、お前が強いっていう設定は皆わかってるしさ、今更活躍するシーンなんて書いてもつまらないだろ」
「僕だって主人公なのに!」
「まぁタイトルである『無能貴族(仮)』は私のことを指しているのであって、シェルムは関係ないからなぁ」
「不平等だ!」
今更のシェルム強い強いアピールに、意味などない。
言うまでもないが、作中最強のキャラはシェルム・リューグナーなのだ──そんなやつを戦わせるとバランスが崩壊してしまう。
大人しくツッコミ役に落ち着いていてほしい。
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結局、ピカロの采配によって、『魔女隊』やシェルム、さらにはピカロ本人が飛び出して行ったりして、大戦4日目のこの日は、アルド王国の圧勝で終わった。
後から確認した情報によれば、これまでの3日間と同様、真魔王軍は一国を攻めている間は他国には手出ししていないらしく、他国は昨日までの大戦の傷を癒すことに専念できたらしい。
そういう理由もあってか、アルド王国が戦場となった4日目に、他国からの援軍は来なかった。それもピカロの想定内なのだけれど。
さて、なぜピカロが初戦から切り札を出したりシェルムや自分まで戦地に立って戦ったのかといえば──それは前話にピカロが言っていた通り、アルド王国軍の士気を上げるためである。
ではなぜ士気を上げたいのか。その方が軍が強くなるから、などという理由ではない。
ピカロは、アルド王国軍を“前のめり”にさせたかったのだ。
つまり真魔王軍の侵攻をことごとく防ぎ、むしろアルド王国軍が前に出て真魔王軍を追い返したかのような戦果は、軍全体に過剰な自信をつける。
“余裕で勝てる”のだと、“もっと攻める姿勢で良い”のだと、錯覚する。
そんな空気は軍内部に限らず、アルド王国内にも伝播していた。
その結果、ピカロは何を可能にしたのか──それは、アルド王国軍の攻撃的な出兵である。
本来、真魔王軍からアルド王国を“守る”戦いであり、万が一を考えてアルド王国軍はなるべく国の近くにいるべきだ。つまりいつでも国に帰ってこれる場所に陣取るべきなのだ。
しかしピカロの演出によって調子に乗ったアルド王国軍は、前へ前へと前傾姿勢になり、“守りの戦い”を“攻めの戦い”だと誤認し始める。
ピカロは、明日からアルド王国軍をもっと遠くへ、国から離れてもっと前へと進軍させ、真魔王軍を蹴散らす作戦を提案した。軍全体がそういう雰囲気になっていることや、今が士気の最高潮であることなども伝えた。
その結果、国王陛下から作戦の許可を得ることに成功したのだ。
他国は未だに“守りの姿勢”であり、次なる襲撃に備えて怯えているのに対し、アルド王国だけがイケイケムードで勝気になっている。
だから誰も止めないのだ、アルド王国軍が国から離れて戦うことを。
そしてまたピカロとシェルムだけが知っているのだ──明日、王都には『魔皇帝』アーバルデンが現れることを。
アルド王国軍は、たとえアーバルデンが現れたと報告を受けても、すぐには国に戻れないほど国の外側へと進んでしまっている。さらに言えば先日までの援軍としての戦闘で、疲弊している軍人も少なくない。
真魔王軍も、4日間で各国の強さを把握し、明日からは本格的な侵攻を始めることだろう。どの国にどの魔族を送るかが重要となるが、無論、真魔王軍の被害が大きかった国には、より強い魔族を送り出すことになる。
つまりアルド王国は圧勝してしまったことによって、真魔王軍にも警戒され、より手強い上級魔族を招く結果となった上に、王都に現れるアーバルデンには対処できないほど前のめりになってしまった。
今日までのピカロの行動──他国への援軍、士気向上のための圧勝──は、全て裏目にでることになるのだ。
まさしく、無能貴族。
実際には、いくらでもピカロは言い訳ができる──例えばアーバルデンが現れることだって、予想できるわけもないし、真魔王軍にわざわざ圧勝して見せたのも、軍にとっては悪い演出ではなかったはずだ。
だからピカロは運が悪かっただけ……少なくとも近くで見てきたシルベル少佐はそう思ってくれるだろう。
しかし、そんな言い訳が通用するはずもない。誰かが責任を取らなくてはならないのならば、それはもちろん総指揮官としてアルド王国軍を任されていたピカロしかいない。
ここまでピカロとシェルムの計算通り。
何かイレギュラーさえ介入しなければ、アーバルデンの出現によってアルド王国は凄惨な被害を被ることになり、その責任はピカロとシェルムが取ることになるだろう。
「いよいよだな、シェルム」
──アルド王国軍は夜の内に進軍を開始し、アルド王国からどんどん離れ、より魔族たちの領域へと近づいていった。
新しく仮設キャンプを設置し、そこを新たな本陣とする。
皆疲れて寝静まった野営地から、少し離れた丘の上には、満月を見上げるピカロとシェルムだけがいた。
「明日、真魔王軍は本格的に攻め込んで来る。多分上級魔族も沢山いるはずだ」
「そいつらに僕らがてんてこ舞いになってる間に、アーバルデンが王都をボコボコにしてくれる……いやぁしかし完璧だな」
「正直、私は無能貴族ってどうやったらいいんだろうとずっと思っていたんだが、本当に無能になる必要はなくて、結果的に無能扱いされればそれで良かったんだな」
「……多分、沢山の人が明日死ぬことになる。僕らがアーバルデンに協力を申し出たことによって、王都に避難していた罪のない人々も犠牲になる」
「いやシェルムお前、結構最初の方に、モブキャラは死なない設定だから、無能貴族になっても大丈夫みたいなこと言ってたじゃん」
「忘れたわそんなの」
「えー、じゃあ王都に避難してる、ミストハルト家のメイドのアンシーとか、剣道極とか、あいつらももしかしたら死んじゃうのかな」
「その可能性も低くはないだろ……でも、僕らが選んだのはそういう道だ」
「人類を犠牲にして、サキュバスとセックスするための物語……」
「狂ってるな、やっぱり」
「なんなら正直な話、私はそのサキュバスの顔もよく覚えてないからな」
「ダメだこりゃ」
これは、2人のための物語。
正義も理屈も常識も捨てて、前に進む。
ピカロよ、自分のため、シェルムのため、セックスのため──無能であれ。




