第五十八話 大戦開始
──1年後、世界中に張り付いた緊張感に応えるように、真魔王軍が現れた。
場所はネーヴェ王国北部。冷たい風に乗った血の匂いが、殺し合いの始まりを告げた。
──真魔王軍の視点に立って、今回の大戦を考えてみると、全体で5千人という規模の小ささや、上級魔族が50人しかいないという事実は、戦略の幅を大いに狭める。
魔力にものを言わせて魔獣を大量生産し、ひたすら数の力で攻めてもいいのだが、所詮魔獣だけでは決定打にはならない。
となると、やはり上級魔族の配分や、タイミングなどが重要となる。
そういう意味では、人間界へとやって来た初日に、全勢力でもって攻め込んだり、世界各地に広がって一斉に各地で戦争を始める、というのはリスクが大きい。
まずは敵の強さをある程度把握してから、どの国に誰を派遣するか、どのくらいの魔獣を作るかなどを考えるべきだ。
真魔王ディーも、今回の大戦で人間を滅せるとは考えていない。
しかし先手として人類に大打撃を与えておけば、今後真魔王軍が人間界を支配するためのスタートダッシュにはなるかもしれない──あわよくば、4大国の内、一国くらいは落としたいものだが、そこは戦況の具合を見てから判断すべきだ。
そうした様々な考慮を、ピカロとシェルムだけが知っていた。
アーバルデンに真魔王軍の規模を事前に聞いていたため、真魔王軍が採れる戦略の幅の狭さを承知していた。
では、それを知っていた2人には何ができるのか。
「ピカロさん! 国王陛下から、作戦の許可が得られませんでした!」
「そうか。では無視して決行する」
頭を掻きむしりながらキョロキョロしているのは、シルベル・アンミッチ少佐。アルド王国軍から派遣された指揮官補佐である。
彼女はピカロとシェルムの作戦を国に報告したところ、国王陛下から直々に作戦の変更を命令された。
しかしピカロは止まらない。
「お言葉ですが、自分もこの作戦は無謀なのではないかと思います! ネーヴェ王国に“援軍を送る”だなんて……」
「これはアルド王国と魔族との戦いではない。人類と魔族の戦いなんだ」
「し、しかし今、アルド王国に魔族が攻め込んできたら、援軍を送ってしまっている分、アルド王国の防御が薄くなります。被害をいたずらに増やしかねません」
「まぁそう言われるだろうから、殆どの戦力はアルド王国に残してある。私も残るしな」
ピカロは、シェルムを先頭にアルド王国軍の一部を援軍としてネーヴェ王国に送った。
なぜならば、真魔王軍の規模の小ささを知っているから──いきなり同時に2、3国を攻めるだけの戦力が無いことを知っているから。
そもそもピカロとシェルム以外は、“人類vs魔族”だと勘違いしているため、世界各地に同時に魔族が攻めてくる可能性を捨てきれない。
今回、ネーヴェ王国が最初に魔族と接敵しているが、これは始まりに過ぎず、今すぐにでも自国領土に魔族が攻め込んで来るのではないかと怯えている。
つまり、自国の防衛体制を疎かにしてでも、他国の支援を行うだけの余裕がないのだ。
しかしピカロは、初日にネーヴェ王国が戦っているということは、アルド王国には来ないだろうと容易に予想できるため、最低限の戦力を残して援軍を派遣できた。
「何が起こるかわからないのはどの国も一緒だ。アルド王国だって予想外の損害を被るかもしれない。本当にピンチになった時に、他国から助けてもらうには、それより前に助けておいたという実績が必要なんだよ」
「将来、援軍を送ってもらうための、援軍ということですか?」
「助け合いだろ、何事も」
それっぽい理屈をこねるが、ピカロはまた同時に確信していた──どれだけ他国に恩を売っても、援軍など来てくれないだろうと。
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「魔獣の群れならどうとでもなる──爺!」
「わかってます」
ネーヴェ王国北部。大戦の火蓋が切って落とされた土地には、既にネーヴェ王国第二王子ウサルバルド・シャンテ・ネヴェリオンと、スノウ学園長の兄、ユキヒ・アネイビスがいた。
雪原を覆い尽くす魔獣の濁流に、ユキヒが杖を突き付ける。
「一掃します」
白銀の空を紅く染める大炎。視界いっぱいの火炎魔法が、雪を溶かしながら空を切り、突っ込んでくる魔獣を次々と灰にしていく。
肌を焼く激熱が魔の手を屠る。単体戦力として別格な人間が1人いるだけで、戦略が変わってくる──少なくともユキヒ1人いれば、魔獣など何体集まろうとも敵ではない。
「第4部隊は残党の処理をお願い。他は引き続き監視を続けて」
ウサ王子の指示に従って軍隊が移動を始める。ネーヴェ王国軍の総指揮官はウサ王子のようだ。
無論、魔族は一点から攻めてくるわけではない。広い国土のどこからでも攻めていいのだから──ゆえに各地の監視は欠かせない。どこにどれだけの魔族がいるかで、ウサ王子やユキヒのような戦略級戦士の配置が変わる。
少しして、地図とにらめっこするウサ王子のもとに、報告担当の軍人が走り込んできた。
「北東を進んでいた斥候部隊が、壊滅しました!」
「……すぐ行く。何があった?」
「上級魔族です!」
上級魔族とは要するに人型の災害である。
人間が対するにはあまりにも強大な敵──かつてなら、なす術もなく蹂躙されていた天敵。
しかし、世界樹の恩恵を受け、世代を重ねてきた人類は、少しずつ淘汰の波に抗ってきた。世界各地に突然変異的に生まれた傑物たちはまさしくその象徴であり、そしてまた、現代の最高傑作──『伝説の勇者』は、初めて人類が魔族を超えたことの証明である。
「お前ら魔族のせいで、昼寝ができない」
風魔法で空を飛ぶウサ王子。山吹色のショートボブが、中性的な顔立ちを優しく包む──しかし今は、その双眸を黒く染め上げる殺意があった。
睡眠とおやつを至上に据えるウサ王子にとって、魔族との大戦は地獄そのもの。ネーヴェ王国の最高戦力として日夜飛び回らねばならない激務を想像すると、怖気が走る。
しかし何もかも魔族のせいだ。ウサ王子の平穏を乱すのはいつだって邪悪な魔族たち。
「向こうから攻めてくるなら、1匹残らず滅ぼしてやる……!」
寝不足の苛立ちを魔力に変えて、加速。北東地域上空から、上級魔族の姿を確認した。
逃げ惑う前衛部隊の後方、童話から出てきたような巨大な鬼が、大木のような腕を振り回している。
「思い知れ! 真魔王軍の力を!」
鬼が拳を振り下ろす。腹の底に響く重低音──直後、雪の大地が割れる!
地響きを伴って崩れる雪原。鬼の笑い声を掻き消す轟音に紛れ、前衛部隊の悲鳴が地の底へと落ちていく。
「あれが、上級魔族か」
急降下。迫る殺意に、鬼が振り向く。
「人間風情が!」
「えいっ」
落ちてくるウサ王子目掛けて、拳を突き出した鬼に対し、ウサ王子は両手をかざしてその拳に触れる──刹那、球体状の衝撃波が2人の間に迸る。
魔力粒子の焼き切れる音と共に、鬼が後方へと吹っ飛んだ。
「お、俺の手がぁッ!」
「うーん。魔力効率はいいけど、こんなチマチマ戦ってたら時間効率は悪そう」
手首から先が焼失した鬼が、怒りの形相でウサ王子を睨み付ける。
雪を濡らす悪魔の血。蒸気を上げて溶けていき、赤い川を作る──戦いが続けば、この美しい白銀の世界も、朱色の地獄に変わってしまうのだろうか。
「死ね! 小僧!」
鬼が腕を横薙ぎに振るう。空気が揺れる音だけが響く。
横一線の風圧が迫っているのだと、空中の雪が砕けていく様を見て察し、跳躍。顔を上げると、眼前に、鬼。
「うおらッ」
「よいしょ」
柱のような太い脚が、ウサ王子の小さな身体を横合いに叩く。豪速の蹴りと、自分の脇腹の間に手を差し込み、魔力を込めた。
最大出力──雪の王子の氷結魔法。
一瞬で鬼の脚は根元まで凍り付き、自らの蹴りの威力で粉々に砕けた──血に濡れる氷片が舞う。
目を見開き硬直する鬼の額に、ウサ王子の小さな手が触れる。
「バイバイ」
空間を抉り取る衝撃波が、鬼の頭を消滅させた。
デコボコに砕けた雪原に、鬼の死体が横たわる──その巨体を地割れの底へと蹴り落として、ウサ王子は空を見上げる。
「……今のが、上級魔族?」
人類側に過ちがあったとすれば、それは魔族に対する認識が間違っていたことだ。
昔から、人間は“強そうな”魔族を上級魔族と呼んでいた。
身体が大きかったり、強力な魔法を行使したりする魔族は、魔界でも数少ない上級魔族なのだと考えたのだ──その認識は、実際さほど間違ってもいなかったが、中級以下魔族を侮っていたことは確かである。
上級魔族だけが災害級に強いわけではない。とりわけ今回の真魔王軍は、気性の荒い戦闘狂集団。血に飢えた荒くれ者の集いだ。
王族を絶対視する身分主義を嫌った、実力主義の悪魔たち。
これまでの人類の常識に当てはめて考えるのは愚かだ──実際、ウサ王子が倒した鬼はただの中級魔族だった。
今、人間界に足を踏み入れたのは、殺戮を愛し、戦闘に狂った精鋭集団である。
“上級魔族は個体数が少ないから滅多に現れない”という、これまでの常識を前提とした各国の戦略は、最適ではない。
「ウサ王子! 西部で上級魔族が出現しました!」
「南部にも2体の上級魔族です!」
「……そんなにいっぱいいるわけないじゃん」
ウサ王子の困惑も当然である。そして実際、そんなにいっぱいいるわけがないのは事実。
各国に数人いる程度の“人類側の化け物”のように、魔界においても上級魔族は希少な存在だと信じて疑わなかったツケが、波となって押し寄せる。
「ウサは南部に向かうから、西部にはユキヒを行かせて」
「そ、それがユキヒ様も現在、上級魔族と戦闘中だそうです!」
「え、えぇ……。じゃあ西部は“捨てて”いい。国の内部まで引き付けよう。西部配置の各部隊はそれぞれ近い場所の戦闘地域に加勢して」
「上級魔族を放置するのですか!?」
「南部の2体を倒したら、ウサがすぐに向かう。下手に応戦してこっちの兵士をたくさん殺されるのは良くない──大丈夫、ウサがすぐ行くから、人が住む街には辿り着けないよ」
強い敵は全て上級魔族だと認識してしまうと、適切な対応が取れなくなる。
実際、この時ユキヒと戦っていた魔族だけが本当の上級魔族で、他の場所で暴れているのは中級魔族だった。
国防を考えるなら、むしろユキヒのサポートを手厚くするべきで、中級魔族には大人数の軍隊を直接ぶつけた方が良かったのだ。
全て上級魔族だという勘違いが、優先順位を狂わせる。
──忙しなく空を飛ぶウサ王子。ネーヴェ王国南部の森林地帯は、異様な光景に包まれていた。
「な、何あれ」
空から見てもわかるほどに溢れ返る魔獣の大軍。
木々を押し倒して進む恐怖の波が、ネーヴェ王国軍の部隊を呑み込んでいく。
一際高い大木の上に、座り込む魔族と、隣に立つ魔族がいた。座り込む魔族の両手が光ると、空中から悍しい数の魔獣か生まれ、森へと落ちていく──魔獣の生成に魔力を集中させているようだ。
数で劣る真魔王軍からすれば、当然の戦略。シンプルだが、その威力は凄まじい。
「魔獣を生み出す係と、それを護衛する係で、2人組ってことか」
ウサ王子はすぐさま光の弓を作り出し、矢を引いた。
上空での魔力反応に気付いた魔族が、翼を打ち付けるように空気を叩いて急上昇──上がった口角の隙間から牙が覗く。
ウサ王子はそのまま矢を放った──黄金の煌めきを纏った光矢を、魔族は体を回転させて避ける。軌道を考えれば、下にいる魔族にも当たらないと確信したからだ。
鋭い爪を立てて、魔族が腕を振り下ろす。氷結魔法で爪を凍らせて砕くも、次々に爪が生え変わり、魔族の連撃は止まる様子を見せない。
「たたが矢1本で、私たちを殺せると思ったか、人間?」
「……勿体無いことをした自覚はあるよ」
「魔力の無駄遣いだったな!」
「いや、あの森は観光名所だったから──“無くす”のはやり過ぎたかもって話」
地上を染め上げる光に、魔族は振り返った。
見下ろすと、“森林地帯ごと”魔獣たちが光に飲み込まれ──大爆発。巨大なクレーターだけを残し、そこには何も無くなった。
「……な、何が起きた!?」
「隙あり、えい!」
バグンッと音を立てて、魔族の上半身に空洞ができる。
千切れるように吹き飛んだ四肢が落ちていく──ウサ王子に背を向ける愚かさを痛感しただろうが、しかし遅過ぎた。
「さっきの爆発で下の魔族は死んだし、これでここはOKかな。あのクレーターも雪解け水の湖として再利用されると信じよう」
すぐさま西部へ向かうウサ王子。空を飛び回る報告係の軍人が、ウサ王子に並走して各地の戦況を伝える。
「ユキヒ様は依然、上級魔族と戦闘中! 西部の上級魔族は猛スピードで街へと向かっています! 各地で増援要請がありますが、しかし魔獣の数が減らず、王国軍が身動きが取れない状態です!」
「あぁもうグダグダじゃん……」
「そ、それと東部の農村が避難が遅れているらしく──」
「じゃあそっちに向かおう」
今まさに武器を持たない一般人が殺されているのなら、そこに優先して向かう。ウサ王子は判断するや否や、空中で急旋回し、東へ向かおうとする。
その勇ましい背中を、軍人が止めた。
「ま、待ってください! そ、それが東部にはアルド王国の軍隊が現れたとの報告があります!」
「……アルド王国?」
「はい! 援軍として来てくれたみたいです」
「他国に援軍を送る余裕なんてあるのか……?」
「さ、さぁ。それと、その援軍の指揮官曰く、アルド王国軍代表から伝言があるらしいのですが……」
「伝言……アルド王国の代表って、あのピカロとかいう太った男か」
「はい。ピカロ・ミストハルトより伝言がある、と」
「……何て言ってたの?」
「…………『焦るなベイビー』、だそうです」
顔を引きつらせたウサ王子。伝言を伝えたことを後悔した軍人が目を逸らす。
怒りに震えたウサ王子は、援軍に感謝しつつ再び西部へと向かう。
「──あのデブ、大っ嫌いだ!」
ウサ王子の叫び声が、雪降る空に響き渡った。
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