第五十七話 準備万端
「1年後の大戦を裏で操りたいというのなら、大まかな情報は頭に入れておいてください」
『魔皇帝』アーバルデン・シンス・ザルガケイデンが指を鳴らすと、執事が部屋を出て行った。
何かを持って帰ってきた執事は、それをピカロに手渡す──紙とペンだ。
「真魔王軍の勢力はちゃんと把握しておいてください」
「え、アーバルデンは真魔王軍じゃないのに、内部事情とか知ってるのか?」
「組織の規模が大きくなれば、志が異なる個人も混ざりますし──誰もが真魔王に忠誠な部下っていうわけでもないですから。情報提供者の1人や2人くらいならいますよ」
得意げな顔でそう言ったアーバルデンは、皿に乗った果物を齧りながら、真魔王軍についての情報を提供してくれた。
先ほど渡された紙とペンは、メモを取れということらしい。
「まず、真魔王軍の規模は5千人……まぁ人じゃないですけど人型ですから便宜上、単位は“人”で説明しますけど、とにかくおよそ5千人です」
「……そんなに多くないな。私が聞いた話によれば、アルド王国軍はおよそ1万人くらいだから」
真魔王軍の敵は、アルド王国、テイラス共和国、ジンラ大帝国、ネーヴェ王国の軍隊である。それぞれが1万〜2万程度の軍隊を抱えていることを考えれば、それら全体に喧嘩を売るにしては真魔王軍の5千という数字は心許なく思える。
ただ実際には、上級魔族はほぼ無尽蔵に魔獣を生み出せるので、一概に戦力に差があるとは言えない。
「しかも真魔王軍の上級魔族は、およそ50人といったところでしょうか」
「え!? それしかいないの!?」
「そもそも中級だの上級だのという区別は、魔族の実力ではなく身分によって分けられています。そういう意味では、中級魔族でも強い個体はいますし、親が強かっただけの弱小上級魔族もいます」
「魔界での上級魔族って、全部で何人くらいいるんだ?」
「貴族階級には、200の家があると言われています。過去の身分制度を世襲しているだけなので、もはやその家柄にほとんど意味はありませんが、一応、それら200人以上の貴族が上級魔族とされていますね」
「その4分の1である50人が、魔界を捨てて人間界にお引越しとは、魔界も色々と大変なことになりそうだな」
「本当に有力な貴族たちは、魔王デスファリアに逆らわず、上手いことやってますけどね。血気盛んで野蛮な一部の貴族たちがほとんどですよ、真魔王軍は」
ピカロは大まかな数字をメモしていく。このメモの価値の高さを鑑みれば、他国に無茶苦茶な高値で売れそうだ。
無論、アーバルデンという情報源を信頼してくれるのなら、の話だが。
「ん、そういや『真魔王』ってのは誰なんだ?」
「確か、ディーと呼ばれる下級魔族です」
「下級!? ……ってどれくらいだ?」
「知能がない魔獣が最下級で、奴隷階級の下級、平均的な中級、貴族階級の上級、王族などの選ばれし最上級。ですから下級魔族というのは大体、普通の人間くらいの強さですね」
「そんなやつが真魔王……?」
「私より弱い魔族に興味ないので、ディーについてはよく知りませんけど、確かそこらの上級魔族よりも強いらしいです。実力だけで成り上がったとか何とか」
「ロマンがあるな」
「今の魔界は、王族絶対主義。王の血を引くというだけで、誰もデスファリアに逆らえません。そんな王族の横暴に業腹な魔族の集まりのトップに相応しいのは、身分や家柄に縛られない実力者であるべきってことでしょうね」
人間界でいう人種のように、魔界でも種族がある。しかしそれは容姿や身体能力などといった些細な違いでは無く、ツノの数や羽の有無など、もはや別の生き物とさえ言えてしまうほどの違いなのだ。
そうなると、戦闘に適した種族の家系からは当然に強い魔族が生まれるし、ほとんど人間と変わらない家系からは弱い魔族が生まれてくる。
種族間格差が激しく、実力主義を突き詰めると結局は生まれの良さに依存するのだ。
そんな中、種族のハンデを超えて、上級魔族を上回る戦闘力を持つディーという魔族には、カリスマ性や求心性があるのだろう。
反王族のシンボルとしても優秀であり、かつ実力も伴っているのだから、まさしく真魔王にぴったりだ。
「ピカロ君たち人類側が警戒すべきなのは、真魔王ディーと、あとは50人の上級魔族だけです。魔獣や中級魔族なんて、取るに足りませんから」
「うーん。なんか、人類側、勝っちゃいそうだな」
「さっきも言いましたけど、真魔王軍は人類に勝てる規模じゃありません。しかし甚大な被害を与えることは確かです。ピカロ君の目的は、アルド王国が大ダメージを受けることであって、他国は勝っても負けても関係ないでしょう? 気楽にいきましょう」
“魔界送り”という刑罰を採用しているのはアルド王国だけである。
そういう意味では、ピカロの無能ムーブによる大失敗で、他国にまで被害を及ぼしてしまった場合、「その戦争犯罪人を我が国で処刑させろ!」という流れになってもおかしくはない。
無論、ピカロは死刑にされたいのではなく、魔界に行きたいのだ。
ゆえにピカロは“アルド王国にとっての大罪人”であればいい──というか、そうなるしか道はない。
「なるほどな……じゃあ、アーバルデンには、最終局面で登場してもらう方がいいな」
「最終局面というのは、戦争の終結間際ってことですか?」
「うん。真魔王軍は人類を滅ぼせず、最後には世界樹から離れた土地へと撤退していくはずだろ? そのタイミングで、アルド王国をボコボコにしてくれ」
「そうですね。ただ、例えば真魔王ディーとか、有力な上級魔族とかが殺されそうになったら、私が助けてもいいんですよね? 大戦初日に真魔王ディーが殺されたりしたらピカロ君の作戦に支障がありそうですし」
「そうだな。人類が“勝ち過ぎてる”時に、アーバルデンが介入してバランスをとってくれ」
ピカロが本当の意味で無能貴族となるのは、戦争の終盤だけでいい。
なぜなら、例えば戦争が始まってすぐに大損害を出したりすれば、総指揮官の座を降ろされてしまうかもしれないからだ。
あくまでも有能な総指揮官として活躍し、圧勝にならないようアーバルデンに頑張ってもらい、そして最後の最後で大失敗をする。
各国、ある程度の被害はあったものの、人類の勝利だと胸を張って言える状況──そんな中、アルド王国だけが、ピカロのミスで甚大な被害を受けていたなら、それはピカロを魔界送りにする口実としては十分だろう。
アルド王国軍を潰し、アルド王国の面子も潰す。
やり方は簡単、アーバルデンの登場を考慮せずに戦えばいいだけだ。実際、アーバルデンはピカロによって殺されたと世界は信じているので、誰一人としてアーバルデンが現れることを予測してなどいないのだが……。
そこはアーバルデンが、アルド王国にのみ、集中的に攻撃してくれればいい。
死んだはずのアーバルデンが現れたから、負けたんです──言い訳としては十分だが、しかし受け入れてはもらえないだろう。ましてピカロが殺したはずのアーバルデンに返り討ちに遭うという構図は、まるでピカロ個人への復讐にアルド王国が巻き込まれたかのような印象さえ生む。
そこまで条件が揃えば、ピカロの魔界送りは確定だろう。
「……そういや、実際のところ、アーバルデン1人でアルド王国をボコボコにできるのか?」
「死ぬ気で頑張ればできます。ただ、人類側にも中々に強い戦士はいますからね……確実に勝てる保障はないです」
「まぁ大戦中は、私が大多数の猛者を引き連れて国外で戦ってるから、アルド王国は手薄だと思うよ──といっても、王国立騎士団団長ヴァーン・ブロッサムに、大賢者スノウ・アネイビス、王国軍元帥カノン・リオネイラみたいな化け物は国内に残るけど」
「その人たちとは、前回の魔王軍侵攻の時に戦いましたけど、覚えてますよ。カノン・リオネイラなんて、直接私に殴りかかってきましたからね。返り討ちにしてやりました」
「それで生きてるんだから、カノンさんすげぇな」
「……それにしても、アルド王国の最大戦力の殆どが国内に残っているのって、どうなんですか? スノウ・アネイビスなんて、前線に立たせておけば何でもかんでも焼け野原にできるでしょうに」
「あー、国王陛下がわがままでさ。万が一の可能性を考慮して、王都を鉄壁の状態にしたいらしい。王国立騎士団はそもそも“王を守るための組織”だから、国に残るのは当然として、スノウ学園長はひたすら防御魔法を使ってろって命令されてる。さらに最強の格闘家カノンさんも置いておけば、盤石の布陣ってことだな」
「本来はそこに、ニクスもいたんですか?」
「え、あ……あれ? 知ってるの? 父さんが……」
「死にましたよね、ニクス。ピカロ君には悪いですが私はニクスが大嫌いなので嬉しいニュースでして……それより一体、誰に殺されたんですか?」
最愛の妹オルファリアを誑かし、ピカロという子供までつくったニクス・ミストハルトを、アーバルデンは恨んでいた。
その怒りはオルファリアへの性暴力に繋がり、そして二クスの手でオルファリアを殺させるという暴挙にまで及んだ。
そういう意味では、二クスの死を最も喜ばしく思うのはアーバルデンなのだが、しかしニクスの実力を誰よりも知るアーバルデンだからこそ、府に落ちない。
──誰がニクスを殺せるというのだ?
「い、いや父さんは心臓の病気で……」
「そんなわけないでしょう。天界人ですよ、ニクスは。それに『ミストハルトの戦士』と呼ばれるあの一族の生命力は尋常じゃありません」
「……そんなこと言われたって。国は、死んだ父さんの顔さえ見せてくれなかったんだ。唯一の家族である私にも、何の情報も入ってこなかった」
「ということはまぁ、国ぐるみで情報を隠蔽するほどに、“アルド王国にとって不都合な真実”が隠されてるってことですね」
二クスがなぜ死んだのか、隠さなければならない理由。それはピカロに関係があるのか、あるいは全く別のところに関連しているのかは定かでないが、悲しいことに、いくら考えても答えは見えない。
ここで考えても仕方がないので、話を戻そうと頭を切り替えるピカロ。
ふと、大事な要素についての説明を忘れていたことに気づく。
「あ、そういえば『伝説の勇者』がいるんだよね、人類側には」
「……ほう。それはどれくらい強いんです?」
「各国に1人ずついるんだけど、少なくともアルド王国以外の国の伝説の勇者は、スノウ学園長レベルの魔力の持ち主だったはず」
過去に、聖剣アルドレイドを丘から引き抜くのに、スノウでさえ苦労したらしい──それを当時11歳かそこらの少年たちが引き抜いて見せたのをピカロはその目で見ている。
無論、魔力さえあれば強いのかと問われれば、一概にはそうとも言えないので、彼らがスノウよりも強いとは限らないが。
スノウの凄さは、彼自身の膨大な魔力を最大限に活かすだけの魔法に関する知識の深さである。スノウしか使えない魔法もある。効率的な魔力使用を追求し、継戦能力も高い。
才能を最大限に発揮するだけの知識と経験。アーバルデンに顔と名前を覚えられているだけのことはあるのだ。
「そうなると、真魔王軍も厳しいかもしれませんね……では、私の部下たちにも手伝わせましょう」
アーバルデンがそう言うと、大部屋の空間が歪み、亀裂から黒々とした魔族が続々と現れた。
“死”を人の形にしたならば、こんな集団こそがそれであろう──肌を焼くような圧力に溢れた悪魔たちが、玉座に腰掛けるアーバルデンに跪く。
普通に立っているピカロとシェルムがかなり浮いてしまう光景となった。
「……ちょ、え、この方々が、“部下”……?」
「この部屋にいる10人だけで、おそらく今回の真魔王軍と同等の強さがあります」
「えぇ……」
「まぁ、この中から2、3人連れて行きます。バランスとしてはちょうどいいでしょう」
「……無茶苦茶、睨まれてるよな私たち」
「いや、僕はただの人間だから無視されてる。お前が睨まれてんだよピカロ」
「な、なんで!?」
「まぁこの世で私のことを呼び捨てにするのはピカロ君くらいですからね」
アーバルデンは愉快そうに笑う。彼にとっては親子の親密さを感じることなのだろう。
ピカロからしたら、母親を殺したも同然のクソ野郎に払う敬意などないので、敬語も使わなければ呼び捨てなのも当然なのだが、『魔皇帝』を慕う部下たちの気に触るのもまた当然のこと。
まして、ピカロはアーバルデンよりも遥かに弱い。例えばニクスが呼び捨てにしていたのなら、ニクスの実力と、アーバルデンとの因縁を知る部下たちもそれを許しただろうが、義理の息子というだけで全て許されているピカロは気に食わない。
「まぁピカロ君に傷一つでも付けたら、私に粉々にされるとわかってるので睨み付けるだけで終わっているんですよ。優しい部下たちでしょう?」
「……や、優しいのかそれ。まぁいいや、じゃあアーバルデン、1年後、よろしく頼むな」
「はい。無事ピカロ君が魔界に来てくれることを願っています」
止めどない殺意を全身で浴びながら、ピカロとシェルムは幻魔の森を後にした。
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アルド王国王都。傾く夕陽が、街を茜色に染める。
夜の色から逃げるように、ピカロとシェルムが飛び込んだのは、とある一軒家。
「よう、“作戦”は順調か、ヴァギナ」
「……不法侵入よ、あんたたち」
ノッチこと、ノチノチ・ウラギルの住む家に、勝手に上がり込んだ2人は、当たり前のようにリビングの椅子に座り込む。
茶の1つくらい出さんかい、という表情でノッチを見つめ続けること3分。ため息と共にティーカップを差し出された。
「ヴァギナ、お前は今どんな感じ?」
「あたし様はノッチであってヴァギナじゃないし、質問も抽象的過ぎて意味がわからないわ」
「魔界に行くための計画は上手く行っているのかと聞いてるんだ」
「あたし様の方は完璧よ。もう王国立騎士団内でもかなり信用されてる」
2人の指示で、ノッチには王国立騎士団に入ってもらっていた。
つまり、国内に残る王国立騎士団を、ある程度コントロールしてもらい、今回の無能貴族作戦の成功率を上げようという算段だ。
協力者は多い方が良い。国の外にも、内にも。
「そうか……ちなみに私たちはもっと完璧だ」
「何よ、自慢でもしにきたの?」
「『魔皇帝』アーバルデンを仲間にしたぞ! いや、手下にしたと言っても過言ではない!」
「過言だけどな」
「黙れシェルム!」
「アーバルデン……? 誰よそれ」
「お、お前! 現魔王デスファリアの父親であるあのアーバルデンを知らないのか!?」
「お前も最近まで知らなかっただろ」
「黙れシェルム!」
「魔族なんか誰も知らないわよ。興味ないし。あたし様はただ天界に帰りたいだけ……魔族の情報なんて必要ないわ」
「……と、とにかくすんごい奴を助っ人にできたんだよ!」
「そ、よかったわね」
「これで、大戦前にできることは全てやった。あとは本番を残すのみ! というわけでセックス……じゃないや、エイエイオーってやろうぜ」
「エイエイオー?」
「これから頑張るぞっていうアクションだよ。セックス……じゃないや、エイエイオーやるぞ。私とシェルムがエイエイって言うから、そしたら3人でオーって言おう」
「……はぁ。こんな奴らと手を組んだあたし様が馬鹿だったのかしら。まぁやるけどね」
「魔界目指して頑張るぞ! セッ……エイエイ」
「「「オー!」」」
恥ずかしげなノッチと、誇らしげなピカロとシェルム。
国家転覆レベルの悪事を目論む大罪人たちの準備は整った。
長かったがようやく、ピカロ・ミストハルトの『無能貴族』としての戦いが、始まる。