第五十六話 幻魔ノ森
『魔皇帝』アーバルデン・シンス・ザルガケイデンは死んでなどいない。
しかし、『アーバルデンの悪夢』と呼ばれた王都襲撃事件は、次世代を担う若き才能たちによって終結し、その結果として長らく恐れられてきたアーバルデンは死んだのだ──と、少なくともアルド王国では考えられた。
ピカロとシェルムは、アーバルデンにトドメを刺したという功績が評価され、冒険者ランク飛び級の特権を手に入れた上に、特にピカロは『予言された大戦』における総指揮官という地位にグッと近づいた。
『幻魔の森で待っています』──アーバルデンの最後の一言を聞き取れたのは、近くにいたピカロとシェルムだけである。ゆえに誰もがアーバルデンの死を信じ、喜んだ。
「しかしまぁ、どういう風の吹き回しだ、ピカロ? あのアーバルデンに会いに行くだなんて」
「利用できるものは何だって利用するべきだ。結果を出したいのなら、あらゆる努力を全力ですべきであり、そこにプライドやこだわりを介入させるから人は失敗する」
アルド王国から、魔導台車で走り続けることおよそ3日。2人は『幻魔の森』に足を踏み入れた。
人類は、魔力を放つ世界樹を囲うように国を築き、魔力の恩恵を受けて魔族に対抗している。ゆえに世界樹から離れれば離れるほどに、空気中から摂取できる魔力量が減るため、人々は『世界の外側』へは滅多に行かない。
この世界は、あくまで人間界であり、別として魔界が存在するのだけれど、しかし人間界において人類が住んでいるのは世界樹の周辺だけであり、その他の広大な土地は往々にして魔族に占領されている。
要するに、魔界に住む上級魔族たちの別荘だ。
普通、魔族が人間界に訪れる理由など、人間を殺すため以外に無い──わざわざ人間界に住み着くだけの魔族などほとんどいない。どうせ引きこもるなら魔界にいればいいのだから。
だから人間界の別荘の存在意義は気分転換であり、暇潰しである。あるいは魔界に居場所がない弱者の逃げ場、だろうか。
『幻魔の森』は、それら魔族占領地の一つであり、『魔皇帝』アーバルデンの縄張りだ。
「どうしたピカロ。努力とか真面目とか、そういう概念と対極にいるはずのお前らしくない発言だな」
「いや昨日、作者と話しててさ」
「話すな。キャラと作者が」
「作者がへこんでたんだよ。ランキング上位の作品読んでみたら凄い面白かったらしくって」
「そんなことで悩むなら、作者も面白い小説を書けばいいのに」
「いやまぁ私もそう思ってさ、色々と説教したのよ」
「キャラが作者を叱るな」
「そもそもな、“他のなろう小説とは一味違うんで!”みたいなプライドがあったと思うんだよ、作者には。あらすじみたいな長いタイトルを見下して、“なろう系”と揶揄されるテンプレを馬鹿にして」
「……まぁこの作品はタイトルも地味だし、あらすじも最近ようやく書いたからな」
「でもそんなのって、小説家になろうの読者に求められてるものじゃないだろ? 需要から離れた作品を書いておいて、人気が出ないと嘆くのは良くないと思うんだ」
「本当に人気作品を書きたいなら、このサイトにおいてどんな小説が求められているのかを分析して、そういう作品にすべき……だもんな」
「つまり──タイトルを長くする、あらすじをちゃんと書く、需要に合わせた物語にする、Twitterなどでの宣伝もする、といった最低限の努力を怠っていることを、まるでそれがこの作品の個性かのように振る舞ってたんだ。個性という言葉を、努力不足の言い訳に使ってたんだ」
「その結果、なろうの底辺を這いずり回ることになった……」
「恥も外聞も捨てて、やれること全部やって初めて、自分に対する評価について考えるべきなんだ」
「……でも、それじゃあ小説の醍醐味を味わえない」
「醍醐味?」
「書きたいものを書く。仕事でやってるわけじゃないのに、無理して書きたくもない小説を書いたって、面白くはならない」
「……『無能貴族(仮)』は、作者の“書きたいもの”なのか?」
「そうじゃなきゃ、ここまで書き続けないだろうよ」
「よし、じゃあ後戻りできないように、ここでキチンと言っておこうぜ」
「何を?」
「この作品は必ず完結まで書ききるってことをだ!」
「なろう読者あるあるとして、“人気のない作品は作者がモチベを保てないため未完のまま更新されなくなる可能性が高いので、ちゃんと完結するかハラハラする”というのがあるけど、多分この作品もそんな不安を煽られるような底辺作品の一つだからな」
「だからこそ、あえて口に出して、小説内にも書いて、読者に読ませて、覚悟を決めよう」
「何の山場もなかったショボい人生だけど……ネット小説くらい、最後まで頑張りやがれ!」
「頑張れや、作者!」
──たった数十年の短い人生、たまには頑張ってみてもいいんじゃないだろうか。
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同じ道を何度も通っているような感覚。なるほど『幻魔の森』という名の通り“幻”でも見させられているのかもしれない。
夜空の暗闇を吸い込んだ木々が揺れるたび、差し込む月明かりも同じ場所、同じ角度。
ずっと同じ木の枝に留まるカラスが、首だけを動かして2人を見つめていた。
「あれだな、そもそも入っていいですよって許可を貰わないと永遠にこの森を迷う羽目になるタイプだなこれ」
「永遠ループ系ね。ありがちありがち」
「アーバルデンは私たちが来たことに気付いているんだろうか」
「さぁな。案外、寝てるかも」
「もうめんどくせぇしこっちから呼ぼうぜ──アーバルデェェンッ!」
拡声魔法で倍増された叫び声が、森を揺らす。木霊する大音量は、木々を掻き分け森の奥へと伝わっただろう。
すると2人の頭上にいたカラスがクチバシを開いた。
「どうせならお義父さんと呼んでくださいよ、ピカロ君」
「げげげ! あのカラスがアーバルデンなのか!?」
「違いますよ……それはともかく、パパって呼んでくれてもいいんですけど」
「よしシェルム、森に火を放て」
「あぁ勘定奉行に、お任せあれぃ!」
「やめてください! ちょっと! 魔術結界は解きましたから、私の城まで来てください……まったく」
呆れたような顔のカラスが飛び立つ。2人の頭上を超えていくそれを目で追っていくと、視界に飛び込んできたのは巨大な城。
こんなに巨大ならば、森の外からでも確認できたはずだろうと思えるほどであるが、魔術結界とやらは相当に便利らしい。
火炎魔法の使用を中止し、2人は城へと歩みを進める──『魔皇帝』の根城に乗り込む恐怖を顧みないのも、世界でこの2人くらいであろう。
勝手に開いた巨大な門を潜り、これまた勝手に開いた正面玄関に足を踏み入れると、執事服が似合う魔族が立っていた。
「ようこそいらっしゃいました。ピカロ様……あと人間」
「誰が人間だ! 僕の扱いが雑だぞ!」
「……ピカロ様は、アーバルデン様の義理の御子息だということで特別に入城を許可されています。しかしお前のような人間ごときが来て良い場所じゃねぇんだよ」
「よし殺そう」
「落ち着けシェルム! おい執事のおっさん、こいつは私の相棒なんだよ。それに本当に入城しちゃいけないんだったら、ここまで来る前にアーバルデンに始末されてるはずだろ?」
「偉大なる『魔皇帝』の御慈悲に感謝しなさい。さぁピカロ様、アーバルデン様がお待ちです、こちらへ」
怪しく微笑む執事。背を向けて歩き出したその後ろ姿に、そそくさとついて行った。
案内された先は、予想通り巨大な一部屋。豪奢な装飾や煌びやかな照明に目を奪われそうになるが、しかしその大空間を満たす濃厚な死の雰囲気が、来る者の心を萎縮させる。
魔界最強と謳われた男が、玉座に腰掛けていた。
「お久しぶりです、ピカロ君。わざわざ私に会いに来てくれたということは、やはりデスファリアと戦う気になってくれたんですね」
「誰だそれ」
「現魔王ですよ! 私の息子で、ピカロ君の義理の弟です」
「あーね」
デスファリア・シンス・ザルガケイデン──父親であるアーバルデンを差し置いて魔界を支配する死の王。
義兄弟とはいえ、ピカロとの対面の未来はまだ遠そうだ。
「……ではピカロ君、なぜ私のもとを訪れたんですか?」
「結論から言うと、私が魔界に行くのを手伝って欲しいんだが……どこから話そうかな」
ピカロは、過去と未来の歴史を記した『世界の書』にて予言された『魔族との大戦』が1年後に迫っていること、自分がアルド王国軍を率いる立場にあること、その重大な任務をわざと失敗して死刑判決を受けたいということ、アルド王国の死刑は魔界送りだということなど、大まかな説明をした。
人間界から魔界への入り口は世界に1つ。それは“魔族しか通れないゲート”ではないため、シェルムも一緒に通ることができる。
ただその場所もわからなければ、どうやって通るのかも知らない──となると、それを知る国王に、魔界送りの刑を執行される方が確実だ。
「アーバルデン、お前は1年後の魔族の軍に入って、人間をボコボコにしてくれればいい──ただし、アルド王国は滅ぼさないで欲しいんだ。国が無くなれば、魔界送りにしてくれる人もいなくなってしまう」
「……ピカロ君は少し勘違いをしているようなので、ハッキリ言っておきますけれど、1年後に人間界に攻め込む魔族たちには、国を滅ぼすほどの力はありませんよ?」
「え、そうなの?」
「『世界の書』については私は知りませんが、魔界に住んでいたら、あと1年で人間界に攻め込む魔族が大量に出てくることは簡単に予想できます」
「魔王デスファリアが、1年後に人間を滅ぼすぞー、みたいなことを言ってるのか?」
「いいえ、その逆です」
アーバルデンは愉快そうに口端を上げて微笑んだ。
「デスファリアは、魔王の権限とその圧倒的な力によって、“人間界への侵略”を禁止したのです」
「うええ!? もしかして意外と良いやつなのか? 平和主義者的な……」
「いいえ、そういうわけではありません。デスファリアなりの政策、ですかね。彼曰く、“人間界に遊びに行っている場合じゃない”そうです。まぁ詳しくは言いませんが、魔界も魔界で色々と困ってるんですよ」
「年々、魔界から人間界への入り口が減ってきていたのは、そのためだったのか」
「はい。そして1年後、全てのゲートが閉ざされます。私みたいな最上級魔族でもない限り、自力でゲートを作って行き来なんてできませんから、人間を忌み嫌う大勢の魔族は、魔王の強行策に怒り心頭なのです」
「なんか、革命とか起こりそうだな」
「しかし、たかが上級魔族が束になったところでデスファリアには敵いませんし、何よりこのアーバルデンの息子に手を出そうなんて身の程知らずは魔界にはいませんよ」
魔王デスファリアの政策。何のためかは不明だが、魔族が人間界に流出するのを防ぎたいらしい魔王と、それに不満を抱えた上級魔族たち……そんな混沌を極めた魔界の現状を知っていれば、確かに『世界の書』など無くとも1年後の大戦を予想できるだろう。
「つまり、魔王に嫌気が差した多くの上級魔族たちが、1年後、ゲートが消失する最後の日に人間界へと逃げてくる、というわけです」
魔族による人間界の侵略戦争──などではなかった。
魔王に逆えず、魔界に居心地の悪さを感じた荒くれ者たちが、居場所を求めて人間界に雪崩れ込んでくるわけだ。
「『真魔王』などというリーダーまで立てて、人間界を新たな魔界にしてやろう、などと息巻いているようですが、実際には魔界から逃げてきた負け犬の集まりです。ピカロ君が心配するような、国が滅ぼされたりといった展開にはなりませんよ」
その『真魔王』率いる軍勢──真魔王軍が、例えばアルド王国のみを狙って攻め込んだなら、滅ぼすくらいのことは出来るかもしれないが、他の3大国がそれを見過ごさない。
少なくとも人類からすれば、“人間界vs魔界”の大戦なので、総力戦に打って出る──対して魔界から見れば、“人間界vs一部の魔族たち”なので、そもそも規模が違うのだ。
「……そんなに弱いやつらだったら、アルド王国を含めた人類を襲わずに、人間界の端っこで暮らすんじゃないのか?」
「最終的には、世界樹から離れたこういう土地に棲みつくつもりでしょうけど、そもそも真魔王軍の共通意識を思い出してください」
「共通意識?」
「彼らは、“人間を殺したい”から、魔界を去るんです」
魔族にとって人間とは下等種族であり、いつでも殺しに行ける玩具だ。人間を食料として見ている魔族だって存在する。
しかし人間界への渡航を禁止し、魔界に篭ることを強制する魔王デスファリアに反発して、わざわざ故郷を捨ててまで人間界に来る集団なのだから、どうしたって人間との衝突は避けられない。
「……まぁ、『真魔王』含め、上級魔族の集まりなので、人間にとっては強敵でしょうけどね。でも私のような最上級魔族は真魔王軍にはいませんし──いや、1人いましたかね? いずれにせよ弱い人間たちからしたら脅威ではあります」
「まぁ何だっていいけど、とりあえず私の軍が“勝ち過ぎない”ように、暴れ回ってほしいんだ」
「息子の頼みですし、何よりそれが魔界に来てくれるという目的のためなんですから、もちろん協力しますよ」
『アーバルデンの悪夢』と呼ばれたあの日も、アーバルデンに、ピカロに対する敵意は無かった。
妹オルファリアを溺愛するあまり、勝手に子供を作ったニクスを苦しめてやろうと、オルファリアをレイプしたり、ニクスに殺させたり色々としているアーバルデンだったので、当然、ニクスの血を継ぐピカロもまた嫌われているのかと勘違いしていたが、そうでもないらしい。
結局、義理だろうが息子は可愛いのだ。
──アーバルデンの協力を得られたので満足げなピカロに、シェルムが小声で話しかけた。
「おい、この話、前にも聞いたことあるんだけど」
「……黙ってればバレないって」
「いやいや、1人くらい覚えてる人がいてもおかしくないだろ。“人類vs反乱軍”っていう話、過去にもしてるぞ」
「大幅に改訂したんだよ! あれは無かったことになってるんだ」
「まるで今初めて説明しましたみたいな雰囲気だけど……」
「大事なことなので2回言いましたってことでいいだろ!」
「暇な古参の読者がいたら第十一話の冒頭を見直して欲しい……おそらく投稿された当時にあなたが読んだ内容とは全く別物になってるから」
「改訂しすぎて、めちゃくちゃ文字数減ってるからな」
「まぁそれは許してもらうとして、最近は投稿ペースが上がったせいで、ストーリーの進みが早い──無能貴族編も、本格始動だぜ!」
「これが最終章じゃないからね!」
全速前進。ブンブーン。