第五十四話 真ノ勇者
──バチンッ。
聖剣アルドレイドの柄を握ろうとしたピカロは、突如全身を襲った電撃に思わず尻餅をついて、剣に触れることさえ叶わなかった。
「はははっ! 聖剣に選ばれるどころか、完全に拒絶されてるじゃねぇか!」
無様に座り込むピカロを見てガイ王子が笑う。
「しかし……こんなことがあるのですね」
素直に驚くレイ王子。同じくヴァーンも目を見開き、じっとピカロを見ていた。
「むにゃむにゃ……そんなのどうでもいいけどさ、僕のお菓子なくなっちゃった」
「おいゴラッ! ウサ王子のお菓子をはよ運ばんかい!」
もはやピカロに興味のないウサ王子と、彼にゾッコンなユキヒ・アネイビスがいつものペースで話し始めたことで、なんとなく雰囲気は切り替わった。
慌ただしくお菓子の用意をする給仕に紛れるように、ひっそりと立ち、席に戻るピカロ。
「……はずかしっ」
押し殺すように呟く。
聖剣アルドレイドを抜けるか否かとは、まさしく聖剣の儀であり、比類なき主人公イベントである。
主人公の資格が問われると言って差し支えない。
そこでまさかの門前払いを食らうとは想像していなかった……まさかではあるが、ピカロの全身を駆け巡る『魔王の血』が反応したのだろうか。
闇を払い、悪を斬り裂く正義の剣は、魔族を傷付けることしかできない、なんて可能性はあるかもしれないが……。
しかしそんなのはあんまりだ。ガイ王子、レイ王子、ウサ王子はその持ち前の魔力量を見せつけて剣を抜き、ヴァーンは魔力は足りなくとも地面ごと持ち上げかけた。
いわば実力を披露するチャンスだったのだ──各国にとっても、読者にとっても。
「さて、改めて申し上げますが、今回集まっていただいたのはこの中から“1人”、聖剣の使用者を決めるためです。我がアルド王国のノア王子は聖剣所持を辞退されましたので……」
「そのための第一関門……そもそも聖剣アルドレイドの適格者かどうか、という点では、全員合格ですね」
「その通りです、レイ王子。そしてその上であえて聞きたく思うのですが──ノア王子と同じく、聖剣を振るうつもりはない、という方はいますか?」
聖剣は確実に強い。だが一振りでかなりの魔力を吸われるし、そもそも剣士としての実力がなければその真価を発揮できない。
これからの議論をスムーズに進めるためにも、一度は確認しておくべきことだ。
──すると、ウサ王子が気怠そうに手をあげた。
「な、ウサ王子!? 我らがネーヴェ王国に聖剣を持ち帰るチャンスですぞ!?」
「じゃあ爺が持って帰ってよ」
「いやだからそれはできませんって……な、なぜ辞退するのですか」
「うーん。僕はどちらかと言えば魔術師寄りだし……正直言って聖剣を振り回すより高域魔法の方がより多くの敵を倒せる、はず。たぶん」
お菓子を咀嚼し、お茶で流し込むウサ王子。どうやら本気で聖剣に興味がないようだ。
母国の誇る伝説の勇者候補の、聖剣を手放すという暴挙に、頭を抱えるユキヒだったが、ウサ王子の魔術師としての実力を最も良く知る彼だからこそ、ここは退くしかなかった。
「では、ガイ王子か、レイ王子。どちらが聖剣アルドレイドを持つにふさわしいか、話し合っていただきます」
「話し合うったってよぉ、そんなのどっちも自分にふさわしいって思うだろ」
「自国の警備の規模、現状の対魔族応戦状況、5年後の大戦で予想される被害規模、付近の魔獣発生スポットの数、国家指定魔術師・剣士の数など、客観的な事実を鑑みて、どちらの国に聖剣の助けが必要かを論じていただいても構いません」
「……そんなの詳細に把握してるわけないだろ。もう普通に剣で勝負して勝った方が聖剣を手に入れるとかでいいんじゃねぇの?」
「それでも構いません」
「よし、やるぞレイ」
「……」
嬉々として立ち上がったガイ王子。広々とした丘の上で、準備体操がてらレイ王子を挑発する。
「お前を殺すのは可哀想だから、剣で相手の身体に触れるのは禁止ってルールにしてやるよ」
「寸止めということか」
「あぁ。温室育ちの坊ちゃんにはちょうどいいだろ?」
「自分のことを言ってます?」
「……その余裕ぶった無表情、後悔で歪ませてやるからな」
上着を一枚脱ぎ捨て、剣を構える。
世界が選んだ傑物同士が、刀身越しに睨み合う──鋼鉄が反射する陽光に、誰もが一瞬、目を細めた。
その刹那を踏み抜く第一歩。
予備動作なしで飛び出したガイ王子が、陽炎のように揺らめき、その剣先を突きつける。その刃の横合いを弾かれるも、そのままレイ王子に肉薄し、地を蹴って足を振り上げた。
土と石が舞う。顎下から迫る蹴りをレイ王子は躱し、2歩下がる。
「そこだ」
ガイ王子が口端を吊り上げると同時、レイ王子の足元が淡く光り、魔力反応。
小規模の爆破魔法が地面を破裂させた──思わぬ地雷に足を取られるレイ王子。崩された体勢を立て直す頃には、赤髪の悪魔が迫っていた。
「魔法が禁止とは言ってねぇぞ、レイ」
「僕もそのつもりだったよ」
今度はガイ王子の足元で魔力反応──先ほどまでレイ王子が立っていた場所だ。
背の低い草を掻き分けて、頑丈な蔓が伸び上がり、ガイ王子の足を絡めとっていく。
「クソがッ」
迸る火炎魔法。蔓を焼き払い進むガイ王子は、死角から迫る殺気に気づき、自分と殺気の間に剣をねじ込んだ。
耳を突く金属音が衝撃波に変わる──レイ王子の反響魔法で、剣同士の衝突音が増幅された。
急襲した大音量に、一瞬身体を硬直させたガイ王子。その隙を逃すはずもなく、レイ王子の剣閃は必勝の弧を描く。
「取った」
「勝利の確信ほど愚かなものはない……!」
ガイ王子の背後、まるで影の中から出てきたように、“殺人鬼”がぬるりと身体を乗り出し、手に持ったナイフを突き出した。
ガイ王子の護衛、ロウ・エンズ──『人喰い』と呼ばれた殺人のエキスパートが、濃厚な死の香りを放つ。
確かに一対一とは言っていなかったが、ここに来て“寸止め”とは最も程遠い殺意をぶつけてくるロウ・エンズ。あまりに滑らかな連携に、周囲が止めに入る隙がない。
しかしそれに構わず、剣を振るうのを止めないレイ王子。首筋に迫る死の冷鉄を一瞥もせず、ガイ王子に向けて踏み込んだ。
「──僕が『取った』と言った時点で、勝利は決まってる」
時空を裂く神の庇護。レイ王子の細首と、ロウ・エンズのナイフとの距離──およそ数ミリの隙間に、白銀の大楯が出現し、けたたましい金属音を立ててナイフを弾き飛ばした。
防御魔法の頂点、その先を知る“西洋の守護神”が、レイ王子の肌に傷を許さない。
「……レイナードッ!」
ガイ王子の想像を遥かに凌駕する守護神の加護。レイ王子の護衛、レイナード・ガルシュバイツの顔を忌々しそうに睨みつけながら、ガイ王子は奥歯を噛み締める。
ロウ・エンズの奇襲に頼り、もはや取り返しのつかない隙を晒したガイ王子は、眼前に肉薄する翡翠の剣鬼に、なす術がなかった。
「俺様の負けだ」
レイ王子の剣が、ガイ王子の首から数センチのところで止まる。同時に剣を落とし、負けを認めたガイ王子。プライドの塊である彼も、ことごとくを上回られた以上、無様に足掻こうとはしなかった。
ガイ王子の剣が地に落ち、決闘はそこで終了。目まぐるしい展開についていけなかったピカロが首を傾げていると、ヴァーンが拍手しながら2人の勇者に歩み寄る。
「素晴らしい戦いでした。やはり剣とは頭脳──常に冷静かつ明晰な者が最後に生き残る」
筋骨隆々という言葉の擬人化を疑われるヴァーンでさえ、そう言うのだから、おそらく剣の本質とは本当に頭脳にあるのだろう。
レイ王子どころかレイナードにさえ殺気を向けるロウ・エンズをひと睨みし、下がらせたヴァーンが、剣を納めるレイ王子の前へ。
「それではレイ王子、貴方に聖剣アルドレイドを──」
「いや、僕はいらない」
「レイ王子!?」
額の汗を拭いながら、当たり前のように断ったレイ王子。レイナードが先ほどまでの頼もしさを失くした表情で嘆く。
一瞬言葉に詰まったヴァーンが、改めてレイ王子に問うた。
「……聖剣アルドレイドが、必要ないと?」
「聖剣は、ジンラ大帝国に譲ります」
「……レイ、そりゃどういう意味だ。まさか俺様を見下してるんじゃねぇだろうな」
「いいや、等価交換を持ちかけたいから、立場は対等だ」
「レイ王子、等価交換とは一体……?」
ガイ王子の苛立ちとヴァーンの戸惑いに答えるように、レイ王子は振り返り、後方を指差した。
「聖剣アルドレイドを譲るので、交換に彼女を僕にください」
指差されたのは、ガイ王子が連れてきたジンラ大帝国の奴隷の女性。
まさか急に自分の話になるとは思っていなかった女性は、肩を跳ねさせて驚く。
「……聖剣と奴隷の交換だと?」
「聖剣と人間の交換だ」
「レイお前、まだそんなふざけた正義感に浸ってんのか……何度も言うが、その女は奴隷という立場から解放されても帰る場所はねぇんだよ。家族に売られた哀れな女に、奴隷以外の道はない」
「僕が家族になる」
元王族の発言とは思えないそれに、誰もが度肝を抜かれる。
奴隷の女性に歩み寄ったレイ王子が、跪き、手を差し伸べた。
「名前を聞いてもいいかな」
「……ライラ」
「ライラさん、僕のお嫁さんになってください」
貴族令嬢として生まれ、大切に育てられた日々は、親の乱心で壊された。金のために帝王に売られたライラは、奴隷として焼印を刻まれ、絶望しか見えない暗闇に足を踏み入れ──そして今、その先で、光に出会った。
全身が熱くなる。だが、心の根っこに埋め込まれた恐怖心が一瞬勝り、すぐに主人であるガイ王子の顔を見る。
「……たかが雌犬1匹で聖剣が手に入るんなら、文句はねぇよ」
冷徹な視線と言葉に、心が凍える。冷えたライラの指先を、レイ王子の小さな両手が包み込んだ──とても、暖かい。
溢れ出る涙で頬を濡らしながら、ライラはもう片方の手をレイ王子の手に重ねた。
「しかしまぁ……聖剣アルドレイドがあれば、お前はテイラス共和国の民を1人でも多く救えたはずだ。それを差し置いてでもその女1人を優先しようってのが偽善なんだよ、レイ」
「目の前の女性1人救えなくて──何が伝説の勇者だ」
「勘違いするなよ、レイ。お前の偽善が生む結果は、決して美しいもんじゃない。結局はお前と無理やり結婚させられる時点で、ある意味そいつは奴隷のままなんだ」
「まぁ僕みたいなお子様は、すぐにフラれちゃうかもしれないね。そしたら、ライラはどこかに行っちゃうかも──だって、ライラはもう自由なんだから」
帰る家はなくとも、生きる道はある。
誠実なレイ王子のことだ、ライラを無理やり妻にすることはないだろう。その言葉通り、ライラの意思を尊重し、好きな生き方をさせるに違いない。
「おーうおうおう……レイ王子……こんなに立派になられて……」
「ちょ、師匠、泣きすぎ」
泣き崩れるレイナードの背中をさするレイ王子。もう片方の手は、しっかりとライラの手を握り締めていた。
彼女の心の氷が溶けるまで、レイ王子は握り続けるのだろう。
「……では、聖剣アルドレイドは、ガイ王子に持ち帰っていただきます。ただ一応、アルド王国の国宝ですので──」
「わかってるよ。戦争が終わったら返しに来る。どうせジンラ大帝国じゃ、俺様以外には扱えないからな」
「お心遣い、感謝します」
「帰るぞ、『人喰い』」
護衛のロウ・エンズを連れて丘を降るガイ王子。魔力消費の激しい聖剣を片手に帰るので、急ぎ足である。その背中にヴァーンは頭を下げた。
「……ん、居眠りしちゃってた。今何時だろう……帰ろう、爺」
「おら退け馬鹿ども! ウサ王子が帰るって言ってるだろうが!」
「お忙しいところお越しいただき、ありがとうございました」
荒ぶるユキヒに背負われて、ネーヴェ王国の第二王子は帰って行った。
「僕らも帰ろうか、師匠、ライラ」
「はい! レイ王子!」
「…………はい」
「ライラ、帰り道は沢山お話ししよう──君の未来について!」
「はいっ」
涙を堪えるライラの手を引いて、レイ王子も帰路についた。
残されたのは、気疲れした様子のヴァーンと、終始仲間外れだったピカロ。
「……何か、感想はあるかい、ピカロ君」
「アルド王国も奴隷制を採用しましょう!」
「お馬鹿さんめ! レイ王子を見習いなさい!」
軽く頭を小突かれる──嵐が去った後のような丘の上には、2人の笑い声だけが残っていた。
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「しかしレイ王子は立派な大人になりそうだ」
魔導台車での快適な帰り道、ヴァーンは何度目かのレイ王子絶賛と共に腕を組んだ。無視するわけにもいかないので、ピカロは話を広げる。
「……確かにレイ王子はズバズバと、自分が正しいと思うことを口に出してましたけど、周りの大人たちはなぜガイ王子の態度について注意しなかったんだろう」
「周りの大人たち、というと、ピカロ君もそうだけれどな」
「私はビビってたからな……ガイ王子に。でもヴァーンさんや、ユキヒ・アネイビスさんみたいな凄い人たちも何も言わないっていうのは驚いた」
「──例えば、唯一、王政を敷いていなかったテイラス共和国の代表者のレイ王子に対して、他国の人間たちが揃って国のあり方について文句をつけたら、何というか“いじめ”みたくなるだろう? 奴隷制度の是非なんて、昔から議論されているから、俺含めそれぞれの自論があるはずだが……それを戦わせる場ではなかったというのもあるしな」
他国の政治的な問題に首を突っ込むべきではない──まして相手は11歳の子供だ。
ガイ王子はあの場においてはジンラ大帝国の代表ではあったけれど、ガイ王子が奴隷制度を設けているわけでもない。彼が生まれるずっと前からある制度なのだから。
その上でガイ王子に対して大人たちが説教するのは憚られたということらしい。
「まぁ、それでもレイ王子は正しかったと思うんだ。あの場では彼ぐらいしか口を出せる者はいなかった」
「ガイ王子、かなり口が悪かったから、誰かに怒られるんじゃないかなとは思ってたけどな私は」
「ニクス様を侮辱した時は、頭をカチ割ろうかと思ったぞ」
「何でそんなに執着……もとい尊敬してるんだ」
「ニクス様から聞いているかもしれないが、俺はかつてニクス様に剣を教わっていたことがあってね。近くで見てきたからこそ、その凄さに魅了された」
「え、弟子だったの!? 友達って父さんは言ってたけど」
「まぁ俺たちが勝手に師匠と呼んでいただけだからな……そういえばピカロ君が入学した時の魔法学園の魔剣士科の教師も、ニクス様に剣を教わってたぞ」
「あー、ヘスタ・ドレッサー先生」
「あいつとはよく喧嘩したな。私は魔力に頼らない剣を目指すべきだと考えていたが、あいつはこれから先の時代は新しいことに挑戦すべきだと言って魔法と剣の融合を諦めなかった」
その結果、ヘスタ・ドレッサーはアルド王国でも数少ない魔剣士として認められ、今度はそれを魔法学園の子供たちに教える立場になったのだから、彼が間違っていたわけではないのだろう。
同時に、ヴァーンの進んだ剣の道もまた、一つの正解だ。
──それから2人はニクスの話をした。
ヴァーンからは家にいない間のニクスのことを聞き、ピカロは家でのニクスのことを話す。背中を追い続けた男と、育てられた男──いずれにせよ、ニクスへの尊敬の念は変わらない。
そんな一時を過ごしたからこそ、2人のもとに飛び込んできた情報は、まるで全てを打ち砕くかのような、絶望に満ちたそれだった。
──それは、2人が国王城に着いたと同時のこと。魔導台車から降りた2人に、国王城の使者が走り寄ってきて、泣きそうな顔で口を開いた。
「……先程ニクス・ミストハルト様が──亡くなられました」




