第五十一話 最高食事
「──これが、俺が人間界に来てからの記憶であり、オルファリアの死に関する真実だ」
沈みかけの夕陽が差し込む執務室。
過去を話し終え、水を飲み干すニクスと、俯くピカロ、ボーッとしているシェルム、不機嫌そうなノチノチ・ウラギルがそこにはいた。
「……アーバルデンが私に話したことと基本的には一緒だった」
「やはりそうか……」
ピカロの小さな声に、ニクスは頷いた。
そもそも、母親が先代魔王であることや父親が天界人であることは、ピカロに隠し通すつもりだったニクスにとって、アーバルデンの出現と、ピカロとの接触は、真実の開示を余儀なくされるものだった。
人間界で何をしたのか、オルファリアはどうして死んだのか、スノウ・アネイビス学園長が色々と事情を知っていたのは何故なのか──。
「……あたし様としては、やっぱりニクスがこのクソ豚に『ミストハルトの戦士』については語ろうとしないことが気に入らないわ。天界への帰り方が聞けるんじゃないかと期待していたけど、そんなこともなかったし」
「ピカロは、ただの人間です。『魔王の魂』も、『ミストハルトの戦士』という重責も、背負う必要はない」
「……まぁ、あたし様の用事は済んだし、もう帰るわ」
ノチノチ・ウラギル(自称ノッチ)は、不機嫌さを隠そうともせず部屋を出ていく。
部屋に横たわる沈黙を、ピカロの言葉が押しのけた。
「会話の内容は理解できないけど……もしかしてノッチも天界人だったの?」
「あぁ。俺と入れ替わりに、あの部屋にスノウさんが連れてきた少女こそ、姫様だ」
「なんでノッチを姫様と呼ぶんだ?」
「天界のお姫様だから……“だった”から」
「……天界については、教えてくれないのか」
「知っても意味はない。天界へは行けないし、姫様も天界へは帰れない。……ピカロ、お前が背負わなくちゃならないものなんてないんだ。自由に生きてくれれば、それでいい」
「それが、母さんの願いなの?」
「あぁ」
そっか、と呟いて、ピカロは椅子から立ち上がる。それを見てシェルムも立った。
複雑な面持ちで見上げるニクスに、笑いかける。
「母さんについて少しでも知れてよかった。ありがとう、父さん」
部屋を出るピカロ。無言でついて行くシェルムを、ニクスが引き止めた。
「シェルム・リューグナー」
「……なんでしょう?」
「ピカロを、『魔王の魂』から守ってくれたこと、感謝している」
「それが、僕がピカロと行動を共にしてもいい条件でしたし……約束は守りますよ」
「……君は、君たちは、何を目指しているんだ?」
ふと、ニクスは疑問に思った。
人智を超えた未知の青年シェルム・リューグナー。彼は何のためにピカロの前に現れたのだろう。ピカロが魔王の力に目覚め、暴走するのを止めてあげるためだけに、一緒にいたのか?
本当は、もっと大きな規模の何かを企んでいるのでなかろうか。この2人が揃うことで、何が起こるのだらうか。
不気味な青年への疑心感を素直に受け止めたシェルムは、胡散臭い笑みを浮かべる。
「少なくとも今言えることは……ピカロには魔界も天界も関係ない。魔王族の運命も、『ミストハルト』の責任も、父の心配も、母の願いも。あなたたちが思ってるほど、ピカロはスケールの小さな男じゃないんです」
──2人が部屋を出ると、廊下にはノッチがいた。数分前に部屋を出たから、もう既に帰ったと思っていたが、どうやら2人のことを待っていたらしい。
ノッチは顎をクイっと動かし、歩き出す。言外に、ついて来いという命令を滲ませて。
国王城中央広場で足を止めたノッチは、ベンチに腰掛けて2人を見上げた。
「……お察しの通り、あたし様は天界人なわけだけど。どうしても天界に帰らなくちゃならないのよ」
「そ、そうなんだ」
「そのために、最も信頼できる協力者として、天界最強の一族『ミストハルト』の末裔をディアレクティケ遺跡の最奥で待ってた」
「そしたら、私が来ちゃった、と」
「最後の『ミストハルトの戦士』であるニクスは、妻の死により天界へ帰ることを望まなくなった。その息子であるクソ豚野郎は、そもそも自分の血筋について説明すら受けていない。……だからあたし様は、1人で天界へ帰る方法を探してた」
「方法が見つからなかったから、今日父さんのもとを訪れて、話を聞きに来たんだろ?」
「方法は、1つだけあるわ。でもそれは最悪のケースだから、もっと楽に天界へ帰れる方法を知りたかったけど、ニクスはそれを知らなかった。だから、今度はあなたたちを頼るわ」
ノッチは渋々といった表情で、2人を見上げた。
「あたし様を、天界へ連れて行きなさい」
「嫌です」
「は?」
ピカロの即答に、ノッチはポカーンと口を開けたまま驚いている。まさかここまで非協力的だとは思っていなかったのだろう。
ニクスが言うには、天界の元お姫様だったらしいし、自分に尽くさない人間がいるとは想像もしていないに違いない。
「私にはもっと壮大で重要な目標がある。天界になんて寄り道してられない」
「本気で言ってるの?」
「もちろん。これを見てくれ」
「ぎゃーッ!」
ガチガチに勃ったちんぽを曝け出すピカロ。ノッチは青ざめた顔を手で覆っている。
「この勃起こそ私の覚悟。この勃起は、私の目標の尊さを意味している」
「わけわかんないコイツ! こんなど変態に協力を頼んだあたし様が馬鹿だったわ……もういい、1人で魔界を目指すわよ……」
「……え、今、魔界って言った?」
顔を逸らしながら立ち上がり、去ろうとするノッチ。去り際の呟きをピカロは聞き逃さなかった。
「……言ったけど、それが何よ」
「ど、どうしてノッチが魔界に行くんだ? 目覚ましてるのは天界だろ?」
「人間界から天界へは帰れない。でも魔界から天界へは行けるはずよ」
「え、そうなの」
「だって、先代魔王オルファリアは、魔界と天界を行き来して、ニクスと逢引していたんでしょう?」
言われてみればそうだった。ニクスが人間界に堕とされる原因となったのは、天界で魔族と接触したからだ──つまり魔族は天界に入ることができる。
ということは、魔界と天界は繋がっていると考えてもよさそうだ。
「……ノッチは、魔界への行き方を知ってるのか?」
「な、なによ真剣な顔して……。人間界から魔界に行くには、人間界にたった一つの『魔界への入り口』を通るしかないわね。このアルド王国では“魔界送りの刑”として利用されてるらしいけど」
「ど、どうやってその入り口を通るつもりなんだ?」
「それはこれから考えるわよ。厳重な警備が施されてるだろうことは予想できるから……難しいけどね」
ピカロはノッチから少し離れて、シェルムに耳打ちで相談する。
「おいおい、まさかのノッチも魔界を目指してたぞ」
「同志だな」
「これ、利用できないか?」
「ノッチを利用するのか? 僕らが?」
「利用というか、協力だよ。手を組むってのは悪いアイデアじゃないだろ」
「……まぁお前の好きにしていいよ。最終的には僕がどうにかするし」
「頼りになるぜ相棒ぅ〜!」
振り返ったピカロは、不審感に満ちたノッチの目を見て、ニカっと笑う。
「よし、ノッチ。一緒に魔界に行こう!」
「急にどうしたのよ……何か怪しいわね」
「信じてもらえないとは思うけど、実は私とシェルムは魔界に行くために色々と頑張ってる最中なんだよ」
「……」
「ノッチと違って私たちにはちゃんとした計画がある。魔界に行く手順を考えてあるんだ。だからノッチ、その計画に協力してくれたら、ノッチも魔界に行けるはずだ」
「……話だけは聞いてあげるわ。協力するかはその後に決める」
「それでいい。まずノッチには──王国立騎士団に入ってもらう」
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「ちんぽちんぽちんぽッッ!!」
「どうしたピカロ」
「いやいや、父さんの過去編のせいでギャグ展開が全くなかっただろ? 久しぶりにコメディやっておかないと読者が怒るぞ」
「真面目な話を読みに来たわけじゃないだろうからな……でもたまにはシリアスな話があってもいいだろ」
「うるせーい! せーいし! 精子!」
「全っ然面白くない」
「内容はまだ明かせないけど、ノッチという協力者も得て、私たちは順調に魔界へと近づいているんだ! たまには寄り道しようぜ!」
「たまにはっていうか、ストーリーそっちのけで寄り道するのがこの作品のやり方だろ」
「というわけでね、今日は読者の皆さんに世界で一番美味しい食事を紹介したいと思います!」
ピカロはビニール袋からゴソゴソと何かを取り出して、机の上に出した。
「おい、この世界観にビニール袋なんてまだ存在しないぞ……っていうかどこだここ?」
「コメディ空間です!」
「そんな場所あってたまるか」
「えー、まず一品目は、こちら! 『ペヤング』!」
「ペヤングかよ」
ゴキブリが混入してたとかで一時販売中止になったりもしたが、なんだかんだで日本人に愛されているインスタント焼きそば、ペヤングを取り出したピカロ。
「カップ焼きそばと言えばペヤング。もちろんUFOとか一平ちゃんみたいな人気商品もあるけど、私は断然ペヤング派だな」
「えー、まじか僕はUFO派だな。やっぱり味が濃いのが1番だろ」
「死ね」
「なんでだよ」
「ペヤングの魅力とは、まさしく『安っぽさ』である! この安っぽい美味さ……たまに無性に食べたくなるだろ?」
「まぁ美味いけどね」
「そもそも、カップ麺を食べてる時点で、クオリティの高い食べ物なんか求めてないんだよ。楽してある程度美味しいものを食べたいから、カップ麺を食べるわけだろ? そういう意味では最もニーズに合った商品と言える!」
言いながら、ピカロはペヤングの包装を剥がし、蓋を半分くらい開けてソースとふりかけ、そしてかやくを取り出す。
かやくを入れた後、ペヤングの容器を持ち上げて、トントン叩いて揺らした。
「ペヤングのかやくのキャベツは、お湯を捨てる時に蓋の裏にくっ付きやすいだろ? だからまずはかやくを麺の下に移動させるんだ。そしたらお湯を捨てようと容器を傾けても、かやくが麺に引っかかってくれる」
「まぁ、気持ち程度のこだわりだな。やらなくてもいい」
お湯を注ぎ、蓋を閉じて、その上に付属のソースを乗せる。ソースを温めるためだ。
3分後、ピカロはお湯を丁寧に捨ててから、割り箸を取り出した。
「さてソースをかけるんだが……キャベツがソースを吸うと麺の味が薄くなりかねないから、まずはキャベツを麺の裏に隠す!」
「これも普通の人はやらなくていいことだな」
「あ、そういえば割り箸で食べる人は、割り箸を割ったら接着面が“ささくれ”になってることが多いから、接着面同士をこすり合わせて、軽くヤスリがけしたらいいぞ!」
お湯を捨てる際に、麺の上にあがってきていた野菜たちを、割り箸で掴み、麺の下へ隠していく。上からは麺しか見えなくなったら、ピカロは温めておいた付属ソースを手に取る。
「ソースのかけ方……私的には、偏りがあると良くないから、やはり麺全体に均等にかけたい」
「どうすればいいんだ?」
「ソースの袋の端を、少しだけ切るんだ。ソースがドバーっと出ないように、ソースの出口を小さくして、ビームみたいに出るようにする。ソースが細く出るくらい袋の端を小さく切ったら、網目状にして麺にソースをかけていく。均等を意識しよう」
この時、かやくの野菜が麺の上に残っていると、ソースはその野菜に吸われてしまい、野菜の下の麺の味が薄くなってしまう。
だから先ほど野菜を麺の下に隠したのだ。
満遍なくソースをかけ終えると、すぐさま掻き混ぜる。この工程をゆっくりし過ぎると冷めてしまうため、素早く、かつ適切な混ぜ具合を追求してみよう!
「最後に付属のふりかけをかけて、出来上がりだ」
「僕だったら生卵とかキムチとか入れるけどな。ペヤングの味だけだと飽きちゃうし」
「こんの馬鹿タレがぁッッ!」
肩パンするピカロ。
「まずはペヤングそのものの美味しさを味わうべきだろ! アレンジは残り半分からで十分だ!」
「えー……」
「アレンジの方法はいくらでもある。粉末バジルをかけたり、コショウを加えてもいい。バターなんかもいいかもな──しかし、そんなのは全て2番手! 最強の味付けはそんなものではない!」
「どうせマヨネーズだろ」
「最強の味付けは、マヨネーズである!」
「ほらな」
「殺してやる!」
シェルムの首を締めるピカロ。しかしペヤングが冷めてしまうと思い、すぐさまペヤングを啜り始めた。
「結局はな、マヨネーズなんだよ。最初からかけてもいいけど、私は半分食べてからマヨネーズかける派だ」
「まぁ、一平ちゃんには付属でマヨネーズ付いてるし、焼きそばとマヨネーズが合うのは皆もわかってるけどな」
「しかーし! 最高の食事とは、ペヤングだけでは終わらない!」
「……まだあるのか」
2人の背後で電子音が鳴る。振り向くと、電子レンジがピカピカと光っていた。立ち上がったピカロが、電子レンジを開けてその中からホカホカの食べ物を取り出した。
「これは、スーパーで売ってる唐揚げだ!」
「また安物かよ」
「皿に移してレンジに入れるのではなく、プラスチックの容器のままレンチンすれば、洗い物が増えなくていいぞ!」
「焼きそばと唐揚げ……まぁそりゃ美味しいけどさ」
「唐揚げも、レモンをかけたりしてアレンジはできるけどな。しかし最強の味付けは他にある!」
「マヨネーズだろ」
「最強の味付けは、マヨネーズである!」
「ほらな」
「殺してやる!」
「さっきやったよこの下り」
唐揚げを頬張り、焼きそばを啜る。水で流し込んで、感嘆のため息。
「……でもこんな食生活だと、不健康すぎないか?」
「そこで、こちらの商品! 『コンビニで売ってるサラダ』!」
「うーん……」
「馬鹿みてぇに野菜たっぷりのサラダを、できれば食事前に食べてくれ! 私はサラダのことを忘れていたから今から食べる!」
セロテープを剥がし、蓋を開ける。こんもりと盛られた野菜に、割り箸を突っ込んだ。
「おい、ドレッシングとかかけないのか?」
「あのなシェルム。野菜ってのはそもそも不味いんだよ。不味い不味い! って叫びながら食べるものなんだよ。健康のためにな」
「今こそマヨネーズの出番だろ」
「こんな、名前の付いた雑草にマヨネーズ様をかけてたまるか!」
「こっわ」
野菜を美味しく食べようという発想が間違っている。人が野菜を食べるのは栄養素の確保のためであり、美味しいから食べるのではないのだ。
最初から開き直って、不味いなぁと思いながら食べるべきものだ!
心のどこかで、「これだけ不味いのを我慢して野菜を食べてるんだから、健康になれるだろうなぁ」と思えれば、それでいい!
「さて、これが世界一美味しい食事だったわけだが……気づいたか? 今回、洗い物が一切無いぞ?」
「まぁ割り箸で食ってるしな」
「これこそが至高! 飯の後にする食器洗いが1番面倒くさいから!」
「……おいピカロ、ふざけてたら文字数的にそろそろ終わっちまうぞ」
「ニクス過去編ではコメディ要素がなかったからな……たまにはこんな雰囲気もいいだろ」
「さてさて読者の皆さんはお気付きかわかりませんが、『冒険者編』に突入してから僕とピカロはほとんど冒険者として活動していません!」
「確かに」
「しかも残念なことに冒険者編はここで終わりです!」
「お、新章開幕か」
「次はなんと──『無能貴族編』」
「え!? この作品もう終わるの!?」
「五十話も使ってようやく無能貴族編に入ります──ただまぁ少なくとも、これが最終章ではないことを、ここに明記しておきましょう」
「まだまだ続く……気長に行こうぜ」
「そんなわけで次回、新章開幕。ペヤングでも食べながら読んでください」




