第四十九話 過去編(三)
吹き荒れる風の中を、ひたすらに魔導台車で走り抜ける。
処刑生物──ゴールデンヘラクレスがその羽を広げて飛び上がるたびに、車輪は浮き車体が傾く。それも追い風として利用し、ただ遠くへ離れることに集中した。
「おいおいおい! どうすんだよニクス!」
「……このまま、ナナーク島のディアレクティケ遺跡に向かう」
「んな!? お前こんな時まであるか分からない天界を目指すのかよ!?」
「天界はある……むしろ聞くがザンドルド、あの黄金の怪物が、人間界のものだと思うか?」
「いやまぁ、あれは確かに……別世界からの侵略者って言われても信じちゃうけど……」
「……くるぞ!」
雄々しいツノが風を切り、地面を抉りとる。土のシャワーを浴びて速度が落ちかける魔導台車に、ゴールデンヘラクレスは加速して追いついた。
真っ赤な双眸が、ちっぽけな乗り物と、2人の小人を捉える。
グググッ……と溜めて、ツノを突き出した。黄金の残像を置き去りに、超速の大打撃が2人を貫かんと迫る。
「伏せてろザンドルドッ!」
ニクスは荷台後方から身体を乗り出し、天界から落ちてきた際に装備していた盾を力一杯押し出した。
ガギンッと音を立てて弾かれるツノ。ニクスもまたあまりの威力に振り落とされそうになるも、ザンドルドがニクスの足を必死に掴んでいたため何とか堪える。
ツノ攻撃に半ば吹き飛ばされる形で加速する魔導台車。地面を跳ねるように進む。
「す、すげぇなその盾」
「『月龍麟の盾』と呼ばれる最上級武具だ……これも天界の物なんだが、まだ信じてくれないか?」
「い、いや凄いのはわかるんだけど……凄いイコール天界ではないし……」
「頑固だな君も……!」
天界の存在を認めることは、ある種、人間界が下位の世界であることを認めることである。一応、人として誇りと尊厳を持って生きているザンドルドからすれば、まるで自分たちの上位互換が存在するというのは、いまいち嬉しくないし、信じがたい。
さらには、“人間は、死んだら天界に行ける”などという考え方も好みではない。ザンドルドにとって、死は終わりを意味し、天界での第二の人生やら、魂の救済やらはむしろ不謹慎だ。
人は死ねばそこまでだ。少なくとも、本当に楽園のような天界に行けるのなら、人々はこんなにも毎日を必死に生きないだろう。
「天界に行けば逃げ切れるとか考えてんのか?」
「ゴールデンヘラクレスは、俺を殺すために人間界に降りてきた。つまり俺が天界に帰れば、ゴールデンヘラクレスもまた追ってくるはずだ」
「じゃあ逃げられないじゃねぇか!?」
「人間界にこれ以上、被害を出したくはない……それに、天界に帰れたなら、あんな“虫”10秒で倒せる」
「嘘つけ!」
ニクスの魔力は依然として制限されたままだ。魔力に満ちた天界の空気がなければ、満足に戦うことはできない。
一方で同じく天界出身であるはずのゴールデンヘラクレスは、処刑“生物”などと言われてはいるものの、その正体は魔力で動く魔導兵器。内蔵された魔力が尽きるまでは天界だろうと人間界だろうと同じパフォーマンスを続けることができる。
2人はたた逃げるしかないのだ。
魔導台車は燃費が良いため、数時間走らせた今もニクスの魔力はそれほど消費していないものの、規格外の魔力量を誇る魔導兵器から逃げ切れる保証はない。
ナナーク島到着までどれくらいの時間がかかるのかは不明だが、少なくとも三日三晩、この調子で逃げられるわけがない。先ほどから何度も死にかけているのだ。
いくら月龍麟の盾が優秀だとは言っても、これもまた魔力を通して初めて真価を発揮する魔法武具である。今のニクスにとっては頑丈な普通の盾でしかない。それでツノ攻撃を上手く防げるのも、あと数回だろう。
さすがのニクスも、腕の骨が限界だ。
「おい、ナナーク島に行くには海を渡らないといけないけど……どうするつもりだ?」
「……魔法を使えば、海面を走れる」
「その魔法が使えないくらい魔力が足りてないんだろ!? だから魔石を作るのもちょっとずつだったし」
「今ある魔力を使い切れば、一度くらい魔法を使えるはずだ……ってちょっとまて、魔石って今いくつある!?」
背後に迫るゴールデンヘラクレスから目を離すことなく、ニクスが叫ぶ。ザンドルドは、胸元に隠した小袋を覗き込んだ。
「10個だ!」
「それだけあれば……もしかしたら」
「おい、これは俺様の大切な軍資金だからな! 今更返せって言われても──」
突然、魔導台車が宙に浮く。
ゴールデンヘラクレスが、ツノを地面に突き刺し、ここら一帯の地面を吹き飛ばしたのだ。土塊と共にぶっ飛んだ魔導台車──方向転換も加速もできない……回避ができない!
ニクスの盾を警戒したゴールデンヘラクレスは、浮き上がる魔導台車を、下からツノで突き刺した。
車体は粉々に粉砕される。咄嗟にザンドルドを庇ったニクスだったが、宙にいて踏ん張りが効かなかったため、盾ごと突き飛ばされる。
クレーターみたく抉れた地面に叩きつけられた2人。
ザンドルドを庇った際に左半身をツノで突き刺されたニクスは、夥しい量の血に塗れ、立ち上がれずにいた。
昆虫のツノに突かれただけと言っても、体格差ゆえに、ツノそのものがニクスより大きいのだから仕方ない。むしろ急所を貫かれなかったのは幸運と言えるが……全身を串刺しにされるのも時間の問題か。
「ニクスッ!」
散らばる魔石に目もくれずザンドルドが駆け寄ると、ニクスは吐血混じりに呟いた。
「……君の、魔石全部と、俺の残りの魔力を使って、“剣を抜く”。必ず、必ず倒すから……」
「わかってるよ出し惜しみしねぇ! 魔石より命優先だ!」
「すまないが、あそこにある剣を、運んできてくれないか……もはや動くことも──」
「任せろ!」
言うが早いか、ザンドルドは駆け出した。
ニクスが本当に天界人なら、確かにこの絶対絶命の状況をひっくり返せるかもしれない。足りないのが魔力だけなら、魔力を封印した魔石を消費すれば事足りるかもしれない。
正直、まだニクスのことは天界大好きの天界マニアだと思ってはいるが……もはや他に選択肢はない。ニクスが天界人であることに、賭けるしかない!
吹き荒ぶ風。舞い踊る土塊。地獄のような斜面を走り、離れた位置に放り出された剣を拾いに行く。
ニクスは今もゴールデンヘラクレスに攻撃され続けている。月龍麟の盾で、縮こまるように防御しているため時間は稼げるが、出血量は尋常ではないし、何より威力を殺しきれていない。地面が凹むほどの衝撃に晒され続けるニクスのために、ザンドルドは走った。
斜面に半ば突き刺さる形で顔を出した剣。その柄を握りしめ、すぐさまニクスのもとへ──しかし、抜けない!
「何だよこれ……! 重すぎる!」
思い返せば、ニクスが空から降ってきたあの日もそうだった。気絶するニクスの腰から剣を抜こうとしたが、重すぎて抜けなかったのだ。
こんな非常事態だというのに、剣は頑なに抜けてくれない。もう時間がない!
「いや、まさか……!」
極限状態のザンドルドは、持ち前の頭の回転の速さで、ついさっきの会話を思い出す。
──残りの魔力を使って、“剣を抜く”、とニクスは言っていた。
「この剣、魔力がないと抜けねぇのか!」
鞘から剣を抜くという行為自体に、相当量の魔力を要するのだ。一般人のザンドルドに抜けるわけがない。
しかし、ならば抜かなければいいだけのこと。
ザンドルドは“鞘ごと”掴んで、剣を地面から抜き取った。鞘に納まったままの状態なら、重くない!
「今行くぞニクス!」
ニクスを殺そうと、ゴールデンヘラクレスが暴れ回っているため、常に大地震の震源地のような状態で、ザンドルドは上手く走れない。
興奮したように羽を広げるたびに、軽い身体が吹き飛ばされる。飛来する石や木ですら、ザンドルドにとっては致命傷になる。
もう何度も石や土塊が身体を殴打し、木片が肌を引き裂いた。見る人によっては、ニクスよりもザンドルドの方が大怪我しているかもしれない。
それでも、足を止めない。吹き飛ばされそうになれば、地面にしがみ付いて這いずり進む。腕が折れようが、足が折れようが、嵐の中心地へ。
痛みすら飛ばされそうな旋風の最中、手を伸ばせば届く距離まで辿り着いた。
「持ってきたぞ! おいニク──」
「……ザンドルドッ!」
気まぐれに、ゴールデンヘラクレスは視界に入ってきたザンドルドをツノで弾き飛ばした。ゴミを軽く払うような感覚だったかもしれないその攻撃も、ただの人間であるザンドルドにとっては一撃必殺のそれであり、まして全身傷だらけで満身創痍のザンドルドにとっては、“決め手”であった。
ツノを正面から受けたわけではなかったが、ツノに生えている無数の刺の1つが、ザンドルドの身体を貫く。たった1つの刺でさえ、人間の身体にとっては巨大な刃物なのだ。
巻き込まれる形で千切られた右腕が、風に飛ばされて彼方へと消えた。刺は、ザンドルドの腹を貫通していた。
もはや、上半身と下半身が千切れてしまいかねないほどに、身体をくの字にへし曲げられたザンドルド──しかし血を吹き出しながら、残る力を振り絞り、剣を二クスへと放り投げ、叫んだ。
「──勝てッ!」
決死の表情をその目に捉え、ニクスは歯を食いしばって立ち上がる。既に全身の骨は砕かれ、左半身は千切れ落ち、あわや内蔵もこぼれ落ちる寸前。
目を閉じてしまえば、二度と開くことは叶わないであろう死の瀬戸際で、“友達”の声に応えた。
「死んでも──勝つッ!」
視界の端、人形のように全身が千切れ飛ぶ友達の姿を見ながら、折れた右腕を突き上げ、飛来する剣を掴み取った。
ザンドルドが命を賭して運んだ希望の剣──その柄に手をかける。
「『聖剣アルドレイド』──神の一閃を、味わったことはあるか?」
ニクスは全身を捻るようにして剣を引く。周囲に散らばっていた魔石が、その命の煌めきを発してから、粉々に砕ける。
砕けた魔石から魔力が発現し、そして聖剣アルドレイドに吸い込まれていく。
ザンドルドは、将来自分の盗賊団をつくりたいと言っていた。その軍資金として溜めていた10個の魔石。全て合わせれば、ニクスの全魔力の半分以上に相当する。
そして、ニクスの身体に残された魔力も、惜しみなく注ぎ込む──今この一瞬は、天界にいた頃と変わらない魔力量だ。
地獄も顔負けの苦境を、聖剣が照らす。集結した魔力を飲み干して、神の剣が雄叫びを上げる。
命の輝きを、魔力の灯火を、ありったけの希望を吸い込んで、聖剣アルドレイドは──抜かれた!
「──『神羅一閃・天斬』ッッ!」
天界最強の一族、ミストハルト家に代々受け継がれてきた神の一振りが、目を焼くほどの輝きを放ち、空を裂く。
石を、木々を、山を、大地を斬り裂く斬撃が、黄金の怪物を真正面から叩き斬る。雲が裂け、大地が割れる。
弧を描く剣閃──たった一撃でもって、ゴールデンヘラクレスは真っ二つどころか木っ端微塵に消し飛んだ。
竜巻さえ巻き起こす一閃は、2人の男の願いを聞き入れた──紛れもない、2人の勝利である。
「……はっ、はぁっ」
雲すら消し飛ばされた蒼穹を見上げて、ニクスは息を吐く。もはや一歩も動けない。
聖剣アルドレイドは、鞘をなくし、地面に突き刺さったままだ。もはやこの剣を地面から抜き取れる者はいないだろう。
生きているのが奇跡とも言える状態で、ボヤける視界に目を凝らす。
「ザンドルド……」
少し離れた場所に、ザンドルドの上半身だけが倒れ伏していた。血の海に沈む友達の顔は、ボヤけて見えなかった。
重力に任せ、倒れ込む。全身の骨が砕け、内臓が裂けたのがわかる。
右腕で地面を掻きむしり、掴み、全身を引き摺る。何分かけただろうか、たった数メートルを死に物狂いで進む。
血の軌跡を地面に残して、這いずって進んだニクスの手が、ザンドルドに届いた。
「死ぬな、ザンドルド──世界最高の盗賊になるんだろ?」
ザンドルドに覆い被さるニクス。傷だらけの全身から溢れ出るニクスの血液が、ザンドルドを濡らした。
天界人の血は、人間を進化させる。魔力供給の少ない人間界に適応した身体にとって、天界人の血は神の雫──傷を癒し、力を与える天恵。
天界人の生命力の源が、ザンドルドの身体に沁み渡り、混ざり合った。
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「ここか……」
場所は、ナナーク島最奥ディアレクティケ遺跡、その最深部である。
襲い来る石の巨人を退け、最後の部屋に辿り着いた。
「待ってろニクス。天界に帰してやるからな」
決意の眼差しで見据える先、部屋の床一面を覆う魔法陣から、漆黒の鎧が現れる。最後の番人、暗黒騎士である。
対して向かい合うは──ザンドルド・ディズゴルド。
親友を背負って、剣を構える。
「俺様の魔力での治療は限界がきてる……お前の言う通り、人間界では治りが遅いな」
暗黒騎士が、床を蹴って肉薄。達人の間合いでもって、漆黒の剣を振り抜いた。
ザンドルドは、月龍麟の盾で弾き返し、一歩踏み込む。体勢を崩した暗黒騎士の懐に潜り込んで、剣を振り上げた。
「邪魔するな」
一太刀で斬り伏せる。暗黒騎士は薄紫の粒子となって、魔法陣へと還った。
ザンドルドは剣の素人だが、天界人の力に目覚めた効果は絶大だったようだ。持ち帰ってきていた月龍麟の盾が優秀だったのもあるが。
ちなみに聖剣アルドレイドは、刀身が地面に突き刺さったままで、再び魔力を込めないと抜けなくなってしまったので、その場に置いてきた。
ザンドルドは、奥の部屋の扉を両手で押し開ける──隙間から、涼しい風が吹き込み、2人の髪を揺らす。
「ここが、天界と繋がる場所……なんだよな?」
しかし部屋には何の変哲もない置物やら寝床しかない。ザンドルドの想像していたような、異世界への扉はどこにもなかった。
とりあえず、寝床にニクスを寝かせる。天界人特有の再生力の高さと、ザンドルドの魔力での治療により一命は取り留めているものの、まだ死の淵にいることにかわりない。
しかし突然、ニクスの目がうっすらと開いた。
「ニクス!?」
「……ゲホッ、ゴホッ」
「目を覚ましたのか……!?」
「こ、ここは……?」
「ディアレクティケ遺跡だ! お前が言ってた、天界への入り口!」
「……なるほど、どうりで懐かしい匂いがしたのか」
起き上がることはできないが、ニクスの意識が戻った。
「この場所には、天界の空気が満ちている」
「そ、そうなのか?」
「急速に魔力が回復していくのを感じるだろう?」
言われてみればそんな気がするザンドルド。だが気がするという程度であり、実際ニクスの傷は一向に治らない。
「……だが、まだ“薄い”」
「天界の空気が、薄いのか?」
「ああ。だからまぁ、もうここは天界とは繋がっていないんだろうな」
少なくとも、過去にこの場所が天界と繋がっていたことは確からしい。薄ら残った天界の空気が、それを伝えてくれる。
「……薄くとも、この場所で眠っていれば、いずれ俺の傷は癒えるだろうな。ありがとう、ザンドルド。何より君が生きていてよかった」
「いやいや、俺様の方こそお前には何度も命を救われてる」
「君の傷は完治したのか?」
「あー、傷痕は残っちまったけど、もうピンピンしてるぜ──それに、傷痕もかっこいいしな」
ザンドルドが上着を脱いで背を向けると、そこには大きな“星型の傷痕”が刻まれていた。身体を貫かれ、千切れた上半身と下半身が無理やりくっ付いた偶然の産物である。
「俺が目を覚ますのは、一体何十年後になるかわからない。その時、既に君は死んでいるかもしれない」
「かもな。でも安心しろニクス。俺様の名は、ザンドルド盗賊団として残る。まぁまだ団員は俺様しかいないけど、今後は増やすつもりだ。そしたら何十年後でも何百年後でも、俺様の悪名は轟いてるだろうよ」
「まったく……懲りないな、君は」
「最初に盗むのは、あのゴールデンヘラクレスの欠片から作られた『黄金殻の鎧』だ。そもそもあれは俺様たちの手柄だろ?」
「何だっていいが……まぁ、君が元気ならそれでいい」
「おうよ、必ず世界最高の盗賊になってやるからな。期待して寝とけ」
親友の笑顔に励まされ、ニクスは眠りについた。
──そして、魔力の完全回復と、全身の治療を終えて目覚めたのは、この時から800年も後のことである。




