第四十六話 月龍麟盾
「──ったく。国王陛下も無能だな」
瓦礫の上に腰掛けるピカロが呆れたようにそういうと、隣の壁が崩れ、空いた大穴からシェルムが歩き出てきた。
「そう言うな。国王の一言で何でも望みが叶うって方が、国にとっては毒なのさ」
シェルムは剣を鞘に納めると、風魔法で周囲の砂煙を吹き飛ばす。
薄暗い通路には、ピカロとシェルムの2人だけだ。
ピカロは、尻の下にある瓦礫を叩きながら言う。
「……てか、“こいつら”何体倒したっけ」
「2人合わせて30体くらいか?」
「“最後の部屋”が見つかんねぇよぉ……」
ピカロの涙声が反響する──2人は今、地下にいた。
場所は月の都ナナーク島、立ち入り禁止区域に指定されているディアレクティケ遺跡である。
三日月の形をしたこの島には、ピカロたちはかつて訪れたことがある。第二十四話にて、魔法学園入学から1ヶ月頃の新入生トーナメント後、魔法学園の1年生全員で訪れた島だ。
そしてディアレクティケ遺跡は、その学生旅行の際、ピカロとシェルムがお宝探しの名目で潜り込んだ古代遺跡であり、ほとんど登場していないノチノチ・ウラギル(自称ノッチ)という少女と出会った場所でもある。
およそ10年前の当時、ピカロは遺跡内部で迷子になり、石の巨人に追いかけ回された結果、偶然ディアレクティケ遺跡の最下層の部屋に辿り着いた。ノッチは、最奥の部屋から現れた謎の美人としてピカロの記憶に強く残っている。
当時は苦戦した石の巨人も、今となっては2人合わせて30体は倒した──そのあたりにピカロの成長が窺える。
「しかしまぁ、本当に古代の遺物があるのかなぁ」
「仮にあったとしたら、このナナーク島の伝説と合致する。そういう意味では信憑性の高い情報かもな」
今更になって2人がこのディアレクティケ遺跡を訪れた理由は、冒険者ギルドからクエストを受注したからである。
SS級クエスト『月龍麟の盾』の回収。
文字通り、月の龍の鱗でできた最強の盾を持ち帰るという内容のクエストだ。
ではなぜ、そんな最高難易度のクエストを受注したのかと言えば、それは2人が正式にSS級冒険者となるためである。
3日前、国王から直々に褒美を与えると言われたピカロは、自分とシェルムの2人をSS級冒険者にしてくれるよう、冒険者ギルドに口利きしてほしいと頼んだ。
通常、冒険者ギルドは規則に厳しいため、冒険者ランクの飛び級は認めていない──たとえ大英雄ニクス・ミストハルトでも、地道にクエストを重ねていかねばSS級にはなれない。
未だD級だった2人を、いきなりSS級に昇格させるには、それこそ国王からの命令レベルでなければならないだろうと考えたピカロは、手っ取り早くSS級になるため国王権力でギルドを操ろうとしたのだが……結果は芳しくなかった。
ギルドの言い分としては、『さすがにSS級クエストの1つもクリアしていない冒険者を、SS級として認めるわけにはいかない』ということ──魔皇帝アーバルデン討伐の栄誉と、国王からの口添えを合わせても、ギルドの譲歩はそこまでであった。
その結果2人は、月龍麟の盾を取りにナナーク島に来る羽目になったため、ピカロは国王を無能呼ばわりしたのだ。
「ナナーク島の伝説? 何だっけそれ」
「月の都ナナーク島……かつて月に住む神々が、月とこの島を結ぶほどの巨大な龍の背中を歩いて、この遺跡に降り立った、という言い伝えがある。そして今でもディアレクティケ遺跡は、その龍が棲む危険な場所だとして、立ち入り禁止となってるわけだな」
「ははーん。まさに月から来た龍……その鱗がこの遺跡に落っこちてるのか」
「いや、多分違うと思う」
月と地球の距離を考えれば、いくら神々の伝説とはいえ、そんな大きさの龍がいたとは考えにくい。
それにそもそもこの世界において、龍という生物は確認されていない。
「伝説級アイテム『月龍麟の盾』そのものは存在するとは思うけど……それは本物の龍の鱗ではないだろ」
「夢がないなぁ」
「てかお前がノッチと出会ったっていう、最下層の部屋にさえ辿り着けば、真相は明らかになるんだから、早く部屋の場所思い出せ」
「迷子で走り回ってたら着いただけだから、全く覚えてな──ん? 最下層?」
ピカロは、良いことを思いついたとばかりに笑顔を浮かべ、2人の立つ通路の床をコンコンと叩き始めた。
「そっか、最下層にあるってわかってるなら、最下層まで落ちればいいんだ」
「……この遺跡には歴史的に非常に価値のある物が溢れてるということを鑑みて行動してくれよ?」
「まぁでも月龍麟の盾よりは価値が低いでしょ」
「そういことじゃな──」
ピカロは思い切り振りかぶり、その拳を床に叩きつけた──途端、蜘蛛の巣状に波及した衝撃波で床は崩れ落ち、2人は奈落の底へと落ちていった。
重力魔法での着地に成功したピカロが顔を上げると、見覚えのある空間が目に入ってくる。
円形の大空間。ディアレクティケ遺跡最下層のボス部屋だ。
「確か、石の巨人が何体か降ってきたはず」
ピカロの朧げな記憶通り、2人の侵入者を検知した遺跡がゴゴゴと音を鳴らして動き始め──太陽と見紛うほどの光の照射と同時に、頭上から5体の石の巨人が降りてきた。
大地震顔負けの揺れの中、ピカロはニヤリと笑う。
「たかが5体じゃ……いないのと一緒だ」
大空間の中央、光に照らされた2人の侵入者目掛けて、巨人たちが腕を振り下ろす。
魔族でさえ木っ端微塵になりかねない衝撃は、2人の頭上で止まった。
「エロ・グラビティ……やっぱり魔王の力が目覚めてから、魔法の威力が段違いに向上してる」
ピカロの重力制御魔法によって動きを止められた巨人たち。ピカロがギュッと拳を握ると、それに呼応して魔力が流れ、5体の巨人たちは重力に押しつぶされてしまった。
一瞬で瓦礫と化した巨人たち。音を立てて崩れ落ちる石の塊を満足げに見ながら、ピカロは床を指差す。
「んで、確かこの後は、床からすんごい強い敵が現れるはず」
10年前の記憶と同じように、床一面を覆う魔法陣が展開され、2人を照らす。
やがて部屋の床の中央から、漆黒の鎧を身に纏った騎士が現れた。
「出たな暗黒騎士。10年前は、アキレス腱をぶった斬られて、殺されそうなところをヴァギナに助けてもらったけど……今回はそうはいかないぞ!」
「ピカロお前、ノチノチ・ウラギルのこと、ヴァギナって呼んでるのか?」
「喋るまんこだろあんなの」
「もはや魔王だなお前」
「倫理観をどこかに落としてきちまったのさ……誰かが交番に届けてくれてたらいいんだけど」
「おい。喋るちんこ。暗黒騎士が来るぞ」
「ちん“ぽ”な。“こ”じゃねぇから」
よくわからないこだわりを見せつつ、ピカロが一歩前へ。かつてこの暗黒騎士と対面した時は、剣を交えずとも自分より格上なのだと思い知らされた。
その直感は正しく、ピカロは背中を斬られ、アキレス腱も斬られたが、そのどちらも全く目で追えなかった──完敗だったのだ。
10年越しのリベンジマッチ。ピカロは右腕を胸の前に構え、カッコつけて言った。
「モードチェンジ『魔王の右腕』」
言うや否や、ピカロの右腕に赤黒い粒子が集まっていく。闇の中で暗く輝く紅の灯火が、右腕を包んだ。
その炎を振り払うように、右腕を横に振るうと──ピカロの右腕は、黒々とした魔族の腕に変わっていた。
「サタンズ・ライトとかダサすぎるからな」
「うるせぇ。サタンズ・チョップで殺すぞ」
「ちなみに、股間はサタンズ・ペニスなのか?」
「サタンズ・チンポに決まってるだろ」
「何でだよ」
2人のお喋りに付き合う気はないらしい暗黒騎士が、錆び付いた鎧の金属音と共に襲いかかってくる──10年前のピカロなら、振り返ることさえ出来なかっただろう。
「サタンズ・パーンチッ!」
振り向き様の右ストレート。ゴツゴツとした魔王の右腕は、暗黒騎士の頭を貫き、あまりの威力と衝撃で、暗黒騎士は全身粉々に砕け散ってしまった。
人間をやめたピカロ──たかが片腕に魔力を集中させるだけで、遺跡の番人を1発KOである、
「あ〜、やっぱなろう小説における攻撃力のインフレってたまんねぇ〜! チョー気持ち良い」
「最近は、伸び代がない主人公っていうか、第一話から最強な主人公の方が人気でる風潮があるだろ……だから僕らも初期から強かったんだけど、さらにパワーアップしてしまった」
「もっと強くなる! 私を見た女が小便漏らすくらい強く!」
「ちなみにその小便はどうするんですか」
「その小便が染み込んだ土で野菜を育てて、野菜スープにします」
「……この小説が人気にならない理由はやっぱりお前だと思う」
冗談はさておき、2人は大空間最奥の部屋へと足を進める。
前回、この部屋は内側から開き、ノッチが現れた。そのまま地上に帰ったので、この10年以上の間、部屋は空きっぱなしのようだった。
「……あれか? 月龍麟の盾」
「多分な」
部屋の奥に、明らかに盾を置くためだけの祭壇があり、その上に薄紫色の盾が置かれていた。触ったり匂ったりしてみたら、どうやら金属ではなさそうだったが、かといって龍の鱗かと聞かれれば首を傾げざるを得ない。
確かに硬いようではあるが……まぁ往々にして古代の遺物は人間界には存在しない物質で作られているので、これはこれでちゃんとした盾なのだろう。
「……ん? 何だこれ」
ピカロが手に取ったのは、1枚の紙切れ。まるで何百年も経ったかのように劣化し、磨耗しているが、そこに書かれた文章はなんとか読み取れる。
「……『未来の同士たちへ。ここから天界へは帰れない』」
「天界ねぇ……。天界人は月にいる、なんて昔から言われてるけど。そういや月龍麟の盾も、月に棲む龍の鱗なんだよな? やっぱりこの遺跡、天界と何か関係があるのか?」
「おや、何でも知ってるシェルム君も、さすがに天界については知らないんだな」
「僕は全部知ってるけどネタバレになるからとぼけてるだけだ」
「ほんとクソキャラだなお前」
月の都ナナーク島。ディアレクティケ遺跡。
この場所が天界と関係があるのだとすれば、この部屋から出てきたノッチは一体何者なのか……全くと言っていいほど出番のなかった彼女に関する物語の始まりが近づいていた。
「……あ、天界で思い出したけど、父さんも天界人だってアーバルデンが言ってたな」
「お前の母親であるオルファリア・シンス・ザルガケイデンと、ニクス・ミストハルトの出会いは、800年前に遡るとも言ってた」
「アーバルデンから真実を聞いたってのは正直父さんには言いにくいけど……でもアーバルデンの話が本当に正しいのかは怪しいだろ? やっぱり、父さんから直接聞くべきだ」
「妻を殺した夫の話を?」
「私はその2人の1人息子だ──聞く権利がある」
アーバルデン討伐から数時間ですぐに冒険者ギルドに向かい、SS級クエストを受注し、ディアレクティケ遺跡を歩き回ること3日間。
そういえばニクスとはまだ顔を合わせていなかった。
母オルファリアの真実。アーバルデンの語った通り、それが悲しい物語でも、ピカロはそれを受け入れる心の準備ができている。
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「こ、こ、これは!? まさか本当に月龍麟の盾を持ち帰ったのですか!?」
目をひん剥いて驚愕するギルドの受付嬢。ロビーにいた冒険者たちも、机の上に置かれた神々しい盾を見て騒ぎ出した。
数ある古代の遺物の中でも、指折りの最強アイテムの1つが、目の前にあるのだから、仕方ない。
聖剣アルドレイド。月龍麟の盾。地割れの鬼槌。神殺魔女のローブ。不退転の王槍。黄金殻の鎧。世界樹の杖。
人類の手に余る伝説級アイテムの内、地割れの鬼槌、神殺魔女のローブ、不退転の王槍を除く4つがアルド王国が保有してしまったという異常事態。
その内、元々アルド王国の国宝である聖剣アルドレイド以外の3つは、全てピカロとシェルムが集めたものだ。
実際、大国同士の軍事的均衡が傾いたどころの騒ぎではない。
──この数日後に世界を揺るがす“大ニュース”がなければ、アルド王国が暴走する前に先手を打とうと、他の大国から攻め込まれていたかもしれないほどの事態である。
「じゃ、これで私とシェルムはSS級冒険者ってことで。ギルドマスターによろしく言っといてくれ」
「え、あの報酬は……?」
「いらねぇ。王都の復興にでも回してくれ」
無茶苦茶に格好つけてギルドを後にする2人。ピカロは大英雄の息子なので金には困っていないのだ。
──その足で向かったのは、国王城のとある一室。
伝説の勇者候補である、アルド王国第一王子の師匠であり親代わりのニクス・ミストハルトが使用している執務室だ。
初めてこの部屋を訪れたのは、第九話『理論的糞』にて、ピカロの魔法学園入学の許可を得にきた時であり、同時に、シェルムがニクスとスノウ・アネイビス学園長との約束をした時である。
その時はピカロが魔王の力を継いでいるとは口に出せなかったため、曖昧な物言いだったが──魔王の力に目覚めたピカロの暴走を止める、という約束だ。
それにしても、ニクスとの再会は久しぶりである。お互いに忙しい上に、特にニクスは実の息子であるピカロよりも、第一王子を優先する生活を強いられているため、中々ピカロと会う機会を作れなかった。
せっかくの親子での再会なのに、持ち出そうとしている話題が母オルファリアの死についてだというのは、喜べたものじゃあないけれど。
扉をノックすると、部屋の中からニクスの声がした。
入室を促す言葉に従い、ピカロが扉を開けると──
「あら、噂をしてれば……あたし様の期待を裏切ってくれた『ミストハルトの戦士』じゃない」
「ヴァーギナッ!?」
執務室の奥の椅子に座るニクス──その隣には、ピカロよりも色濃い金髪金眼の美少女、ノチノチ・ウラギルがいた。
「ちょうどいい。今から“姫様”に話そうと思っていたんだ……ピカロ、お前の母親について」
「え、なんでヴァギナに話すんだよ!?」
「無関係……とは言い切れないからな。それに、ピカロ──お前が会いにきた理由も、母親について聞きにきたからだろう?」
「なんで知ってるんだ……」
「アーバルデンが今更人間界に来たってことは、俺かお前が目的だったはず……俺のもとには現れなかったが、お前とは接触したんだろう? そして俺とオルファリアについて、お前に話した」
「み、見てたの?」
「いや……あのアーバルデンなら、俺の嫌がることをするに決まってるからな。大体予想がつく」
ニクスは悲しそうにそう言うと、ピカロとシェルムをソファーに座るよう促した。ノッチは立ったまま聞くようだ。
「じゃあ、俺が人間界に来た時に遡って話をしよう」
ニクスは、窓の外の青空を見つめながら、ポツポツと語り始めた。何百年経っても変わらない青空に、思いを馳せる。
「──800年以上も前の話だ」
次回、ニクスの過去編。




