第四十四話 黄金世代
王都中心部。安全地帯を失い逃げ惑う市民の波を掻き分けて、黒髪の男が大声で叫ぶ。
「せ、せめて走らないでください! もはや王都に安全な避難場所などありません! 最低でも王国軍の兵士の近くにいてください!」
アルド王国軍中将──“至剣”リード・リフィルゲル。黒髪をピッチリの七三分けにセットした真面目男は、いつ降下してくるかわからないアーバルデンの分身たちがのさばる空を見上げながら、1人でも多くの人を救おうとしていた。
視界の端、黒い影が豪速で降下するのが見えた──リードはひと蹴りで建物の2階まで跳躍。ベランダを蹴って屋根上を走っていく。
分身が降りていく広場を見下ろすと、そこには各通路から逃げてきた市民が逃げ場を失い混乱の渦と化した密集があった。その中心目掛け、隕石顔負けの威力でもって突っ込もうとする分身。
「届けッ!」
屋根が砕けるほど強く蹴り、広場を目指す。加速のための風魔法が人々の髪を巻き上げる。何事かと見上げる民衆の頭上で、リードは柄を手をかけた。
薄緑のオーラ。暖かな繭に包まれるかのように、リードを中心に半透明の球体が出現。ジリジリと空気を震わせる。
突然のリードに出現に構わず、分身は最高速度のまま広場へ突入──豪速のまま、リードの作る円の中に入った。
「間に合った」
木っ端微塵に消え去る分身。刹那の神業を視認できた人などそこにはいなかったが、“至剣”と呼ばれる王国軍のエースが守ってくれたことを理解した群衆から声が上がる。
広間中心の噴水の上に着地したリード。
「ここにいれば、この人たちは救えるかもしれないな」
正直、所属する軍部も混乱状態で、まずどこを、誰を守るべきかが定まっていない。王都に安全な場所などないのだから、王都全体を守るべきなのは当然として、しかし軍人1人のできることには限界がある。
少しでも命を救いたいリードとしては、より人が集まる場所を探していた。
この広場には、今も各通路から人が逃げてきては、行き場を失った人だかりにぶつかり、後ろから続々と逃げてくる人々に押されている。
これほどまでの密集ともなれば、転ぶだけで踏み潰されかねない危険性も孕んでいるものの、今はそれにまで構ってはいられない。
「ここはおれが守るとして……いつまで続くんだ、この地獄は」
──アルド王国軍本部上空。
王都における重要施設である軍本部を守るため、王国軍元帥カノン・リオネイラが奮戦していた。
「死ねカス共ォッ!」
「さすがカノン様!」
当たり前のように空気を蹴って空を飛ぶカノンが、空中の分身の頭をぶん殴ると、あまりの威力にその全身まで消し飛ぶ。
素手による拳だけで無双するカノンが、縦横無尽に飛び回り分身を消し去っていく。
その勇姿を見上げて涙するのは、いつもカノンの椅子として四つん這いになっている筋骨隆々の男。カノンを崇拝し、カノンに心酔する彼は、「今日もお美しい……」と呟きながら拳に力を入れる。
魔力が集中し、黄金の粒子が渦となって収束。男は光り輝く拳を空に向けて突き上げた。
目を焼かれるような眩しさで、黄金の衝撃波が空を貫く。光彩の鮮やかさとは裏腹に、その光の柱は数体の分身を霧散させながら雲を貫通していく。
分厚い雨雲に穴が空き、陽光が刺す。雲すら消し飛ばす正拳突き。
「あぁ……! カノン様の汗が落ちてきている! 恵みの雨だ! セイッ!」
上空を飛び回り分身を殴り殺していくカノンの汗を口でキャッチしながら、片手間で正拳突き。ボコボコに雲に穴が開いていき、伴って分身も消滅していく。
もはや周囲が明るくなってきている軍本部。ここを守るだけなら2人でどうにかなりそうだと確信したカノンが、悔しそうに呟く。
「アーバルデン本体はどこだ……誰を目的としてる……?」
──アルド王国城。
王族を守るため、ここには大英雄ニクス・ミストハルト、王国立騎士団団長ヴァーン・ブロッサム、そしてその部下たちがいた。
「アーバルデン……!」
ニクスは手が震えるほどの殺意を押し殺し、唇を噛み締めていた。
愛する妻オルファリアを無理やり犯し、最終的にはニクスにオルファリアを殺させた張本人──そのアーバルデンがまた人間界に現れたのだから。
我慢の限界だとばかりに立ち上がったニクスを、荘厳な声音が止める。
「どこへ行くつもりだ、ニクス・ミストハルト」
「……アーバルデンを、殺してきます」
「無理だ。10年前の魔族との大戦においても、お前は魔王は倒せたが魔皇帝アーバルデンは倒せなかった」
ニクスを見下ろすのは、玉座に腰掛けた国王陛下その人である。
「それに……万が一のこともある。今は王国城を守ることだけを考えろ」
「……今も、人々がアーバルデンに殺されています」
「アルド王国は、我々王族の存在ありきである。国民が国を作るのではない、国王が国を作っているのだ」
「……」
「失望させてくれるなよ、大英雄」
王都の危機に立ち向かうことさえできない。
その動機が、妻の敵討ちだとしても、ニクスが参戦してくれるなら誰もが喜ぶだろう──しかしアルド王国最高戦力は、王国城に閉じ込められたままだ。
さらに言えば、アルド王国最高の魔術師スノウ・アネイビスも、今は王国城を守る防御魔法を貼らされている──しかも『世界樹の杖』を使って、だ。
スノウがもし攻撃魔法を許されていたならば、今も鳴り止まぬ悲鳴が少しは減らせただろうか。
「ニクス様……」
ニクス信者として知られるヴァーンが、悔しそうに歯噛みする。ニクスの勇姿を最も見たいのはこの男を置いて他にいない。
これもまた、1つでも多くの命を救って欲しいというわけではなく、ただニクスの戦う姿が見たいだけなので、不純な動機ではあるのだけれど。
ヴァーンが団長を務める王国立騎士団もまた、勢揃いで王国城の中にいた。
王国立騎士団は、王の盾であり剣である。彼らもまた、王を守ることしかさせてもらえない。
身勝手な王の蛮行への不快感を必死に隠す彼らのもとに、王の従者が走り込んできた──国王へ跪き、息を切らしながら伝えた。
「だ、第一王子が……」
「……またか」
「『散歩してくる』、と」
「放っておけ……“アレ”はどうせ死なない……そうだろう? ニクス」
「……はい」
ニクスは第一王子の教育係である。
第一王子が生まれたその日から、ニクスは王都に召集され、第一王子の教育プログラムを作らされた。
伝説の勇者を育て上げるための長大な育成計画。
ニクスにはピカロという実の子供がいるにもかかわらず、国王の命によりニクスはこれまで付きっきりで第一王子の世話をしてきた。
主に剣術の訓練にて、師匠として10年以上過ごしてきた──その体験を踏まえてニクスは、現段階でこう考えている。
──第一王子は、既に俺よりも強い。
国民には隠されているが、相当な問題児である第一王子。この非常事態に、城を出て散歩していても許されるほど持て余されてはいるものの、その実力は大英雄が保証している。
(確かに第一王子は強い……おそらく他国の“伝説の勇者候補”よりも。このままいけば彼は人類最強の傑物へと育つだろう──しかし)
ニクスは心の中で呟いた。第一王子に関わる誰もが薄々感じつつも、決して口にしないことを。
(少なくとも第一王子は──伝説の勇者ではないだろう)
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王都中心部の広場は、混沌を極めていた。
リードが面目躍如の活躍を見せているとの噂を聞いた市民たちが、既に避難民で溢れ返る広場に押しかけたのだ。
キャパオーバーどころではない。成人男性でさえ立っているのがやっとの人の波。子供や老人は寧ろ危険な場所だと言える。
苛立ちを覚えるリードだったが、しかし他に逃げ場を探せなどという無責任なことは言えない──逃げ場などないのだから。
「今からでもアーバルデン本体を探すべきか……? しかし分身と本体の見分けがつくのかどうかすらわからない……」
心が折れたわけではない。戦意を失ったわけではない。
ただ、解決の糸口が見えないのだ。この戦いの終わりが見えてこないのだ。
広場の過剰な人口密度が、怪我人を生み出しつつある──リードが焦りを抑えようと深呼吸し、空を見上げると……
「な、何だあれは!?」
とんでもない速さで飛来する黒い影。しかしそれは分身よりも一回り大きく、そして何より濃厚な死のオーラを纏っている。
黒影は広場を囲う建物のうちの一つに激突。突然の破砕音と衝撃に、広場は静まりかえり、誰もがその崩れた建物を見ていた。
ガラガラと崩れる瓦礫の中から出てきたのは、明らかに“圧”が、迫力が違うアーバルデンの姿──リードは直感した。
「あれが本体か……!」
それは犇めき合う市民たちも感じていた。
自分たちが襲われているのは分身で、何処かに本体がいる──なんてことは知りもしないが、今現れた個体が別格のそれであることは肌を刺す威圧感でわかる。
恐怖で身が竦む市民たちが見上げる先、密集する人の塊を見下ろしてアーバルデンが笑う──言外の殺気に、ぞくりとした、刹那。
「アーバルデェェンッ──!」
豪速で飛び込んできたピカロが、剣を振り上げる。寸前で防御魔法を挟み込んだアーバルデン。半透明のバリアーと魔王の力に目覚めた豪剣がぶつかり合う。
力任せに吹っ飛ばされたアーバルデンは、広場中央の空中でブレーキ。ひび割れた防御魔法を見て嬉しそうに笑う。
「ピカロだ……!」
「あいつが噂の!?」
もはや有名人であるピカロの登場は、アーバルデン本体登場の絶望をいくらか和らげた。
人々が本当に求めている人物は、大英雄ニクス・ミストハルト。しかし王国最強の彼が国王の護衛をせず何を守るというのだ──人々は、ニクスを望みつつも、同時にニクスを諦めていた。
だからこそ、その息子が、次世代の大英雄が目の前に現れたことは、人々の心を動かすに足るサプライズだ。
「……想像以上に強いですねピカロ君。でもこれならどうでしょう」
アーバルデンがピカロを指差す。すると、今も空から降ってきていた分身たちが、一斉にピカロを目指して集まり始めた。
広場上空は完全に黒く染まる。悍しいほどの分身の大群が迫り来る。
殺意の濁流。ピカロが剣を振るうと、その勢いは減るものの、さすがの物量差にピカロが押され始めた──直後、その背後から紫紺の一閃。
「お前はアーバルデンに集中しろ……ピカロ!」
シェルムの剣は炎魔法に包まれ、その大炎が分身の塊を燃やし尽くす。もう一つの太陽を思わせる業火が断末魔さえ灰に変えて燃え盛る。
炎の渦を斬り裂いてピカロが上昇。重力制御魔法の応用で空を飛ぶ。
空中でピカロの剣とアーバルデンの魔爪が激しく衝突を繰り返す。火花散る激闘を人々はただ見上げるのみだ。
「おーい! リード!」
「……ん? あ、ファンブ君! セクト君!」
風魔法で身軽に跳躍し、広場中央の噴水に着地するセクト・ミッドレイズとファンブ・リーゲルト。
空中で繰り広げられる激熱を見上げながら言った。
「王都中の分身が急にこの広場に向かって飛んでいっちまったから追いかけてきたら……何がどうなってるんだ?」
「今、ピカロ君と戦っているのがおそらくアーバルデンの本体だ」
「吐き気がするほどの強大な魔力を感じるな……」
さらなる有名人の登場に一部の人々が沸く──気がつけば、これまで王都中で戦っていた多くの戦士たちが広場に集結していた。
「あ、あの屋上にいるの、ミューラ・クラシュ様とサイデス・ノルドさんじゃない?」
「“万能魔女”と“拳闘剣士”のS級冒険者コンビだ!」
「続々と集まってるな……黄金世代!」
「ひょっとしたら勝てるんじゃないか……!?」
人々の胸に希望の火が灯り始めた、直後。
アーバルデンに薙ぎ払われたピカロが、広場横の建物まで吹っ飛んだ。音を立てて崩れる建物の中に、吐血するピカロがいた。
淡い希望を打ち砕く魔皇帝の視線が、群衆へと向けられる。
「オーディエンスが、目障りですね」
忌々しそうにアーバルデンが呟くと、空を覆う雨雲を引き裂いて、魔力の塊が広場へと降り注いだ。
腹の底に響く轟音。死の流星群が広場を赤く照らす。ピカロもろとも、ここを更地にするつもりだ。
「「破・輝砕拳ッッ!!」」
広場より遥か向こう──数百メートルも離れた王国軍本部の屋上から、黄金の衝撃波が空を伝い、広場で立ち尽くす人々の頭上を走り抜けた。
アルド王国最強の格闘家カノンと、その側近の打ち出した攻撃魔法は、流星群を跡形もなく消し飛ばす。
人々は何が起こったのか理解できていなかったが、上空から王都を見下ろしていたアーバルデンは気づいていた。
「生きてたのか、オカマ小僧……!」
視線の先、王国軍本部の屋上にて、カノンは笑う。
「10年前の傷口が疼くわ……! 市民はカノンが守る! だからさっさとアーバルデンを倒しなさい、ピカロ、シェルム!」
まるでその声が届いたかのように、ピカロが瓦礫を押し除け立ち上がる。それを見たシェルムが叫んだ。
「おい同級生! 数秒でいい、アーバルデンの動きを止めろ!」
「数秒!?」
「そしたら、僕とピカロが終わらせる……!」
その言葉を信じて黄金世代の傑物たちが剣を構えた。
今にでも飛び出しそうな剣士たちに、建物の屋上にいたミューラが空を指差して言う。
「待って! 『魔女隊』が来た! 初撃は彼女に任せましょう!」
「広場の人たちはミューラが守る! おいテテェッ! 最高威力の雷を落とせぇ!」
サイデスの叫び声を聞いたテテ・ロールアインが、アーバルデンよりも遥か上空で唾を飲む。
「さ、最高威力でいいんですか……!? ふ、ふふふ──“雷剛”の腕がなります!」
心躍る言葉にニヤけるテテがアーバルデンに向けて両手をかざすと、王都全体を照らすほどの電流が迸り始めた。
先ほどの流星群よりもよっぽど危険そうな雰囲気に人々がたじろぐ。
「俺が“掴む”! ミューラ、防御魔法頼むぞ!」
「わかってるわよ!」
サイデスの右腕が魔法の粒子に包まれた直後、肩から先が巨大化。巨人の腕を思わせる豪腕が現れた。
サイデスはその腕でアーバルデンを“掴み”、ほんの一瞬だが、動きを止めてみせる。
そしてタイミングを見計らった落雷が、頭上で煌めく。
「脳天直下──『竜雷』……ッッ!」
テテの雷魔法は、光り輝く竜となって空を斬り裂き、サイデスの巨大な手もろともアーバルデンを貫いた。
その下にいた人々と広場は、ミューラが張り巡らせた防御魔法で何とか守られる──雷魔法への防御に特化した最高級の防御魔法だったのだが、それでもギリギリだ。
──黒々とした肌から煙を上げるアーバルデン。大火傷したサイデスの手から解放されるも、全身が痺れてしまい、背後に迫る殺意への反応に遅れた。
「ぶっ飛べぇッ!」
100キロ越えの鉄剣の上にセクトを乗せて、ファンブが全力で振り抜いた。“山脈砕き”の剛力で飛び出したセクトは、さらに風魔法で加速してアーバルデンに肉薄する。
ギリギリで気がついたアーバルデンだったが──奇しくも相手は“神速の刃”!
「遅いッ!」
神速で振り抜かれた剣は、回避を試みたアーバルデンの左腕を切断した。残った右手に魔力が宿るのを見てセクトが焦る。
「し、死ぬ!?」
「大丈夫」
広場中央。噴水の上で剣の柄に手をかけていたリードが呟く。
「──『飛剣』」
剣術の最高到達点と称される“至剣”リードの斬撃が、空を飛ぶ。風切音を伴った一閃が、今にも魔法を放とうとしていたアーバルデンの右腕を斬り飛ばす。
魔法は見当違いの方向へと飛んで行った。
「ピカロ君! シェルム君!」
「わかってるよ……!」
一瞬のうちに両腕を失い、空中で体勢を崩すアーバルデン──ピカロとシェルムは既に空を駆けていた。
身体強化魔法による跳躍と、重力制御魔法による加速。ピカロの設定した重力源は、アーバルデン本体──磁石に引き寄せられるように、ピカロが迫る。
そのアーバルデンの背後からは、風魔法で飛来するシェルム。
広場上空。アーバルデンの広い視野には、遥か遠くの王国軍本部屋上で光る2つの拳が見えていた。
──ピカロの斬撃も、シェルムの斬撃も、カノンの衝撃波も、どれも致命傷になりうるだろう。
どれか一つを避けても、他の一撃は食らう──確信したアーバルデンは、静かに笑い、そして迫るピカロに言った。
「デスファリアと戦ってくれる気になったら……私のもとを訪れてください──『幻魔の森』で待っています」
「死ね──アーバルデン」
斜め下から振り上げたピカロの剣が、頭を横薙ぎに切断し、背後から振り下ろしたシェルムの剣が胴体を斜めに切断した。
──後に『アーバルデンの悪夢』と呼ばれる王都襲撃事件。
地獄の数時間は、集結した若き才能によって幕を閉じた。