第四十一話 皇帝降臨
アルド王国上空。
東の空から飛来してきた何かが、宙空で急ブレーキ。空中に留まりながら王都を見下ろしていた。
分厚い雨雲が空を覆っているため、市民は空の異変に気づかない。
“それ”は、人影だった──否、人の影と呼べるかは甚だ疑問ではある……成人男性2人分はあろうかという巨躯に、黒々とした大翼。
鎧のような黒い筋肉と、赤黒い2本の角。血赤の双眸が王都を舐めるように見回している。
やがて何かお目当てのものを見つけたのか、大きな影はゆっくりと雲の中へ沈んでいく。雨雲を抜けて王都上空にまで降下する頃には、それはいくつもの人影に分裂していた。
真紫の舌で口の端を舐める──嬉しそうに呟いた。
「ピカロ……愛しき息子よ」
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冒険者ランクを上げるため、ピカロとシェルムは簡単なクエストを幾つかこなしていき、王国軍大将を辞めてから半年もする頃には、D級冒険者となっていた。
E〜SSまでのうち、正直言ってC級までなら誰でも頑張ればなれるので、今のところ2人は冒険者界隈では注目されていない。
そういう意味では目立った活躍がないのだが……それは仕方がないとも言える。何せ、それぞれのランクに合ったレベルのクエストしか受注できないのだから。必然的に程度の低いクエストから消化していくのが通例で、2人もその類に漏れない。
言ってしまえば“しょぼい”クエストしか受けられない。伴って報酬もしょぼいため、今の2人のようなEからC級までの冒険者は、もはや一般人のお小遣い稼ぎレベルといって差し支えないだろう。
クエスト報酬だけで生活するにはB級冒険者として活動する必要があり、そこでは危険を大いに孕んだクエストが受注できる。主に魔族の討伐や、未攻略ダンジョンの偵察など、場合によっては命の危機にさえ繋がりかねないがゆえの高収入だ。
A級にまでなると、ガラッと趣が変わり、冒険者ギルド側から提示されたクエストを受注するのではなく、軍部やギルドから直接、A級冒険者に対して仕事が依頼される。
未開の地の探索班に加わってほしいとか、中級以上魔族の討伐とか。
国中が魔族に困らされている今、A級以上冒険者は常に求められており、引く手数多の彼らが仕事が少ないと悩むことはないだろう。
そんな風に社会から重宝されたいピカロとシェルムだが、悲しいことに冒険者ギルドの頭は硬く、いわゆる飛び級は存在しない。
かの王国最強の魔術師、魔法学園学園長スノウ・アネイビスや、王国軍元帥カノン・リオネイラ、はたまた救世の大英雄ニクス・ミストハルトであっても、最初はE級冒険者から始めなければならないのだ。
「……次は、何だっけ。魔獣の大量発生により甚大な被害を受けた村の修復作業?」
「またお手伝い系か。僕、汚れるの嫌なんだよ」
「私だって貴族なのに農作業とかひたすらやらされるの嫌だよ」
「やっぱりダンジョン攻略組の荷物持ちにしないか?」
「なんで大英雄の息子が、見ず知らずの冒険者の荷物持ちなんかせにゃならんのだ」
冒険者ギルド1階。窓際の椅子に腰掛けた2人は、ギルドから受け取ったD級クエスト一覧に目を通していた。
半年前、冒険者になりにここに訪れた時には、2階の応接室に招かれ受付嬢から丁寧な対応をされた2人だったが、今ではすっかり普通の冒険者扱いである。
周りの冒険者たちも、2人の姿を見ても騒がなくなった。
「冒険者っていうか、ただの労働者だよな。何も冒険してないし」
「まぁみんな日雇いのアルバイト感覚でクエスト受けてるからな」
「こんなことに時間を費やしている暇はないんだよ! あと3年ちょっとで三十路だぞ私たち。今はまだギリギリ若手2人組って呼ばれてたけど、30過ぎたらおっさんだぞ」
「……ピカロ、お前に残念なお知らせなんだが、僕は設定上あまり見た目が変わらないんだ。いつまでも美しい美青年のまま。多少大人っぽくはなるけど」
「着実に老けていってる私の相棒が永遠の美青年だと……?」
すでに立派なほうれい線が刻まれたピカロの顔は、もはや若手の冒険者とは呼べない。貴族のおっさんらしさは満載なので、無能貴族を気取るにはちょうどいいかもしれないが。
「何が悲しいって、魔法学園編で登場した女子キャラたちも、そろそろ三十路なんだよな」
「それは良いだろ! 私は三十路女の腋毛を食べるために冒険者になったんだ」
「SS級になるためだろ」
「若い女が活躍する作品にすれば良かったなぁとは思うけどな。ヒロインがいないせいで華がないんだよこの作品」
「ミストハルト家の住み込みメイド、アンシーはすでに三十路手前。同級生のミューラ・クラシュやテテ・ロールアインも、もはや“女子”とは呼べないな」
「そもそも女キャラが少ないぞ! これだけか!?」
「あとはまぁ、イデア・フィルマーと、ノチノチ・ウラギルくらいだな」
「完全に忘れてたぞその2人。いたなそんな奴ら」
「正直、僕らとの接点がない以上に、物語にほとんど関与してないからな」
「いつか登場するだろ」
「まぁな」
ふと、窓の外を見ると、昼下がりにも関わらず王都の空は暗かった。
いつ雨が降ってもおかしくない空模様だが、それにしても暗過ぎるだろうと不審に思ったピカロの視界の端に、大きな人影が映る──途端、寒気に襲われる。
異変に気付いた2人が急いでギルドを飛び出し、空を見上げると。
「お、おいシェルム。アレ、何だと思う?」
「……まぁ、上級魔族だろうな。多分」
「10人くらいいない?」
「いるな。10人くらい浮いてるな」
「もしアイツらが、私たちに掛けられた懸賞金目当てだった場合……そのことが王都の人間にバレたら今度こそ私たちは国外追放だぞ!?」
「と、とにかく人の少ない場所まで離れよう。僕とピカロに会いに来たわけじゃないかもしれないし、とりあえず逃げるぞ。あの量は尋常じゃない」
舞い降りる禍々しい人影から全力で逃げる2人。2人が王都中心部を離れる頃には、王都の人々も空の異変に気付き始めた。
全て同じ姿の魔族が、何体も空から王都を見下ろしている。やがて王都は大パニックに陥り、そんな狂乱を楽しむかのように、魔族の笑い声が木霊した。
──アルド王国郊外の山地に逃げ込んだピカロとシェルムは、山の中腹から王都を見下ろし、息を飲んだ。
王都各地で、火の手が上がっている。
時折、建物が崩れる音がする。悲鳴も鳴り止まない。
十中八九、あの魔族たちの仕業だろう。幸か不幸か、あの魔族たちはピカロとシェルムだけを狙っていたわけではないようだった。さすがにあの量の上級魔族を一度に相手するのは危険だ。
とはいえ、2人が狙われていなかったわけではないようで──
「初めまして、ピカロ」
もっと王都から離れようと振り返った2人の目の前に、今まさに王都を襲撃している魔族が立っていた。
「……おいマジか」
「ど、どうしたシェルム」
「上級魔族どころじゃないぞ……コイツ──先代魔王の兄だ」
「アーバルデン・シンス・ザルガケイデン3世……私は君の父親ですよ、ピカロ」
──後に、『アーバルデンの悪夢』として語られる、最上級魔族による王都襲撃事件が、町中の悲鳴と共に幕を開けた。
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「市民の避難誘導急げ!」
「急げって言ったって、どこに避難させればいいんだよ! あの魔族が王都中にいるんだぞ!」
非常事態に備えて王都各地に配置されていた軍人たちも、まさか同時多発的な襲撃に遭うとは思っておらず、どうすればより多くの市民を救えるかがわからなかった。
王都の外へと集団で避難してもらうにも、あるいは個別で逃げてもらうにも、魔族との戦闘の余波が届かない安全な避難経路など存在しない。
「少なくとも、あの魔族を倒せば、安全地帯は作り出せる」
「……え!? セクト・ミッドレイズ中将!?」
「休暇だったんだが……この騒ぎじゃ昼寝もできなさそうだ」
混乱する軍人たちのもとへ現れた“神速の刃”に皆が歓喜した。セクトほどの実力となると、基本的にはアルド王国中を飛び回って魔族による被害の多い街や村を支援することが多い──そんな彼が今日に限ってこの王都にいたのは幸運だ。
「来るぞッ!」
ゆっくりと降下してきていた大量の魔族たちの内、直近の1体が急降下してきた。
漆黒の魔爪が空を裂いて突貫。痛いほどの破砕音と共にセクトの立っていた地面が捲れ上がった。
「……たった1人でこの強さかよ……!」
「フハハハハ」
間一髪、剣で爪を防いではいたものの、魔族と人間の圧倒的な力の差を思い知らされるセクト。
闇に染まる両翼をはためかせ、魔族は縦横無尽に飛び回る。あまりの風圧と速度に、付近の建物の外壁が崩れていく。
居合わせた軍人たちも、立っているのがやっとだ。
空中で急旋回、急降下。四方から襲う豪速の魔爪。
「ぐ……うっ……クソがッ!」
「フハハハハッ」
回避と防御で精一杯のセクトを嘲笑う魔族の声が反響する。恐怖心を駆り立てる不協和音が、周囲の人間から戦意を奪い去っていく。
新進気鋭の天才剣士ですら苦戦するレベルの魔族が、今も空から降り注いできているという事実は、力を持たない人間が自らの命を諦めるのに十分な絶望だった。
「神速の刃を舐めるなよ……ッ!」
セクト曰く、速さ=強さ。速ければ速いほど斬撃は重みを増し、その威力を上げる。そしてそんな斬撃を使いこなすには、剣士本人もまた超常の速度で移動する必要がある。
戦闘中、常に神速の世界を生きるセクトにとって、素早い敵や素早い攻撃などは、慣れたものだった。
弾丸の如き速さで立ち回るセクトの動体視力は人のそれではない。
次第に魔族の攻撃にも順応してきたセクトの剣が、魔族の身体を捉え始める。
「──遅いッ!」
低空飛行で肉薄する魔族。黒く輝く魔爪を構え、腕を振りかぶるその姿を、セクトはハッキリと視認していた。
身体を捻り魔爪を避けつつ、神速の刃を振り上げる。
ただ見守ることしかできなかった軍人たちや逃げ遅れた市民には、何一つ見えていなかったが、少なくともそこに立っていたのはセクトで、倒れ伏していたのが魔族だということはわかった。
上半身を斜めに切断された魔族は、笑いながら消滅していく。暗い紫色の粒子となって虚空へと霧散する魔族を一瞥した後、セクトは空を見上げる。
「おいおい……むしろ増えてんじゃねぇか」
空を埋め尽くさんばかりの魔族が、今も雨雲の上から降りてきていた。
その全てが、同じ姿である。ゆえに今倒した魔族と同等の強さなのだろう。さすがのセクトでも、複数で同時に攻められてはひとたまりもない。
──それに、あの魔族はどこか見覚えがある気がする……。
「あ、あれ、『魔皇帝』じゃないか……?」
「嘘でしょ!?」
「20年前の魔王軍の幹部……!」
セクトの既視感はまさしくそれだった。
『魔皇帝アーバルデン』──魔法学園に限らず、アルド王国の全ての教育機関において、この最上級魔族の存在は語られる。
20年前、ピカロが4歳の時に魔王軍が本格的に侵攻を始め、人類が多大な被害を受けたことは、悪しき歴史として義務教育で学ぶ。その中でも、魔王よりも残虐に人々を蹂躙したアーバルデンの名はことさら有名だ。
なぜならアーバルデンは、魔王がニクス・ミストハルトによって殺されたため魔王軍を率いて撤退しただけであり、アーバルデン自身は敗北していない──魔界最強の男として未だに生きているからである。
次にいつ訪れるかわからない魔族との対戦において、最も厄介な敵となるのがアーバルデンであると確信されていた。
事実、アーバルデンは先代魔王よりも強かったのだから。
先代魔王の兄であり、当時の魔界で最強だった伝説の魔族。歴史の授業で聞かされた恐ろしい悪魔が今、王都の空を埋め尽くしていた。
「……死ぬのか、俺は」
セクトもまた絶望していた。やっとのことで倒した魔皇帝アーバルデンが、減るどころか今も増え続けている。もはや王都に逃げ道はない。
“魔王軍”などという過去の脅威が、まるで冗談のようで笑えてくる。
軍勢など必要ないではないか──アーバルデン1人で、この国を滅ぼせてしまうのだから。
「──セクト!」
名を呼ばれ振り返ると、同じくアルド王国軍に所属する同級生のファンブ・リーゲルトが走ってきていた。
「よかった、無事だったか」
「……だがあの数で押し寄せられたら俺に勝ち目はない」
「そんなの皆がそうだ。だが絶望してる場合じゃない……カノン元帥に聞いてきたんだ、魔皇帝の倒し方!」
「……倒し方?」
「今も王都を襲い続けているあの大量のアーバルデンは、あくまでアーバルデンの分身。魔力を固めて作り出した人形に過ぎない。どこかに本体がいるはずなんだ!」
「……まさか、本体はさらに強いだなんて言わないよな」
「そのまさかだよ、残念なことに! でも本体を倒すのは俺たちの役目じゃない。今王都には、カノン元帥やスノウ学園長、王国立騎士団もいる。彼らが本体を見つけ出し、倒すまで俺たちはひたすらあの偽物アーバルデンを倒し続けて時間を稼ぐんだ!」
「でも、あの数は……」
「安心しろ、『魔女隊』も遠征から帰ってきてる!」
ファンブがセクトの肩を叩くと同時、黒く染まっていた空に一瞬、白い線が通り過ぎた。
直後、地面を揺らすほどの雷鳴が轟き、空を覆うアーバルデンの分身を何十体も消し去った──たった一撃で、この威力。
「急ぎますですよ! 皆さん!」
「はい! 隊長!」
絶望に満ちた空を、箒に跨った魔女たちが駆け抜けていく。
アルド王国軍直下遊撃部隊──『魔女隊』。
率いるは、一撃の破壊力だけならピカロ含む黄金世代の全員を凌ぐ天才魔女──“雷剛”テテ・ロールアインである。
「とりあえず空にいっぱいいる奴らは……殲滅します!」
雨雲を切り裂いて迸る雷撃。天候すら変える雷魔法が、反撃の狼煙を上げた。




