第三十八話 現存王子
「さて……そろそろかな」
月に照らされ光り輝く黄金殻の鎧。
時計台の屋根上に座る2人は、西の夜空を見上げていた。
「本当に上手くいくのか、シェルム」
「正直、運要素が強いから絶対に成功するとは言えないけど、イレギュラーでもない限りは大丈夫だと思う」
「イレギュラーね……全然仲間が集まらなかったって時点でイレギュラーなんだけども」
ピカロが、ザンドルド・ディズゴルドになりすまし、居場所のわかるザンドルド盗賊団の団員たちに、「ザンドルド・ディズゴルドが先頭に立って、過去最高の宝を盗みに行くぞ。広く伝えろ」と言って回った結果、集まったのは数百人の団員だけだった。
噂によればザンドルド盗賊団の団員数は、一国を作れるほどだとも言うが、実際のところそこまで規模が大きいと全員集合は非現実的だ。
幹部が6人いた頃は、それでもネットワークを張り巡らせて数千人、数万人と集められたのかもしれないが、ピカロとシェルムの2人だけでは、数百人が限界だった。
ただ、人数が多すぎても、全員に十分に作戦を伝え切れるか不安が残るので、ある程度の大人数での作戦決行のほうが望ましいとも言える。
それにしたって数百人は少なすぎるけれど。
当初の作戦では、テイラス共和国の各地で同時にザンドルド盗賊団が暴れ回り、政府が対応に追われ混乱しているところを、2人で世界樹の杖を盗むという、ある種スマートな、人数にモノを言わせた戦略を予定していた。
しかし数百人程度が暴れ回るのでは囮としての効果は期待できないだろう。
そうして作戦変更を余儀なくされた2人は、おそらく考えうる中で最悪の手段を取った。
「大量の魔獣を街に送り込む──どれだけ犠牲者が出るか……」
「囮は多い方がいい。それに、暴漢が暴れてるってのより、魔獣が暴れてるっていう方が、市民の混乱も誘えるはずだし」
「そこまでして本当に必要なのか? 世界樹の杖」
「まぁ黄金殻の鎧さえ持ち帰れば、僕らの特別任務としては上出来なんだけど、成果が大きいほどカノン・リオネイラからの評価も高まる」
「あんなオカマに評価されても嬉しくないぞ私は」
「アルド王国軍のトップの信頼を勝ち取れば、将来魔族との対戦においてお前が総指揮を任される可能性も上がる。立派な無能貴族になりたいなら、確率は少しでも上げておくべきだ」
テイラス共和国の西には、凄まじい数の魔獣が棲みつく巨大な森林がある。
連日連夜、人間の匂いを嗅ぎつけてテイラス共和国へと侵攻してくる魔獣から国民を守るため、テイラス共和国の軍事力は国の外側に固まっている。
普通、世界の中心である世界樹に近ければ近いほど、その恩恵を受けられると信じられているので、他国は王都や首都を国の内側へ──より世界樹の近くへと配置するのだが、テイラス共和国はその逆で、国の外側へ行くほど栄えているのだ。
それは、国のトップが欲深くないということの証左であり、テイラス共和国が最も幸せな国だと言われる所以である。
テイラス共和国は唯一、王政を敷いていない国であり、かつての王族は尊重されているものの、明らかに優遇されているわけでもない。奴隷制も堅く禁じられていることから、偽善者の国だと揶揄されることも少なくないが、実際、移民や亡命者も多い。
そんな国の在り方だからこそ、2人が付け入る隙があったと言えるだろう。
国宝である世界樹の杖が保管されている神殿を含め、国の重要施設が軒並み国土の内側に集中していたならば、そこまで忍び込む必要があったし、国外への逃走ルート確保も難しい。
魔獣が多く危険だが、いつでも西の大森林に逃げ込めるというのは、盗賊団にとっての利点だ。
「えーと、あのでかい国門をぶっ壊すんだっけ?」
「それは無理だ。何年も魔獣の侵攻を防いできた鉄壁の国門だぞ。たかが数百人の盗賊ごときに攻略できるはずない」
「じゃあ、どうするんだっけ」
「荒らせばいい。魔獣との戦いを邪魔するだけでも十分効果があるはずだ」
テイラス共和国の西端には、世界でも指折りの屈強な国門があり、そこでは日夜、西の森から現れる魔獣退治が行われている。
そこをザンドルド盗賊団が襲撃し、魔獣に国門を突破させるのが今回の狙いだ。
団員を数百人しか集められなかった2人にとって、大量の魔獣を味方にできたなら大収穫。思った通りにいかなくとも、魔獣が国内に侵入さえしてくれれば、囮として十分活躍してくれるだろう。
そういう意味でも国門攻めは、魔獣との共同戦線なので、数百人でも十分かもしれない。
「お、始まったみたいだな」
西の夜空が赤く染まる。今頃、国門の警備施設に団員たちが押し入り、火でも放っているところだろう。
多くが返り討ちに遭うだろうが、国門の機能が一時的にでも停止すれば、あとは数で勝る魔獣たちが国門を突破してくれるはずだ。
──数分後、国民に危機を告げる鐘の音が鳴り響いた。
ついに魔獣が国内に侵入してきたらしい。寝静まっていたはずの住宅街はざわつき始め、夜中でも騒がしかった繁華街はパニック状態だ。
「そろそろ僕らは神殿に向かおう」
「おうよ」
国門への増援に加え、国内の魔獣の掃討戦、それに各地に散ったザンドルド盗賊団への対応など、やることが多い軍部は、この2人の侵入者に気づかないだろう。
気づいていたとしても、この2人を止めるには、それこそ国中から精鋭を集める必要があるのだが──今やそれどころではない。今まさに、国民が魔獣に襲われているのだから。
国民を取るか、国宝を取るか。
そこで国民を取れるのがテイラス共和国の美点であり、ザンドルド盗賊団に対する取り返しのつかない弱点であった。
「な、何者だ!?」
神殿を守る兵士たちは、突然現れた2人組に剣を向けて叫んだ。
ガシャンガシャンと音を立てて近づく大男──その鎧の輝きに、兵士たちが恐れ慄く。生きる伝説の姿を想起し、ガタガタと震える。
実際にはザンドルド・ディズゴルドは死んでいるので、生きる伝説もクソもないのだが。
「見て分からないか? ──ザンドルド・ディズゴルド様だ」
明らかな非常事態に、兵士が集まってくる。しかし大人数で固まるだけで、攻撃の意思はないようだ。
既に戦意を喪失しつつある。
「ここを通せ。世界樹の杖を貰いに来た」
「せ、世界樹の杖は、何百年も受け継がれてきた国宝であるぞ!」
「関係ない。この世界の全ての物の所有権は、ザンドルド・ディズゴルド様にある」
「もっと人を呼べ! 神殿を守るんだ!」
「……深夜だからな──眠いんだ。早く終わらせよう」
ピカロの考えるザンドルド・ディズゴルド像が正しいのかはともかく、その臭すぎる演技が返って威圧感を生んでいた。
震える身体に発破をかけ、兵士たちが突撃してくる。
ピカロは、腕でそれらを払い退けた。
「凄いな、この鎧。着てるだけで無敵じゃんか」
「過信するなよピカロ。素手で戦えるのは雑魚だけだ。世界樹の杖を守るのがただの兵士だけなはずがない」
「……強い奴がいるってことか?」
「まぁ、テイラス共和国最強の戦士が現れても不思議じゃない」
警戒はするが、足は止めない。
2人は黄金殻の鎧の圧倒的な力に任せて兵士たちをなぎ払い、神殿に侵入。魔力で稼働する魔操兵たちも蹴散らして、神殿最奥まで5分足らずで辿り着いた。
「……たかが1つのアイテムを守るにしては警備が硬すぎたな。さすが伝説級のアイテム」
「実際、世界樹の杖は使用者次第で国を滅ぼせる。これくらい厳重に保管しておくべきなのは間違いない」
「魔獣が侵入してきていない普段なら、さらに多くの兵士が集まってたんだと思うとゾッとしないが……私の手にかかれば──」
まるで神を祀っているかのような祭壇の中央。黄金殻の鎧に負けじと輝く世界樹の杖に、ピカロが手を伸ばした。
「世界樹の杖、ゲットだぜ」
「──良かった、間に合って」
ようやくミッションクリアだと一息つく間もなく、聞き覚えのない声に2人は振り返った。
2人の視線の先、祭壇の部屋の入り口に立っていたのは、はたして10歳かそこらの普通の少年だった──その手に剣を握っていることに目を瞑れば、普通の。
翡翠の短髪が汗に濡れるその姿は、同性のピカロにしてドキッとさせられるほどである。
美しい顔立ちのその少年は、安心したように破顔して2人に話しかけた。
「その鎧──もしかして貴方がザンドルド・ディズゴルドですか?」
「こんな時間に、こんな場所で、何をしている。夜更かしは身体に悪いぞ少年」
「むぅ。大人はいつもそうだ。まともに取り合ってくれない」
膨れた顔でそう言うと、何の警戒心もなく2人に近づく少年。
2人の前に立つと、ピカロが背中に差している剣を指差して言った。
「ねぇ、僕と戦ってよ」
「……悪いが子供を痛ぶる趣味は──」
ブォンと嘶く風切音。意識の死角をなぞる少年の一閃を、ピカロは上体を極限まで反らして避ける──黄金殻の鎧によって付与された異次元の反射神経のおかげである。
あとコンマ1秒反応が遅れていれば、ピカロの首と胴体は離れていたかもしれない。
「ありゃ、避けられた」
即座に、この少年が只者ではないと認識を改めたピカロが剣を抜く。黄金殻の鎧は、ザンドルド・ディズゴルドの膂力を再現する──!
ドガンッという轟音さえ置き去りに、ピカロの振り下ろした剣は少年を神殿の床に叩きつけた。間一髪、剣でそれを防いだ少年だったが、受け身は取れなかったようで、ゲホッと肺の空気を吐き出して笑った。
「あちゃー……腕折れちゃった。剣で受け止めたのは間違いだったかも」
「諸事情で手加減ができなくてな……死にたくなかったらママの元へ帰りな」
脅すピカロだったがその実、動揺を隠すのに必死だった。
言葉の通り、鎧の魔力によって全盛期のザンドルド・ディズゴルドの身体能力が上乗せされた今の一撃は、手加減などという言葉とは程遠いものだったはずなのだ──殺してしまったと直感するほどだったというのに……。
「やっぱり、戦ってみないとわからないことだらけだ。深いな、剣って」
「これは剣の奥深さじゃない。単なる力の差だ」
「え、そうなの」
とぼけたように言いながら跳ね起きた少年は、ピカロの腕に組み付いて登り、頭を蹴って距離を取った。
あまりに鮮やかな退避術に、この少年の異常性が浮き彫りになるが、その身軽さと引き換えに体格で劣ることを思えば、やはり小柄な少年が鎧を着た大男と対峙するのは無謀に見える。
実際、鎧の中のピカロは相変わらずのチビデブなので、情けないことにこの少年と背丈は対して変わらない。
しかし黄金殻の鎧を装備している今、全盛期のザンドルド・ディズゴルドの身体を操っているようなものなので、かつて経験したことのない大男としての立ち回りが可能だ。
「おい、シェルム。こいつがお前の言っていたテイラス共和国最強の戦士ってやつか?」
バレないよう小声でそう聞くと、シェルムは小さく首を振って答えた。
「まさか。こんな少年がいるなんて聞いたこともない」
「じゃあ、世界樹の杖の守護者とか?」
「……普通、こんな小さな子供に、国宝を守らせたりはしないはずだ」
となると目の前の少年が正体不明すぎて、嫌な予感が腹の底に残る──作戦前に、イレギュラーが介入する可能性は考慮していたものの、まさか子供がイレギュラーとは。
無論、子供だからといって作戦遂行のためには犠牲になってもらうのだが、ピカロとしては子供を自ら殺すことには抵抗がある。
しかし全力で戦わなければ、こちらが殺される。それだけの恐ろしさを秘めた少年だ。
「何をこそこそ話してるのザンドルド・ディズゴルド」
「ザンドルド・ディズゴルド“様”だ。呼び捨てにするな」
「えー。所詮は過去の英傑でしょ。老いぼれに敬意は払わなくていいって師匠が言ってた……あれ? 老人ほど大切にしろって言ってたんだっけ。どっちか忘れちゃった」
「……悪いが子供とおしゃべりしてる時間はない。そこをどけ──さもなくば殺す」
「じゃあ試してみよう、老いぼれクソジジイが僕に勝てるのか」
「その好奇心を呪うがいい」
神殿最奥の間を揺るがすような衝撃で床を蹴り、少年との距離を埋めたピカロが、剣を高く振り上げた。
胴がガラ空きだとばかりに胸元に潜り込んでくる少年。
走った勢いそのままに足をしならせ、少年の小さな身体を蹴り上げる──その判断を待っていたかのように、少年はピカロの足に剣を突き立てた。
鎧の隙間からドクドクと溢れる鮮血に、少年は歓喜する。膝をついたピカロを見てニヤリと笑った少年は、休む間もなく追撃の嵐を巻き起こす。
鎧の防御力により傷は浅いが、鎧では守りきれない関節部分などを執拗に狙われ、出血が増えていく──これ以上続けば、意識が朦朧としかねない。
「エロ・グラビティ」
神殿の床を染めていた夥しい量の血液が宙に浮く。
ピカロの重力制御魔法によって操られた血液が、銃弾のように少年へと肉薄する。飛来する血の弾丸を剣で捌く少年だったが、数打ちゃ当たるのごり押しに負け、数発をまともに喰らい、後ずさる。
「魔法は無しでしょ、せっかく剣で戦ってるのに」
「何を言ってる。お前は剣士かもしれないが、私は盗賊だぞ」
ピカロに操られた血液が濃い霧となって少年の頭付近に追随する。
手で振り払うも、血の霧は晴れない。視覚を奪われた少年を、無慈悲な一太刀が襲う。
「目に頼ってると思われるのは心外だなぁ……むしろ余計な情報を遮断できて集中できるくらいだよ」
当たり前のようにピカロの剣を弾く少年。どうやら小細工は通じないらしい。
言葉通り、集中力が増したのか、攻撃のペースが速まる少年に、たまらずピカロは後手に回る。足に深い傷を負ったのが機動力を低下させている上に、出血も多いため思ったように動けなくなっていた。
シェルムはどうやら助けてくれる様子もないし、これは本格的に“決めにいく”必要がありそうだ。
全力の一撃ならば、膂力と身体能力で上回るピカロに分がある。
才能では既に負けているかもしれないこの少年剣士を、体格で勝る今のうちに、真正面から叩き潰すしかない。短期決戦に切り替えたピカロの速度が増す。
ザンドルド・ディズゴルドの力が付与された超常の剣撃に、さしもの天才少年も防戦一方となる。
「あれれ……師匠より強いかも……?」
力任せの横薙ぎで少年の剣を大きく弾いた。体勢を崩す少年に一瞬で肉薄し、とどめを刺す。
「──でも、僕よりは弱い」
心臓を寸分違わず狙ったひと突きを、空間ごと捻るように避けた少年。頬を微かに斬られながらも宙空で身体を回転させ、ピカロの胸を斜めに斬り上げた。
世界最高の防御力を誇る黄金殻の鎧が、パックリと割れ、ピカロの血が噴き出す。
たまらず膝をつくピカロに、少年が剣を振り下ろす直前。
「ちょ、ちょっと何してるんですかー!?」
神殿最奥の部屋の入り口に、汗だくの男が立っていた。
少年は剣を止め、焦った顔で振り返る。
「し、師匠!? 寝てたはずじゃ!?」
「魔獣が攻めてきたって大騒ぎなのに、寝れませんよ! ──っていうかこんなところで何してるんですか!」
「……おじさんに遊んでもらってた」
「どう見ても嘘じゃないですか! 血塗れですよ!」
わかりやすく狼狽える少年。早足で近づいてきた男は、少年の腕をガシッと掴んで出口へと引っ張った。
「帰りますよ! レイ王子!」
「もう王子じゃないってばぁ……」
急に子供っぽく嫌がる少年──レイ王子、と呼ばれていたか?
いつの間にか横に立っていたシェルムに、ボロボロのピカロが小声で話しかける。
「お、おいシェルム。テイラス共和国は王政を敷いてないはずだよな」
「かつては王政だった。まぁ王族の子孫ってことだろうな──ということは、この王子様は」
──テイラス共和国が擁する、『伝説の勇者』だ。




