第三十五話 六年盗賊
深い森の中。
夕陽に燃える空の色が暗く傾くのを見上げながら、木に寄っかかって腕を組む。無言のまま隣を見ると、ヤンキー座りでどんぐりを拾っているシェルムの姿。
頭に巻いた黒いバンダナを結び直し、シェルムのもとへ──脳天を引っ叩いた。
「おい、おいおい」
「何だピカロ。僕は今どんぐりを集めてるんだ」
「黙れバカタレが。今の状況わかってんのか」
「今の状況? 普通に、これから森の中を通る貴族の馬車を襲って金品を盗むために待ち伏せしてるんだけど」
「ふざけるな!」
渾身のチョップは避けられた。顔を真っ赤にしてプルプル震えるピカロに、立ち上がったシェルムが向き直る。
「あんま大きい声出すなよ、仲間たちに聞かれるぞ」
「あんな奴ら仲間じゃねぇ!」
「仲間だろ、同じザンドルド盗賊団の団員だ」
「それが問題なんだ!」
ザンドルド盗賊団団長、ザンドルド・ディズゴルドと接触するため、各々情報収集に励んだ結果、ピカロは『団長の背中には星形の傷がある』という情報を手に入れ、シェルムはザンドルド盗賊団加入の権利を手に入れた。
さぁこれからザンドルド盗賊団に加入して本格的に内部情報を集めていくぞという流れになったその時に、2人はザンドルド盗賊団幹部の男の背中を──背中に刻まれた傷痕を目撃して、2人の作戦は急ハンドル。
ラーク・ジュライエンと名乗る幹部の男にも、星形の傷痕があった──まず第一に考えられたのは、このラークが、もしやザンドルド・ディズゴルドなのではないかということ。
大英雄の息子として、主人公として、盗賊になどなりたくなかったピカロにとって本当にそうなら幸いだったのだが……実際にはその可能性は薄そうだった。
なぜなら少なくともピカロが剣道極から聞いてきた団長らしき人物の身体的特徴は、星形の傷痕だけでなく、見た目がそもそも普通のおじさんだったらしいからだ。
ラークはまだ若い──見る人にもよるだろうが、ピカロにはどうにも『おじさん』には見えなかった。
それに加えて、ピカロが剣道極のもとへ向かうきっかけとなった情報──『団長は男の子のちんぽを鑑賞して金を払っている』という噂話を流布していたのは、このラーク本人だ。
無論、自分が団長であることを隠すため、幹部を装い、作り上げた偽団長エピソードを広めていたという可能性もあるが……。
ではその噂話が嘘だったならば、5年前、剣道極に金を払っていたおじさんは何者なのだろう? たまたまラークが考えた偽エピソードと一致した性癖を持つおじさんだっただけか?
ならばなぜそのおじさんと同じ星形の傷痕が、このラークの背中にも刻まれているのだろうか。
……結局、謎は深まるばかりだった。
そうして、ある意味順当に、ピカロとシェルムはザンドルド盗賊団にそのまま加入することになった──ラークからは正確な手がかりを得られないし、星形の傷痕というキーワードも意味をなくしつつあるので、普通に盗賊団に加入して内部情報を集めるだけの目的だが。
ラークの紹介でザンドルド盗賊団に入り、2人は立派な盗賊となったわけだが、仕事もせず肩書だけでは団員失格だ。ちゃんと盗賊としての仕事を全うしなければ、脱退を余儀なくされるだろう。
そんなわけで2人は、新人団員として、先輩たちの任務に同行しているのだった。
「唯一の手がかりだった星形の傷痕も、何故かラークの背中にあったし、もう僕たちには手札がない。当初の予定通り、ザンドルド盗賊団内部で活躍を重ねて、団長に会えるくらいの役職に就くしかないだろ」
「何が当初の予定通りだ! そもそも私は盗賊団に入ること自体反対だったのに!」
「もう遅い。僕らは初めての任務として、もうここまで来ちゃってるし、今更盗賊団を抜けて、一から情報を集めるとなると手がかりも無いだろ。大人しく盗賊として頑張っていこうぜ」
「確実に破滅の道の上にいると思うぞ私たちは!」
未だに覚悟の決まらないピカロを待つこともなく、シェルムは動き出した──馬車の音が聞こえたからだ。
先輩たちが隠れている場所へ向かう。2人は今、小便をしてくると言って2人だけで離れた場所にいたのだが、任務が始まるとなれば先輩たちと合流しなければならない。
貴族の馬車の音が近い。武器を構えた先輩たちが、今か今かと興奮しているのが目に見えて、ピカロは眉をひそめる。
そして、ついに馬車が森の中の細道を横切ろうとして──
「ひゃっはー! ザンドルド盗賊団だ!」
先輩の1人が、細道に躍り出た。急に人が飛び出してきたので御者は慌てて馬を止める。そしてザンドルド盗賊団という名を聞いて顔を青ざめ方向転換し、逃げようとしていた。
馬を止めず、轢き殺してでも突っ切っていればこんな状況には陥らなかっただろうに──既に馬車は大勢の盗賊に囲まれてしまっていた。
遅れて茂みから飛び出てきたピカロ。今まさに犯罪が目の前で行われていて、そして自分もその一部であるということがプライドを深く傷つける。
「おい! 殺されたくなきゃあ金目の物を置いていけ!」
「ひ、ひぃ!」
完全に怯え切った様子の御者。パニック状態の彼が自発的に荷台の中の金品を渡してくれそうにもないので、先輩たちは無理やり馬車に押し入り、物を盗み出していく。
「きゃあ! 離して!」
「おい見ろお前ら! 上物だぜ! 貴族の女だ!」
金目の物は大して積み込まれていなかった──この馬車は金品を輸送するためではなく、人を運ぶために使用されていたのだろう。
結果として、中にいた貴族の来ている服や装飾品くらいしか金になりそうな物はなかったが、現場の盗賊たちにとっては女の存在こそ嬉しいサプライズ。美しい女が手に入った。
無論、このような美しい女は、ザンドルド盗賊団と裏で繋がっている変態貴族に売り渡したり、奴隷商に売り渡したりすれば大金になる。
たが最も嬉しいのは、売り渡す前に団員たちでこの女の“味見”をできることだ。
性欲の捌け口を見つけて歓喜する盗賊たち。さすがの変態ピカロも、目の前で涙を流す美女がこれからどんな目に遭うのかを想像したら、胸が痛くなった。
「今夜はこの女を全員で“回す”ぞ! 古参から順番だからな──」
「目が覚めてしまった」
馬車の中から、男の声がすると同時──女の細腕を掴んでいた先輩の腕が、切断される。
悲鳴を上げて転げ回る先輩。一瞬で静まり返った他の先輩たち。
馬車から降りてきた男は、血の付いた剣を持っていた。
「護衛として雇われていたが、危うく寝過ごすところだった……そういう意味では目が覚めて良かったけれど、睡眠を邪魔されたのは気に食わないなやっぱり」
男はハンカチで刀身を拭きながらボソボソと呟いている──護衛と言ったか?
ザンドルド盗賊団が世界的に有名であることを差し引いても、盗賊は世界中にいるため、多くの貴族は移動の際、護衛をつける。
言わばこのご時世の常識であり、それはこの任務を担当していた先輩たちも、シェルムもピカロも承知していた。
ピカロが盗賊をやりたがらなかったのは、物を盗む過程で少なくともその護衛を殺すだろうことが、容易に想像できたからだ。
無論、先輩たちも護衛が出てきたら殺すつもりでいた。
しかし、馬車から出てきた護衛の男を見て、動けなくなる──先輩たちの不安を確信に変えるように、助けられた女が護衛の男の名前を呼ぶ。
「悪党どもをやっつけて下さい──セクト様!」
セクト・ミッドレイズ──“神速の刃”。
2年前、誇り高きアルド王国立魔法学園を卒業し、そのままアルド王国軍に入り、数え切れないほどの魔族を斬り伏せてきた、アルド王国の新たな英雄の1人。
それほど有名にもなると、ザンドルド盗賊団の団員たちもセクトの名も見た目も知っている──頭に巻いた赤い鉢巻がトレードマークなのは、言わずもがな。
護衛がいることは予測していたが、まさか新進気鋭の実力派軍人が登場するとは思っていなかった先輩たちは、後ずさって息を飲む。
「な、なぜ神速の刃が貴族の護衛なんかしている……!」
「普段からお世話になってる人の娘さんが1人で遠出するって言うから、王国軍から休みをもらってプライベートで護衛任務をしているだけだ」
最悪のパターンである。護衛を殺し、金品を盗みにきた盗賊が、全員返り討ちに遭うなんて──先輩たちも相当運が悪いが、これが初任務のピカロとシェルムはもっと運が悪い。
2人がただの新人団員ならば、の話だが。
「悪いがお前ら全員殺させてもらう。ここで盗賊を逃せば、他の被害者が増えるだけだからな」
剣を構えるセクト。あまりの殺気に一歩も動けない先輩たち。
そんな中、シェルムが悠々と前に出た──剣を持って。
「……俺を神速の刃だと知って向かってくる奴がいるとはな。そんなに死にたいのか?」
「お前も所詮、モブキャラだ」
ニヤリと笑ったシェルム。次の瞬間、シェルムの剣がセクトを襲う。
ギリギリで反応したセクト。尋常ではない剣捌きに動揺しつつも、剣を弾いて距離を取る。
「……何者だ、お前」
「さぁな」
シェルムは布で顔を隠していた。
そもそもセクトと同級生だったのは5年も前の話だし、それにピカロとシェルムの在学期間はたったの1ヶ月。すぐに退学になった2人の顔など、セクトは覚えていないかもしれない。
しかし、史上最年少でアルド王国軍大将になった2人のことを、王国軍に所属するセクトならば知っていてもおかしくない──というか当然知っているだろう。
別段、アルド王国以外では有名ではないピカロとシェルムなので、ザンドルド盗賊団に所属している間は顔を隠す必要などなかったが、セクトは同級生である上に同じ王国軍の軍人だ。
ここで正体をバラされると、盗賊団に居られなくなるかもしれない──軍のスパイだと先輩たちに知られてしまうからだ。
──耳鳴りが響く静寂を剣撃の嵐が掻き消した。
5年前からシェルムの強さは圧倒的ではあるが、セクトも魔法学園の騎士科の頃とは違う──軍人として戦い続けたセクトの剣は、激しい攻防の中でシェルムに傷を付けるレベルまで達している。
互いの肌に薄く刃が届く。少しずつ削られていくのならば、多勢に無勢のセクトの方が不利だろう。
大きく剣を弾かれて、シェルムが後ろへ下がる。息を整えるシェルムの背後で、ピカロは小声で話しかけた。
「おい……どうすんだよシェルム」
「……殺しちゃダメか?」
「ダメだ。友達だぞ」
「じゃあ、適度に傷を負わせて逃げてもらおう……手伝えピカロ」
急いで顔を布で隠すピカロ。結び方がわからず、片目が隠れてしまったが、戦況は2対1なので妥協しよう。バレなければ何でもいい。
シェルムの横に並び、剣を抜くピカロを見たセクトが苦笑いを浮かべる。
「……ちょっと厄介だな」
傷を負っているため体力を消耗しているセクトを待つことなく、ピカロとシェルムが突進。左右に分かれて肉薄する。
眼前に迫る二振りの刃──セクトはギアを上げ神速の真骨頂を刀身に宿す。
もはや剣が速すぎて、ピカロとシェルムは同時に剣を弾かれる始末。それこそ2対2で戦っているような気分だ。
鋼が風を斬る音が重なり、金属の衝突音が腹の底に響く。ピカロの参戦というピンチの到来によってむしろセクトの剣は加速していく。
しかし対応するのが限界で、反撃には出られない。少しずつではあるが、防戦一方のセクトが多く血を流し始めた。
──そろそろだな、とシェルムが呟く頃、大きく飛び退ったセクトが額の汗を拭いながら笑う。
「まさかザンドルド盗賊団にこれほどの手練れがいるとはな……軍に報告しなければ」
「生きて帰れると思ってんのか」
すっかり悪党っぽいシェルム。セクトは息を整えつつ剣を鞘に納めた。
「『手練れの剣士2人を倒す』よりは、『生きて帰る』の方が楽なのは違いない」
「悪いが僕たちは足の速さには自信があるぞ。盗賊だからな」
「足が速いだけじゃ……神速には届かない」
セクトを包むように突風が巻き起こる。舞い散る枯れ葉と土が目に入らないよう、全員が目を閉じたタイミングで、セクトは言い残す。
「次に会う時は貴族の護衛じゃなく、正式に任務中の軍人として剣を振るおう──首を洗って待っておけ」
「クソッ……待て!」
風魔法で加速したセクトが、貴族の令嬢と御者のお爺さんを両脇に抱えて上空へ。風に背を押されて遥か彼方へと飛んでいった。
空を飛べるほどの風魔法さえ使えるのかと唖然とする先輩たちが、少ししてようやく状況を理解する。
「お、おいお前らすげぇな! あの神速の刃を追い払っちまったぞ!」
「俺らも殺されるかと思ったぜ……助かったよ、新人」
「それほどでも……」
「これだけ強いんなら、ザンドルド盗賊団の幹部も夢じゃないぜ!」
ただの盗賊集団とは規模が違うザンドルド盗賊団の幹部は、まさしく百戦錬磨の実力者。国宝など、盗むのが困難な物を狙う際には、幹部らが任務に参加し、その圧倒的な武力にて対象を盗み帰ってくる。
ザンドルド盗賊団の内部情報を集めたいなら、盗賊団内部でトップに上り詰めるのが効率的──そういう意味では、2人がかりでセクトを退かせたことは、幹部への良いスタートダッシュになったのかもしれない。
「ピカロ……この調子で活躍していけば意外と時間かからないかもな」
「幹部になるのにってことか?」
「いや──ザンドルド・ディズゴルドと会うまでにって意味だ」
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──6年後。
「さぁ、ようやく初めての幹部会合だ。気合入れていくぞ」
「待て待てシェルム待ってくれ」
「僕たちも遂にザンドルド盗賊団の幹部。ザンドルド・ディズゴルドの首は近いぞ」
「いや違う。そんなことより凄い怖い文字が見えたんだけど」
「飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍してきた甲斐があったな」
「6年後って何?」
「いや普通に僕らは今26歳ってことだけど」
「ままま待って嫌だ助けてくれ誰か」
ザンドルド盗賊団に加入してから、おそらく過去にないほどの活躍を見せ続けた2人だったが、盗賊団内での信頼を勝ち取るには時間の経過以外に方法はなく、結果として実力が評価されるのに6年もかかってしまった。
「──6年後。じゃねぇんだよ。そんなの繰り返してたらすぐジジイになっちまうだろうが」
「サクサク進んだほうがいいだろ」
「たった1行で6年も進むのはサクサクのレベルじゃないけどな」
言い合いながら、ザンドルド盗賊団の秘密基地の廊下を歩く。世界的にも有名なザンドルド盗賊団だが、各地に点在する秘密基地は巧妙に隠されており、まだどこにも露見していない。
薄暗い廊下の先に、扉があった。
6年でようやく幹部として認められたらしい2人が呼び出されたのが、この会議室。この扉の向こうには、新たな幹部を見定めるために、ザンドルド盗賊団の幹部が全員集まっている。
もしかしたら、ザンドルド・ディズゴルド団長の姿もあるかもしれない。
期待を胸に、ゆっくりと扉を開ける。
──部屋には、物々しい雰囲気の男たちが6人、バラバラに座っていた。
しかし何より目を引いたのは、部屋の中央。
「これは……」
黄金殻の鎧を着た団長──ではなく、団長の証である光り輝く“鎧だけ”が、鎧立てに立て掛けられていた。




