第三十話 万屋二人
昼下がりの王都中心部、そびえ立つ王国城から少し西に離れた場所。
無骨な牢獄を思わせる外観の建物──アルド王国軍本部。その正面玄関の横に、木の板で手作りされた机と椅子が並べられていた。
ボロボロの木の看板には『お仕事下さい』の文字。
吹き抜ける風に肩を震わせる2人の少年がそこにいた。
「……おい今月の生活費を出せ、ここに」
「……」
苛立ちを隠さない金髪チビデブ──ピカロ・ミストハルトに言われて、紫紺の美青年シェルム・リューグナーは、ポケットから袋を取り出す。
薄汚れた木の机の上で袋をひっくり返すと、どんぐりと葉っぱが2枚、落ちてきた。
「タヌキじゃねぇんだよ私たちは。こんなもんで腹が満たせるかボケカスこら」
「そんなこと言ったって、仕事がないんだから仕方ないだろ」
軍本部ということもあって、人の往来は激しい。
冒険者の手に負えない規模の魔族の退治依頼や、王都から離れた村の警備についての相談など、王国軍を頼ってここに来る人は多いのだけれど、その軍本部前に座る2人の少年を目当てに訪れる人はいなかった。
──魔法学園を自主退学してからおよそ1年。
王国軍に所属することとなった2人は、まず軍部で最も偉い元帥に挨拶をしに行った。
元々、軍部はピカロとシェルムの才能に目をつけており、卒業後はぜひ軍部へ来てほしいという姿勢だったこともあり、一体どんな好待遇が待ち受けているのだろうかと胸躍らせた2人に突きつけられたのは、無情な言葉。
「君たちにはまず、自力で生活をする大変さを学んでもらう」
教育課程から引き抜いて軍部へ来させた手前(実際は2人が軍部へ志願したけれど)、せめて大人として最低限、2人の子供の教育を継続してあげようという軍部の心遣いの結果、2人には体験型学習をさせることになった。
何についての体験型学習かといえば、先の言葉の通り、自立の大変さを体験し学習すること。
軍部の風習として、新人には1年間、軍人見習い状態のまま様々な雑用をさせるらしいのだが、それを教育っぽくねじ曲げ、2人には軍部における雑用ではなく、親のありがたみなどを学ばせる機会が与えられたのだ。
「考えてみれば魔法学園は、学生寮に住めるし食費も教育費も全部国が負担してたから、良い暮らしができてたけど……いざ学生じゃなくなると、働かないと生きていけないんだな」
「お前は貴族──それも大英雄の息子だから、一生遊んで暮らせるだけの金があるだろ」
「父さんが、『軍部の意向に従って、1年間は、パンの一切れたりとも恵んでやらない』とか言って金銭的な支援をしてくれない以上、親のスネすら齧れないんだよ」
結局、2人は『何でも屋』として王都を駆け回り、様々な仕事を貰ってこの1年間を過ごしてきた。
迷子のペット探し、薬草の採取、腕相撲大会の審判などなど……。
その結果、王都の人たちから親しまれるようになったことは、良いことなのだが、1年前は大英雄の息子としてチヤホヤされていたピカロは今や子豚扱い──舐められている。
「しかしまぁ、一昨日の仕事は最高だったな。ありゃ給料貰えなくてもやりたい」
「風俗店の掃除か? 僕は嫌だな、汚いし」
「二階の角部屋から女の喘ぎ声が聞こえたんだよ! モップ片手に、股間を優しく擦りました私は!」
「……二階の角部屋……それ僕だな」
「は? 私と一緒に仕事中だったろお前は」
「いやそれが勤務終わりの風俗嬢が『めちゃくちゃにしてちょうだい』って頼んできたからさ、仕方なく金もらって一発」
「殺してやるッ」
シェルムの首を絞めるピカロだったが、手首を捻りあげられて悲鳴を上げた。
涙目で呟く。
「お前ほどの美青年になると、無料でエッチできるどころか、金もらってエッチすんのかよ……ふざけるな」
「ブサイクを抱く不快感を考えたら、妥当だろ。生活費に困ってなかったら僕も断ってたよ」
「贅沢言ってんじゃねぇよ。エッチさせてもらえるなら顔とか関係なく土下座してありがとうございますって言うべきだろうが!」
「知るかそんなの」
「私は相棒のセックスASMRでシコってたのか……最悪だ」
「──あの!」
絶望が滲み出るピカロに声をかけてきたのは、10歳くらいの少年。
2人は下らない言い合いをやめ、本日のお客さんに向き直る──子供だからと無下にしてはならない。なぜなら、『子供と遊んでくれてありがとうございました』と、親がお金を払ってくれるパターンがあるからだ。
「どうしたボウズ」
「2人は、何でもできるんでしょう?」
「おうよ何でも屋だからね」
「じゃあ──パパに会わせて」
そういう少年の目は、赤く腫れていた──沢山泣いていたのかもしれない。
「……君のパパは今どこに?」
「死んじゃった」
「え?」
予想以上にヘビーな案件だったらしい。2人は姿勢を正して向き合った。
「1週間前に、魔族に殺されちゃったんだ。パパは冒険者だったから」
いつものピカロならば、冒険者は収入が不安定な上にいつ死んでもおかしくない職業なのだから結婚して子供を作るとかバカだろ、と言いそうだが、さすがに空気を読み、神妙な面持ちを保った。
「……ママは?」
「ママは生きてるよ、でも毎日パパのお墓に行って泣いてる……ボクは、まだ一度もパパのお墓には行けていないんだ。パパのお墓を見ちゃったら、本当に死んじゃったんだって思って苦しくなるから」
「そうか……パパに会いたい理由はわかったけど、死んじゃったとわかってるなら、どうして私たちのところに来たんだい?」
「本で読んだんだ、死んじゃった人の魂を借りてくる魔法があるって」
「それは多分魔法じゃなくて、イタコってやつだね。降霊の術というか、霊を降ろして憑依させる……」
「なんでも良いよ、パパと話したいんだ」
「……よし、やってあげる。でも、ちゃんと見返りはもらうよ? 私たちも仕事でやっているんだ」
「凄い綺麗なお花を摘んできたんだ、これをあげるよ。だからお願い、パパに会わせて」
澄んだ瞳に見つめられ、シェルムは涙を堪えている。一方でピカロは、花はまずくて喰えないからタダ働きじゃねぇかと呆れていた。
冷たすぎる主人公ピカロは、とりあえず花を受け取り、そして立ち上がる。
早速、降霊を始めるようだ。
「じゃあ、霊を降ろす。短い間しか憑依させられないけど」
ピカロがイタコ芸ができるだなんて聞いたこともなかったシェルムは、どう切り抜けるつもりなのか静観している。
やがてブルッと震えた後、ピカロはゆっくりと目を開けた。
「『俺様が、降りてきたゼ』」
「……どなたですか?」
「『俺様は、ヤリチンJリーガーだゼ』」
「なんでだよ」
「パパどこー!?」
「『オフサイドのルールを知らないニワカ女のケツを蹴るのが1番楽しいゼ』」
「それのどこがヤリチンJリーガーなんだ」
「パパじゃないー!」
泣き出す少年に目もくれず、腰を振りながらふくらはぎに力を入れるピカロの頬をシェルムがブン殴り、茶番は終わった。
「ごめんな、ピカロがふざけちゃって」
「うぅ……」
「でもな、こんなことを言うのは残酷かもしれないけど、死んでしまった人とはもう会えないんよ。だからみんな命を大切にするんだ」
シェルムに抱きしめられて、ようやく落ち着いた少年。さすがは男の子だ、泣き止むのが早い。
「……じゃあ、何でも屋への依頼を変えるよ」
「クソガキお前な、報酬も用意してねぇくせに2件目の依頼だと? ぶっ飛ばすぞ」
「こっちのセリフだピカロ。いい加減、シリアスな展開だと気付け」
「……今から、パパのお墓に行く。でも1人だと不安だから、2人に付いてきてほしいんだ」
「わかった。じゃあさっきの綺麗なお花は返すから、これをパパのお墓にお供えしてあげようね」
優しすぎるシェルムと手を繋ぐ少年。3人は墓地へ向かった。
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すっかり夕方の共同墓地には、誰もいなかった。斜めに挿す夕陽を反射して、墓石が煌めく星の海は、怖いくらいに静かだ。
「君のパパのお墓はどれ?」
「あの、真ん中の大きいやつ」
少年が指差す先には、一際目立つ墓石がある。
共同墓地にも関わらず、ひとつだけ大きさの違う墓石──中心のそれを囲うような他の墓石たちは、まるで引き立て役だ。
死者の魂は平等だろうに……貴族の墓なのか? しかし貴族みたく身分の高い家柄ならば、庶民と同じ共同墓地の土に眠るだろうか。おそらくはその家の先祖たちが眠る、特別な墓地を保有しているはずだが。
そんな違和感を口に出すこともなく、今はただ少年の心の傷を癒す手伝いをすべきだと思い、2人は墓地中心へ──その大きな墓石の前に立ち、覗き込むと、そこに彫られていた文字は。
『ピカロ・ミストハルト シェルム・リューグナー ここに眠る』
「なんだこれ──」
刹那、墓石の下から土塗れの手が伸びてきて、ピカロの足を掴んだ。
何が起こったのかを理解する間もなく、次々と土の中から腕が生えてくる──少年が危ないと気がついたシェルムが振り返ると、少年は、笑っていた。
「ふふふ……ようやく捕まえたぞピカロ・ミストハルト、シェルム・リューグナー」
「おい、何のつもりだ」
「まだ気づかないのか? ボクは──お前らを殺しにきた魔族だ」
少年の両眼が赤く光る。
「……また懸賞金目当ての貧乏魔族か」
小さく呟いたシェルムの足に、無数の腕が絡みつく。
「ボク1人でお前らと戦うのはリスクが高かったから、ボクに有利な場所に来てもらった──ボクは死体を操る魔法が得意なんだ」
──だから墓地ならお前らを殺せる。そう言って少年もとい魔族が笑うと、土から伸びていた腕が蠢き、やがて大量の死体が這い出てきた。
さすがは王都の共同墓地、死体が多すぎる。
「さぁ可愛い人形たち、押し潰して捻り千切って絞め殺してあげて!」
興奮の色が目立つ声音に呼応して、死体たちは2人を囲い込む。身動きの取れないピカロはあっという間に団子状態に。
シェルムは剣を抜き、向かい来る死体を斬り捨てていくが、死体なのでもちろん痛みに怯むこともなければ、腕も足も首も失おうと向かってくる。
圧倒的な数の優位だけでなく、それら全てが不死身の軍団──すでに死んだ者を不死身と呼ぶのはあまりに皮肉だけれど。
斬り落とされた指だけでも動いてくる──キリがない!
「何が英雄の息子だ……所詮は人間、ボクたち魔族の劣等種! こんなザコにあれだけの懸賞金が掛けられていたなんて、運がないなぁ」
「本当、運がないよ」
一点に集まりすぎて死体の山と化していた場所から声がすると、直後死体の山が吹き飛ばされた。
腐った死体に揉みくちゃにされたせいでドロドロに汚れきったピカロが、剣を振り抜く。
「最近死んだばかりの女の死体を探してたんだけど……私に寄ってくるのはおっさんの死体ばかりだった」
「ピカロ、主人公として、死体を性的な目で見るのはやめておけ」
危機的状況にも関わらず、余裕を見せる2人。
とはいえこれくらいは魔族も想定内──ただちに次の作戦へ移行した。
「斬り刻まれちゃって可哀想な人形たちよ、集まれ、集まれ!」
赤黒い霧が充満する墓地を、死体たちが這いずり回り、魔族の正面に集まり始めた──やがてそれらは合体し、結合し、癒着して──腐敗した巨人が姿を現す。
およそ5メートルはあるだろう体躯は、無論その全てが死体で形成されている。
何ともバチ当たりだなぁと今更ながらにピカロは思った。
「お前ら2人も、ボクの死体人形コレクションに加えてやる!」
死の巨人は、手近な墓石を掘り起こし、それをまるで小石のように投げつける──実際、巨人からすれば小石同然だ。
墓地を走り抜け回避するピカロと、飛来する墓石を斬り捨てるシェルム。
墓石の雨は止まない。
「おいピカロ、これ以上は街にも被害が拡大しかねない……終わらせろ」
「わかってるよ」
飛び散る破片すら置き去りに、ピカロが魔族に肉薄。血を求めた剣がギラリと光る。
直後、魔族の首を飛ばそうとしたピカロを、真上から叩き潰す巨大な拳──轟音と共にピカロは地に伏した。
「思ったより動きが速くてビビったが……この巨人の拳は避けられないだろう? ふふ、次はお前だ、シェルム・リューグナー。こいつと同じ肉団子にしてやる」
「誰が肉団子だ」
足元からの声に肩を跳ねさせると、刹那、拳を振り下ろしていた巨人が粉々に切り刻まれた──舞い散る死体の塵の中からピカロが現れる。
そこからは、一瞬のできごと──描写するまでもない。
「さて、この惨状を見られたら、私とシェルムが墓荒らしだと疑われるだろうな」
「というわけで、ちゃんと魔族のせいだって軍部に説明しといて下さいよ──クロコさん」
シェルムが誰もいない場所へ話しかける──ひっくり返った墓石の影から、女性が歩き出てきた。
クロコと呼ばれた美女が、2人の前に立つ。
「はい、勿論です。そしてこれで“約束通り”、10体目の中級魔族を討伐したことになります」
2人に課せられたのは、自立の大変さを学ぶこと、だけではない。1年間の何でも屋生活だけで、軍人見習いを卒業することはできない──元帥が2人に課したのは、中級以上魔族の討伐。
本来、学生だった2人を特別扱いで軍に引き入れると、何かとトラブルの種になりそうだと考えた軍部は、2人に“実績”を作らせることにしたのだ。まだ子供だと思われないように、他の軍人たちに2人を認めさせるために。
とはいえ1年間で中級魔族を10体というのは非現実的だ。自ら魔族の頻出する危険地帯に通わなければ、そもそも中級魔族と出会えない。そういう意味では、軍部はたった1年で2人を軍人だと認めるつもりはなかったわけだ。
速くて2、3年。遅くとも5年ほどかけて、中級魔族を10体討伐し、立派な軍人として認められる実績作りをしてほしかったらしい。
しかし、実際には中級魔族の方から2人に接近してくることが多かった──無論、2人にかけられた懸賞金のせいである。
そうして、2人の命を狙って魔界からやってくる中級魔族を返り討ちにすること10回。ちょうど1年で、元帥の設定した目標を達成してみせた。
「そもそも、懸賞金目当ての魔族から私たちを保護するって名目で軍部に引き入れられたのに……自分たちで対処しろっていう放任主義ってどうなんだ、大人として」
「無論、お二人の手に負えない魔族の襲撃に備えて、この1年間、常に私がお二人を監視していましたから──いざとなれば私が魔族を始末していましたよ」
そう、この1年間、2人はクロコに守られていた。実際、クロコが手を出す機会はなかったのだが、上級魔族にも対応できる実力者を、2人のためだけに貸し出してくれた軍部は、やはりなんだかんだで優しいのかもしれないが……実際はそれほどでもない──なぜならクロコは、“何人もいる”のだから。
2人の対象者を24時間監視し、かつ上級魔族や2人と相性の悪い魔族が現れた際には2人を守って戦う──そんな使命を課せられたのは、“沢山の”クロコの中の、たった2人。
「さて、10体討伐したら2人に渡してほしいと頼まれていた手紙がありますので、読んでください」
「え、これで終わりだから、もうクロコさんとはお別れなの?」
「ピカロ様、その通りです。もう私と関わることは当分ないでしょう。ですから私の肖像画での自慰行為はもう控えてください」
「やっぱりそれも監視されてたのか! やばい勃起してきた!」
黒髪美女というピカロにとってどストライクのクロコで何度シコったことか。常に監視されているということは、常に美女が近くにいるということ……姿は見えなくとも、存在を感じるだけで、十分だった。
セクハラをやめようとしないピカロの肩を、シェルムが叩く。
「おい、ピカロ、読め」
「ん、何だよ。元帥からの手紙なんてどうせくだらないことして書いてないよ。私はクロコさんを目に焼き付けておかないといけないんだ」
「それが、結構おもしろいことが書いてあるみたいだよ」
手紙を渡されたピカロは、渋々、視線を紙に落とす──そこには、2人への労いの言葉や、正式に軍人だと認める旨などが書かれていたわけではなく、ただ短く、次の指令が記されていた。
──『北のネーヴェ王国との戦争を平和に終わらせてきてね♡』




