第二話 千代理須
「落ちろ! 蚊トンボ!」
「それシャアのセリフじゃねぇし。まじめに名乗りやがれ下さいこの野郎様」
薄暗い洞穴の中。ミステリアスの擬人化らしき美青年への恐怖心は、ピカロの中には既になかった。
無論、今自分が魔物の住む森の中の洞穴にいることから、突然現れたこの美青年を信頼できる要素は微塵もないことはピカロ自身、把握している。
とはいえ、逃げるにせよ戦うにせよ、ただの小太り少年には荷が重い。何せこの美青年が魔物だとしたら、それは絶望を意味するからである。
魔物にも様々な種類があるが、少なくとも人型の魔物は上級魔族であることが多く、知性も理性もない獣のような下級の魔物とは比べ物にならないほど危険な存在である。故に下級の魔物さえどうにもできない小太り少年ピカロでは、逃走も闘争も選択肢として現実味を帯びない。
話が通じるようなので、ピカロはどうにか命だけは助けてもらう方向で話を進めていくという何とも情けない作戦に打って出たのだ。
「僕の名前は無いんだけど……どうしようかな」
「……少なくともシャア・アズナブルではないだろう」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ、シェルム! シェルム・リューグナーなんてのはどう?」
「それにも元ネタがあるのか?」
「いいや。今適当に考えた」
シェルム・リューグナーと名乗った(名付けた?)美青年は、ふにゃりと笑いかけてくる。その見た目に騙されぬよう、ピカロは薄れつつある恐怖心をあえて意識して呼び起こす。
殺意や敵意は今のところ感じないため、もう少し踏み込んでみようと、ピカロは飛び跳ねる心臓の音を隠すように少し声を張った。
「と、ところで! シェルム、さん、様? は、どこからいらっしゃったんですかな?」
「変な喋り方だなぁ。緊張しなくていいよ。さん付けも様付けもいらない。僕ももうちょい砕けた接し方に変えるからさ。ピカロ」
「し、質問に答えろよ下さい」
「どこから来たか……うーん。僕は一応この物語における重要キャラだから、まだ教えられないな」
「ラスボスなのか?」
「それはない」
第1話に登場する謎の美青年が、モブキャラなわけがないと心の中で同意したピカロは、“その展開”が意味するところに気がつく。上がる体温がピカロの心をわかりやすく表していた。
もはやシェルムへの不信感や恐怖心は忘れたかのように、今頭の中を埋め尽くす希望の色を探る。
「……つまり。第1話で謎の青年に出会ったってことは、だな。もしかしなくとも、私はこの物語の主人公、なのか?」
この展開は、モブキャラの人生には到底訪れないであろう圧倒的主人公感の溢れるそれである。
さらに、このわかりやすい主人公確定演出のみならず、ピカロ・ミストハルトという少年には、そもそも“主人公としての資格が“生まれつき”ある。
「私の父はニクス・ミストハルト──10年前の魔族との大戦において、一騎当千の大英雄としてその名を馳せた男だ。その一人息子として生まれた時点で、薄々気づいてはいたが……やはり私こそが主人公だったのか」
ミストハルト家は長い歴史を持つ昔ながらの貴族──ではない。ピカロの父、ニクス・ミストハルトが、アルド王国を襲った魔族の大群を退けるにあたって目を見張るほどの活躍を見せたことにより、国王から領地を賜り、一代にして公爵へと登り詰めた成り上がりの貴族である。
故に、ピカロはそもそも“大英雄の息子”という主人公属性を有しており、そこに駄目押しの“謎の青年との出会い”が第1話で実現しようものなら、ピカロの期待が確信に変わるのも頷けた。
この確信に辿り着いた時には既にピカロの中にシェルムに対する恐怖心は微塵もなく、これから始まる大冒険の相棒を宝物のように思うキラキラとした子供心のみが感情を支配していた。
その眩しい視線を浴びたシェルムが眉間にシワを寄せ、口を開いた。
「いや、違うけど」
「は?」
「ピカロ、お前は主人公じゃないよ。てかその話をしに来たんだ」
あっさりと希望を投げ捨てられ、開いた口が塞がらないピカロ。垂れる涎にも気付かず、アホ面のままシェルムの次の言葉を待つ。思考停止状態に陥った愚かな男が纏う負のオーラに顔を顰めつつ、シェルムは続けた。
「今朝、この世界における主人公が産まれたんだ」
「……ほぇ」
「なんと国王陛下の第一子である息子さんだ。王都では既にこの話で持ちきりなんだけど、その子、産まれた瞬間に凄まじい魔力を宿していたらしく、噂に聞くあの『伝説の勇者』なのでは? と騒がれてるんだよ」
「……ぽぃ」
アルド王国のみならず、この世界には古代の遺産と呼ばれるものが点在している。それは建造物であったり、はたまた武器や防具、装飾品など、バリエーション豊かであるが、その中でも最も数が多いのが書物である。
そのうちの1つに、『世界の書』というものがある。それはこの世界の歴史を“未来に関しての歴史”まで記述した、いわばこの世界の全てである。
貴重な過去の資料としてだけでなく、予言書としても扱える『世界の書』は、解読が酷く困難なものの、最近は少しずつその全貌が明らかになりつつある。
その内容は無論、世間の注目の的だが、特に大衆の関心を集めるのが“伝説の勇者”に関する記述だ。
過去何度も魔界からやってくる魔物との戦いに苦心してきた人類としては、その魔物に対する人類の切り札とも言える伝説の勇者は、魔物に怯えて暮らす必要がなくなるかもしれない明るい可能性である。
無論、夢のある話であるという点において人気だとも言えるが、現実問題、悪しき魔物を退治する伝説の勇者がいつ現れてくれるのかは誰もが注目するところであった。
「噂の域を出ない情報だが、その第一王子の産まれた状況が、『世界の書』の記述と一致していたらしい。ここまで揃ってたら流石にその子が主人公だろ」
「……ズルい! なんだそいつふざけんな! どうせ異世界転生とかしてんだろ!」
「今時、異世界転生モノは流行らない、飽きられてるって畑の婆さんが言ってたぞ」
「なわけあるかボケコラ。……まぁいずれにせよ、『世界の書』に予言された伝説の勇者とか勝ち目ないなぁ……。はぁ」
わかりやすく落ち込むピカロ。大英雄の息子という夢のチケットを手にしていながら、そのさらに上を、産まれたばかりの赤ん坊に越された絶望に、思わず体の力が抜け、座り込んでしまう。
シェルムは、そんなピカロの肩に手を置いて、得意げな表情で語りかける。
「とはいえ、超重要キャラであるこの僕が現れたのはお前の目の前だ。どこぞの第一王子のもとじゃない」
「……それでも私は主人公にはなれないんだろ?」
「いやいやお前、本来の目的を忘れてないか?」
「本来の目的……あっ! サキュバス!」
「そうそう。ピカロ、お前は主人公になりたいんじゃなくて、5年前のサキュバスに再会したいんだろ」
いつのまにか忘れていた事実に思い至り、ピカロは立ち上がる。よく考えれば、サキュバスとの再会というイベントの構成要件に“主人公である”という事実が必ずしも必要とは限らない。むしろサキュバスとの再会という下品極まりない夢は、主人公向けではないだろう。
男に生まれたからには伝説の勇者でなくとも主人公には憧れるものであるから、この世界において主人公となる芽を摘まれたことはショックではあるものの、ピカロにはそもそも別ベクトルの人生の目的があるのだ。
「……ん? 話が読めないな。伝説の勇者が生まれたこと、私の夢がサキュバスと再会すること、自称重要キャラのシェルムが私の前に現れたこと……。そしてそもそも何でお前が私の夢について知っているのか。ここに繋がりなんてあるのか?」
「ある、あるともさ。つまりはだな、結論だけを言うと──」
シェルムは左手を腰に当て、右手を勢いよく前に突き出した。そして細く美しい人差し指でピカロの顔を指差し、ニヤリと口角を上げ、声を張る。
「『世界の書』にて予言された魔族との戦争にて……ピカロ、お前には『無能貴族』になってもらうッ!」
しばしの静寂。言ってやったぜ感満載のドヤ顔で指を指し続けるシェルムの顔を見ながらピカロは頭を必死に働かせる。
数分間、お互いに黙ったままの暗く静かな洞穴に、風が通り抜けていった。
そして突然、ピカロは目の色を変え、顔を上げる。
「──つまり、どういうことだ!」
「説明は次回! 第3話でお会いしましょう!」
「チョリーッス!」
──チョリーッス、なのである。
タイトルの千代理須は、チョリーッス、の当て字です