第二十八話 双方解決
「テテさん!? その腕……どうしたの!?」
間一髪、万能魔女ミューラ・クラシュの命を救ったテテ・ロールアインの姿は、幼い見た目も相まって、酷く凄惨なものに見えた。
右腕は血塗れで、肩から指先までこれでもかというほどにへし折られている。
もはや腕と呼べるのか怪しい右腕を庇いながら、ここまで来たようだ。
「私のことは今はいいんです! 実は、上級魔族が現れていて、今はヘスタ先生やリード君たちが戦ってて……! あの場にいても何も力になれないから、こっちに来ましたですけど……コレも上級魔族だったりしますですか!?」
「コイツはデカイだけで頭も悪いし……上級魔族かは微妙だけれど……まさかナナーク島を襲ってる魔族が他にもいたなんて」
話しながら、とりあえずミューラは回復魔法でテテの右腕を治す──とはいえ、ここまで徹底的に骨を砕かれていると、治療も上手く進まない。
まだ戦闘中。かといって急いで治療しようとすれば、無理やり元の位置に骨が戻る激痛は免れない──テテはハンカチを噛んで痛みに耐える。
手首から先を吹っ飛ばされた痛みで転げ回っていた巨人オイラが、文字通り大粒の涙を降らせながら立ち上がった。
「オ、オイラが上級魔族じゃなかったら、ショックで死んでたっす……! くそ、早く治れぇ!」
自称上級魔族のオイラの手首に光が集まる──体内の魔力を欠損部に集中させ、回復を急いでいるのだ。
これも、細胞の一つひとつから魔力によって構成されている魔力純粋100%の魔族だからこそできる芸当。
──ちなみに、人間の身体にも魔力は含まれていて、その含有量は人それぞれだが、平均して全身の10〜20%が魔力でできている。無論、“腕と足は魔力で構成されている”とか、“血液のうち何リットルは魔力”ということではなく、細胞レベルに混ざり込んだ魔力が、およそ人体全体の2割程度ということである。
現時点でのピカロ・ミストハルトは約45%の魔力含有量──単純に魔力を差し引いた人間の能力より、2倍近い力を発揮できている。身体強化魔法を狂ったように重ねがけしたり、難度の高い重力制御魔法を使えるのは、偏に体内の魔力の多さ故だ。
そして多くの魔力が含まれた身体は、魔法耐性──他人の魔力による干渉への対抗力が強くなる。そんじょそこらの一般人の攻撃魔法では、ピカロに傷ひとつ付けられないのは勿論のこと、魔法学園の生徒でさえ、全魔力を賭した一撃などでなければ、まともな攻撃たりえないだろう。
そして人間の域を超える力である魔力の塊である魔族が、魔法関係なくそもそもの耐久力が高いように、人間も魔力量に応じて、耐久性、身体能力、回復力などに差が生まれる。
そういう意味では、生半可な魔法が効かないピカロに、物理攻撃を仕掛けたところで、多くの魔力によって組織された強靭な身体には通用しない。
──新入生トーナメント1回戦にて、そんなピカロの鼓膜を、一発で破裂させたテテの魔力量は、驚異の60%超え──つまり、テテは半分以上魔力によってできている。
そこまでくると“魔力量の多い人間”というよりかは、“極端に魔力の少ない魔族”とでも言えそうだが、実際のところ魔族は下級から上級まで、100%魔力で構成されているため、テテは紛れもない人間だ。
ギリギリ人間のテテは、自分の魔力量の異常さに気がついておらず、いくら魔法を使っても疲れない体質なのだと見当違いな自己分析をしているが、そんなテテは万能魔女ミューラのようにあらゆる魔法を、テテ特有の最大火力で行使できるかと言えば、そんなことはない。
魔法学園入学後、“カッコいいから”という理由だけで、ひたすらに雷魔法のみを訓練してきたテテは、その人間離れした魔力の持ち主にも関わらず、雷魔法しか使えないという残念な魔術師になっていた。
しかも威力の調整をマスターしておらず、出来るだけ弱くしたつもりの雷魔法で、“あの”ピカロの鼓膜を破るレベルの高威力。対人戦はもちろん、使い所を間違えれば味方もろとも感電死させかねない。
ミューラを助けるためだったとはいえ、オイラの手首を狙った先程の一撃は、至近距離にいたミューラこそ危険だったといえる。
「……テテさん、傷の治りが異常に速いけど……まぁいいや、それより、あの巨人の手を一撃で貫くほどの雷魔法があるなら、ヘスタ先生たちの方にいる上級魔族にでも喰らわせてくればよかったんじゃない?」
「それが、かなり強めの一発を頭に落としたんですけど、全く効かなかったんです」
「……ってことはヘスタ先生たちが戦ってるヤツが本当の上級魔族で、このアホ巨人は、口だけの中級魔族ってこと?」
俄然、希望が見えてきた。上級魔族は正直手に負えないけれど、中級ならどうにかなる。
無論、中級魔族だから弱いなどということはなく、現にオイラはその巨体で暴れ回るだけで街を崩壊させ、多くの人の命を脅かしている。
それに、これほどまでに巨大化する魔法が使えるのならば、ただの中級魔族として侮ることはできない。中級魔族の中でも、強い部類だと予測できるだろう。
ちなみに、テテの雷魔法が上級魔族オウラ・ジージャに効かなかったのは、あの時雷魔法を喰らったのはオウラ本体ではなく、魔力で作りあげられた操り人形──偽物だったからであり、仮に本体が喰らっていたらひとたまりもなかった。
ひとたまりもないだけで、倒せるわけではないけれど。
「よし、右腕は治った! ……でも、私の魔力はほとんど残ってない。テテさん、さっきの一撃レベルの雷魔法、あと何回使える?」
「あれくらいなら、何回でも使えますですけど」
「え?」
「──よそ見、するなぁ!」
巨人の拳が降る──巨大な影の中心、ミューラとテテが見上げる先は、視界一面の拳。油断していたわけではないが、まさかここまで速く巨人の手が回復するとは予想できなかった。
皮肉にもミューラの読み通り、ただの中級魔族ではなかったようだ。
そう気がついた時にはもう遅かったようで、魔力枯渇寸前のミューラはもちろん、不意を突かれたテテの雷魔法も間に合わない──人が虫を潰すように、オイラが地面ごと2人を叩き砕いた。
「──間一髪ぅッ」
2人がぺしゃんこになる寸前、爆速で滑り込んできたサイデス・ノルドが、太すぎる両腕に血管を浮かべながら全身全霊でオイラの拳を受け止めた。
先程、オイラに叩かれて数十メートル吹き飛ばされていたせいで、全身ズタボロで、剣もどこかに失くしてしまっていたが、言葉通り間一髪間に合った。
「ぐぉあッちょ、ミューラさん! 残りの魔力全部使って身体強化したけど、これ、長くは持ちません……! っていうかもう無理です!」
「十分よ! よくやったサイデス!」
「全力でいきますですよーッ!」
数秒、稼げればいい。ミューラがなけなしの魔力で、防御魔法を行使──サイデスとミューラの身体が、魔法粒子に包まれる。
2人の安全が確保されたことを確認してから、テテが魔力解放。魔法幼女の全身から、蜘蛛の巣の如き電撃の網が広がっていく。
雷魔法は、魔法であって雷ではない──つまり、上から下に落ちるだけではないのだ。
放出型雷魔法は、オイラの拳もろとも、その巨体全身に亀裂を入れる。吹き出した血液が焼け焦げていく。
「あがががががッ!?」
黒煙を上げる身体。ボロボロと崩れていくオイラ。
このまま威力を上げて、粉々にしてやろうかと考えたテテだったが、隣にいる2人の様子がおかしいことに気がつく。
ミューラとサイデスは、防御魔法に守られていたにも関わらず、全身を駆け巡る電撃に苦しんでいた。
──威力が強すぎた。
よく見れば、周囲の建物も雷魔法に触れ、崩れている。人の域を超えた力は、上級魔族と同じく、災害となりうる。
自分の魔法の危険性を自覚し切れていなかったことを直感し、即座に魔法を止め、倒れるミューラとサイデスに走り寄った。
「だ、大丈夫ですか!?」
意識はない。別段、ミューラの防御魔法が不完全なそれだったというわけではなく、単純に、普通の防御魔法ではテテの強すぎる雷魔法に耐えきれなかったのだろう。
友達を殺してしまったのではないかと不安になり、パニックに陥るテテの背後──超再生の魔力粒子が一箇所に集まり、巨人ではなく通常サイズのオイラがゆっくりと形作られていた。
全身が半壊していようと、いずれ治るうえに、この状態でも人間程度なら簡単に殺せる。魔力100%で作られた魔族とは、それだけ人間とは格が違う生物なのだから。
魔の手が、伸びる。
「──きゃー! この人痴漢ですぅー!」
鋼鉄の刀身が、死にかけのオイラを斜めに斬り伏せた。
あと少しのところでオイラの手はテテに届かず、地に落ちる。
振り返ったテテの視線の先には、血塗れでボロボロのピカロと、金髪金眼の美少女がいた。
「……ピカロ・ミストハルト……!」
「おっすテテちゃん、今日も可愛いね──っておい、後ろの2人生きてるか? イッチ、蘇生頼む」
「あたし様は回復役じゃないんだけど! まぁいいわよやるわよ。ていうか死んでないから蘇生じゃなくて治療ね」
イッチと呼ばれた美少女が、手をかざすと、ミューラとサイデスは光に包まれ、やがて意識を取り戻した。
安堵により全身の力が抜けたテテが座り込み、そしてすぐさま顔を上げた。
「ピカロ・ミストハルト! この島にはまだ上級魔族が! ヘスタ先生たちがまだ戦ってて──」
「あぁ、そっちは大丈夫」
オイラを斬り捨てた剣を鞘に納め、ぐったりしているミューラのスカートの中を覗きながらピカロは言う。
「シェルムが行ったから」
────✳︎───✳︎────
「──は?」
戦闘中に動きが止まる。先程まで余裕で4人の剣士を捌き切っていたオウラだったが突然、思考停止。
まるで何か受け入れがたい事態でも起きたのか──いずれにせよ、剣を抜いたこの4人の前で足を止めることが何を意味するかは、言うまでもない。
満身創痍のヘスタ・ドレッサーがようやく訪れた好機を逃すまいと、リハビリ中の足を酷使して瞬間移動。
横一線に振り抜いた魔剣士の剣──オウラの胴体を切断する。
それとほぼ同時、一寸の誤差もない追撃が、オウラを襲う──リード・リフィルゲルの正確無比な剣捌き。剣先が宙を踊り、オウラの四肢を斬り離す。
連続で首も飛ばそうとしたが、そこでようやく意識を取り戻したオウラが額から伸びる赤黒い角でリードの剣を弾いた。
この一瞬にもかかわらず、ヘスタに切断された胴体も、リードに捥がれた四肢も原状回復しつつある──上級魔族のこのデタラメな回復力に、4人は苦しめられていたのだ。
しかしここまで連続で攻撃を畳み掛ける機会はなかった。オウラもまだ回復し切っていない。
オウラの背後、闇を切り裂いた赤鉢巻。セクト・ミッドレイズの“神速の刃”が、接着しつつあった四肢と胴体の切れ目を正確に再切断。
そして前方のリードの剣への対応のせいで隙だらけのオウラの頸に刀身を叩き込む──が、硬い。剣撃の速度は他の追随を許さないセクトだが、一振りは軽いのだ。
わずかに首に切れ目が入る程度。危機一髪、死を免れたオウラがニヤリと口角を上げ、直後その全身が魔法の粒子に包まれる──この至近距離での大魔法は、誰も避けきれない。
仕留め損なったセクトはしかし、背後に迫る足音を聴き、冷静に剣を引き──即座にしゃがむ。
「──ッ鉄剣制裁!」
走り込んできたファンブ・リーゲルトが、50キロを超える鉄剣で横薙ぎの一閃。セクトによって斬れかけていたオウラの頭を横から叩き、重すぎる一撃は果たしてその首を飛ばした。
一瞬の隙を突いたヘスタとリードによって、オウラは回復に集中せざるを得なくなり、がら空きの首をセクトとファンブが斬り飛ばして見せた──反撃のチャンスを待ち続けた4人の粘り勝ち。
荒く千切れたオウラの頭が壁にぶつかって転がる。首をなくした身体は頽れて地に伏した。
「な、なぜ僕の“保険”が──」
「首斬られたらちゃんと死ね」
オウラと4人の激しい戦闘によって崩れた建物──その瓦礫の上から降りてきたのは、全身金ピカの鎧に包まれたシェルム。
首だけでも息絶えないオウラの眉間に剣を刺す。
「シェ、シェルム・リューグナー君!? どうしてここに!?」
「こんにちはヘスタ先生。そりゃあ、街が魔族に襲われてたら“僕ら”も動きますよ」
「僕ら……?」
「今頃、ピカロが遠くで暴れてる魔族にトドメをさしてると思います」
テテが加勢に向かったのは知っていたが、ピカロも参戦したのなら大丈夫だろうと、ようやく魔族の脅威から解放された4人は、一斉に座り込む。
休む暇もなく、上級魔族と命を削り合った数十分間は、4人の精神を着実にすり減らしていた。
「許さないぞ人間ごときが! この僕を!」
「うわまだ生きてる。すごいな上級魔族」
とはいえ、既にオウラの胴体はほとんど灰になっているし、喚き散らす頭も少しずつボロボロと崩れていっている。
死からは逃れられない。
「しかし、何がコイツの動きを止めたんだ……?」
息も絶え絶えのリードに、シェルムが答える。
「コイツは、“魂の器”を予め用意してたんだよ。だからここで死んでも、隠しておいた器に魂を移せた──つまり保険があった。ここに向かう途中、建物の屋上に座ってる魔族がいたからとりあえず殺してきたんだけど、それがコイツの器だったみたいだな」
4人がコイツの気を引いていたからこそ、4人の対処に追われていたからこそ、僕は不意打ちができたのかもですね、と嘯くシェルム。
たとえ隙を突かれようと、上級魔族が不意打ちなどされるはずがない。魔力の大半を4人の剣士との戦闘につぎ込んでいたとしても、器に迫る殺気を察知する程度、造作もないのだから。
相手が悪かった。
「保険が死んだのを感じたから、動きが止まったんだろうな」
「黙れぇッ! 殺してやる! 死に方も選ばせない! 無残な死を!」
「死に方なんて選ぶまでもなく、死は等しく糞だ──まぁピカロなら、使用済みのメディキュットで首を吊りたいとか言うかもだけれど」
「僕らジージャ兄弟が殺し損ねたということは……次は、僕らよりも恐ろしい上級魔族がお前らを殺しに来るぞ!」
「……そもそも、なんで魔法学園の生徒を狙っていたんだ?」
何とか立ち上がったヘスタが、教員として訊いた。
ほぼ消えかけのオウラは、嘲るような目でヘスタを見る。
「──ピカロ・ミストハルト、シェルム・リューグナー。今、魔界ではこの2人の人間の首に莫大な懸賞金がかけられてる」
「なんだと!?」
「これは始まりに過ぎない……僕らは情報の入手が早かったから、一番乗りだっただけだ。これからは次々と金目当ての魔族がやって来る。ふふふ、終わりだ、人間ごときが調子に乗るからそうなる」
せいぜい、絶望に震えて死ね──そう言い残して、オウラ・ジージャは完全に消滅した。
「僕とピカロに懸賞金……なるほど、あいつらしい嫌がらせだ」
呟くシェルムの脳裏に──“仮面の男”が浮かんだ。




