第二十七話 巨魔人弟
「……いつまであたし様の裸を見つめてるわけ?」
「ヴァ〜ギナッ」
「もうそれやめなさいよ!」
倒れているピカロの頭を蹴ったのは、ノチノチ・ウラギルと名乗った美少女。ピカロよりも色濃い金髪金眼は、仄暗い遺跡の底でも輝いて見えた。
「あんた、さっきミストハルトって言ったわよね?」
「……え、それで扉が開いたのか?」
「それでしか開かないのよ、この扉は」
ピカロの浅はかな予想通り、この扉は合言葉に反応して解錠する仕組みだったらしく、キーワードは開けゴマでもちんぽでもなく、“ミストハルト”だったようだ。
しかしだとしたらなぜ──
「なぜ、ミストハルトって言ったら扉が開くんだ?」
「そりゃあここが……って何あんた、そんなことも知らずにここまで来たわけ?」
「宝探しだー! ってことで相棒と2人でこのディアレクティケ遺跡に来たんだけど、落とし穴に落ちちゃって、んでゴーレムみたいなのに追いかけ回されて、気づいたらここにいたんだ」
「……じゃあ“ミストハルトの戦士”じゃないかもしれないわねあんた」
「それが何かは知らないけど、私の名前はちゃんとピカロ・ミストハルトだぞ」
「うーん」
何故だか納得いかないようで、露骨に不満さを滲ませるノチノチ。
一方のピカロは混乱状態から少し経過し、正気に戻ると、背中や踵の痛みを思い出した。
「そ、そうだコイツ! この暗黒騎士に背中とアキレス腱ぶった斬られたんだよ! ノチノチさんには跪いてるけど……」
「あたし様のことはノッチって呼べと言ったはずでしょ……ていうか暗黒騎士ってなによ。そいつはただの“王国の亡霊”」
「亡霊……ってことは、死んでるのか」
「遥か昔にね」
「死人が主人公様を斬ってんじゃねぇッ!」
起き上がり、背後で跪く暗黒騎士──改め王国の亡霊を殴るピカロ。しかしその丸い拳は、漆黒の鎧に届くことなく、地面に落ちた。
気がつくと、右手首から先が無くなっていて、信じられない量の血液が噴き出ている。
「あ、あぎゃ! あぎゃぁぁああッ!?」
「ちょっ、もう! 勝手なことしないでよ!」
ノチノチが転げ回るピカロに手をかざすと、暖色の魔法粒子がピカロの全身を覆い、淡く点滅する。
やがて、右手は元通り──背中や足首の傷もなくなっていた。
「な、治った……?」
「治癒魔法は魔力の消費が激しいんだから……使わせないでよね」
「どうして助けてくれたんだ? やっぱり私のことが好きなのか?」
「やっぱりって何よ。そんな素振り無かったでしょう。……普通に、あんたが“ミストハルトの戦士”じゃないって証拠もないから、まだ死んでもらったら困るってだけよ」
「ノッチは処女?」
「は?」
「処女かって聞いてるんだけど」
露わになっているノチノチの下半身を貫くように見つめながら、瞳孔が開きっぱなしのピカロが問う。
「な、なんでそんなこと」
「聞くのが遅くなっちゃった。何より大切な質問なのに」
「ちょっと、顔が怖いわよあんた」
「処女?」
「…………まぁ、どちらかといえば」
「はっきりしろよブチ殺すぞ」
「何よ急に! あんた、あたし様が現れなかったらそこの雑魚亡霊に殺されてたのよ!? 傷だって治してあげたのに!」
「早く答えろッ!」
「──しょ、処女よ! 悪い!?」
「いや、善い」
ニッコリと破顔するピカロの底知れぬ闇に恐れ慄くノチノチだったが、すぐに気を取り直し、部屋の奥へと戻っていく。
帰ってきたノチノチは、胡散臭い占い師が羽織っていそうなブカブカのローブを着ていて、ピカロの女体観察タイムは幕を閉じた。
「別に裸くらいどうってことないけど……あんたの前では服を着ていた方がよさそうだわ」
「心外だなノッチ──まぁいい。これ以上見続けていたら、勃起しすぎて動けなくなるところだった」
「気持ち悪……」
おえ、と言いながらピカロを横切ったノチノチは、跪く亡霊騎士の頭を掴み、下へ叩きつけた。
鎧がガシャンと音を立てる──なんてことはなく、小さな魔法陣の中に、亡霊騎士は透けるように溶けていく。
「さて、あんたが何者にせよ、あたし様がこうして目覚めてしまったからには、ここにい続ける必要もないわけだし……ほら、地上に戻るわよ」
「え、ここで2人で暮らすんじゃ」
「そんなわけないでしょ」
部屋の奥へとまた戻るノチノチ。すると、ずっと暗かった遺跡に、明かりが灯った。
改めて見渡すと、凄まじく広い空間にいたらしい──無数にある細い入り口のどこから来たのかは、もはや思い出せない。
ノチノチがいた部屋には、階段があり、上階層へと続いていた。
「そういえば、ノッチこそ何者なの?」
「……うーん。万が一あんたが“たまたまミストハルト姓”だった場合を考えると、下手に喋れないのよね」
「言えることだけでいいからさ。例えば、どうしてこんな遺跡の底にいたのか、とか」
「眠ってたのよ。ずーっと」
「ずっとってどれくらい?」
「さぁね。今がいつなのかがわからない以上、判断はできないけど──流石にあんた、今が天界暦何年かはわからないわよね?」
「天界暦? 王国暦ならわかるけど」
「人間界の王国なんていくらでも入れ替わるんだから、アテにならないわよそんなの」
まるで人間界を見下すような態度だけれど、もしかして──
「え、なに、ノッチって天界人だったりする?」
「……まぁ天界人っていうか……」
階段を登りながら、考え込むノチノチ。相当上の階層まで来たところで、2人は遺跡本来の道に出た。
行きは真っ暗な迷宮だったが、帰りは明るい細道。迷うことなく道を進んだ。
そして、至るところ──壁や天井などに描かれた絵を見て、ノチノチが首を傾げた。
「この、“丸いの”から人が沢山降ってくる絵は何なの?」
「このナナーク島には、ディアレクティケ遺跡を含む沢山の遺跡があって、これらは遥か昔に月から龍の背を渡って降りてきた神様たちが作り、住んでいたって伝えられてるんだよ」
「……なるほど、この神様が、天界人ってわけね。だとしたら──」
現在は立ち入り禁止となっているディアレクティケ遺跡。過去には危険と分かっていても出入りする人が多かった──それだけ人を惹きつける神聖さがあったのだ。
ピカロたちのような不届き者もいれば、信仰心に突き動かされて遺跡へ足を踏み入れた者もいただろう。そんな人間たちが壁や天井に残していった壁画を指でなぞりつつ、ノチノチは呟く。
「あたし様は、まさしく“龍”ってわけだ」
「──“リュー”グナーをお呼びになりましたか?」
道の先、紫紺の美青年が壁に寄りかかっていた。
「シェルム! うおー、シェルムじゃないか! もう会えないのかと思ったぞ!」
「ピカロこそ、死んじゃったかなって思ってたら、まさか美少女を連れて歩いてるとはね」
「……誰、あなた」
「ライル・トラクテンバーグです」
「ウーピー・ゴールドバーグの前の夫じゃねえかそれは。……こいつはシェルム・リューグナー。相棒だよ私の」
ヘラヘラしているシェルムの背後をよく見ると、袋いっぱいに詰められた金ピカの鎧や剣、宝石などが顔を出していた──どうやらシェルムはシェルムで宝探しを満喫していたらしい。
怪しすぎるシェルムへの警戒を解かないノチノチは、適当に自己紹介を済ませ、先へ進む。
「……んで、後々裏切りそうな美少女さんは、どうしてピカロと一緒にいるんだい?」
「あんたには関係ないでしょ」
「あるよ、僕とピカロは一心同体なんだから」
「そうだとしても関係ない。そもそもあたし様は、こいつの両親に会いに行くの。それとも何、こいつの親とも一心同体なわけ?」
「え、父さんに会いに行くの? 結婚の挨拶ってこと?」
「違うわよ。仮にあんたが本物の“ミストハルトの戦士”だったとして、あたし様や、この遺跡についてあんたが何も知らないのは、あんたの親が何も教えてない可能性がある──親も何も知らない様子なら、あんたは“たまたまミストハルト姓”だったってことね」
少なくともノチノチの中ではやるべきこと、確認すべきことの順序は定まっているようで、迷いのない足取りで遺跡を出る。
ノチノチが一体、いつ以来、日の光を浴びたのかは定かではないが、少なくとも数時間ぶりに外の空気を吸ったピカロとシェルムは、満面の笑みで深呼吸。
ほかほか顔で目を開けると──
「……え、町中から煙が上がってるんだけど」
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「島民の避難を最優先! 魔法学園の生徒たちには手当たり次第協力を要請して!」
万能の魔法少女ミューラ・クラシュが叫ぶ。今も震える地面と響き渡る轟音の中、一般人と天才を分け、前者の保護に徹するべきだと判断した。
異常事態を察知して集まっていた数人の生徒が、ミューラの指示に従って他の生徒たちを探しに行きつつ、島民の避難誘導を始める。
そもそもミューラ含め、今ナナーク島に訪れているのは魔法学園の1年生──15歳の少年少女である。いくら一般人とは一線を画する天才集団とはいえ、本能的な恐怖の最中、冷静に“力ある者”として振る舞うのは難しい。
その点、ミューラはツインテールという子供っぽい髪型ながら、精神的には成熟していたようで、自分たちがやるべきことを把握していた。
「ミューラさん、避難誘導は任せて、俺らは“アレ”をどうにかしましょう! このまま暴れ続けられたら被害も増える!」
走り寄ってきた巨漢は騎士科1年サイデス・ノルド。
イデア・フィルマーに殴り倒されたという共通点があるミューラとサイデスは、謎の上下関係を築き上げていて、それは非常事態でも変わらない。
「私たちだけであんな化け物を足止めできる……?」
「できなくともやりましょう。ヘスタ先生が来てくれるまで時間を稼ぐだけでいい」
実際には魔剣士科担当教員ヘスタ・ドレッサーは、“懸賞金稼ぎ”オウラ・ジージャという魔族との戦闘中のため、こちらに加勢するのは不可能。
とはいえ、絶望と対峙するには、心の拠り所が必要だ。
2人が見上げる先──そこには、ナナーク島を縦横無尽に暴れ回る、巨人の姿があった。
「うおー! アニキィ! 見てるっすかー! オイラに任せてくださいっすー!」
巨人の咆哮に耳を押さえる。圧倒的な巨大さに足がすくむけれど──やるしかない。
意を決したミューラは、命がけの時間稼ぎを敢行する。
「私が魔法で動きを止めるから、サイデスはどうにか足の一本くらい斬り落としてきなさい!」
「……無茶言うぜミューラさん」
ミューラの膨大な魔力が地面に流れ込み、巨人に踏み荒らされて砕けていた石畳が、ウネウネと波打ち始める。
やがて水のように流動した地面──ミューラの魔法により、石の波が巨人の両足を包んだ。
「んお! な、なんだ! 落とし穴か!?」
巨人は動揺もそのままに、つんのめって転倒。街を破壊しながらの転倒だが、このまま暴れ続けられるよりはマシだ。
まだ崩壊していない建物の屋上を移動していたサイデスが、巨人の膝の裏に飛び降り、剣を振り下ろす。
「痛ってぇええ! なんだ!? アリに噛まれた!?」
泣き出す巨人。サイデスは構わず、一点集中で、同じ場所を斬り続けた。とはいえ、効果は薄い──全く効いていないわけでもないので、続ければいずれは切断も可能かもしれないが。
「巨体による攻撃力や制圧力、それに加えて異常なまでの耐久性──正直時間稼ぎになんてならないと思ってたけれど、多分、この巨人、頭が悪いわよ!」
「そうみたいですね……とはいえ、この作業は骨が折れる……!」
膝の裏をチクチクと刺される痛みに耐えかね、巨人が再び暴れ始めた。
手足をバタつかせ、無理やり立ち上がる──ただそれだけで、周辺の街を崩壊させ、接近していた敵を蹴散らすことができるのだから、身体的な実力としてはやはり破格。
「誰だー! このオイラの邪魔をするのは! オイラは今、アニキに褒められるために頑張ってるんだぞ!」
先ほどからアニキという人物について何度も口にしていることから、この巨人だけがナナーク島に来ているわけではないと察したミューラ。
まさかそのアニキが、ヘスタやリード、ファンブ、セクトたちと今現在戦っているとまでは想像が及ばなくとも、ナナーク島に差し迫る危機が、眼前の巨人だけではないという事実に、焦りを隠せない。
何となく、巨人のアニキということで、更なる巨体の上位互換が現れてしまう可能性も頭をよぎり、元々ゼロに限りなく近かった勝機の芽が摘まれた気分だ。
しかしそれは、今目の前にいる邪悪を放置していい理由にはならない。
立ち上がった巨人から退避するサイデスを確認してから、血を流す膝の裏めがけて、ミューラは魔法を放つ。
集中型小規模爆裂魔法、連なる炎の剣、収束する風の矢、水塊の大槌。
まさしく万能といえるミューラの、さまざまな属性の魔法が、薄い傷口を襲う──ゆっくりだが自然治癒しているようなので、絶え間なく攻撃し続ける必要がある。
さすがに攻撃されていると気付いて振り返った巨人と目が合う。
「……お前か! オイラをチクチク刺してるやつは!」
チクチク刺していたのはサイデスなのだが、巨人からすれば斬撃も魔法攻撃も大差ない。
「このオイラ・ジージャに立ち向かって来るなんて勇気のある人間だけどな! オイラは、上級魔族だぞ!」
まさかの一人称が自分の名前だったことになど気にならないほど、その言葉でミューラは絶望した。
上級魔族──生きる災害。
明らかに、手に負える相手ではない。
「うおらッ」
しかし、サイデスは止まらない。身体強化魔法により増大した跳躍力で崩れる街中を飛び回り、オイラの膝の裏に攻撃を集中し続ける。
「ミューラさん! やるしかないんです! 俺たちが諦めたら、島民や他の生徒が死ぬ!」
そんなの知ったこっちゃないわよ、と言いたくなるけれど──サイデスの言う通り、“やるしかない”。
自殺願望なんて微塵もないけれど、敗北を確信しつつも魔法を行使する。
それに一応、上級魔族を倒したという誉れ高き栄誉にも憧れてはいるのだ。
「魔力の温存なんて考えてる場合じゃないってことね……! 短期決戦! 私たちだけでこのアホ巨人をぶっ倒すわよ!」
「おう!」
石畳の地面を割って、植物が伸び出てくる。ミューラの魔力によって操られた木の根が無数の触手となって巨人──オイラに絡みつく。
全身を這い上がってくる木の根を嫌がり、再び暴れるオイラ。
しかし根の量が多すぎる──ついには絡まって動けなくなった。
「あんまし得意じゃないけど──雷魔法!」
木の根を伝い、雷魔法がオイラの全身を襲う。大した威力ではないものの、一時的にでも麻痺させることができればそれでいい。
しかも見たところ、先ほどまでの魔法より効果があるようだ──弱点とまではいえなくとも、雷魔法は効き目があるらしい。
身体強化魔法で豪速と化したサイデスが、痺れて痙攣しているオイラの足を駆け上がり、そろそろ深くなってきた膝の裏の傷口に追い討ちをかける。
出血の量も多くなってきた──無論、足一本切り落としたところで、オイラは寝転びながら暴れるだけでも十分ナナーク島を壊滅させられるのだから、勝利には程遠い。
しかし、立てなくするだけでも、暴虐の範囲は狭められるし、来てくれるかもわからない援軍──軍というかヘスタ先生──の手助けにもなるだろう。
ラストスパートだとばかりに、攻め立てるサイデスの存在にも気がついたオイラ──まるでハエを潰すかのような気持ちで手を払った。
「──サイデスッ!」
視界全体を覆うほどの巨大な手を避けられるはずもなく、サイデスは何百メートルも吹っ飛ばされた。
友人の死を想像して血の気が引くミューラ。
オイラは、立ちすくむミューラ目掛けて、今度もまた、ハエを叩き潰すように、手を振り下ろした。
「──貫けぇッ!」
少女の声。刹那、目を刺すような光──否、雷!
細い1本の槍のように収束した稲妻が、オイラの手首を焼き斬り、焦がし、貫いた。
手首から先が弾け飛び、ギリギリでミューラを横切る。唖然とするミューラが、声のした方を向くと、そこにはボロボロの魔法幼女がいた。
「テテ・ロールアイン! 援護しに来ました!」
魔法学園の1年生で唯一、魔力保有量が主人公ピカロを凌駕する魔力モンスター、魔法幼女テテ──雷鳴と共に、参戦。




