第二十六話 悪魔兄弟
──最悪だ。
ヘスタ・ドレッサーは焦っていた。
今回の旅行に限って、魔術師科の担当教員と、騎士科の担当教員は出張(上級魔族討伐任務)のため、魔剣士科の担当教員のヘスタ1人が引率することになったのだが──そんなときに、魔族の襲撃を受けるとは。
さらにいえば、ヘスタが教員となったのは、そもそも上級魔族との戦いで足を怪我して、満足に戦えなくなったからである。
リハビリも兼ねて教師をやってくれないかとニクス・ミストハルトに頼まれたときは、大英雄に認められたと喜んだものだが──任された生徒を守れないなら、教師失格だ。
対魔族の戦闘経験のない生徒たちに、ナナーク島の一般市民、そして観光客。
魔術師科1年、テテ・ロールアインの雷魔法に気がついて駆けてきたが、救出までに随分と足を酷使してしまった──この状態で、しかも1人で、守り切れるだろうか。
なによりも最悪なのは──
「剣が見えないのに……気付いたら斬られてる……あー、めんどくさいなぁ」
──おそらく、上級魔族。
大魔族の最前線で活躍してきたヘスタにはなんとなくわかる。無論、上級魔族の中にも優劣はあるが、中級魔族と上級魔族は、格が違う。
言うなれば、中級魔族は、人間界における天才レベル。王国軍の推薦で入学した騎士科1年、セクト・ミッドレイズは、当時10歳の若さで中級魔族を屠ったことがあるが、言ってしまえばそのレベル。
上級魔族は遥かに人間を凌駕する──生物としての次元が違う。
現役最強魔剣士の一角であるヘスタでも、一対一となると相性が悪ければ太刀打ちできない。まして、足を満足に使えないのでは、話にならない。
上級魔族は、たった一体で災害級──仮に出現が予測できていたなら、島民は全て避難させていただろう。それほど甚大な被害をいとも簡単に生み出しうる超常の存在。
ニクス・ミストハルトや、スノウ・アネイビス、王国立騎士団団長ヴァーン・ブロッサムなどの、いわゆる“人間側の化け物”ならば、そんな災害級に対して、たとえ怪我を負っていても対処できうるだろうけれど。
生憎ヘスタは、人間の天才であって、その範疇を超えない。
「でも──やるしかない」
柄を握った刹那、不可視の斬撃が舞う。
腕を持っていかれつつも、細長い男は真横に回避──避けた先にも斬撃。
「……一度に何発も繰り出せるのかぁ。うーん、どうしよう」
縦横無尽に跳ね回るも、行く先々で身体を切断される。
──事前に斬撃を仕掛けておくトラップ……にしては数が多い。
「それなら──」
「きゃっ」
路地裏に転がっていた肉片が砂のように崩れ、テテの近くにあった肉片だけが残ると、それは瞬く間に人の形に。
──この少女を盾にすれば、無闇に斬ることもできまい。
不可視の斬撃の仕組みはわからなくとも、現に自分の身体は切断されているのであれば、常にテテと密着すればいい──テテを助けにきたヘスタが、テテごと叩き斬るとは思えないのだから。
「離せ……ですッ!」
全身から砲雷。放射状に放たれた稲妻。しかし、その程度の魔法攻撃は通用しない──はずだった。
「……チッ」
細長い男の動きが止まる。
テテと密着して動かれたらまだしも、静止した状態ならばただの的だ──痩せぎすの全身を這うような斬撃。
折られた腕を庇いながら、テテはその場から退避し、ヘスタの背後へ。
「……なるほどな」
視界が塗りつぶされるほどの放電の煌めきが、細長い男の動きを止めた理由。
「そもそもおかしいと思ってたんだ……いくら上級魔族とはいえ、何度斬られても蘇るとは思えない」
「……もうバレちゃったかなぁ?」
「テテさん、目を閉じて!」
「は、はいです!」
鞘から抜かれた刀身を掲げる──直後、発光。無論、光る剣というわけではない、光を発する魔法である。
ヘスタは剣士ではなく、魔剣士だ。
白く染まる路地裏。痛いほどの光が、全員の視界を奪う。
「見えなくても私には関係ない」
一瞬の強烈な輝きが収まると、粉々と形容しても差し支えないほどに切断され尽くした“細長い男だったもの”が散らばっていた。
何が起きたかはわからないが、ヘスタが勝利したのだと思ったテテに、ヘスタは振り向かず声をかける。
「私から離れないでください、テテさん。まだ終わってません」
「え、でも」
「今もどうせどこかから見ているんだろう? 少なくとも、そんな“操り人形”戦術は、もう私には通用しないぞ」
「あ、操り人形?」
「……あの細長い男は、本体ではなく、ただの魔力の塊だったようです。通りでいくら斬っても死なないわけだ」
「本体じゃないのにあの殺気……怖すぎますですよ」
「少なくとも、私たちの動きが見える位置にいないと、操り人形と戦わせることはできない──テテさんの雷魔法でここら一帯が光に包まれた途端に、敵の動きが止まった理由は、見えなくなったから、だったようです」
「──なら、どうしてあの光の中で動けたんだぁ、お前は」
路地の奥、建物に切り取られた影の中から、ぬるりと現れたのは、またもや先ほどの細長い男──しかし、その頭からは赤黒い角が2本、禍々しく、空へ伸びていた。
「ま、魔族ッ!?」
「いやテテさん……そりゃそうでしょう」
「ただの魔族じゃない──上級魔族だよぉ?」
──真横。
瞬きすらしていないのに、魔族の男は真横にいた。
軽く、腕を薙いだだけで、ヘスタが吹き飛ばされ──叩きつけられた衝撃で建物の壁が砕ける。
「一応、魔界ではそこそこ有名なんだけどなぁ」
「ひっ……!」
尻餅をつくテテの前髪を掴み上げ、悪魔のような──否、悪魔そのものの笑みで顔を近づける。
「新進気鋭の上級魔族──ジージャ兄弟って、知らない? 僕はお兄ちゃんのほうなんだけど……“懸賞金稼ぎ”オウラ・ジージャ」
「し、知らない……」
「……そっか。まぁ、とりあえず死──」
言いかけて、魔族の男──オウラ・ジージャは後方に飛び退る。ほぼ同時、テテの眼前の空間が切断された。
瓦礫の中から、血塗れのヘスタが顔を出す。
「さすがに本体の方が強いみたいだけど……斬撃は避けるんだな?」
「まだ生きてたのか、お前」
「死にかけだよ、どっかの誰かのおかげでな」
「じゃあちゃんと死ね」
刃物顔負けの爪を立て、地面に穴を開ける勢いでヘスタの頭上から腕を振り下ろす──脳天を貫く直前で、爪が砕け散った。
「……無駄な足掻きを」
「無駄で結構。時間を稼げればいい」
「時間を稼いで僕を倒せるなら、上級魔族はこんなにも恐れられてないよ──まぁ、じっくり死にたいなら、そうすればいい」
「……路地裏とはいえ、あんなにピカピカ光ったり、壁が崩れるほどの物音を立てたら、どうなると思う?」
「……なんだか怖くて、近づかないんじゃないか? 人間は弱いから」
嘲るオウラ。砕かれた爪が再生していく。
「一般人はそうだな……でも」
──魔法学園の生徒は、違う。
「悪霊退……散ッ!」
3人の頭上、建物の屋上から飛び降りてきた男が振るった重過ぎる鉄剣が、オウラの立っていた場所を粉砕する。
間一髪で避けた先に、“神速”。
「俺の鉢巻を赤く染めるのには──魔族の血が1番だ」
剣士が2、3人いるのではないかと錯覚しかねないほどの神速の猛攻。
虚を突かれたものの、凌ぎ切るオウラ──チリッと、背後に感じた殺気に、即座に反応し、上体を反らした。
「……避けるか。さすが上級魔族──とはいえ、魔法学園の生徒を傷つけた以上、未来の生徒会長としては見過ごせない!」
振り上げた剣先が、オウラの鼻先をかする──その次も、そのまた次も、肌を薄く斬る。
「この僕が避けきれないとか、おかしいよお前ッ……!」
「おかしくないさ、その子は──いや、その子たちは、自慢の生徒だ」
──ファンブ・リーゲルト。セクト・ミッドレイズ。リード・リフィルゲル。
3人の若き剣士に囲まれたオウラ。いくら上級魔族とはいえ、ヘスタを瞬殺することさえできなかったオウラにとって、このレベルの剣士を3人同時に相手取るのは骨が折れる。
無論、たった1人で相手取るならば、の話だ。
「生徒を守りに来たやつが、別の生徒が駆けつけるのを待つために時間を稼いでたとか、本末転倒でしょ。まぁいずれにせよ──タイムオーバーみたいだね」
「……何を──」
遥か遠く、耳を劈く爆砕音。微かに揺れる地面。
和やかな街の喧騒は一変、恐怖と絶望の悲鳴が、街中を走り抜けた。
「な、何の音だ!?」
「言ったでしょ、僕らはジージャ“兄弟”」
オウラは、心底、見下すような笑顔を見せた。
「──今頃僕の弟が、島民を殺し回ってると思うよ?」
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弾け舞う瓦礫の豪雨。背後から迫りくる影。
「……っおらッ!」
振り返りざまの一太刀。斜めに斬り上げられた石の巨人は、両目の光が消え、停止。散らばる瓦礫の仲間と化した。
──轟音。座り込むピカロの真横の壁が崩れ、新たな石の巨人が拳を振るう。
スライディングで巨人の足下へ潜り込む。剣を納め、今しがた巨人が現れた壁の穴へ飛び込んだ。
「もうどこにいるのかさえわからない……真っ暗だし……助けてくれシェルムー!」
暗闇を走り、壁にぶつかり、転び、立ち上がり、走る。
目に穴が開くような暗闇と、頻繁に襲いくる血赤の閃光。
気が狂ったように──というか実際狂っているのだけれど──走り続けていると、微かに風を感じた。
別段、下階層に降りたり、上階層に登ったりしたわけではないので、遺跡の出口に近付いたというわけではなく、未だに地下深くを彷徨っているのだけれど、継続的な恐怖の状態に差し込んだ風という新たな要素は、ピカロが縋り付くのには十分だった。
とりあえず風の吹く方へ。風上を目指して走る。
やがて、広い空間に出た。無論、真っ暗なので見えないが、足音の反響具合から、天井の高さや部屋の広さが伺えた。
円形の大空間の中心部へ──突如、太陽と錯覚するほどの光。頭上から降り注ぐ赤い光に照らされて、影が伸びる。
「おいおいおいウソだろ……」
光の数が多い──案の定、複数体の石の巨人が落下してきた。
床を砕き着地する5体の巨人が、一斉にピカロへ視線を向ける──囲まれた。
「もう2、30体はぶった斬ったはずだぞ! 無限湧きじゃねぇだろうな!」
無限に続くのかと絶望を覚えたものの、幾つもの赤い眼光に照らされた空間内を見渡してみると、ピカロが飛び出してきたような細い入り口が無数にあり、そして一箇所、巨大な扉が禍々しい邪気を放っていた。
どうやらその扉の隙間から風が吹き出しているようだ。
「……ボス部屋の前ってことか? 5体同時に登場したのは、これが最後だからかもしれないな……というかそうであってくれ頼む」
神に祈る時間はない。ピカロが立っていた中心部に、5つの拳が振り下ろされた。
蟻地獄のように陥没する石畳。頭上の一点に向けた剣撃で拳を貫通し、間一髪避ける。しかしいちいち避けていてはジリ貧──かといって全ての攻撃に対応し切るのも不可能だ。
「──どうせ詰んでるなら、新技、試してみるか! エロ・グラビティバージョン2!」
重力制御魔法──その名の通り、上から下への重力を増大させたり、軽減したりする魔法。
対象のものを地面に張り付けたり、あるいは自分にかかる重力を抑え、俊敏性を向上させたりしていたが、ピカロは新たな重力の使い道を考えていた。
リンゴが地面に落ちるような、ただ下方への純粋な重力を操作するのではなく、新たに“重力を生み出す”──重力源を作り出す魔法。
それはもはや重力制御とは呼べないが──その延長線上の昇華形、発展形と言える。
重力源は、刀身。
停止した物体を斬るよりも、向かってくる物体を迎え撃つ方が、斬撃の威力は単純に倍増する。
紫に輝く粒子が刀身を覆う──最も近くにいた石の巨人がバランスを崩し、自ら剣へと突っ込んできた。
「野球に応用したら──ホームランし放題だなっ……おらッ!」
両手で振り抜いて両断。すぐさま移動して他の巨人からの追撃を避ける。
「しゃらくせぇから、一気に終わらせてやる!」
次なる重力源は、空中。大空間の中心部に渦巻く紫の竜巻に、残り4体の巨人が引き寄せられていく。
互いを破壊する勢いで衝突。重力から逃れようともがく4つの石頭を目指し、巨人の背中を駆け上がる。
ピカロ自身にかかる重力を跳ね上げ、急速で急降下。振り下ろした一閃で、巨人の頭を粉砕した。
「っしゃ終わりだろこれで!」
音を立てて崩れる石の巨人。再び暗闇となったものの、達成感が恐怖を紛らわせた。
すると、暗闇という問題が解決する──というのも、砕けた床一面に、目を刺すような輝きの魔法陣が現れたからだ。
「次から次へと……今度は何だよ!」
魔法陣の中心、一際輝く地面から、透けるように浮かび上がってきたのは、漆黒の鎧。
同じく漆黒の刀身が、魔法陣に照らされて薄暗く反射する。
全身漆黒の騎士──さながら暗黒騎士だが、剣を構えたまま、動かない。
「ラスボス前の最後の門番か……あるいは宝の部屋を守るラスボスか……どっちにしろ、石の巨人じゃないってことは、一歩先に進んだってことだろ!」
やがて床一面に広がっていた魔法陣は収束し、部屋の中央、暗黒騎士の足元に小さな魔法陣が残っただけだった。
それでも十分に明るいが。
ぱっと見でわかる強さ。一言も発さないどころか、身動ぎひとつない。
ただ静かに、剣を構えていた。
「……これ普通に無視して、奥の扉を開けてもいいのかな」
忍び足でそそくさと扉へ向かうピカロ。
扉の前に立ったが、勝手に開く気配はない──しかし見たところ取っ手やドアノブもないようだ。
「……合言葉に反応して魔法で開いたりして。開けゴマ! ちんぽ!」
響き渡るちんぽに、反応はない。静寂に耐えかねて、扉に触れようとした、刹那。
──熱ッッ!!
背中を襲った激痛と灼熱の違和感。
身体から熱が抜けていく感覚──熱じゃない、血液!
「斬られた……!?」
地面を蹴り、飛び退る。壁際まで来て背中に手を当てると、ぬるりと熱い血液が溢れ出ていた──傷は深い。
全く、反応できなかった。
「こちとら主人公だぞ……大英雄の息子だぞこら……!」
剣を構えて向き合わずともわかる。完全にピカロの格上だ。
「……とりあえず重力制御であの暗黒騎士を動けなくしてから、扉をぶった斬ればいい。正規ルートでの攻略なんざクソ食らえ」
重低音と、舞い上がる魔法粒子。膝をつくまではいかないが、暗黒騎士の動きが止まった。
「じゃあ、お宝部屋(予想)へ──」
バツン。
足元から聴こえた音を不思議に思いつつも一歩踏み出──せなかった。
踏ん張りが効かず倒れ込む。どくどくと脈打つ痛みに振り向くと、両足の踵がその原因だったようで。
「……オワタやんけアキレスぶった斬られたらオワタやんけッ! アキレスチョッキンすなよオワタやんけぇ!」
ガシャンガシャンと、錆びた鎧の擦れる音。暗黒騎士が、倒れるピカロの足元に立ち、剣を振り上げた。
「し、し、シコってやる! 射精しながら死んでやるもんね! ふっ、ふっ! 勃てオラ勃てぇ! うわーん! 死にたくない! 我が軍は永久に不滅です! ピカロ・ミストハルトに栄光あれ!」
頭を抱え、現実逃避。叫び声を掻き消す鎧の金属音に、死を確信した直後──正面の扉が開いた。
薄ら目を開けると、暗黒騎士は跪いている──その先にいたのは。
「あなたが、“ミストハルトの戦士”ですか?」
扉の奥から現れた全裸の少女が、ピカロの頭を跨ぐ形で立っていた。
全身の痛みを忘れ、ただ頭上の股間を睨みつけるピカロ──人間としての意識はなく、ただ目の前の光景を忘れまいと見続けるだけの生命体となる。
少女は腰を折り曲げ上体を下げる──見上げるピカロの顔を覗き込んだ。
「ミストハルトの戦士ですか? って訊いてるんだけど」
「ヴァギナ」
「いやヴァギナじゃなくて」
「ヴァ〜ギナッ。まずは君が名乗りたまえよヴァ〜ギナッ」
呆れたようにため息。すかさずそのため息を吸い込んで咀嚼するピカロに、とりあえず少女は自己紹介。
「あたし様はノチノチ・ウラギル。ノッチって呼んでね」
後々裏切りそうな名前だな、と思った。




