第二十五話 各地困難
「アニキ、ここっすよね?」
「ああ。確かナナーク島とかいったっけ? 人間臭くてたまったものじゃないね」
「観光地なんすかね〜」
「それより、例の2人を探そう」
「はいっす! これでオイラたちも大金持ちっすね!」
「気が早い……とりあえず昼過ぎまでに見つからなかったら、魔法学園の生徒を人質にしておびき出そう」
「ビビって逃げちまうんじゃねぇっすか?」
「いや、ターゲットの1人が噂通りなら、釣れるはずだよ」
「噂?」
「──大英雄の息子、ピカロ・ミストハルト」
赤黒い角を撫でながら、舌舐めずり──笑う悪魔が、島に足を踏み入れた。
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「はえ〜、すっごいねこれ」
ピカロが見上げるのは、月の都ナナーク島に点在する古代遺跡の中でも抜きん出て巨大なそれの足下──もはや風化して崩れてはいるが、一応、正面の門らしき場所だ。
学年で仲良くなろう旅行2日目。相も変わらず自由行動の早朝に、ピカロとシェルムは古代遺跡探検へと出かけたのだった。
「まだ探索されてない部屋とかもあるんだろ?」
「他の古代遺跡はあらかたコンプリートされてるから、もう宝探しもできないだろうけど、このディアレクティケ遺跡に関しては、地下深くまで迷宮になってる──考古学者もビビって尻込みしてくれたお陰で、お宝部屋だらけだと思う」
「私は大英雄の息子だからな。それなりの鎧とか着た方がいいと思うんだよ、探そうぜ」
「金ピカの鎧とか?」
「あったりめぇよ」
「でもアンシーから貰った赤の蝶ネクタイと相性悪そう」
「忘れてたその設定」
ナナーク島は立派なリゾート地ではあるけれど、唯一、このディアレクティケ遺跡のみ、一般人侵入禁止区域に指定されている。
観光客が迷宮で行方不明になるのを避けるためでもあるが、それはナナーク島が観光地として栄えてからの理由で、本来この遺跡は島民も近づかない──恐ろしいから、だそうだ。
曰く──“龍”が住んでいる。
月からこの島へ神々が降りてくる際、空を飛んできたわけではなく、月とナナーク島を繋げるほどの巨大な龍の背を歩いてきた、という伝説。
そして月とナナーク島の架け橋となった龍が、今もこのディアレクティケ遺跡に眠っているのだとか。
月と地球の距離は約38万キロメートル──光の速さでも1.3秒かかる。とはいえそんなことを言い出したら月から神が舞い降りたとかいうことも含めて、伝説が嘘っぱちらしくなってしまう。
多少(というか大分)脚色はあるけれど、別段ナナーク島に伝わる伝承は嘘の作り話というわけではないのだ。
数多くの古代の遺産が発見されたという事実が、これら遺跡の神秘性の首の皮一枚を繋ぎ止めている。
そうでなくとも、お宝があることには変わりがない。
そんなわけで絶賛立ち入り禁止のディアレクティケ遺跡に、お宝探し。
「龍ねぇ、そんなの存在するのかね本当に」
「僕的には、剣と魔法のファンタジー世界には欠かせないとは思うよ」
「私は反対だな! 何せ、この世界にはゴブリンとか、オーク、コボルド、エルフみたいな亜人系もいないだろ? それなのにドラゴンはいますってのはおかしい」
「人間と、魔人と、魔獣──あとは天界人、くらいか」
「天界人?」
「いわゆる“神”」
「唯一神なのか?」
「いいや、天界も随分と広いし人口(神口?)も多い。とはいえ人間より遥かに上位の生物だから、そりゃ人間からすれば神みたいなものだろ」
「じゃあ、このナナーク島に降り立った──沢山の古代の遺産を持ち込んだ神様たちってのは、ただの天界人だったのか?」
「たぶんな」
「何でも知ってるシェルム君は凄いなぁ」
人間界、魔界、天界──人類、悪魔、神。
果たして天界人から見たら、延々と争い合っている人間と魔族は、滑稽なのだろうか──それもまた、神のみぞ知る。
──遺跡の闇へ足を踏み入れると、いたるところに扉、抜け道。まさしく迷宮であり、かつてはここに天界人がいたとは思えないほど使い勝手の悪そうな施設だ。
もはや遠い未来、こうしてピカロたちのような不届き者が宝探しに来ることを前提にしたような造り──設計者は趣味が悪そうだった。
無論灯りなどなく、暗闇を進む羽目になったのだが、そこで万能シェルムの登場。周囲を照らす魔法くらい無限に使えるだろう。
地下へ地下へと下っていく。何でも知ってるシェルム君がいる限りは道に迷わないだろうという油断により、注意もせず角を曲がったり、扉を開けたり。
ゆえにこれは自業自得なのだけれど──
「あー、ピカロ。察してるだろうけど、こういうダンジョンめいた迷宮には勿論、罠が溢れてるからな? 適当に壁とか触らない方がいい……って、あれ」
なんとなく振り向いた時にはもう、ピカロはいなかった。
──不自然に浮いた石畳にジャンプして乗っかったら案の定落とし穴で、信じられないほどの階層を落ちてきたピカロは、耳鳴りがするほどの静寂と、失明を錯覚させるほどの暗闇の中にいた。
「あ、あぁやばいこれ。頭おかしくなるやつだ。私には光を作る魔法は使えないし……死ぬのかここで……」
頼れる相棒と離れ離れになり、しかも視界不良。元々メンタルの強さに定評があるわけでもないピカロにとって、最悪の状況と言えた。
あまりの心細さに、冷静さを欠いたピカロは、闇雲に動き回り、そして大きな扉にぶつかった──何故扉だとわかったかと言えば、ギィ……という音と共に目の前の壁が動いたからであり、そして。
「侵入者ヲ、排除スル」
両眼が赤く光った石の巨人に、周囲ごと照らされたからである。
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「ピカロ・ミストハルトがどこにいるか知ってますですか?」
「いや知らないけど……」
「ふむ……リードさんもセクトさんも知らないと言ってましたです」
「テテさんは、ピカロ・ミストハルトが好きなの?」
「す、好きとかじゃなくて、ニクス様についてお話とか聞きたいなぁと思ってますですよ」
「本当にそれだけ?」
「う、う〜!」
「ふふ、可愛い」
喫茶店で優雅なティータイムを謳歌するミューラに頭を撫でられ、足をバタつかせているのは、無論、魔法幼女テテ・ロールアイン。
今日も今日とて、自由時間にもかかわらず鍛錬に励むリード・リフィルゲルとセクト・ミッドレイズはおろか、ミューラもピカロの居場所を知らなかった──立ち入り禁止の遺跡に行くことをピカロたちがバラすわけがないので、当然なのだが。
「ミューラさんは、ピカロ・ミストハルトについては、どうでもいい派になりますですか?」
「いや勿論、あのニクス・ミストハルトの息子ってだけで、無意識に尊敬しちゃうけど……でも本当かしらね、似てないわよあいつ」
「ニクス様と同じ金髪金眼でありますですよ」
「って言っても共通点それくらいでしょう?」
「……でもでも、あんなに強い人いますですか?」
ピカロが本当に大英雄の息子なのか疑うミューラに対し、必死に食い下がるテテではあるが、実のところテテ自身もまだ完全に信じているわけではない。
むしろそうであって欲しいから、自分に言い聞かせている節もある。
だからこそ、ピカロ本人に聞いてそれを確かめたい想いも強い──そういう意味でも、テテのピカロに対する気持ちは、憧れや理想の押しつけであって、テテはイデアに替わる新たなヒロイン候補というわけではない。
「確かにピカロ・ミストハルトは化け物みたいに強いけど……イデア・フィルマーに負けた私としては、あのイデアを軽々と倒したシェルム・リューグナーって男の方が、なんかヤバい気がするのよね」
「あんなのピカロ・ミストハルトの金魚のフンに過ぎませんですよ」
「でも決勝戦見たでしょう? あんなの、人間の戦いじゃなかったわよ……」
「それもまぁ、そうかもですけど」
計り知れない同級生たちの評価はともかく、ミューラからの収穫もなかったわけで、ピカロ捜索の万策尽きたテテは、諦めて店を出た。
人通りの多い場所にいると、見た目のせいで迷子扱いされるので、人気のない路地裏を行く。
──創作物における路地裏は往々にして危険地帯であり、彼女が足を踏み入れた小道もまた、その例に漏れない。
「君、魔法学園の生徒?」
「へ、え?」
まったく気配を感じなかった。それは足音もなく背後から迫られたとかいう特段の事情があったからではなく──目の前にいたのに。
思わずぶつかりそうになったが、ギリギリで止まる。ぶつかってしまったら失礼だからというより、本能的に近づいてはいけないと思った。
細長い男。
ともすれば簡単に折れてしまいそうな枯れ木のようで、しかしその赤黒い目からは尋常ならざる負の気配を感じる。殺気──よりもなにか、ずっと黒い感情。
肌で感じる恐怖に、呼吸が止まる。
「さっき、ピカロ・ミストハルトのこと話してたよね」
「……さ、さっき……?」
「喫茶店で」
顔が引きつる──テテは記憶力に秀でているわけではないが、こんな異様な男があの店内にいなかったことくらいはわかる。
まして、会話を聞かれるほどの距離には。
「ピカロ君と、仲良いの?」
「……ピカロ・ミストハルトに、何のようですか」
「──おい」
素早く伸びた細い手がテテの首を掴み、路地裏の薄汚れた壁へその小さな身体を叩きつけた。
「僕が質問したんだろ、答えてから話を進めないと」
「ゲホッ……は、離してっ」
「おいいいいいいぃぃッ!」
テテの首を掴んだまま、彼女の背中を何度も壁に叩きつける。
痛みや苦しみよりも、恐怖が勝る──ガチガチと歯を鳴らして泣き出す顔を、男は覗き込む。
「質問に答えてから発言しないと、順番がおかしくなっちゃうよ」
「……ッ」
「ピカロ君と、仲良いの?」
「──離せッ!」
この男の正体がわからない以上、躊躇して魔法が行使できなかったテテだが、この緊急事態でそんなことを気にしている場合ではない。
万が一、ただの民間人であったなら、申し訳ないが──丸こげになってもらう!
脳天直下の雷魔法が、細長い男を貫いた。
全身麻痺で筋力が弛緩した隙に脱出を試みる──絶望に差し込んだ一筋の光を、雷を、逃さずに。
「痛い……子供の魔法とは思えないね」
しかし。むしろ首を絞める力が増す。
「でもやっぱり質問には答えてくれないんだね」
「こ、この……!」
「えい」
「──ッ!」
絞める手を剥がそうと、男の手の甲に爪を立てていたテテの指が、外向きに曲がる。
絶叫は、もう片方の手で口を押さえられ、響かない。
「えい、えい」
「〜〜ッ!!」
指を、腕を──骨を折る。
「イライラするなぁ……」
その言葉とは裏腹に、その顔は、笑っていた。
「どうしよっかな〜。ピカロ・ミストハルトを誘き寄せるために、友人を人質にしようと思ったけど……魔法学園の生徒たちがみんな君みたいに反抗的だと、全員殺しちゃうかも。本当はさ、島民を殺しまくってれば、いずれ現れるだろうとは思ってたんだけど、そんなの可哀想だから、君たち生徒を餌にしようっていう平和的な作戦だったのに」
頬を伝って、男の手に垂れてきたテテの涙を、舐めとる。
「君1人の態度が悪かったせいで、今は全員殺してやりたい気分だ」
戦意喪失、なんてものじゃない。気絶できたらどれだけ幸せか。
迸る激痛と、脳を蝕む恐怖の中、死を悟ったテテの身体が震える。
「当初の予定とは違ったけどまぁ、君みたいな可愛い女の子をぐちゃぐちゃにするの大好きだからさ──こういうの、何て言うんだっけ。苦労中の、災害?」
「──不幸中の幸い、ですよ」
切断。
涙で歪むテテの視界には、まさに切断という概念そのものが横切ったように見えた。
空間ごと斬り伏せるような、防御不能の斬撃が、細長い男の腕を、首を、動体を、切断する。
細長い男から解放され、地面へ倒れ伏すテテを、豪速で走り抜けた男が抱き抱えた。
「すみません、遅くなってしまって……痛かったですよね、苦しかったですよね、辛かったですよね、怖かったですよね」
「……へ、ヘスタ……先生……?」
テテよりよっぽど涙を溢れさせている色男──魔剣士科担当教員ヘスタ・ドレッサーは、強く、優しく、テテの震える身体を抱きしめた。
「驚いた、僕が不意打ちされるなんて」
直後、2人の背後に転がっていた肉塊がうねうねと動き、集まり、固まっていく。
やがて人の形になったそれは、ニヤリと笑う。
「お前、中々やるね──」
「黙れ」
不可視の斬撃が、細長い男の首を飛ばす。
転がる頭から声がする。
「僕が喋ってる途中じゃないか。それを邪魔してしまうなんて、順番がおかしくなっちゃうよ」
「黙れと言っている」
刹那、ケタケタ笑う頭が、木っ端微塵に斬り刻まれる。
ヘスタの上着に包まれて、壁にもたれるテテの目には、ヘスタが剣を振るう姿も、斬撃も見えない──ただ一瞬で、敵が切断されていく。
「あー、お前、ちょっと厄介だな──よし、殺そう」
どこで喋っているのか不明な首なしの細長い身体が、バネのようにしなって、地面を蹴る。
一歩踏み出した、というただそれだけで、その首なしの身体からはドス黒い殺気が噴き出していて、テテは思わず目を逸らす。
「魔法学園の生徒に手を出したんだ──死んでもらう」
刺さるような目つきで剣を握った剣鬼が、低く構えた。
──ヘスタ・ドレッサー。
救世の大英雄、ニクス・ミストハルトに推薦されて教師となった、現役最強魔剣士の1人である。




