第一話 謎美青年
──“ふふ、顔が真っ赤ね。それで……あなたは、私にどうしてほしいの?”
あ、あの! とりあえず思いつく限りのエロいことを、お願いします!
──“例えば?”
いや私はバッチバチの童貞なので……全然わからないんですけれども。そうですね、強いて言うならお姉さんの尿で滝修行とか……!
──“フフッ。ユーモアのある子ね”
いや冗談とかじゃなくて。フフじゃねぇですよ。なんで後ずさるんですか!?
──“ちょっと用事を思い出したわ。多分親戚とかが死んだっぽい”
絶対嘘じゃないですか! ちょっと! ねぇ! お姉さんの尻で太鼓の達人とかでもいいから!
──“キッショ……じゃなくて、またいつか会いましょうね。人間の変態さん”
ゔっ……美人に変態って言われるの良い……じゃねぇわどこ行くんだよ! おい! うおぉぉーーいッッ──
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少し強い風に叩かれ、窓が音を鳴らす。風で揺れたカーテンの隙間から差し込んだ陽の光に照らされ、眩しさで目を覚ます。
フカフカのベッドの上。前衛芸術を思わせる寝癖を手で押さえながら、小太りの金髪少年──ピカロ・ミストハルトは起き上がった。
夜更かしによる多少の頭痛と、寝起き特有の口内の粘つきに不快感を覚えつつ、あくび混じりに呟いた。
「……また、この夢か」
ピカロ・ミストハルト、15歳の誕生日の朝である。前日の夜は、誕生日当日が楽しみすぎて中々寝付けなかったこともあり、良い寝起きとはお世辞にも言えないが、何よりも。
「15歳にもなって……ましてや誕生日にこの夢で起きるとかマジかよ。……はぁ、パンツ洗ってこなきゃ」
それはこの日よりおよそ5年前のこと。1人で魔物の住む森へと冒険に行った愚かな10歳のピカロは、その森で道に迷い、洞穴で夜を明かしたことがあった。
1人では到底対処できようもない魔物の巣窟へと自ら迷い込んだ後悔と、家へと帰れる見込みのない絶望感に押し潰されそうであったピカロだが、半日以上歩き回った疲れにより、座りながらでも意識を手放し眠気の底へと落ちていった。
その時、夢に現れたのが“女夢魔”──サキュバスである。
その森が、濃い魔界の空気に満ちた場所であったこともあり、そんな場所で眠りについたため、脆弱な人間の少年ピカロは魔物に命を狙われたのである。
サキュバスは精気を吸い取るだけでその腹を満たし、姿を消す──つまりはそこで目が醒める場合があるため、人間界において珍しく人気のある魔物ではあるが、実際はそのまま“枯らして殺す”なんてことも珍しくはないのだ。
おやつ感覚でピカロの精気を吸い取りにサキュバスは現れたのかも知れないが、まだ10歳のピカロでは、身体が耐え切れずに快感を感じる間も無く死に至るだろう。
とはいえ“やること”をきちんとやらないと精気を吸い取ることができないため、サキュバスは男を満足させるためにその要望を聞き入れ、最高の快楽と引き換えに精気を啜る。
──しかしなぜかピカロの元に現れたサキュバスはピカロの要望を受け入れなかった。さらには無理矢理にでも“そういうこと”をしてくれるわけでもなく、苦笑いのまま姿を消したのだった。
その日から定期的に同じ夢を見ては、目が覚めてすぐに下着を洗いにいく一連の流れにも、ピカロは慣れてしまっていた。
「くそ……なんで当時の私はあんなことを言ってしまったんだ。無論、今でも滝修行も太鼓の達人もしたいけれど、もう少しソフトなプレイをお願いしても良かっただろうに」
新しい下着を履きながら毎度のごとく悔しさを滲ませるピカロ。部屋に戻ってすぐにドアがノックされ、ピカロは自分の身体から変な匂いがしないか確かめてから「開けていいぞ」と返事をする。
しかし言い終わる前にドアは勢いよく開けられてしまった。これもまたいつものことである。
明らかな無礼を働いた直後とは思えないほど丁寧に頭を下げ、ニコリと微笑んだのはピカロより少し年上の少女。
「おはようございます、ピカロ様。朝食の準備が整い──ってクッサ! イカ臭ぇ! またワタクシでシコってたんですか!? 誕生日の朝に!?」
「んなわけあるか! てか年頃の女がシコるとか言うな。いい加減にしとけよアンシー」
アンシーと呼ばれた少女は、意地の悪いニヤケ顔でピカロを小馬鹿にする。貴族であるミストハルト家の息子ピカロの身の回りの世話をするメイドとして雇われている立場ではあるものの、アンシーは17歳。ピカロと歳も近いためメイドならざる無礼な振る舞いも日常茶飯事である。
三つ編みにされた明るい茶髪。縁の大きな丸眼鏡と頬のそばかすが、田舎の少女らしさを醸し出しているが、顔が整っているためそこまで野暮ったい印象はない。
背の低いピカロよりさらに小さいが、その小さな体にこれでもかと天真爛漫なエネルギーを溜め込んでいるアンシーは、人当たりの良いしっかり者として村では少なくない人気を集めている。
「冗談はさておき。ピカロ様、領主様が帰ってこられるのは日が暮れてからですけれど、それまでは何をするおつもりですか? せっかくの誕生日ですし、ワタクシとデートでもします?」
「え、いいの? ようやくアンシールート攻略が始まるのか」
「嘘に決まってるでしょう。ワタクシこんな小太りのクソガキなんぞ相手にしないですよ。高身長イケメンが好きなので」
「ぶち殺すぞてめぇ」
ピカロはギロリとアンシーを睨みつけてから部屋を出る。階段を降りて一階の食堂へ。貴族の豪邸らしい広すぎる空間に満ちた朝食の香りを楽しみつつ、アンシーが引いた椅子に座った。
「私はな、5年前からずっと、15歳になったらやりたいことがあったんだ。それを今日は叶えにいく」
「5年前……ピカロ様があの忌まわしき森で行方不明になって、奇跡的に生還なされたあの日のことですか?」
「まぁ、内緒だ」
「それ以外ないでしょう。とぼけてんなよクソガキ。ミステリアス感を出そうとすんなよ。イケメンになってから出直せこのボケですわよウフフ」
「私が人を殺すとしたらな、アンシー。1人目はお前だよ」
「あら、熱烈なプロポーズですね」
「どんな愛の形だよそれ。世界観やばすぎだろ、世紀末か」
「愛とは暴力ですからね」
「アメリカ育ちかテメェ」
「アメリカ? アルド王国にそんな名前の村なんてありましたっけ?」
なんでもねぇ、と言って朝食を水で流し込んだピカロは立ち上がり、着替えを持ってこいとアンシーに言って部屋へと戻る。
アンシーの予想通り、ピカロの目的は5年前のあの日に関連している。というかそのまんまである。15歳にもなれば、サキュバスの行為にも耐えうるだけの体力もある上に、アブノーマルな性癖を投げつけて撃退するようなヘマはもう犯さないと心に誓っているピカロは、例のサキュバスとの再会を望んでいるのだ。
実際、魔物の巣窟である森に単身飛び込むことは、自殺行為であるのだが、それでもピカロの覚悟は決まっていた。
頻繁に見る同じ夢。同じ展開。悲しみの下着手洗い。この生き地獄のような生活にピリオドを打つため、ピカロはその命を懸けて再びあの森へと向かう。
「どこに何しにいくか知りませんけど、日が暮れるまでには帰ってきてくださいねー! とびっきりの晩餐を用意しておきますから」
「……ああ。ありがとうアンシー」
まさかあの危険な森に再び向かうだなんて思ってもいないアンシーは笑みを浮かべつつ送り出す。
後ろめたさ故に、足早に家を出るピカロ。今日死ぬかもしれないという恐怖による冷たい汗を背中に感じつつも、童貞卒業(夢の中)への溢れんばかりの期待感も胸に、強く地面を蹴った。
──例の洞穴。5年前のあの日を鮮明に覚えていたこともあり、森に入ってから2時間ほどでたどり着いた。なんとなくキョロキョロと辺りを見渡し、ありえない話だがサキュバスのお姉さんがいないか確かめる。
無論、誰もいない。ピカロは持参していた睡眠薬を手に、唾を飲み込んだ。
「ついに、ついにこの時がきたのか」
下級の魔物の呻き声や、不気味な森のさざめきが遠くに聞こえ、不安や恐怖もあるが早とちりな達成感の方が強い。
意を決し、睡眠薬を口に放り込んだ。水筒の蓋を投げ捨て、水を口に含む。
ようやく、5年ぶりの再会。その為の一歩が踏み出される──はずだった。
「──会えないよ、サキュバスには。少なくとも今はまだ、ね」
刹那、背後からの声。水ごと睡眠薬を吹き出し、咳き込むピカロ。その美しい声の元へゆっくりと振り返ると、そこには眼を見張るような美青年が立っていた。
暗く輝く紫紺の髪。切れ長の目。高い鼻。病的なまでに白い肌と、少し色の薄い唇。
それこそアンシーの大好物であろう美青年が、妖しい笑みを浮かべながらピカロを見つめていた。
先行した困惑と驚きに、ようやく追いついた恐怖が、ピカロを襲う。目が離せない。その様子を楽しむようにじっくりと間を開けて、美青年は口を開く。
「ここではサキュバスには会えないんだよ、ピカロ・ミストハルトくん」
「なぜ私の名前を……! お、お前は、一体……誰だ……?」
「僕? 僕はね──」
洞穴に風が吹き込む。揺れる金髪と紫紺の髪。眼を細めた美青年は、鼓膜を舐めとるような美しい声音で、言葉を紡いだ。
「僕は──シャア・アズナブルだよ」
「嘘つけコラ」
「赤い彗星だよ」
「やかましいわ」
人類史に残る大犯罪者、その邂逅──伝説の始まり、である(笑)。