表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

06 買えなかったケーキと、思い出のパティスリー

 その夜、私は辻田さんの家を訪れた。ノックをして出てきたのは、思った通り、プラスチックの彼女だった。

「はじめまして、お人形さん。実は、あなたにお願いがあって来たの」

 私は彼女の左手を取り、彼女の人差し指の第一関節から先を、ニッパーで切り取った。ぽきりと慣れ親しんだ感触がした。

 人差し指ほどの大きさになった彼女を見て、私は思わずつぶやいた。

「ちょっと小さくなりすぎたかしら。うまくくっつけばいいんだけど。おへそよりは指のほうが、取り付けやすいと思うんだけどなあ」

 少し心配になったが、とりあえずやってみよう。私は、自分の体の()()()()()()()()まるごと、彼女の()()くっつけた。

 余った部分は、ただの廃プラだ。あとで工場の不良入れにでも突っ込んでおこう。


 大切なのは、”私”が彼に気に入ってもらうことだ。やり方なんてどうでもよかった。

 何が”私”なのかという問題はあるかもしれないけれど、あいにく私は工場作業員だ。哲学なんて製造も買取もやってない。

 まあでもきっと、私だと思う私が”私”なのだ。なにより、真の愛のために身体も心も投げ出すなんて、すごく愛っぽいじゃないか。





 彼は最近、暖房を強めにしてくれる。プラスチックの体を気遣ってくれているのだろうか。

 そのおかげか体が軽く、調子がいい。

 そういえばこの間、私の肘をじっと見て不思議そうにしていた。「キズが直ってる」と言われたけれど、そもそも私は、そんなところをケガした覚えはない。

 何かの勘違いだろうか。



 今日は回転ずし屋につれて行ってもらった。

 本当なら私がはたらいていたであろうばしょだ。

 玉子が甘くておいしかった。わさびはにがてです。



 かれのさぎょうふくのボタンがとれていたので、せんたくをするついでにとりつけておいた。

 このぶぶんは、とれやすいのだ。

 わたしも、なんどかつけなおしたおぼえがある。



 きょうは、ケーキやさんにつれていってもらった。

 おいしそうなケーキがならんでいた。

 わたしはかれに、ケーキをプレゼントしたくなった。

 てんいんさんがやってきた。

 ああ、このひとはみたことがある。


「――こんにちは、太美さん」

 私は知らず知らずのうちに、店員さんに声をかけていた。

 彼は驚いていた。私も驚いた。自分から喋ったことなど、今までに無かったからだ。

「知ってるの?」

 彼が聞いてきた。私はわけもわからず、ふるふると首を横に振った。


 太美さん、と声をかけられた店員は、ぶすっとした表情で私をにらんだ。

 鈍感な彼はまったく気付かず、イチゴの乗ったショートケーキを二つ注文した。

 ケーキを受け取り、お金を支払う。右手を伸ばし、おつりを受け取る。


 手をつないで、公園のそばの並木道を歩いた。彼の手はとても温かかった。

「びっくりしたよ、いきなり喋るから。でも、太美さんって誰のことなんだろうね」

「わからない。昔の記憶かもしれません」


「ああ、そういえばさ」

 彼は少し考えて、私に聞いた。

「君って、左利きじゃなかったっけ?」


 私はそれを聞いて、急に涙があふれてきた。

 ずるいじゃないか。辻田さん、私のことなんかちっとも見ていないと思っていたのに。

 なんでそんなこと覚えているのさ。

 指にちくりと痛みが走った。その拍子に紙袋が手からこぼれ、くしゃりと音を立てて地面に落ちた。

 ああ、また食べさせてあげられなかった。


 彼は紙袋を拾い上げた。中身がつぶれているかなんて、気にもしていないようだ。

 本当に鈍感な男だ。

「帰ろうか」

「うん」

 地面を見ると、プラスチック製の人差し指の先っぽが落ちていた。私をそれをそっと拾い上げ、ポケットにしまう。

 涙を拭き、小走りで彼に追い付くと、彼の腕に抱きついた。

06 Elstree


邦題は「思い出のエルストリー」。エルストリーは、ロンドン近くにある大きな映画スタジオです。

かつて働いていたエルストリーを懐かしむ、中高年の歌だと解釈してます。

私がこのアルバムで一番好きな曲です。


悲しい曲なのに軽快なリズムで、でもやっぱり切ない曲。緩急の付け方が素晴らしい。

歌詞も切ない言葉ばかり。もうあなたは戻って来れないんだよと言われているようで。

ラストの蹄の音も、耳に残ります。


歌としては割とあるタイプのものだと思うんですが、この曲だけなぜこんなに好きになったのか、自分でもよくわかりません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ