99. 山道へ
嫌がるネルバに拝み倒して、何とかこのクソ重たい鍵と共に乗せてもらうと、俺はあらかじめ聞いていた、「継承の山」へ向かって飛び立った。
山は城から北へ二時間ほど歩いた場所にある。代々、王位継承の儀に使われてきたそうだ。
しばらく経って山の麓の上空にたどり着いたところで、俺は驚いた。
すでにそこには、城下町の人々が大勢集まっていたからだ。
山道の出発点の前には、食堂が簡易食事処を出している。
子供たちに出し物を見せて盛り上がっている大道芸人もいる。
大人たちすらはしゃいで、顔に扮装の化粧をしたり音楽を演奏して楽しんだりしている。
まるきりお祭りだ。面白いのは、その祭りのメインが俺だ、という点だろう。
ネルバと共に俺が降り立つと、わっと人々が周りに集まってきて、兵士たちがそれを懸命に制する。
俺は町民たちの間を縫って、入山口まで歩いて行った。
山の入り口には古びて何が書かれているのかもはやわからない石碑と、おそらく普段兵士が詰めて、継承の儀と無関係な人間が入り込めないように監視するための小さな小屋があった。
人の波をかき分け、ジゼルやココ、トリスタ、そして、マヤがやってくる。
最初に口を開いたのは、ジゼルだった。
「儀式の詳細については大丈夫か。ちゃんと覚えられたか」
「大丈夫だよ。そんなお母さんみたいに確認しなくても」
ジゼルはムッと口を尖らせる。ココは落ち着いた口調で言った。
「ご一緒できればいいのですが……儀式は次代の王お一人で行かなければならない決まりだそうです。お気をつけて」
「平気だよぅ。ただの山登りなんだから。天下の勇者様が、不安になる要素どこにもないって〜。私は向こうの出店のお菓子食べて待ってるからさ」
トリスタはそう言って、ニヤニヤしていた。俺はくすりと笑った。
続いて最後に、マヤが近づいてきた。俺は緊張を周囲に気取られないよう気を付ける。ジゼルの眼差しがわずかに曇ったのに、俺は気づいた。
マヤは俺の顔を見上げて、小さな声で言った。
「……頑張って」
「わかった」
俺は、ただ頷くだけにとどめた。
「さて、イネルよ。これより王位継承の儀を始める」
ちょうどそのタイミングで現王陛下が、いつも通りの服装になってフィオナ姫と共に現れた。
「いつも通り」とわざわざ断ったのは、つまりここ一ヶ月くらいは病人めいた格好でいたからなのだが。俺は一応突っ込むことにした。
「あの、王。お身体の具合は……」
「今朝から急に回復してこの通りだ! まあそれはいいとして、イネルよ、準備はいいな? 儀式の次第はわかっていると思う。
これといって難しいところはないが、もうここまで来ては後戻りはできん。これより行うのは、そなたが勇者であり、王たる資格を持つ者であることの証明だ。
この山に宿る我が王家の守護神にそなたの意志、資格を伝え、許しを得るのだ。そのグリンファルを供えることが、証となる」
この一ヶ月の間、耳が腐るほど王国直属の学者たちに頭に流し込まれた話なので、今更確かめる必要はなかった。
つまりあれなのだ。何か大きなことを行うときに神社に奉納したりする、厄払いのようなものなのだ、たぶん。形式化された行事なのだから、粛々と行うのが吉である。
「じゃあ、行ってくるよ」
俺はせいぜい爽やかに行って、険しい山道に足を踏み入れた。
背後では街の人々が拍手をしたり、掛け声をあげたりしてくれている。もうここまでくればやり切るしかない。
俺は今日のところは、極力深いこと、細かいことは考えず、淡々と最後まで執り行う、と決めていた。
重いグリンファルが肩に食い込むこと以外は、特に不満はない。
頂上に着くまではおよそ三時間ほどだった、と思う。
時計もないから正確なところはわからない。太陽が真上まで上がってきたので、正午ごろだろうなと思って逆算しただけのことだ。
幸い、暑すぎず寒すぎずの気温で、魔物も現れず、二、三度傾斜のきついところでつまづいて転がり落ちかけたぐらいで、他に大した問題もない登山が続いた。
心はその間、ひたすら無である。
頂上は樹木や花もなく、岩石が大小転がっているだけの殺風景だった。
そして、山道の行き着いた先には、五つの巨大な岩に囲まれた岩石が置いてあった。
中央の岩石は、形としては小さな山のようで、その頂点あたりがくり抜かれたように凹んでいる。
学者の説明によれば、ここにグリンファルを置かなければならないらしい。
俺はその凹みと、俺の肩を破壊しようとしているグリンファルの全長を見比べて、しばし沈思黙考した。凹みは直径が俺の肩幅より狭いくらいしかない。
一方、俺のグリンファルは確実に半分近くがはみ出すくらい大きい。
こういうとき、どんな経緯でこんな巨大なグリンファルを使う羽目になったかわかっていないので、釈然としない思いを拭い去れない。もう今更いいけれども。
やめだやめだ。こんなところで思い悩んでも始まらない。今日はもう、グリンファルを運ぶ機械になることにしたのだった。
俺はため息ひとつつかず、巨大な鍵をその岩石の上にそっと下ろした。
すると。
静かにその岩石が震え始めた。
俺が眉を顰めるや、あっという間にその震えは山の地面へと伝わり、やがて山全体が鳴動し始めた。
気づけば、快晴だったはずの山の空は、緩やかに曇り始めている。
明らかに何かが、始まろうとしていた。俺は周囲を見渡す。
あいにく、今日は大した武器は持ってきていない。襲われたら魔法と素手で立ち向かわなければならない。
そのとき。
突然、深く重い声があたりに響き渡った。




